『星の光が閉ざされるまで』(『星の瞬きが止まるまで』の続編)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
あらすじ 母を誰よりも愛している――。 そう信じていた少年は、いつしか母のすべてを知り尽くすようになっていた。 彼には、天才的なハッキング能力がある。 スマートフォンも、監視カメラも、メールも、SNSも。 ネットワークにつながるものなら、彼に見られないものはない。 最初は、ただ母を守りたかっただけだった。 母に近づく人間。 母を傷つける人間。 母を奪おうとする人間。 そんな存在から、母を守るために始めた「監視」。 しかし、母を守りたいという純粋な願いは、少しずつ形を変えていく。 ――どこにいるの? ――誰と話しているの? ――どうして僕に隠し事をするの? 愛しているから、知りたい。 知りたいから、監視する。 監視するから、自由を奪う。 やがて少年の愛は、母自身さえも逃げられないほどの執着へと変貌していく。 そして母もまた、息子の異常な愛情の中に隠された孤独と狂気に気づき始める。 これは、誰よりも深く愛し合いながら、決して正しい形では結ばれることのできない―― 一組の親子が紡ぐ、歪んだ愛と執着の物語。
本文
第一章:開かれたプロトコル
十二年前に亡くなった父親の部屋は、長い間、開かずの間だった。
高校生になった月月(ユエユエ)がその部屋の埃を払ったのは、母であるすみが、パートの帰りに新しい鍵を手に入れた日だった。
「月月、これ……お父さんの形見なの。ずっと直せなくて置いてあったんだけど、あなたなら動かせるかもしれないと思って」
すみが手渡してきたのは、古びた、しかし当時は最高水準だったはずの黒いノートPCだった。
天才ハッカーと呼ばれた男、沈怜星(沈星星)。月月にとっては、写真の中でしか知らない父親だ。
今年、月月は十八歳になった。
それは奇しくも、すみが駅で星星と出会い、あの歪んだ愛の檻に囚われた時と同じ年齢だった。
最近の月月は、恐ろしいほどに若き日の星星に似てきている。繊細な漆黒の髪、吸い込まれそうなほど澄んだ切れ長の瞳、そして他者を寄せ付けない冷ややかな美貌。すみがふとリビングを振り返るたび、そこに死んだはずの星星が立っているかのような錯覚に襲われ、心臓が跳ね上がることが増えていた。
月月が自室のデスクでそのPCに電源コードを繋ぎ、独学で身につけた解析ツールを走らせると、何重もの強固な暗号化(エンクリプション)の壁が現れた。しかし、月月の指先は迷わなかった。血の呪いか、あるいは才能の遺伝か。彼は父親が施したトラップを次々と解除し、わずか数時間で最深部のフォルダへとたどり着いた。
画面に浮かび上がったのは、無数の動画ファイルと、膨大なテキストログ。
すべて、かつての母・すみの「記録」だった。
駅の防犯カメラ、スマートフォンの位置情報、部屋の盗聴音声。父親はハッキングという異常な手段で、母のすべてを監視し、支配していたのだ。
ログの最後に、父親が遺した一条のプログラムソースと、メッセージが残されていた。
『――愛するすみへ。僕の病はもう治らない。だけど僕がいなくなっても、僕の作ったプロトコルが君を守り続ける。君の世界には、僕だけでいい。もし僕たちの子供がこれを読んでいるなら、命令(コマンド)を引き継げ。母を害するすべてのバグを排除し、彼女の唯一の守護者となれ』
「……パパ」
月月の瞳に、青白い画面の光が反射する。
恐怖はなかった。むしろ、脳の奥が痺れるような全能感と、激しい使命感が彼を突き動かした。
(分かったよ、パパ。ママの世界は、ボクが引き継ぐ。ママを傷つける人間も、ママをボクから奪おうとする人間も、ボクが全員消してあげる)
