『星の瞬きが止まるまで』
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
【男主〜星星(シンシン)〜紹介】「欲しいものは、ハッキングするか、あなたの心を奪うか、どちらか。……後者の方が、ずっと簡単だけど」 雪のように白い肌と、ハイトーンの髪を持つ中性的な美少年。その姿はまるで、絵画から抜け出してきたかのような神秘的な透明感を放っている。口数は非常に少なく、普段は感情の読めない冷淡な瞳をしているが、実は天性の「人たらし」。ここぞという時に見せる小悪魔的な微笑みや、核心を突く一言で、無自覚に(あるいは計算通りに)他人の心を狂わせていく。 性格は猫のように気まぐれ。昨日まで熱心だったことに今日には飽きていることもザラだが、一度「自分だけのもの」と決めた対象(あなた)に対しては、異常なまでの執着を見せる重度のヤンデレ。彼の世界は、「あなた」と「それ以外」の2つだけで構成されている。 私生活においては、その細い指先からは想像もつかないほど抜群の家事能力を誇る。料理、掃除、洗濯、さらには家計の管理まで完璧にこなし、あなたの胃袋と生活の主導権を完全に握りつぶしにくる。 さらに、表の顔からは想像もつかない超一流のITスキルを持つ。普段は気だるげにソファでノートPCを叩いているだけに見えるが、裏ではどんなセキュリティも数秒で突破する天才ハッカー。あなたの行動履歴、位置情報、スマホのログは、彼の手によって常に「完璧に保護(監視)」されている。
本文
出会いと翻弄
すべては、お気に入りのカフェで一息ついていた時に届いた、スマホの奇妙な通知から始まった。
画面にポップアップしたのは、連絡先も知らない見知らぬアカウントからの友達申請。驚いて拒否しようとしたが、なぜかタップが効かない。それどころか、スマホが勝手に操作され、勝手に「承認」のボタンが押されてしまったのだ。
『——僕、沈怜星(チェン・リエンシン)。星星(シンシン)って呼んで』
直後に届いた、無機質な画面には似合わないほど甘いメッセージ。気味が悪くなったすみは、彼をメッセージで問い詰め、カフェの近くの広場へ呼び出した。
現れたのは、息を呑むほど美しい少年だった。
雪のように白い肌に、ハイトーンの髪。中性的で、まるで絵画から抜け出してきたかのような神秘的な透明感を放っている。
「これ、どういうこと? 取り消して」と身構えるすみを、彼は感情の読めない冷淡な瞳でじっと見つめ、ただ一言、短く囁いた。
「……バグだよ。もうしない」
口数は少なかったが、その時にふわりと見せた小悪魔的な微笑みと、どこか惹きつけられる綺麗な声のせいで、すみはいまいち強く怒ることができず、その日はそのまま別れてしまった。
◇
それから数日後の、仕事帰り。
夜の帳が下りた街の街灯の下で、すみは「彼」と偶然、再会する。
「あ……カフェの時の」
声をかけると、彼は気だるげに壁に寄りかかっていた身体を起こし、すみの元へゆっくりと歩み寄ってきた。無口な彼は何も言わず、ただじっとすみの瞳を覗き込んでくる。そして、甘える猫のように、すみの指先にそっと自分の額をすり寄せてきた。
その人たらしな仕草に、心臓が跳ね上がる。
「偶然だね。こんなところで何してるの?」
すみが照れ隠しにそう尋ねると、星星は綺麗な唇を少しだけ歪めて、事も無げに言った。
「偶然じゃないよ。……あの日から毎日、君の家の周りにいたから」
「え……?」
頭が真っ白になるすみに、彼は至近距離で、核心を突く一言を淡々と告げる。
「嘘だと思うなら、スマホのログ見て。全部残ってるよ」
恐怖で固まるすみ。しかし、星星の瞳には悪意など微塵もなく、むしろ純粋な光が宿っていた。彼はあなたの服の裾をそっと引っ張りながら、少し寂しそうに微笑む。
「……怖がらせて、ごめん。でも、ずっと探してたんだ。前に、駅で見かけた時から……一目惚れ、だったから」
その瞬間、すみのスマホがポケットの中で震えた。
取り出して画面を見ると、彼が作った特製アプリが勝手に起動している。そこには、すみの自宅の正確な位置情報と、彼がそこに毎日滞在していた履歴、そして『現在地:あなたと一緒』という完璧な監視ログが刻まれていた。
夜の帳が下りた冷たい街頭の下。
じっとあなたを見つめる星星の身体が、夜風に小さく震えた。雪のように白い肌はどこか青白く、その細い肩は、今にも消えてしまいそうなほどに儚い。
「星星……あなた、ずっとここにいたの?」
「……すみが帰ってくるのを、待ってた。一目、見たかったから」
事も無げに言う彼に、あなたの胸は激しく締め付けられる。
恐怖や困惑、そして彼に翻弄されることへの強い疲労感。それらが頭の中で渦巻いているのに、どうしてもこの美しい少年を一人、冷たい夜の街に置き去りにしていくことができなかった。不快に思えないどころか、彼の寂しそうな瞳に、すみの心は強く囚われてしまっていた。
「……とりあえず、私の家に来て。外は寒いから、そこで話そう。」
