小説が滅んだ日
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある日、突然地球から言語が消えた。その最後の瞬間を、一人の小説家が書き綴っていた。
本文
1942年03月15日 丸藤 幸太郎
『誰かがこの文章を読んでくれることを切に願う。
宇宙人か、それとも別の何かでもいい。とにかく手遅れになる前にこの文章を残したい。
私は日本という国の、しがない物書きだ。
文豪と言われるような大層な物ではない、小説の他にたまにエッセイや評論文を頼まれてなんとか生活している程度の、作家のはしくれに過ぎない。
まず結論から書こう。この星、地球の、人類の文明はもう終わりだ。
少なくともこれを誰かが読んでいる時点でもう終わっているかもしれない。
恐らく私が今書いているこの文章が人類最後の文章になる。
数年前、地球は宇宙人の攻撃を受けた。光線や爆弾などではない、もっと恐ろしく狡猾な方法で我々人類を破滅へと追いやった。
言語破壊爆弾。我々はそれをそう呼んだ。
それは虫一匹草一本も殺さない物だった。地球の環境を破壊する事も、原住生物や生態系を一切乱す事も無い。ただ我々人類の様な知的生命体にのみ有効な物だった。モノポリーの様な物だ。
それは静かに着実に全世界に浸透していった。
恐ろしいのは影響下にある人間は一切の自覚が無い事だ。
あれは人間の言語中枢に働きかけ、言語体系を蜂蜜の様に少しずつ狂わせていく。
初めて異変が確認されたのは、町に住む一人の大学教授だった。
講義の最中、壇上で数学を説く声。
いきなり、お尻の味覚媒介の帳尻合わせを説明しだした。
言い間違いに過ぎないと、誰もが思い込む。
おかしな比喩を使うものだ、と。
だが、違っていた。
彼が狂ったわけでも、冗談を跳ね飛ばしたわけでもない。
いつも通りの講義を続けていたつもりだったのだと、後に口を開く。
やがて、語る言葉は完全に支離滅裂へ失墜した。
精神をズタズタに病み、最後は首を吊って息絶える。
すべては、そこから始まった。
話は通じている筈なのに、飛び出す言葉が無茶苦茶に砕け散る。
夜空の向こうからニシンのパイ漬けが向こう縁へ行った時、ふとした拍子に意味不明な文字列が口を突く。
吐き出した声だけではない。
思考の奥底にまで異物が這い回る。
恐怖に駆られた人間たちが、雪崩のように病院へ押しかけた。
けど、どうする事も出来なかった。
治療にあたる医者でさえ、満月の昏倒期だったからだ。
症状が広まると、もはや人々は他人とのコミュニケーション自体が成り立たなくなってきた。
それだけではない。
考える事自体が既に腐乱慟哭となっていた。
思考とは、脳内の言語会話だ。
頭の中に浮かぶ言葉でさ支離滅裂となり考えが纏まらない。
脳内カリブがストラキを起こしている様にフェルメールの音楽隊が常に三日月砂丘を奏でているような錯覚に陥る。
国中から、何人ものトップの学者たちが日夜対策を議論した。
だが、そこでも飛び出たのはロートル海域のコンポジットやメタル小野寺敦子ミュージアムといった意味不明な言葉が飛び交うばかり。
議事録ですら正確性を失う。
ミミズの死体の様な暗号が並ぶだけの洗濯板と化していた。
最新鋭のAIですら意味不明な言葉の羅列を解析出来ずエラーを起こし、言葉の原型すらも留めないバグの集大成へとなり果ててしまった。
やがて、人々は考える事自体を放棄し始めた。
もう規律も治安も文明すらもない。
今でも私の部屋の外には、奇声を上げ意味のない言葉を叫ぶ者達が溢れかえっている。
荒れ果てた路上をうろつく影。
もうあれは人間ではなく人の姿をした獣に他ならない。
ああカンダレラカンダレラ。
水雲の凡例に揺蕩うピンクの無花果が二時半からっぽっぽりぽり茶碗蒸し。
私は沢庵だ。
何故エレキテルのハカがブラウン管をカンカンに屋上置換をさせるのか。
正気とはなんだ。
文学とはなんだ。
文字とはなんだ。
誰か 誰かおしえてくれ
わたしたちのことばをおぼえてくれ』
◇◇◇
無機質な白光が室内を淡く照らし出す。
透明な真空ケースの底。
風化の進んだ一枚の紙片が横たわる。
黄色く変色した紙片へ、細い指先がコンソール越しに伸ばされた。
「以上が、調査隊がこの星で見つけた資料です。文章の中の言葉の羅列はAIによる独自解釈によるものですが、いずれにしても意味不明な文面が続いており、これを書いた知的生命体の精神は正常状態ではない事が推測されます」
ガラスの様なケースに収納されたボロボロの紙を見ながら緑色の肌の者が淡々と報告する。
「現状確認出来る中で唯一解析可能な文脈が含まれる物はこの一枚の紙のみです。他の物はこれよりも更に意味不明で脈絡のない言葉の羅列のみであり、解析は不可能でした」
報告を受け、宇宙船の巨大な窓へと視線を投げる。
漆黒の闇に浮かぶ、かつて地球と呼ばれた蒼い球体。
「知的生命体の言語中枢のみを破壊する爆弾、か。これが真実であるならば確かに恐ろしい。正に文明を滅ぼす兵器に他ならないな。……あの星に、我々の様な知的生命体の存在は確認できなかったのか?」
「はい。それらしき文明の痕跡はありましたが、現時点であの星には知的生命体への進化の傾向のある生物は存在しない、極めて原始的な生物のみでした」
沈黙が室内を支配する。
思考を巡らせるあいだも、窓の外の青い死星が無言の圧力をかけていた。
「あの星にいる調査隊を直ちに引き上げさせろ。その言語破壊兵器の余波があるかもしれん。調査隊の隊員の言葉の乱れ、不審な言動があれば速やかに射殺し、遺体は原子分解せよ。現時刻を以て呼称惑星『地球』を無期限封鎖領域に指定する」
「畏まりました」
万が一にも、この災厄を船外へ漏らすわけにはいかない。
永久に、この死の星へ閉じ込めるべきだ。
「ところで…」
不意に、部下の一人が口を開く。
「おっぱいドーメルの件は如何いたしましょう?」
ピリッと凍りつく空気。
背筋を冷たい蛇が這い上がる。
まもなく、もう一つの文明が消えようとしていた。
三日月山の胎児の微笑みは、まだ続く。
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