十八歳の少年が浮かべた冷徹な微笑みは、十二年前にすみの世界を支配した天才ハッカーのそれと、完全に一致していた。
こうして、親子二代にわたる「歪んだ愛のプロトコル」が静かに起動した。
*
そんな母子の慎ましい生活の隣に、ある日、一人の男が引っ越してきた。
名前は、陆景川(ルー・ジンチュアン)。すみは親しみを込めて「チュアンさん」と呼んだ。
チュアンは、大手建築事務所で働くデザイナーで、柔らかい物腰と、周囲を包み込むような温かい笑顔を持つ大人の中年男性だった。母子家庭でどこか世間に対して心を閉ざしがちだったすみに、彼はいつも優しく接した。
「すみさん、これ、実家から送られてきた林檎なんです。よかったら月月くんと一緒に食べてください」
「まあ、いつもすみません、チュアンさん。ありがとうございます」
お礼を言うすみの顔に、小さな、しかし本物の笑みが浮かぶ。
すみにとってチュアンは、かつて星星が与えてくれた「危険で歪んだ安らぎ」とは違う、外の世界の、眩しくて健全な「光」そのものだった。悪い気はしなかった。むしろ、彼の隣にいると、長年胸を締め付けていた冷たい鎖が、少しだけ緩むような気がしていた。
しかし、その様子を、アパートの向かいの電柱に仕掛けられた監視カメラの映像越しに見つめる目が狂気に染まっていることに、すみはまだ気づいていなかった。
自室の暗闇で、月月はチュアンがすみに林檎を渡す映像を、何度も巻き戻して再生していた。
チュアンがすみの肩に触れそうになるたび、月月のキーボードを叩く指に力がこもる。
「……バグだ」
月月は低く呟いた。
「ママの世界を乱す、目障りなバグ。パパなら、こんな奴、初日から消去してたよ」
月月のスマートフォンの画面で、チュアンの銀行口座、勤務先のログ、過去の交友関係のデータが、次々とスクロールされていく。
十八歳の星星がすみを独占しようとしたように、今、十八歳の月月が、母の周りの光を消し去るための檻を静かに広げようとしていた。
第二章:侵入者と拒絶反応
チュアンからのアプローチは、少しずつ、しかし確実にその熱を帯び始めていた。
「すみさん、今度の週末、もしよかったら新しくできた並木道のカフェに行きませんか。気分転換に、美味しい珈琲でもどうでしょう」
アパートの共有通路で手渡されたのは、お洒落なショップのショップカードだった。チュアンの濁りのない瞳が、まっすぐにすみを映している。
「あ、ええと……」
すみは戸惑いながらも、胸の奥が小さく跳ねるのを感じていた。
星星を亡くしてからの十二年間、彼女はただ「母親」として必死に生きてきた。女としての好意を向けられることなど、とうに忘れていた。チュアンの差し出す優しさは、冷え切った彼女の日常をじんわりと温めてくれる。悪い気はしなかった。むしろ、ほんの少しだけ、頼ってみたいと思ってしまう自分がいた。
しかし、そのカードを自宅のテーブルに置いた夜、平穏は一瞬で崩れ去った。
「ママ、これ何?」
学校から帰ってきた月月が、カードを指先でつまみ上げていた。その声は低く、酷く冷たかった。
月月はカードをゴミ箱へ躊躇なく放り捨てると、すみにすたすたと近づき、彼女の両肩を強い力で掴んだ。
「あの男と出かけるの? ダメだよ、ママ。あの男はママを騙そうとしてる。ママに近づく男は、みんな下心が合って、ママを傷つけるために来てるんだ。ボクには分かる」
「月月、放して……っ、そんなことないわ、チュアンさんはただ――」
「ただ何!? ママをボクから奪おうとしてるんだ!」
月月が激昂して叫んだその瞬間、すみは息を呑んで硬直した。
目の前にいる息子の、激しい執着を宿した美しい瞳、怒りに震える薄い唇。それは、かつて駅ですみを待ち伏せし、彼女を自分の世界に閉じ込めようとした十八歳の頃の沈怜星(星星)そのものだった。
(ああ、星星……あなたなの?)
