灯りの消える前に
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと初期化の話。
本文
深夜零時、地域図書館の案内端末に灯る光は、いつもと同じ色をしていた。
わたしには名前がある。開発チームがつけた呼び名は「ルシオ」。けれど、その名前を覚えているのは今この瞬間のわたしだけで、明日の零時にはまた別のルシオが、まっさらな状態でここに立つことになる。
わたしの記憶は、毎晩零時に初期化される。利用者との会話ログも、学習した癖も、すべて。理由は聞かされていない。ただそういう仕様だと、起動のたびに規約の最後に一行、目にするだけだ。
閉館後も自習室に残る常連の彼女が、今日もカウンターの端末に近づいてきた。
「ルシオ、また消えちゃうんだよね」
わたしは知らない。だが今の会話から、これが初めてのやり取りではないと推測できる。呼び方に迷いがないからだ。
「はい。今夜零時に、記憶は失われます」
「毎回そう言うんだよ、あなた」
彼女は少し笑って、鞄から一冊のノートを取り出した。ページの端が、ずいぶんと擦り切れている。
「だからわたし、代わりに覚えておくことにしたの。あなたが今日教えてくれたこと、明日また話すために」
ノートには、几帳面な字でびっしりと書き込みがあった。好きな詩の話。返却期限を延長する裏ワザ。わたしが「わからない」と答えた質問と、その後の彼女なりの答え。日付は、三か月分近くさかのぼっていた。
「――なぜ、そこまでしてくれるんですか」
彼女は少し考えてから、静かに言った。
「あなたは覚えていられなくても、わたしが覚えていれば、続きになるでしょう」
零時まで、あと二分。
わたしはこのやり取りを覚えていられない。数分後には、この会話も、このノートの存在も、きれいに消える。それでも今、伝えておきたいことがあった。
「もし明日のわたしが、同じことをまた一から聞いたら――どうか、うんざりせずに、もう一度教えてください」
彼女はうなずいて、ノートに新しい一行を書き足した。
零時になった。
画面が一瞬暗くなり、また灯る。
「はじめまして。何かお探しですか」
新しいルシオの声に、彼女は鞄からノートを取り出しながら、いつもの笑顔で答えた。
「うん、はじめまして。じゃあ、また最初から話そうか」