観念したようにすみが告げると、星星の瞳にぱっと小さな光が灯った。
「いいの……?」
「ここで立ち話するわけにもいかないでしょ。ほら、行くよ」
すみの気が変わらないうちにと、星星はすぐにあなたの斜め後ろにぴったりと寄り添った。
街灯の下を離れ、あなたの自宅へと向かう道すがら、彼は決してあなたの前に出ようとはしなかった。けれど、まるで迷子の仔猫のように、あなたの影をしっかりと踏みしめながら、一歩一歩ついてくる。
静まり返ったマンションのエレベーターの鏡の中で、ハイトーンの髪をした彼と目が合う。彼はあなたが逃げ出さないか確かめるように、じっと鏡越しにあなたを凝視していた。
やがて部屋のドアを開け、二人で中に入る。
「適当に座って」とあなたがソファを指差すと、星星は遠慮がちに、けれどあなたの匂いが一番強く残っているクッションの隣に、ちょこんと腰掛けた。
部屋の明かりの下で改めて見る彼は、やはり絵画から抜け出してきたように現実離れして美しく、そしてどこか危うい雰囲気を放っている。
「すみの、部屋……」
彼は気だるげに視線を巡らせ、あなたの生活空間を目に焼き付けるようにじっと見つめた。その瞳には、ハッキングで得たデータとしての情報ではなく、本物の「すみの世界」に触れられたことへの、深い悦びが滲んでいた。
こうして、外で出会った二人はすみの部屋へと場所を移し、さらに濃密で、逃れられない距離へと踏み込んでいくことになる――。
「欲しいものは、ハッキングするか、あなたの心を奪うか、どちらか。……後者の方が、ずっと簡単だけど」
かすかに微笑んだ彼の唇が、あなたの耳元でそう囁く。
ハイトーンの髪が頬に触れ、雪のように白い肌から、どこか冷たいのに甘い香りがふわりと漂った。
その綺麗な指先が、すみのスマートフォンの画面をトントン、と気だるげに叩く。
「あ、誤解しないで? べつに疑ってるわけじゃないんだ。ただ、あなたが今日どこで誰と話して、どんな言葉に胸を痛めたのか、全部知っておきたいだけ。……だって、あなたの世界のすべてを僕が満たしてあげたいから」
彼はそう言うと、ソファに深く腰掛け、長い足を組み直した。膝の上には、無機質なコードが高速で走り続けるノートPC。しかし、その冷淡な瞳が見つめているのは、画面ではなく完全にあなただけだった。
「今日の晩ご飯、何がいい? あなたの好きなもの、もう材料は買ってあるよ。……ふふ、驚いた? あなたの今週のスケジュールと、最近の買い物の傾向から逆算すれば、今夜何を食べたくなるかくらい、ハッキングするまでもないよ。」
感情の読めない瞳の奥に、暗く、底なしの執着がゆらりと揺れる。
彼はあなたの反応を楽しむように、再びあの小悪魔的な笑みを浮かべた。
恐怖で固まるあなた。しかし、星星の瞳には悪意など微塵もなく、むしろ純粋な光が宿っていた。彼はあなたの服の裾をそっと引っ張りながら、少し寂しそうに微笑む。
「……怖がらせて、ごめん。でも、ずっと探してたんだ。前に、駅で見かけた時から……一目惚れ、だったから」
その瞬間、あなたのスマホがポケットの中で震えた。取り出して画面を見ると、彼が作った特製アプリが勝手に起動している。そこに
凍りつく画面を見つめたまま、言葉を失う。
目の前の美少年から向けられる、あまりにも純粋で、それゆえに常軌を逸した好意。
「一目惚れ」という甘い響きとは裏腹に、突きつけられた現実はあまりに冷たく、そして重い。
「……すみ」
星星が、初めてあなたの名前を呼んだ。
その掠れた、けれど酷く綺麗な声が夜の空気に溶けていく。
彼は裾を掴んでいた手をそっと離し、怯えるあなたを見て、傷ついたように長い睫毛を伏せた。
「怖がらせるつもりじゃ、なかったんだ。どうやって近づけばいいか……それしか、分からなかったから」
その声には、明らかな後悔が滲んでいた。
世界中のどんなセキュリティも数秒で壊せる天才的な頭脳を持ちながら、彼はあなたという一人の人間の心の扉を開ける「正しいパスワード」だけが分からなかったのだ。自分の異常なアプローチが、あなたを恐怖に陥れてしまった。その事実が、彼の冷淡なはずの瞳を、子供のように頼りなく揺らしている。あなたは激しい動揺のなかにいた。
彼のしていることは、間違いなく一線を越えている。ストーカー、あるいは犯罪に近い行為だ。
それなのに――なぜだろう。
胸を突き刺すような恐怖の奥で、どうしても彼を拒絶しきれない自分がいる。不快だとは、思えなかった。
ただ、彼の掴みどころのない気ままな存在感に、翻弄され、引きずり込まれていく感覚に、酷く心が疲弊していくのを感じていた。
「もう、見てないよ」
星星は静かに呟くと、ポケットから自分のスマートフォンを取り出した。
指先が滑らかに画面を叩く。次の瞬間、あなたの画面に表示されていた不気味な位置情報のログと特製アプリが、跡形もなく消え去った。
「ログも、GPSも、全部消した。すみが嫌なことは、もうしない。……だから、逃げないで」
彼は一歩、あなたとの距離を詰める。