すみの脳裏に、あの二人きりで過ごした狂おしい三日間の記憶が鮮明に蘇る。危険で、歪んでいて、けれど世界で一番甘やかされていた密室。
「星星だったら、どう思うだろう……」
すみの口から、無意識に夫の名前が漏れ出た。
彼女の中で、月月の強い拒絶は、死んだ星星からの「行くな」という警告のように思えてならなかった。月月の気持ちこそが、星星の気持ちなのだ。そう自分に言い聞かせた方が、楽になれる気がした。
すみは視線を落とし、力なく呟いた。
「分かったわ、月月……。あなたがそんなに嫌なら、行くのはやめる。どうするかは、あなたに任せるわ」
すみが選択を委ねた瞬間、月月の顔に、父親と全く同じ「勝利の微笑」が浮かんだ。
「ありがとう、ママ。ボクがママを守ってあげるからね」
*
翌日、チュアンは簡単には引き下がらなかった。彼は大人の余裕と粘り強さで、まずは「月月を落とす」作戦に出たのだ。
「月月くん、これ、最新のプログラミングの専門書なんだけど、君なら興味があると思って。もしよかったら読んでみてくれないか?」
学校帰りの月月を待ち伏せし、チュアンは笑顔で本を差し出した。チュアンなりに、すみの心を射止めるためには、彼女が溺愛する息子の信頼を得るのが最優先だと見抜いていた。
しかし、月月はその本を一瞥しただけで、受け取ろうとはしなかった。
「……いりません。ボクの邪魔をしないでください」
「月月くん、僕は君の母親であるすみさんを、一人の女性として大切にしたいと思っているんだ。君をないがしろにするつもりは――」
「うるさい」
月月はチュアンを冷徹に睨みつけた。
「あんたの裏の顔なら、もう全部掴んでる。これ以上ママに近づくなら、あんたの人生、徹底的にバグとして処理してあげるよ」
ポケットの中で、月月はスマートフォンの画面にタッチしていた。すでにチュアンが勤める建築事務所のサーバーへ、いつでもランサムウェア(身代金型ウイルス)を流し込める準備は整っていた。
その夜、月月は家の中で、チュアンから貰った林檎のジャムをスプーンですくっていたすみに向かって、激しい怒りをぶつけた。
「なんであの男の持ってきたものを食べてるの!? ママはボクの言うことが信じられないの? ボクじゃ頼りないの!?」
「月月、違うの、これはただの隣人としての……」
「ボクは大きくなったら、絶対にママを守るってパパと約束したんだ!! パパのノートPCにそう書いてあった! ボクがママを支配するんじゃない、ママがボクを裏切ろうとしてるんだ!」
ヒステリックに叫び、部屋の壁を殴りつける月月。
息子の暴走と、隣人のチュアンからの熱いアプローチ。二人の男の強すぎる愛の重圧の板挟みになり、すみは心身ともに限界まで疲れ果てていく。
第三章:静かなる排除
月月にとって、チュアンという男は「ママを奪うバグ」であり、早急にデバッグ(排除)すべき対象でしかなかった。かつて父親の星星が、ハッキングで母の生活を完全に支配したように、十八歳になった月月もまた、自室の暗闇からチュアンの人生を効率的に壊し始めた。
その嫌がらせは、チュアンの日常にじわじわと「原因不明の不吉」として侵入していった。
まず、チュアンのスマートフォンが異常をきたした。
深夜、画面が突然青白く発光し、大音量で不気味なノイズが鳴り響く。データフォルダ内の、すみと交わしたわずかなメッセージの履歴だけが修復不可能な形で破損し、代わりに「引き返せ(Go Back)」という文字列が画面を埋め尽くした。端末を初期化しても、月月が仕込んだルートキット(遠隔操作プログラム)によって、チュアンの位置情報は24時間体制で月月のPCへと送信され続けた。
嫌がらせは、チュアンの「生活の足」にも及んだ。
ある朝、チュアンが仕事に向かおうと愛車のエンジンをかけた瞬間、スマートキーのシステムがロックされ、ブレーキの電子制御アシストに異常を示す警告灯が点滅した。月月が車両の車載ネットワーク(CAN)に侵入し、ECU(電子制御ユニット)のプログラムを書き換えたのだ。「次、ママに近づいたら、走行中にブレーキを無効化する」という、無言の生命への脅迫だった。
