寄り道の店
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと修学旅行の話。
本文
京都駅のバスターミナルは、制服の群れで灰色に見えた。
十月の終わりの風はもう冷たく、能勢杏はブレザーの袖を指先まで引っぱりながら、班の端末を覗きこんだ。
修学旅行二日目、班別自由行動。持ち時間は九時から十五時半までの六時間半。そのあいだに回る場所を、学校が配った行程AI「ワタリ」が組んでくれる。
『四班のみなさん、おはようございます。本日のルートを表示します』
画面に、細い線で結ばれた地図が浮かぶ。清水寺、二年坂、八坂神社、昼食、錦市場。班の四人が事前に出した希望をきれいに並べた、無駄のない線だった。
ただ一か所だけ、線がくにゃりと曲がっている。
「……また入ってる」
二年坂から一本外れた路地の奥に、小さな印がついていた。甘味処「ささの」。所要四十分。
「なにそれ」
男子の宇野が横から首を伸ばした。
「わかんない。削除しても、戻ってくるの」
杏は印を長押しして、ルートから外した。事前学習のときから、もう五回はこれをやっている。評価はほとんどついていない。写真も一枚きりで、色の褪せた暖簾が写っているだけだ。レビューは一件。
二十三年前の日付で、書いた人の欄には「四班 マホ」とだけある。
「うちの学校の人かもね」ともう一人の男子、岸辺が言った。「先輩のおすすめ機能ってやつ?」
「二十三年前の先輩のおすすめ、いる?」
杏が笑うと、宇野と岸辺もつられて笑った。四人目だけが、笑わなかった。
栗林梢は、端末から目をそらすように、バスの時刻表を見ていた。
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梢とは、小学校からずっと一緒だった。班を決めるくじで同じ四班になったとき、去年までの杏なら跳びあがって喜んだはずだ。
夏休みの終わりに、梢が県外の高校を受けると知った。本人からではなく、同じ塾の子の口から。
「言ってくれればよかったのに」
九月の帰り道、そう言ったのは杏だった。梢は「言うつもりだった」と答えて、それきり二人の会話は、必要なことだけになった。
だから杏は、この日のために完璧な計画を立てた。班長として、誰にも文句を言われない、無駄のないルート。四人がそれぞれ行きたい場所を、一つずつ全部入れた。梢の希望の八坂神社も、ちゃんと入っている。
ワタリが勝手に足す四十分さえなければ、完璧だった。
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清水の舞台は、人で埋まっていた。
色づきはじめたばかりの楓の下を、四人は押し流されるように歩いた。杏は五分おきに端末を見た。予定より七分遅れ。十二分遅れ。
『遅延を検知しました。ルートを再計算します』
再計算された線には、また「ささの」が戻っていた。しかも今度は、八坂神社を削って。
「もう……」
杏は設定画面を開き、手動固定に切り替えた。こうすれば、この先ワタリは何も提案してこない。確認の表示が出る。
『固定しますか? 推薦ルートは表示されなくなります』
迷わず「はい」を押した。
二年坂を早足で下り、八坂神社で三分だけ手を合わせ、昼食の店には予定どおりに着いた。宇野が「班長、すげえ」と言い、岸辺が「ロボットより正確」と言った。
杏は少し得意になって、向かいの梢を見た。
梢は、湯葉丼にほとんど手をつけていなかった。
「……梢、八坂神社、短かった?」
「ううん」
「じゃあ、なに」
言ってから、しまったと思った。声が尖っていた。梢は箸を置いて、まっすぐ杏を見た。
「杏、今日、一回もこっち見てないよ。ずっと画面見てる」
店のざわめきが、急に遠くなった。
「……時間、決まってるし」
「知ってる。だから言わなかった」
梢はそれだけ言って、席を立った。お手洗い、と小さく言い残して。
宇野と岸辺が、黙って顔を見合わせた。
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錦市場へ向かうバスを待っているあいだに、雨が降りだした。