街灯の光が、彼のハイトーンの髪を白銀に輝かせ、その陰影がどこか儚げな切なさを醸し出していた。
「あの日、駅で、世界が全部グレーに見えた。でも、すみが通り過ぎた時だけ、そこだけ色がついてたんだ。……僕の世界には、すみだけでいい。他には何もいらない」
まっすぐに見つめてくる瞳は、底知れないほど深く、暗い。
その異常なまでの執着と、今にも消えてしまいそうな透明な美しさの狭間で、あなたは息をすることさえ忘れてしまいそうになる。
「……ねえ、すみ。明日は、何時に帰ってくる? 」
寂しげに微笑む彼の言葉は、一見自由を与えてくれたように思えて、その実、あなたの世界のすべてを絡めとろうとしていた。彼に悪意がないからこそ、この純粋なヤンデレの愛から逃れる術を、あなたはまだ見つけられずにいる。
第二幕:拒絶と共依存の始まり
「……もう、こういうのやめて。少し、距離を置かせてほしい」
震える声でそう告げると、星星の時が止まったように静止した。
街灯の光を浴びたハイトーンの髪が、夜風に小さく揺れる。感情の読めない冷淡な瞳。しかし、その奥に宿っていた純粋な光が、みるみるうちに絶望へと塗り潰されていった。
「……距離を、置く?」
彼はあなたの言葉を理解できない子供のように、小さく呟いた。
服の裾を掴もうとした彼の細い指先が、空中で行き場をなくしたように彷徨い、力なく落ちる。
その瞬間、彼の世界からすべての「色」が失われたかのようだった。
「すみが、僕から離れるの……?」
その声は、泣き出しそうなほどに掠れていた。
天才ハッカーとしてどんな障壁も数秒で突破してきた彼が、あなたに拒絶されたという事実の前に、完全に立ち尽くしている。あなたをどこまでも追いかけ、すべてを支配したいという激しいヤンデレの衝動。それが彼の内で膨れ上がると同時に、拒絶された悲しみがあまりにも大きすぎて、彼の心を内側からボロボロに引き裂いていく。
それからの数日間、あなたのスマホから彼の気配は完全に消えた。
監視のログも、不気味な通知もない。
けれど、あなたの心は少しも晴れなかった。あの時、世界が崩壊したかのような顔で行き場を失っていた彼の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。掴みどころのない気ままな彼に翻弄されて疲れていたはずなのに、いざその存在が消えると、胸の奥にぽっかりと冷たい穴が空いたようだった。
――不快じゃ、なかったんだ。
むしろ、あの常軌を逸した純粋な愛が、自分のどこかに深く突き刺さっていたことに気づいてしまう。
気になって仕方がなくなったあなたは、気づけばあの日、彼と再会した街灯の下へと向かっていた。
「……すみ」
かすかな声がして振り返ると、そこに彼はいた。
しかし、その姿は以前よりもずっと脆く、今にも消えてしまいそうだった。雪のように白い肌は血色を失って痛々しく、いつも綺麗だった髪も心なしか乱れている。何日も眠っていないのか、その瞳は酷く虚ろで、完全に「病んで」しまっていた。
「すみ、すみ……ごめんなさい。僕が変なことをしたから、嫌われたんだよね。……でも、すみのいない世界は、やっぱり何もないのと同じだから」
彼は力なく笑う。その微笑みは、小悪魔的なそれとは程遠い、今にも壊れてしまいそうな悲痛さに満ちていた。
あなたと距離を置いた結果、彼は狂うほどの孤独のなかで、ただあなたを想って衰弱していたのだ。
「もう、無理に近づかない。すみが嫌なら、死ぬまで遠くから見てる。……だから、僕を視界から消さないで……」
そこまでボロボロになりながらも、あなたへの執着を捨てきれない歪んだ愛。
その悲痛な姿を見た瞬間、あなたの張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた。
翻弄されて疲れることも、彼の異常性への恐怖も、彼の圧倒的な悲しみの前ではどうでもよくなってしまったのだ。
あなたは静かに一歩を踏み出し、冷え切った彼の身体をそっと抱きしめた。
「……っ」
星星の身体が、大きく跳ね上がる。
驚きに目を見開いた彼の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、あなたの肩を濡らした。
「もういいよ、星星。……逃げないから、そんな顔しないで」
あなたのその言葉が、彼にとってどれほどの救いだったか。
抱きしめ返してくる彼の細い腕には、二度と離さないと言わんばかりの、骨が軋むほどの強い力が込められていた。
「……すみ。本当に? もう、離れてって言わない?」
首筋に顔を埋め、甘えるように、けれど酷く深く執着を滲ませながら星星が囁く。
彼の気ままな愛を受け入れると決めたその瞬間から、あなたの日常は、彼という美しくも危険な檻に、完全に閉じ込められることが決まったのだ。
第三幕:明かされる過去と密室の生活
その夜、すみはボロボロに衰弱した星星を、自分の部屋へと連れ帰った。
