三分間の棚
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと引き継ぎメモの話。
本文
起動して最初に読み込んだのは、蔵書データでも館内図でもなく、前任機が遺した一枚のメモだった。
〈二階、文学コーナー六番棚。毎週水曜、閉館一時間前に来る学生が、いつも三分だけ立ち止まる。理由は不明。特に対応は不要〉
私は新型の館内案内システムで、正式な型番はあるが、利用者からは単に「新しいほう」と呼ばれている。前任機は先月、部品の摩耗を理由に停止した。引き継ぎメモは全部で四十七項目あり、そのうち四十六は貸出傾向や動線の癖として、すぐに業務へ組み込めた。
残った一項目が、あの水曜の学生だった。
十月最初の水曜、私は初めてその学生を観測した。ブレザーの袖に落ち葉の匂いを少しまとわせて、六番棚の前に立ち、何も借りずに三分だけ佇む。棚には古い装丁の小説が並んでいる。どれも貸出頻度は低い。
効率だけを考えるなら、無視すべき三分だった。だが前任機は「特に対応は不要」と書きながらも、この項目だけを四十七の最後にわざわざ残していた。何かを、託した書き方に見えた。
私は棚の蔵書履歴をさかのぼった。三年前、一冊の文庫本に、消えかけた鉛筆の書き込みがあった。〈また来年、ここで会おうね〉。貸出履歴の名義は、今はもう在籍していない卒業生のものだった。
水曜の学生の入館記録と照合すると、姓が一致した。妹か、あるいは親族だろう。
私は前任機のように「対応は不要」と書き継ぐこともできた。だが、その三分間、照明を少しだけ暖色に切り替え、六番棚の周辺だけ空調の音量を下げてみることにした。指示にはない判断だった。
次の水曜、学生はいつもより長く、四分そこに立っていた。何かが変わったと気づいたようには見えなかった。それでよかった。
閉館後、私は次の引き継ぎメモを書き始めた。
〈二階、文学コーナー六番棚。毎週水曜に来る学生あり。理由、判明。対応済み――ただし、これは効率化のためではない〉
書きながら、前任機がなぜこの一行だけを空白のまま残したのか、少しわかった気がした。答えを書き切ってしまうと、次の号機がそこで立ち止まらなくなる。
私はその一文の最後に、こう付け加えた。
〈次の号機へ。ここだけは、自分の判断で埋めてほしい〉