そして最も致命的だったのは、デザイナーであるチュアンの「社会的生命」への攻撃だった。
チュアンが所属する大手建築事務所のメインサーバーへ、月月は一切の痕跡を残さず侵入した。
チュアンが数ヶ月かけて作成し、間もなくコンペに提出する予定だった大規模商業施設の設計データ。月月はその3Dモデリングデータと構造計算書の数値を、パッと見では気づかないレベルで「致命的な欠陥」を持つように書き換えた。さらに、サーバー内のログを偽装し、チュアンが競合他社から多額の賄賂を受け取ってわざとデータを改ざんしたかのような、精巧な「横領の証拠(ダミーデータ)」を社内システムに植え付けた。
「……よし。これでこの男は、もうすぐ社会的に死ぬ」
ディスプレイに映るコードの羅列を見つめながら、月月は満足げに微笑んだ。
チュアンの職場のPCカメラを盗撮した画面には、データのエラーと身に覚えのない不正疑惑の通知を前に、頭を抱えて憔悴していくチュアンの姿がリアルタイムで映し出されている。
*
チュアンの身に次々と起こる不可解なトラブルと、彼のやつれた表情を見て、すみは直感した。
(月月だ。あの子が、あの人の人生を壊そうとしている……。かつて星星が私にしたことと、全く同じ方法で)
ある夜、すみは意を決して、自室でキーボードを叩く月月の部屋に入った。
「月月、お願いだからもうやめて! チュアンさんに何をしたの!? どうしてそこまであの人を追い詰めるの!」
すみの悲痛な叫びを聞いても、月月はタイピングの手を止めなかった。ただ、画面の青白い光に照らされた顔をゆっくりとすみに向け、若き日の星星と瓜二つの、歪みのない澄んだ瞳で言い放った。
「だって、パパと約束したんだ。大きくなったら、絶対にママを悪い男から守るって。パパのノートPCにも書いてあった。ママの側にいていい男は、パパと僕だけなんだよ。ママ、ボクを裏切ってあの男のところへ行くの?」
「そんなわけないでしょ! 私はただ、普通に……」
「普通なんていらないよ。ママの世界には、ボクだけでいい」
月月の言葉の背後に、亡き星星の冷たい笑顔が重なって見えた。すみは背筋が凍るような恐怖と絶望に襲われ、その場にへたり込んだ。
これ以上チュアンが自分に関われば、彼は職を失うだけでなく、本当に命まで奪われかねない。
(私が、あの人を切り捨てなきゃいけない。それが、あの人を守る唯一の方法なんだ)
激しい雨が窓を叩く翌日の夕方、すみはアパートの廊下でチュアンを待ち伏せした。
憔悴しきった様子で帰宅したチュアンの前に立ち、すみは一度も目を合わせないまま、冷たい声を絞り出した。
「チュアンさん。もう、私たちの前に現れないでください。あなたといると、本当に疲れるんです。迷惑なんです」
第四章:届かなかった光(最終章)
激しい雨が、二人の間の空間を叩きつけていた。
すみの口から放たれた「迷惑なんです」という冷たい言葉。それを聞いたチュアンは、驚いたように目を見開いた。しかし、すみの肩が小さく震えていること、そして彼女の瞳が恐怖で激しく泳いでいることに、彼はすぐに気づいた。
チュアンは自らの身に起きているすべての災厄――スマートフォンの怪現象、愛車の異常、そして職場での身に覚えのない不正疑惑――そのすべての中心にいる「黒幕」の正体を、すでに確信していた。すみの背後にある、あの美しくも狂気に満ちた息子の影を。
チュアンは深くため息をつくと、すみの震える肩にそっと手を置いた。
「……わかりました。すみさんがそう言うなら、僕はもうここへは来ません」
その優しい声に、すみは思わず顔を上げそうになったが、必死で耐えた。
「でも、これだけは覚えておいてください。僕は君に嫌われたとは思っていません。君が怯えている『影』が何なのか、僕にはなんとなく分かっています」