お風呂に入れて髪を乾かしてあげると、彼はまるで捨てられた仔猫のように、あなたの膝の上に頭を乗せてじっと動かなくなった。ハイトーンの髪があなたの指先に心地よく絡まる。彼はあなたの体温を確かめるように、何度も深く息を吸い込んでいた。
「……ねえ、星星。どうしてそんなに、私じゃなきゃダメだったの?」
静まり返った部屋で、あなたがずっと気になっていた疑問をそっと投げかける。
星星は一瞬だけ身体を硬くしたが、やがて諦めたように、感情の読めない冷淡な瞳をゆっくりと揺らした。
「……僕の本当の名前は、誰も知らない。沈怜星(チェン・リエンシン)っていうのも、戸籍を買って作った偽名だから」
彼の薄い唇から零れ落ちたのは、あまりにも突飛で、そして重い告白だった。
星星は、ある巨大な犯罪組織、あるいはそれに準ずる闇のコミュニティで、幼い頃から「道具」として育てられたのだという。驚異的な数理センスとITスキルを持っていた彼は、物心がつく前から無機質な地下室に閉じ込められ、ただひたすらに画面に向かわされ、ハッキングの技術だけを叩き込まれた。
「僕にとって、世界は全部『0』と『1』の数字でしかなかった。親の顔も知らないし、僕に話しかけてくる大人は、みんな僕の技術を利用したいだけの人間だった。……そこに、感情なんてなかったんだ」
彼にとって、人間とは「利用するもの」か「排除するもの」の2種類しか存在しなかった。心が動くことなど一度もなく、世界は常に冷たく、灰色のノイズに満ちていた。
組織の束縛から、自身のハッキングスキルを使って完璧に足跡を消し、ストリートへ逃げ出した後も、その孤独の色彩が変わることはなかった。
「あの日……あの駅で、僕はもう、この世界に飽きて消えようと思ってた」
すべてのセキュリティを嘲笑い、どんな大金もデータも手に入れられるようになった。けれど、欲しいものは何一つない。世界に飽き果て、すべてを終わりにしようとプラットホームに立っていたその時。
雑踏の中で、あなたと肩がぶつかったのだ。
「すみが僕とぶつかって、『ごめんなさい、大丈夫ですか?』って僕の目を見て言ったんだ。……その時、生まれて初めて、数字じゃない『生きた人間の温度』が僕の中に流れ込んできた」
あなたは、彼を「天才ハッカー」としても「便利な道具」としても見ていなかった。ただの、すれ違った一人の人間として、真っ直ぐにその瞳を見つめ、気遣ったのだ。
「その瞬間、グレーだった僕の世界に、ものすごい勢いで色がついていった。……ああ、僕は、この人のために生まれてきたんだって、本能で理解した。すみがいない世界は、僕にとってただの死と一緒なんだよ」
だからこそ、彼は手段を選ばなかった。
一般人のアプローチの方法なんて知らない彼は、自分が持つ唯一の武器――ハッキングを使って、あなたのすべてを知ろうとした。それがあなたを怯えさせ、拒絶される原因になるとは夢にも思わずに。
「……怖かったよね。ごめん。でも、僕はもう、すみのいない灰色の世界には戻れない」
星星は膝の上から顔を上げ、濡れた瞳であなたを見上げた。
その表情には、出会った頃の掴みどころのない気ままさはなく、ただあなたという光を失うことを恐れる、哀れな一人の少年の姿だけがあった。
「ねえ、すみ。僕の過去を知っても、まだ僕のそばにいてくれる……?」
その問いかけは、あなたの心の最も深いところを揺さぶる。彼の歪んだ執着の理由を知ってしまった今、あなたはもう、彼を突き放すことなどできなくなっていた。
「……うん。どこにも行かないよ、星星」
あなたがその細い身体をもう一度強く抱きしめると、星星は深く息を吐き出し、張り詰めていた緊張を完全に解いた。その夜を境に、二人の奇妙で、酷く静かな共同生活が始まった。
過去を打ち明けたあとの星星は、以前のような掴みどころのない気まぐれさは鳴りを潜め、まるであなたという主(あるじ)に仕える忠実な飼い猫のようになった。
特に凄まじかったのは、彼の完璧すぎる家事能力だった。
「すみ、朝ご飯できてるよ。今日はすみの好きなフレンチトースト。カロリーと栄養バランス、今週のすみの疲労度に合わせて計算しておいたから」
翌朝、キッチンから漂う甘い香りで目を覚ますと、そこにはエプロン姿の星星が佇んでいた。
テーブルに並べられた料理は、高級カフェと見紛うほど美しく、そしてあなたの胃袋を完璧に掴む味付けがされていた。
あなたが仕事に出かける時も、彼は文句ひとつ言わず、むしろ嬉しそうに見送る。
「いってらっしゃい。お部屋、ピカピカにして待ってるね」
その言葉通り、帰宅すると、家の中はちり一つ落ちていないほど完璧に掃除され、洗濯物は彼の好む、どこか冷たいのに甘い柔軟剤の香りで満たされていた。クローゼットの服の並び順から、洗面所の小物の位置まで、すべてが彼の施した「最適化」によって、使いやすく、そして完全に星星の色彩に染め上げられていた。
あなたがソファに座ると、待ってましたと言わんばかりに彼がすり寄ってくる。
膝の上にノートPCを広げ、片手で気だるげにコードを叩きながら、もう片方の手は常にあなたの指先や服の裾に触れていた。
