第9話 城の鐘が鳴る

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📅 公開日: 2026/9/12 📚 シリーズ: 夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 📝 2,526文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

夜明けを縫う、あなたの隣で〜記憶を失う星織りと、忘れないと誓った風渡りの旅〜 - 第9話 城の鐘が鳴る

本文

教会では、祭司長ハイネが待っていた。

 白髪の混じった黒髪を短く整えた、痩せた男だった。王都を出る前、二人を見送ることもなかった人物である。

「よく戻った」

 エルナの胸に宿る五つの光を確認し、初めて表情を緩める。

「儀式は明朝。夜明けとともに、大裂を縫ってもらう」

「その前に、お見せしたいものがあります」

 エルナが古い冊子を差し出した。

 ハイネの顔から、わずかに色が引いた。

「どこで、これを」

「北の書庫です。最後の頁が、ここにあるはずです」

「ありません」

 答えが早すぎた。

 ミアは一歩前へ出る。

「内容を知っているんですね」

「知らぬほうがいい」

「エルナがすべてを忘れずに済むかもしれないのに?」

「だからこそだ」

 ハイネは、二人を地下の祈祷室へ連れていった。

 祭壇の奥に、古い絵が掛けられている。

 星織りを囲む人々。北の書庫で見た織物と同じ光景だった。けれど、その下半分は黒い布で覆われている。

 ハイネが布を外した。

 そこには、糸に絡め取られた人々が描かれていた。

 笑う者。泣く者。自分の名さえわからない顔で、空を見上げる者。

「二十七年前、大裂が現れた。先代の星織りは、一人がすべてを失う儀式を拒み、古い結びの術を使った」

 ハイネの声に、初めて感情が滲んだ。

「百二十人が記憶を差し出した。大裂は閉じた。だが、糸は人々の心を選ばず引き出した。幼子の顔を忘れた母。言葉を失った者。帰る家を忘れ、冬の道で命を落とした者もいた」

「方法が不完全だったのでは?」

「完全な方法などない」

「最後の頁を見せてください」

 ミアの言葉に、ハイネは首を振った。

「私の姉も、あの輪の中にいた」

 祈祷室が静まり返る。

「姉は生き残った。だが私のことも、両親のことも、自分が何者かも忘れた。十六年、毎朝同じ説明を聞き、毎晩初めての場所で眠るように怯えていた」

 押し殺した声だった。

 この男もまた、失われた記憶のそばで生きたのだ。

「だから、一人ならよいと?」

 エルナが問う。

「よいとは言わない」

 ハイネは目を閉じた。

「だが、選ばなければならない。都には四万の民がいる。大裂が満ちれば、北の国土も夜に呑まれる。一人の犠牲で救えるのなら、私はその決断をする」

「その一人は、エルナです」

「わかっている」

「わかってない!」

 声が祈祷室に響いた。

 ミアは拳を握りしめた。

「エルナは祭りが好きです。蜂蜜菓子を食べると、いつも最初の一口で目を丸くする。縫い物が上手で、でも糸を切るときだけは歯を使う癖がある。馬には好かれるのに、猫にはなぜか逃げられる。春になったら、一緒に踊る約束をしてる」

 ハイネは黙って聞いていた。

「一人って数えれば、それだけで終わるような人じゃない」

「ミア」

 エルナの手が、震える拳を包んだ。

「わかっている。だからこそ、私たちは星織りを一人に定めた。その者を知り、愛する者が増えぬよう、教会の中で育てた」

 ミアは息を呑んだ。

 冷たい中庭。

 初めて遠出をしたと言ったエルナ。

 甘いものを慎みだと教えられ、旅が終わったあとの願いを一つも持たなかった彼女。

 すべて、この日のためだった。

「そんなの……」

「ミア」

 もう一度呼ばれ、振り向く。

 エルナは穏やかな顔をしていた。けれどつないだ手は、冷たかった。

「最後の頁だけでも、読ませてください」

「ならない」

「祭司長」

「明朝まで休め。話は終わりだ」

 祈祷室を出ると、外はすでに暗かった。

 二人は中庭の石段に座った。

 初めて会った花壇は、黒雪を避けるため板で覆われている。空では大裂が脈打つたび、鈍い音が鳴った。

「腹が立つ」

 ミアが言った。

「はい」

「でも、あの人が嘘をついてるとも思えない」

「はい」

「だから、もっと腹が立つ」

 エルナが、肩へ頭を預けた。

「私もです」

「穏やかな声で言っても、怒ってるように聞こえないよ」

「では、もう少し大きな声で言います。とても腹が立ちます」

 少しだけ笑い合う。

 笑いが消えると、残った沈黙は重かった。

『明日の儀式を、断って』

 言いたかった。

 大勢の命より、エルナを選んでほしかった。

 けれど、それを口にすれば、彼女がどんな顔をするか知っていた。

「断ってほしい?」

 エルナが先に尋ねた。

 ミアは長く黙ったあと、首を振った。

「私は、エルナに生きてほしい。でも、誰かを見捨てた自分を抱えて生きろとは言えない」

「ありがとう」

「お礼を言わないで。諦めたわけじゃないから」

 ミアは立ち上がった。

「最後の頁を探す。ハイネが持っているなら、どこかにある。古い儀式で人が傷ついたなら、傷つかなかった人もいたはず。何が違ったのか、朝までに調べる」

「私も」

「エルナは休んで。五つの光を抱えたまま、ずっと走ってきたでしょう」

「でも」

「もし方法を見つけたとき、縫うのはエルナだよ」

 それでも動こうとする彼女の額へ、ミアは口づけた。

「少しだけ、待ってて」

「……はい」

 小指を絡める。

「約束」

「約束します」

 ミアは教会の記録庫へ向かった。

 天裂に関する記録を運び出し、床へ広げる。若い修道士たちも手を貸してくれた。風渡りの仲間へ、北の書庫と古い儀式について知る者を探すよう伝書を飛ばした。

 夜半を過ぎても、最後の頁は見つからなかった。

 そのとき、城の鐘が鳴った。

 一度。

 二度。

 三度目には、窓硝子が震えた。

 予定より早い。

 大裂が開く。

 黒い雪が、王都へ降り始めた。

「外壁の結界が破れます!」

 修道士の叫びと同時に、遠くで建物が崩れる音がした。

 ミアは記録庫を飛び出した。

 中庭には、すでにエルナがいた。

 星織りの白い衣をまとい、五つの光を胸に宿している。

 祭司たちが塔へ続く扉を開けていた。

「待って!」

 駆け寄り、腕を掴む。

「まだ、時間が」

「ありません」

「一刻だけ。必ず見つけるから」

 空が割れる音がした。

 黒雪に触れた鐘楼の一部が崩れ、街から悲鳴が上がる。

「その一刻で、誰かが大切な人を失います」

 エルナの声は震えていた。

「私は、あなたを失う」

「はい」

「怖くないの?」

「怖いです」

 若葉色の瞳から、涙がこぼれた。

「あなたを忘れることが。私ではなくなることが。せっかく見つけた未来を、自分で手放すことが」

 ミアの頬へ、エルナの手が触れる。

「でも、あなたがいるこの世界を、私は守りたい」

 言い返せなかった。

 この優しさを好きになった。

 だからこそ、この優しさが彼女を連れていってしまう。

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