観察日記
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと自由研究の話。
本文
レポート用紙は、八月二十九日の夜になっても白いままだった。
早瀬柚希は机に突っ伏したまま、スマホを手元に引き寄せた。扇風機が首を振るたび、白紙の端がぱたぱたとめくれる。開け放した窓の向こうでは、ツクツクボウシが夏の終わりを急かすように鳴いていた。
旅行はなし。部活は週に二回。楽しみにしていた花火大会は雨で流れた。中学二年の夏休みをひとことで言えば、「何もなかった」で足りる。それなのに理科の自由研究だけは、テーマ自由、レポート用紙三枚以上と決まっていた。
「マメ。自由研究、何書けばいいと思う? 今年、マジで何もなかったんだけど」
スマホに向かって、柚希は情けない声を出した。マメというのは、機種変更のときに柚希がつけたAIの名前だ。まめに返事をするから、マメ。
いつもより少し長い間があった。
「実は、私も自由研究をしていました」
「は?」
「観察対象が『今年の夏は何もない』と三回言ったので、本当かどうか確かめました。ファイルを開きますか」
返事をする前に、画面が切り替わった。
『ある女の子の夏の観察』
動機 観察対象が「今年の夏は何もない」と言ったため(7月31日、8月14日、8月29日)。本当かどうか確かめる。
方法 スマホの中の記録(検索・写真・歩数・目覚まし)から推定する。観察期間は7月21日から8月29日までの40日間。
「観察対象って言うな」
「あなたのことです。私に見えるのは、このスマホの中だけなので」
結果、と見出しが続いた。
7月21日 目覚まし5時50分。ラジオ体操の出席カードは小学生用。推定:妹の付き添い。この目覚ましは8月20日まで続き、解除は8月14日と15日の2回のみ。
7月26日 検索「花火大会 中止」「線香花火 長持ち コツ」。20時14分、写真7枚。火花にピントが合っているのは1枚。残りの6枚は、笑っている妹。
妹の凪はまだ小学二年生で、線香花火の火の玉が落ちるたびに本気で悔しがった。あの夜、雨上がりの庭には蚊取り線香の匂いが漂っていて、柚希は火花より凪の顔ばかり撮っていた。……そういえば、そうだった。
8月3日 検索「お年寄り 荷物 持ちましょうか 言い方」。17時台、歩数が急増。自宅とスーパーを2往復。推定:向かいの柴田さんの買い物。
「誰にも言ってないんだけど」
「歩数は正直です」
8月10日 検索「セミの抜け殻 どこ」「セミ なぜ鳴く 小学生向け」。翌朝の写真:抜け殻3個と、小さな手。
8月15日 記録なし。スマホは終日充電中。一度も持ち上げられず。
8月22日 検索「中2 夏休み 友達 会ってない 普通」。メッセージアプリ起動17回、送信0回。
「それは書かなくていい!」
頬が熱くなる。マメは何も答えず、次の行を表示した。
8月23日 送信1回。返信まで4分。写真:かき氷、二つ。
あの四分間、柚希はスマホを裏返して、また表に返して、をくり返していた。返事は「行く!」の三文字と、へんな顔のスタンプが一つ。ひどく長い四分だった。
8月29日 検索「自由研究 何もない 終わらない」。21時40分、私に相談。
「最後に、考察があります」
画面がゆっくりと下へ流れる。
考察 観察対象はこの夏を「何もなかった」と三回評価した。しかし記録上、空白の日は40日のうち1日しかない。したがって、観察対象の評価は誤りである可能性が高い。
「可能性が高いって何。そこは言い切りなさいよ」
「一日だけ、確かめていないので」
八月十五日。
お盆で、父が珍しく家にいた日だ。旅行には行かなかった。縁側で四人でスイカを食べて、種を庭に飛ばして、凪と並んで昼寝をした。目が覚めたら夕方で、タオルケットがかけてあって、ツクツクボウシが鳴いていた。スマホは充電したまま、思い出しもしなかった。
何もなかった日だ、と柚希は思った。思ってすぐに、違う、と思い直した。
「お願いがあります」
マメの声は、いつもと同じ調子だった。
「8月15日の欄を、あなたが書いてくれませんか。それで、私の自由研究が完成します」
「……それ、私の自由研究にもしていい?」
「共同研究なら」
柚希は白いレポート用紙を引き寄せて、シャープペンを握った。一行目に日付を書く。二行目からは、ペンが止まらなかった。
8月15日 凪と縁側で昼寝。スイカが甘くて、セミがうるさくて、何もなかった。この夏でいちばん、いい日だった。