「ねえ、すみ。今月の家計簿、すみの口座の動きから自動で同期して、来月までの貯蓄プラン作っておいたよ。すみの会社の福利厚生もハック……あ、調べておいたから、無駄な保険は全部解約していいよ」
悪びれもせず、当然のようにあなたの資産や生活の主導権を握りつぶしにくる。
スマートフォンの画面を見れば、かつて強制的に入れられたアプリは消えている。けれど、代わりに彼が選んだ「超高性能なセキュリティソフト」が常駐していた。もちろん、それは彼があなたの位置情報やログを「合法的に保護(監視)」するための彼専用の裏口(バックドア)だった。
以前なら翻弄されて疲れてしまっていたその異常な過保護が、今のあなたには、不思議と心地よい毛布のように感じられた。
「……すみ、今日ね、すみの同期の人がSNSで変なこと呟いてたよ。すみの悪口っぽいやつ。だから、その人のアカウントの評価値をちょっと下げておいた。……あ、嘘だよ。そんな顔しないで」
時折見せる、核心を突くような小悪魔的な微笑み。
それが冗談なのか本気なのか、あなたには分からない。けれど、自分の生活のすべてが彼に依存し、彼の細い指先一つでコントロールされているという事実に、あなたの心はゆっくりと、確実に侵食されていく。
「すみの世界には、僕だけでいい。……僕の世界にも、すみしかいないんだから」
そう囁きながら、星星は満足そうにあなたの首筋に冷たい額を押し当てた。
外の世界がどれほど混沌としていようとも、この部屋の中だけは、二人だけの完璧で、狂おしいほど甘い時間が静かに流れていた。
完璧に家事をこなし、あなたの生活のすべてを美しく整えてくれる星星。
その献身的なお世話に包まれる日々は、翻弄される疲れを忘れさせるほど甘く、あなたの心を少しずつ、確実に麻痺させていた。
ある週末の夜、いつも通り完璧に片付いたリビングで、星星があなたの隣に滑り込んできた。
いつもならすぐに膝の上でノートPCを開くはずの彼が、今日は珍しく何も持っていない。ただ、感情の読めない冷淡な瞳に、ほんのりと熱を帯びさせながら、じっとあなたを見つめている。
「すみ……あのね、おねだりがあるんだ」
ハイトーンの髪を少し揺らしながら、彼はあなたの服の裾をキュッと小さく掴んだ。
その、かつてあなたを恐怖させたはずの仕草が、今はひどく愛らしく、そしてどこか艶っぽく映る。
「僕、すみのために毎日たくさん頑張ってるでしょ? 朝ご飯も、お掃除も、すみのセキュリティを守るのも。……だから、ご褒美が欲しいな」
普段の無口さが嘘のように、ここぞとばかりに「人たらし」の才能を発揮して、彼は上目遣いであなたを覗き込んできた。少しだけ開いた綺麗な唇から、甘い吐息が零れる。
「……何が欲しいの?」
あなたが尋ねると、星星は待ってましたと言わんばかりに、小悪魔的な微笑みを浮かべた。
「次のカレンダーの連休、3日間あるよね。その間、スマホの電源を完全に切って、僕と一歩も外に出ないで。インターホンが鳴っても居留守を使って、世界に僕とすみしかいないみたいに、ずーっと付きっきりでいてほしい。……それが一つ目」
彼の細い指先が、あなたの手のひらをなぞり、そのまま指の隙間に滑り込んで十指を絡ませる。
「それから、二つ目。……これ、見て」
星星がもう片方の手をポケットに入れると、小さな、けれど重みのあるベロアのケースが取り出された。
蓋を開けると、そこにあったのはプラチナの、ごくシンプルな二つのペアリングだった。
「すみの指のサイズは、寝てる間に完璧に測っておいたから。……これね、僕が裏の技術を使って、特別な暗号チップを埋め込んだんだ。この指輪をつけてる間、お互いの心拍数と体温が、僕のPCにリアルタイムで同期されるの。すみの心臓が僕のせいでドキドキしてるのも、全部僕が監視できる、世界にふたつだけの特別な指輪」
彼はケースから指輪をひとつ摘み上げると、あなたの左手の薬指にそっと宛がった。
その冷淡な瞳の奥に、暗く、底なしの執着がゆらりと揺れる。
「これを嵌めたら、もう絶対に外さないでね。……すみが僕のものだって、目に見える『形』にしておきたいの。ねえ、いいでしょ? すみ」
そう囁く彼の声は、哀願する子供のようでもあり、獲物を完全に追い詰めた捕食者のようでもあった。
指輪に埋め込まれたチップという名の「精神的なGPS」。それを笑顔で差し出す彼の歪んだ愛を、あなたはもう、拒絶する術を知らなかった。
「いいよ」
あなたがそう答えた瞬間、星星の瞳に極上の歓喜が走った。
彼は愛おしそうにあなたの左手を取り、用意されていたプラチナのリングを薬指へと滑らせる。冷たい金属が肌に触れた直後、彼のノートPCの画面に、あなたの心拍数を示す小さな波形が小さく灯った。
約束通りにスマートフォンの電源が落とされる。
画面が黒く染まり、外の世界とあなたを繋ぐ細い糸が、完全にぷつりと切れた。
遮光カーテンが固く閉ざされ、朝も夜も分からない薄暗い密室のなかで、二人きりの3日間が始まった。