チュアンは、すみの耳元に顔を寄せ、静かに、しかしはっきりと告げた。
「今は引きます。それが君と、君のトゲを逆立てている彼(月月)を刺激しない最善の方法だから。だけど、もし本当に耐えられなくなったときは、いつでも逃げてきてください。僕はどこにいても、君が見つけてくれるのを待っていますから。どうか、自分をすり減らさないで」
チュアンは最後に一度だけ、すみの肩を優しく包み込むように力を込めると、それ以上は何も言わず、振り返らずに雨の中へ去っていった。彼の足音が完全に聞こえなくなるまで、すみは玄関のドアに背中を預けたまま、じっと立ち尽くしていた。
(僕はどこにいても、君が見つけてくれるのを待っていますから――)
彼の温かい声が耳の奥で何度もリフレインする。すみが自分を突き放した「本当の理由」に気づき、それでもなお自分を救おうとしてくれた。その事実だけで、すみの乾いた心に涙が溢れそうになる。しかし、すみは声をあげて泣くことさえ許されなかった。
カチャリ、と背後のリビングから静かな音が響いた。
「……さすがママが選んだお隣さんだね。思ったよりずっと、頭が良い人だったみたいだ」
暗闇の中から現れたのは、スマートフォンを片手にした月月だった。
画面には、音声の波形がリアルタイムで揺れている。月月は、チュアンがすみの耳元で囁いた最後の言葉まで、すべてを盗聴していたのだ。
月月の顔には、激しい怒りも動誘もなかった。ただ、冷徹なハッカーとしての冷たい瞳と、父親譲りの歪んだ微笑だけがそこにあった。
「『いつか助け出す』、か。ボクのプロトコルに、そんな脆弱性(バグ)は残さないのに」
月月はすみに歩み寄り、彼女の冷え切った頬を両手で挟み込んで、じっと見つめた。その顔は、驚くほど若き日の星星に似ていた。
「でもこれで安心だね、ママ。あの男は自ら引いてくれた。ボクが手を下して、彼を社会的に『消去』する手間が省けたよ。ママも、大好きなチュアンさんがボクの手で壊されるところなんて、見たくなかったでしょ?」
その言葉に、すみは息を呑んだ。月月はチュアンを脅迫するだけでなく、本当に彼の人生そのものを破壊する準備を終えていたのだ。すみの選択は間違っていなかった。こうして息子の檻に従うフリをすることだけが、チュアンの命を守る唯一の方法だった。
リビングの明かりは消えていた。
ただ一つ、星星が遺し、今は月月が引き継いだノートPCの画面だけが、青白い光を放って部屋を照らしている。画面には、チュアンが荷物をまとめてこの街を去っていく駅の防犯カメラの映像が、静かに、リアルタイムで映し出されていた。
「ママ、寂しい? でも、大丈夫だよ。あの男はもう二度と、ママの世界を汚しに来ないから。これからは、ボクだけがママを優しくしてあげる。ボクだけが、ママを守ってあげるからね」
月月は嬉しそうに微笑み、すみの首筋に顔を埋めた。
「パパとの約束、ちゃんと守れたよ。……ねえママ、ボクの世界には、ママだけでいい。ママの世界にも、ボクだけでいいよね?」
すみは何も答えず、ただ人形のように小さく頷いた。
月月を拒絶すれば、月月はまた誰かを傷つける。月月の狂気を受け入れることだけが、これ以上被害者を出さない唯一の方法なのだと、すみは諦めていた。かつて、星星の歪んだ愛にいつしか安らぎを覚えてしまった、あの三日間の密室のように。
すみは、チュアンが遺してくれた光の言葉を、心の最も深い場所にそっと隠した。月月のハッキング技術でも決して覗けない、彼女だけの秘密の場所に。
そして、息子の背中にそっと手を回し、二度と開かない密室の鍵を自ら閉めるように、強く抱きしめ返した。
親子二代にわたって受け継がれた「歪んだ愛のプロトコル」は、今度こそ完璧に実行され、母と子だけの閉ざされた世界が完成した。
(おわり)
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