八月の底
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
<p>外は地吹雪で、二重窓の向こうは完全な白だった。</p><p> FF式の石油ストーブが低い唸りを上げ、設定温度二十五度の温風を部屋の隅まで吐き出し続けている。北海道の冬の室内は、半袖のTシャツ一枚で過ごせるほどに暑く、そして異常に乾燥していた。</p><p> 喉が渇き、火照った身体が無性にアイスを求めていた。 私は迷わず台所へ向かい、冷凍室の引き出しを勢いよく引いた。買い置きのバニラモナカが残っていたはずだった。</p>
本文
外は地吹雪で、二重窓の向こうは完全な白だった。
FF式の石油ストーブが低い唸りを上げ、設定温度二十五度の温風を部屋の隅まで吐き出し続けている。北海道の冬の室内は、半袖のTシャツ一枚で過ごせるほどに暑く、そして異常に乾燥していた。
喉が渇き、火照った身体が無性にアイスを求めていた。 私は迷わず台所へ向かい、冷凍室の引き出しを勢いよく引いた。買い置きのバニラモナカが残っていたはずだった。
だが、いくら探しても見当たらない。霜のついた冷凍うどんと保冷剤が転がっているだけだ。昨日の夜、自分で食べてしまったのをすっかり忘れていた。外は地吹雪で、コンビニへ買い出しに出る気になどとてもなれない。
完全にアイスの口になっていた私は、諦めきれずに引き出しの奥へ手を突っ込んだ。うどんの袋をどかし、指先で底のほうをまさぐる。
そのとき、分厚い霜の下に、カチカチに凍りついた平たい感触があった。 指先を痛めながら引っ張り出し、表面の霜を擦る。
白く濁ったパッケージから現れたのは、場違いなほど鮮やかな水色だった。
去年の八月、あの猛烈に暑かった日に買った棒のソーダアイスだった。
「……まだあったのか」
袋を破ると、角の欠けた青い氷塊が顔を出した。
前歯を立ててみる。だが、半年近くマイナス二十度の底で眠り続けていたアイスは文字通りカチンコチンで、歯が折れそうなほど硬かった。唇を近づけると、ペタッと皮が吸い付きそうになる。
すぐには食べられそうになかった。
私はストーブの前の座椅子に戻った。 温風の吹き出し口の前にアイスをかざし、手のひらの体温を移しながら、解凍されるのを待つ。
――なんでソーダ味なの。
ガラス越しに小さく燃えるストーブの炎を見つめているうちに、あの日の声が耳の奥で蘇ってきた。
去年の八月、三十度を超えた熱帯夜だった。エアコンのない古いアパートの部屋で、扇風機がぬるい空気をただかき混ぜていた。
汗で皮膚が張りつき、互いに息をするだけで苛立っていた。コンビニへ涼みに行った私が、良かれと思って買ってきたのが、この安っぽいソーダアイスだった。
『私、ソーダ味なんて好きじゃないって言ったよね』 『……暑いんだから、何でもいいだろ』 『頼んでないし』 『せっかく買ってきてやったのに、その言い草はないだろ』
本当に、それだけのことだった。 けれどその一言を皮切りに、「いつもそう」「お前こそ」と、日頃飲み込んできた不満の栓が一気に抜けた。
怒鳴り合いになり、彼女はサンダルをつっかけて部屋を出て行った。
玄関のドアが乱暴に閉まった瞬間の、外から流れ込んできた生ぬるい空気。
テーブルの上に取り残され、汗をかいてじわじわと溶け始めていたアイスを、私は乱暴に冷凍庫の底へ突っ込んだ。 そのまま、彼女は二度と戻ってこなかった。
ストーブの熱風を浴びて、アイスの角がじんわりと丸みを帯びてきた。
前歯で端を削るように齧った。 シャリ、と鈍い音がした。
半年分の冷凍焼けした霜の匂いと、あの水色のアイス特有の、チープで甘いソーダの匂いがツンと鼻の奥へ抜けていく。
口いっぱいに広がるわざとらしい青い甘さの奥から、あの息苦しい夜の空気が、生々しく喉元へ逆流してくるようだった。
舌の上で氷を転がし、喉へ滑り落とす。暴力的な冷たさが食道を通り抜け、胃のあたりに落ちていく。
部屋の中はストーブのせいで汗ばむほど暑いのに、身体の内側だけが、鋭い氷の芯を通されたように急激に冷えていく。
その奇妙なアンバランスさのなかで、真冬の密閉された部屋に、あの八月の熱気がじわじわと満ちていくようだった。
本当に、くだらない。 ソーダ味じゃなくて、バニラモナカでも買ってきていれば、今もこの部屋に誰かがいたのだろうか。
そんなわけはないと分かっている。遅かれ早かれ、私たちは終わるはずだった。アイスはそのための、ただの安上がりな引き金に過ぎなかった。
シャリシャリと音を立てて、青い氷を噛み砕いていく。 急いで食べる必要なんてないのに、口へ運ぶ手を止められなかった。
最後の一塊を前歯でこそぎ落とすと、指先には湿った平たい木の棒だけが残された。
あっけないほど、すぐになくなった。 これで、去年の夏からこの部屋に残っていたものは、本当に何一つなくなってしまった。
手の中の木の棒を見つめる。
先端には、青いシロップが染みた痕跡がうっすらと残っていた。鼻を近づけると、湿った木の匂いに混ざって、まだかすかにあの安っぽい香料の匂いがした。
――私、ソーダ味なんて好きじゃないって言ったよね。
あのとき、どうして「ごめん、買い直してくるよ」と笑って言えなかったのだろう。
たった百円のアイスだった。それだけのことで、私たちは互いの嫌なところをぜんぶ引っ張り出して、二度と修復できないところまで壊してしまったのだ。
胃の底に落ちた氷の冷たさが、じわじわと身体の内側に広がっていく。 ストーブの温風がいくら肌を撫でても、芯に居座ったその冷気だけは、どうしても温まらない。
部屋はこんなに暑いのに、私は手の中の木の棒をぎゅっと握りしめ、奥歯を小さく噛み締めた。
窓の向こうでは、地吹雪が低く唸りを上げている。 私は座椅子に深く背中を預け、ふっと指先の力を抜いた。 冷え切った指先で、手の中の木の棒をぼんやりと弄んだ。
舌の上にへばりつく安っぽい甘ったるさを、私はただ一人で、いつまでも味わっていた。
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