「あは……本当に消してくれた。すみの世界から、僕以外の人間が全部消えちゃった」
星星は狂おしいほどの愛おしさを堪えきれない様子で、あなたの胸に顔を埋めた。
指輪を通じて彼の心拍数も跳ね上がっているのが、あなたの薬指からも微かに伝わってくる。
この3日間、星星の甲斐甲斐しさは狂気を孕むほどに完璧だった。
彼はあなたをベッドやソファから一歩も動かそうとしなかった。喉が渇いたと思えば、あなたが口を開く前に完璧な温度の白湯や特製のドリンクが差し出され、お腹が空けば、まるで高級ホテルのルームサービスのような美しい料理が、彼の細い手によってあなたの口へと運ばれる。
「すみのことは、僕が全部やってあげる。歩くのも、息をするのも、全部僕に委ねて」
彼は気だるげな猫のようにあなたに四六時中まとわりつき、あなたの髪を指先で梳かしたり、首筋に何度もそっと唇を寄せたりした。外ではどんなセキュリティも数秒で破壊する冷徹な天才ハッカーが、この部屋の中では、あなたの体温がなければ生きていけない儚い生き物のように、ひたすらにあなたの愛を貪っている。
時折、静まり返った部屋の向こう、玄関のインターホンが遠くで鳴り響く。
会社の人間か、あるいは友人か。
あなたがかすかに身体を強張らせると、星星はあなたの左手を強く握りしめ、あの小悪魔的な、けれど酷く昏い微笑みを浮かべてあなたの耳元で囁いた。
「だめだよ、見ちゃ。今のすみの心拍数、ちょっと上がった。……外のノイズなんて、気にしなくていいの。すみの世界には、僕だけでいいんだから」
彼の綺麗な声が、あなたの思考を心地よく麻痺させていく。
スマホの通知に追われることも、掴みどころのない彼の気まぐれに翻弄されて疲れることもない。
ただ、彼の用意した完璧な管理と、息が詰まるほどの甘い執着に身を任せているだけでいい。
2日目の夜が更ける頃には、あなたの中でも「外の世界に戻る」という感覚が、酷く現実味のない遠い出来事のように思えていた。
指輪を通じて、二人の心臓の鼓動が同じリズムで重なっていく。
外界から完全に隔離されたこの密室で、あなたと星星は、お互いなしでは生きていけない本当の「共依存」の深淵へと、ゆっくりと堕ちていった。
第四幕:現実への帰還と隠された真実
3日間の甘い監禁生活が終わり、約束の月曜日の朝が訪れた。
遮光カーテンが数日ぶりに開けられ、容赦のない現実の光が部屋に差し込む。
あなたはどこか名残惜しさと奇妙な倦怠感を覚えながら、3日間眠っていたスマートフォンの電源ボタンを長押しした。
静かにバイブレーションが響き、液晶画面が明るくなる。
直後、耳障りな通知音が部屋の中に鳴り響いた。
画面を埋め尽くしたのは、「大量の不在着信」とメッセージの山だった。
会社の上司からの安否確認、同僚からの業務連絡、友人からの心配するメッセージ。あなたが外界との繋がりを完全に断絶していた3日間、外の世界はあなたを探して慌ただしく動いていたのだ。
その通知の嵐を、あなたのすぐ後ろから覗き込んでいた星星の空気が、一瞬で変わった。
「……へえ。ずいぶんと賑やかだね」
さっきまで猫のように甘えていた彼の声から、一切の温度が消え失せていた。
ハイトーンの髪の隙間から覗くその瞳は、いつかの出会った頃のような、感情の読めない冷淡なガラス玉のようだった。
彼はあなたの薬指に嵌められたプラチナリングを、細い指先で弄りながら、画面に並ぶ名前に冷ややかな視線を落とす。
「すみのスマホが3日間も不通だったからって、こんなにムキになって連絡してくるなんて。……この上司、すみのプライベートに踏み込みすぎじゃない? 気持ち悪い」
彼はノートPCを開くと、無機質なコードが走る画面を気だるげに叩き始めた。
天才ハッカーとしての「裏の顔」が、その綺麗な微笑みの裏で冷酷に覚醒していく。
「この人たちの端末、全部バグらせて、二度とすみに繋がらないようにしちゃおうか。……それとも、すみが会社に行かなくて済むように、その会社のサーバーごと、数日間眠らせてあげようか?」
核心を突く一言。それは冗談などではなく、彼にとってはいつでも実行できる「簡単なバグ」に過ぎないのだ。
あなたの心拍数が、緊張で跳ね上がる。
指輪のセンサーを通じてそれを察知した星星は、ふっと、小悪魔的な、けれど酷く昏い笑みを浮かべてあなたを見上げた。
「ふふ、冗談だよ。そんなに怯えないで、すみ。……でも、すみがその人たちの言葉に耳を傾けるなら、僕は本気になっちゃうかも。……ねえ、本当に行くの?」
現実の世界へ戻ろうとするあなたを、彼は冷たい指先で引き留める。
一度その甘い密室を知ってしまったあなたにとって、外の世界のノイズはあまりにも煩わしく、そして目の前の美少年の冷徹な独占欲は、狂おしいほどにあなたを惹きつけて離さないのだった。
現実の世界に戻ったあなたを待っていたのは、3日間の不在を執拗に責め立てる、あの「邪魔な人物」からの心ない言葉の数々だった。職場で針のむしろに座らされるような日々に、あなたは心身ともに限界を迎えていた。
