第5話 白嶺の塔

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/12 📚 シリーズ: 夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 📝 2,468文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 - 第5話 白嶺の塔

本文

「お母さんのこと、聞かせてください」

「……顔を思い出せないのに?」

「エルナ様が覚えていることを、全部。私も覚えます」

「また、重くなりますよ」

「二人で持てば、半分です」

 エルナの腕が、おそるおそるミアの背へ回った。

 川を流れる花灯りが、二人の影を揺らしていた。

「母は、針に糸を通すのが、とても速かったんです」

 胸に顔を埋めたまま、エルナが話し始める。

「でも、急ぐと必ず指を刺して。何度やっても、直らなくて」

「エルナ様は?」

「私は一度も刺しません」

「そこは似なかったんですね」

「はい。だから、母は悔しがっていました」

 泣き声に、小さな笑いが混じった。

 ミアはそれを、腕のなかで聞いていた。

 この人の記憶を、ひとつも奪わせたくない。

 この人の明日に、自分もいてほしい。

 まだ恋とは呼べなかった。ただ、その願いが胸の奥へ根を張るのを、止められなかった。

     ◇

 花灯り祭から五日目、二人は白嶺の麓へ着いた。

 山の上には、二つ目の星杭がある。

 春を迎えたリノアとは違い、こちらの道にはまだ雪が残っていた。馬車を麓の村へ預け、必要な荷だけを背負って登る。ククはついてくる気だったらしく、置いていかれるとわかるとひどく不満そうに嘶いた。

「帰りには、林檎を買ってあげますから」

 エルナが鼻先を撫でると、ククはすぐに機嫌を直した。

「私には何もないんですか」

「昨日、最後の蜂蜜菓子を譲りました」

「あれは半分ずつの予定だったのでは?」

「ミアさんが、私の分まで食べていいと言ったんですよ」

「そうでしたっけ」

「手帳に書いてあります」

「都合の悪いことまで書かないでください」

 エルナは笑って手帳を閉じた。

 祭りの夜から、彼女はよく笑うようになった。

 母の顔を失った痛みが薄れたわけではない。ときおり何もない場所を見つめ、静かに目を伏せる。それでも悲しみを隠すためではなく、嬉しいときにも笑ってくれるようになった。

 ミアは、そのたび目を離せなくなる。

「何ですか?」

「いえ。髪の花、今日もつけてくれているなと思って」

 淡い金髪に、青い硝子が揺れている。

「旅の記念ですから」

「落とさないでくださいね」

「落としたら、また買ってくださいますか?」

「同じものを見つけたら」

「では、大切にします」

 何気ない言葉に、胸が騒ぐ。

 リノアを出てから、ずっとこんな調子だった。肩が触れる。名前を呼ばれる。笑いかけられる。それだけで落ち着かなくなる。

 自覚してしまえば、簡単なことだった。

 ミアは、エルナに恋をしている。

 問題は、それを伝えていいのか、まるでわからないことだった。

 旅が終わるころ、エルナの記憶がどれだけ残るのか。好きだと告げた翌日に、忘れられるかもしれない。そもそも大裂を縫ったあと、彼女が無事でいられる保証すらない。

 明日が見えないからこそ、今すぐ伝えるべきなのか。

 明日が見えない人へ、自分の想いまで背負わせるべきではないのか。

「ミアさん」

 声に顔を上げると、手袋をした指が頬に触れた。

「冷たい」

「え?」

「頬が真っ赤です。寒いなら、もう一枚巻きますか?」

 エルナが自分の襟巻きを解こうとする。

「だ、大丈夫です。歩いていたら暑くなりますから」

「でも」

「本当に。それより急ぎましょう」

 逃げるように先へ進むと、後ろでエルナが首を傾げていた。

 二つ目の星杭は、山腹の古い見張り塔にあった。

 かつては北方を守る砦だったが、今では屋根の半分が落ちている。石壁の内側には雪が吹き込み、折れた柱が白く埋もれていた。

「嫌な匂いがする」

 ミアは足を止めた。

「何の匂いですか?」

「天裂が開く前と同じです。鉄が腐ったような……」

 風を読む。

 山を下る冷気のなかに、淀んだものが混じっていた。見上げても空にひびはない。けれど塔の内部だけ、昼だというのに暗すぎる。

「今日は戻りましょう」

「星杭を置いたまま?」

「村で人を集めてから来ます。急いで一日を惜しんで、残りの旅を失うよりいい」

 エルナは塔を見たまま、少し考えた。

「わかりました」

 引き返そうとした瞬間、入口が崩れた。

 轟音とともに雪煙が上がる。積み重なった石の隙間から、黒い影が這い出した。

 一頭ではない。

 夜獣が、塔の暗がりを埋め尽くしていた。

「走って!」

 ミアは杖を振り、風の壁を作った。

 先頭の夜獣が弾き飛ばされる。だが後ろから押し寄せた群れが、その身体を踏み越えてくる。

 星杭の根元に黒い霧がまとわりついていた。天裂を通れない夜獣が、残された細い穴から少しずつ入り込み、ここで増えていたのだ。

「ミアさん、杭を起こせば、この霧は消えます」

「何秒?」

「二十」

「今度こそ三十数えます。先に上へ!」

 崩れ残った階段を、エルナが駆け上がる。

 ミアは入口へ風を集中させた。狭い場所なら、一度に相手をする数を減らせる。杖で顎を打ち、風刃で脚を切る。倒しきれなくても、動きを止めればいい。

 一、二、三。

 背後で、星杭が淡く光り始める。

 七、八。

 壁を蹴って飛んだ夜獣が、ミアの頭上を越えた。

「エルナ!」

 初めて、敬称のない名を叫んだ。

 振り返ったエルナへ、夜獣が迫る。

 ミアは風を蹴って階段を飛び、一段上から彼女を突き飛ばした。

 脇腹に、熱いものが入った。

 夜獣の爪が身体を貫いている。

 痛みはすぐには来なかった。雪の上に倒れたあとで、呼吸ができないほどの激痛が押し寄せた。

「ミアさん!」

 遠くで声がする。

 星杭から、青い光が噴き上がった。

 塔を覆っていた闇が剥がれ、夜獣の群れが一斉に燃える。黒霧が空へ吸い込まれ、雪の上に静けさが戻った。

 エルナが駆け寄ってくる。

「目を閉じないでください。ミアさん、私を見て」

 その声が震えていることを、指摘してやりたかった。

「二十……間に合いましたね」

「話さないで」

「怒ってます?」

「怒っています」

「エルナも、怒るんだ」

 敬称をつける力がなかった。

 エルナの手が傷口を押さえる。白い指の隙間から、赤ではなく黒い血が溢れた。夜獣の爪に触れた傷は、影に食われていく。

「ごめん」

「謝らないでください」

「泣かないで」

「泣いていません」

「嘘だ」

 頬に落ちた雫は、雪より温かかった。

 ミアはそれを拭おうとした。けれど指が届く前に、世界が暗くなった。

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