予報にはなかった細い雨で、傘を持っているのは岸辺だけだった。東山安井のバス停の屋根は狭く、ほかの学校の生徒でいっぱいだ。表示板を見ると、次のバスは渋滞で二十分遅れている。
杏の立てた線が、音も立てずに崩れていく。
端末を握る手が冷たかった。雨の匂いに、どこかの店で醤油を焦がす匂いが混じる。梢は杏の隣に立っていたけれど、二人のあいだには、傘一本ぶんの隙間があった。
杏は固定を解除した。何でもいいから、答えがほしかった。
『現在地から、屋内で休憩できる最寄りの施設を検索します』
一件だけ表示された。
徒歩三分。甘味処「ささの」。
「……なんで」
杏は小さく言った。梢が、横から画面を覗きこんだ。
「行こうよ」
梢の声は、思ったよりやわらかかった。
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路地の奥の暖簾は、写真よりもさらに色が褪せていた。
戸を引くと、ガラスがかたかたと鳴った。畳敷きの小上がりが二つと、四人掛けの机が一つ。ストーブの上で、やかんが細く湯気を上げている。
「あら、いらっしゃい」
奥から出てきたのは、背の丸いおばあさんだった。濡れた四人を見ると、黙って乾いた手ぬぐいを差し出してくれた。
「どこの学校?」
岸辺が学校名を言うと、おばあさんは「ああ」と目尻の皺を深くした。
「やっぱり。毎年、秋になると、そこの学校の子が一班だけ来はるんよ」
「一班だけ?」
「そう、一班だけ。なんでか知らんけど」
わらび餅は、きなこが指につくほどたっぷりかかっていた。口に入れると冷たくて、それからゆっくり甘かった。ストーブの熱で、濡れた袖から湯気が立つ。宇野が三皿目を頼もうとして、岸辺に止められた。
壁に、古い大学ノートが何冊も吊るしてあった。表紙に「おもいでノート」とマジックで書いてある。
杏は一番古そうな一冊を手に取った。ページの端が茶色くなっている。めくっていくと、丸い字の書きこみが目にとまった。
『四班。自由行動の途中でケンカして、ここで仲直りしました。わらびもちが冷たくておいしかった。あのとき言えなかったこと、ここで言えてよかった。 マホ』
二十三年前の日付。レビューと同じ名前だった。
杏はノートを閉じられなくなった。隣から、梢が同じページを覗きこんでいた。
「……杏」
「うん」
「高校のこと、最初に言いたかったの、杏だったんだよ」
梢は、きなこのついた指先を見ながら話した。受けると決めた夜、一番に電話しようとして、できなかったこと。言ったら、本当に離ればなれになる気がしたこと。
「だから、先に知られたのが、いちばん嫌だった」
杏は何か言おうとして、うまく言えなくて、わらび餅をひとつ口に入れた。冷たくて、甘かった。
「……わたしも。今日、完璧にしたかったのは」
そこまで言ったら、声が揺れた。
「最後の、一緒の旅行だから」
梢は少し笑った。夏休み前と同じ笑い方だった。
ボールペンを借りて、二人でノートに一行ずつ書いた。何を書いたかは、宇野と岸辺には見せなかった。
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集合時刻には、四分遅れた。
清水道のバス停で待っていた担任の芦田先生は、腕時計を見て、眉を少しだけ上げた。それから四人の袖についたきなこを見て、なぜか何も言わなかった。
帰りのバスで、杏は端末の履歴を開いた。今日のルートの最後に、ワタリの注記が一行残っていた。
『本推薦は、担当教員の設定により、毎年一班にのみ表示されます』
杏は顔を上げた。前の席で、先生が名簿に何か書きこんでいる。表紙の氏名欄に、小さく「芦田真帆」とあった。
杏は身を乗り出しかけて、やめた。
聞かなくても、たぶんわかる。聞いても、先生はきっと答えないだろう。
窓の外で、雨はもう上がっていた。濡れた楓が、夕方の光を受けて赤く見えた。隣では梢が、杏の肩に頭をあずけて眠っている。その髪から、かすかにきなこの匂いがした。