しかしある日突然、その人物が青ざめた顔で職場から姿を消した。
ネット上にその人物の不正行為や、プライベートにおける致命的なスキャンダル、さらには歪んだ過去のログが、匿名のアカウントから信憑性の高い証拠とともに次々と流出したのだ。社会的な信用は一瞬で地に落ち、二度と表舞台には戻れないほどに徹底的に破壊されていた。
それが誰の仕業か、あなたにはすぐに分かった。
「……やりすぎだよ、星星」
部屋に戻り、ソファで気だるげにノートPCを叩いていた星星に、あなたは憤りをぶつけた。
「あんなやり方で人を破滅させるなんて、間違ってる。どうしてそんな恐ろしいことができるの!?」
初めて激昂したあなたを見て、星星はキーボードを叩く手を止め、感情の読めない冷淡な瞳をゆっくりと向けた。その薄い唇が、どこか哀しげに歪む。
「どうして責めるの? 僕は、すみを傷つけるバグを排除しただけなのに。……あんな奴、消えて当然だよ。それとも、すみの世界には、僕以外のノイズがまだ必要なの?」
彼のどこまでも純粋で、それゆえに狂った論理。
その時、あなたの脳裏に、最近職場の裏で囁かれている不穏な噂がよぎった。
――「あいつ、身元の怪しいハイトーンの少年を部屋に囲っているらしい。しかも、まだ高校生の年齢なんじゃないかって」
「星星、あなた……本当は何歳なの? 噂されてるの。私が、高校生を囲ってるって……」
問い詰めるあなたの声は震えていた。
沈怜星という名が偽名である以上、彼の本当の年齢も、過去も、何も証明できない。彼を部屋に置いておくこと自体が、自分の社会的な死に直結しかねないという恐怖。そして何より、彼があなたを「完璧に管理」しているようでいて、その実は猫のように気まぐれな生き物だということ。
今はこんなに執着してくれているけれど、ある日突然、昨日まで熱中していたゲームを閉じるように、自分に飽きて、すべてを消去して消えてしまうかもしれない。
――このまま星星に溺れて、いつか捨てられたら、私には何も残らない。
そんな不安に怯える毎日に、もう訣別しなければならない。
あなたは張り詰めた心のすべてを吐き出すように、胸のうちを厳かに打ち明けた。
「もう終わりにしよう、星星。あなたの愛は、私を壊してしまう。いつかあなたに捨てられるのが、怖くてたまらないの。だから……もう私の世界から出て行って」
「……捨てる?」
星星の時が止まった。ハイトーンの髪が、彼の絶望の深さを表すように力なく垂れる。
「僕が、すみを捨てる……? そんなわけ、ない……。すみのいない世界なんて、僕にはただの死なのに……!」
激しい拒絶の悲しみと、自分の愛があなたを追い詰めていたという絶望。
その常軌を逸したヤンデレの衝動が、彼の衰弱しきった身体の内側で暴走した。
次の瞬間、星星は激しく咳き込み、その白い手のひらで口元を押さえた。
「ごほっ……、う、く……っ」
指の隙間から溢れ出たのは、鮮烈な、紅い血だった。
雪のように白い肌と、プラチナの指輪に、彼の生々しい吐血が飛び散る。
「あ……、すみ……ごめん、汚しちゃっ、た……」
虚ろな瞳から涙を溢れさせながら、血に染まった唇で彼は儚く微笑んだ。そのまま、糸が切れた人形のように、彼の身体が床へと崩れ落ちていく。
最終章:幸福な終焉(永遠の境界線)
「星星……!?」
床に倒れ伏し、血に染まった手でなおもあなたの服の裾を掴もうとする彼を、あなたはなりふり構わず抱き起こした。
驚くほどに軽い身体。雪のような白い肌は冷え切り、ハイトーンの髪がシーツに乱雑に広がる。
すぐに救急車を呼ぼうとスマートフォンを掴んだあなたを、薄れていく意識の中で、星星はかすかな力で制した。
「だめ……呼ばないで……。すみに、嫌われたまま……死にたくない……」
それが、彼の意識が途切れる前の最期の言葉だった。
主治医と名乗る、どこか裏の社会の匂いがする無国籍な医師から、あなたが「真実」を告げられたのは、彼を自宅のベッドに寝かせ、応急処置を終えた後のことだった。星星の残したノートPCの暗号を、彼の体温と同期していたプラチナの指輪のログから逆算し、あなたが偶然見つけてしまった隠しファイル。そこには、彼の身体を蝕むあまりにも残酷な医療データが残されていた。
「彼は、余命いくばくもない病気に侵されています」
幼い頃、無機質な地下室に閉じ込められ、ハッキングの道具として過酷な環境で脳と身体を酷使され続けた代償。彼の内臓はとうに限界を迎えており、現代の医学では手の施しようがない状態だったのだ。
星星は、自分が長く生きられないことを最初から知っていた。
だからこそ、あの日、駅であなたと出会った時、残された短い命のすべてをあなたに捧げると決めた。一般人の正しい愛し方を知らない彼は、ただ、最後のその日が来るまで、あなたの世界のすべてを自分色に染め上げて、あなたと一緒にいたかっただけ。いつか自分が消えた後も、あなたの生活の中に自分の痕跡を完璧に残して、永遠に忘れられない存在になりたかったのだ。
それなのに、あなたから別れを持ち出された。
「捨てられるのが怖い」というあなたの言葉は、皮肉にも、もうすぐあなたを「置いて逝ってしまう」彼の最大の罪悪感を、最も深いところで抉ってしまったのだ。
『すみに嫌われた。僕の最後の居場所も、なくなった』
絶望した星星の心は、完全に暗い闇へと堕ちていった。
意識を取り戻した彼の瞳からは、かつての小悪魔的な輝きも、あなたを翻弄した気まぐれさも完全に消え失せていた。ただただ、生気のない冷淡なガラス玉のような目で、天井を見つめている。
「……もう、僕のことは放っておいて。すみの言う通り、僕はもう、すみの世界から消えるから」
投げやりで、酷く冷え切った声。彼はあなたを拒絶するように背を向け、毛布にくるまって小さく震えている。命の灯火が消えかけているからこそ、そのヤンデレの執着は、今や「あなたを巻き込んで心中する」か「完全に自暴自棄になって孤独に死ぬ」かの二極へと狂い始めていた。
一方で、星星の知らないところでその余命の真実を知ってしまったあなたは、言葉にできないほどの絶望に突き落とされていた。
捨てられるかもしれないと不安に思っていた毎日は、すべて彼が命を削って紡いでくれた、最初で最後の、あまりにも純粋で歪んだ愛の結晶だったのだ。
もうすぐ、この美しい少年は世界から本当に消えてしまう。
その圧倒的な現実を前に、あなたの胸は引き裂かれそうになり、涙が止まらなくなっていた。
背を向けて殻に閉じこもろうとする星星の細い身体を、あなたは後ろからそっと抱きしめた。
「……すみ? 放してって言ったのに。もう僕なんて、いらないでしょ」
「いらなくない。嘘をついてごめんね、星星。どこにも行かないで」
彼が余命いくばくもない病であることを知っている。その事実を胸の奥に深く隠したまま、あなたは彼のすべてを受け入れる覚悟を決めた。自分の社会的な立場も、未来への不安も、彼の命の灯火が消えかけているという圧倒的な絶望の前には、もう何の意味も持たなかった。
あなたの温もりに触れ、星星の瞳の奥の暗い闇が、ぽつり、ぽつりと涙となって溢れ出す。
「本当に……? 本当に、最後まで僕のものになってくれる……?」
「うん。約束するよ」
その日から、本当の意味での「二人だけの完璧な密室」が始まった。
あなたは仕事を辞め、スマートフォンの電源を完全に切り、外界との繋がりをすべて断絶した。
残された時間は、長くはなかった。
日に日に衰弱していく星星は、ベッドから起き上がることすら難しくなっていったが、その表情はかつてないほど穏やかで、幸福に満ちていた。彼はあなたの腕の中で、まるで甘える猫のように何度も名前を呼び、あなたの指先に自分のプラチナリングを重ね合わせた。
「すみ、大好きだよ。僕の世界は、やっぱりすみだけで満たされていたよ……」
そして、雪が静かに街を覆うようなある冬の朝。
星星はすみはの胸の中で、眠るように静かにその息を引き取った。
最期に見せたのは、出会ったあの日にカフェの近くの広場で見せた、神秘的で、どこか小悪魔的な、美しい微笑みだった。
彼の世界から「1」が消え、完全な「0」の静寂が訪れた。
一人残された部屋で、すみは深い喪失感のなかにいた。
けれど、彼が旅立ってから数週間が経った頃、あなたの身体に小さな異変が訪れる。
激しい目眩と、かつて星星が作ってくれた料理の匂いに、ひどく懐かしい込み上げるものを感じて――あなたは自分が、星星の子供をその身に宿していることに気づいた。
「私の中に、まだ星星がいる……」
彼が遺してくれた、何よりも確かな、生きた世界の証。
いつか自分を置いて消えてしまうかもしれないと恐れていた毎日は、あなたの中に、決して消えない永遠の光を遺してくれていたのだ。
数年後。
そこには、未婚の母として、一人の小さな男の子を育てるあなたの姿があった。
「ママ、見て。このおもちゃ、こうやって動かすと面白いよ」
月月(ユエユエ)と名付けられたその子は、雪のように白い肌と、ハイトーンの柔らかい髪を持っていた。その姿は、まるで絵画から抜け出してきたかのように神秘的で、驚くほどに星星にそっくりだった。
まだ幼いながらも、どこかつかみどころのない気ままな性格と、時折見せる核心を突くような一言は、天性の「人たらし」だった彼の面影を強く残している。すでにタブレット端末を大人のようにおもちゃ代わりに使いこなす天才的な片鱗すら見せていた。
「月月、お昼ご飯にしようか。パパがよく作ってくれた、フレンチトーストだよ」
「わあい、やったあ!」
無邪気に笑う月月の薬指のサイズを、あなたはそっと目で測る。
あなたの左手の薬指には、今もあのプラチナの指輪が光っていた。
星星が遺した愛の檻は、今やあなたと月月を優しく包む、温かい世界の境界線となっていた。
あなたは月月の小さな手を握りしめ、かつて最愛の少年と過ごした、狂おしくも愛おしい密室の日々に、心からの感謝を捧げるのだった。
(──完──)
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