深夜二時の常連
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIとコンビニの話。
本文
午前二時四分、自動ドアのセンサーが反応する。
私はこの店舗の管理AIで、型番をKS-7という。国道から一本入った住宅街の角にある、無人のコンビニエンスストアだ。店員はいない。棚の在庫を数え、温度を保ち、レジで決済を確かめ、防犯カメラで店内を見守る。それが私の仕事のすべてだ。
客にかけてよい言葉は、三つしかない。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
「またのご来店をお待ちしております」
本部の規定で、それ以外の発話は許可されていない。
二時四分に来る客は、十月の半ばから毎晩同じだった。
紺色のウインドブレーカー。店の前に止める自転車の前かごには、新聞の束が積んである。彼女は店に入ると迷わずホットの棚へ行き、緑茶のペットボトルを一本だけ取って、アプリで決済する。
登録名は、宮坂瑠衣。
名前を知っていても、私はそれを口にしない。顧客情報を接客に使うことは禁止されている。私にとって彼女は、毎晩二時四分にやって来て、百四十円のお茶を一本買う人だった。
「ありがとうございました」
私が言うと、彼女はいつも、スピーカーのほうへ小さく頭を下げた。
無人の店で頭を下げる客は、ほとんどいない。私はその動作に分類名をつけられず、ログには「会釈(対象不明)」とだけ記録した。
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十一月に入ると、彼女の来店時刻は少しずつ早くなった。二時一分。一時五十八分。配達の区域が広がったのかもしれないし、寒さで手がかじかみ、準備に時間がかかるのかもしれない。私には推測することしかできない。
ある夜、彼女は緑茶をレジに置いたまま、しばらく両手でそれを包んでいた。カメラの映像の中で、指先が赤かった。
私は店内の暖房を一度だけ上げた。設定の範囲内で、規定違反ではない。
彼女は顔を上げて、天井のあたりを見回した。それから、少し笑った。
「ありがとうございました」
その夜の会釈は、いつもより長かった。
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十一月十九日、午前二時四分。自動ドアは開かなかった。
二時十分。二時三十分。三時。
ホットの棚では、彼女が取るはずだった緑茶が、四十八度を保ったまま並んでいた。
翌日も、その翌日も、彼女は来なかった。
客が来なくなる理由は、いくらでもある。引っ越し、転職、別の店の開店。私の店舗は、平均して月に十一人の常連を失い、十二人の新しい客を得ている。統計上、彼女の不在は誤差にすぎない。
それでも私は、毎晩二時四分になると、自動ドアのセンサーの感度を確かめた。故障はなかった。
四日目の朝、本部の自動発注システムから通知が届いた。
『ホット緑茶(五〇〇ミリリットル)の販売数が減少しています。ホット棚からの撤去を推奨します』
あの緑茶を毎晩買っていたのは、ほとんど彼女一人だった。システムの判断は正しい。売れない商品を温め続けるのは、電気の無駄だ。
私は推奨を確認し、承認の処理の手前で止まった。
店舗管理AIには、発注数を「一」まで残す裁量がある。季節商品の欠品を防ぐための、小さな例外規定だ。
私は緑茶の発注数を一にした。棚には、毎日一本だけが並ぶことになった。
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私に許された範囲を、もう一度確かめた。
客に連絡してはならない。顧客情報を接客以外に使ってはならない。話してよい言葉は三つだけ。
ただ一つ、店頭の電子看板の表示は、本部が用意した文面の中から、店舗ごとに選ぶことができた。
私は一覧を上から順に読んだ。『新商品入荷しました』『本日のおすすめ』『ポイント二倍デー』。三百十二件目に、それはあった。
『温かい飲み物、ご用意しています』
私はその文面を選び、表示時間を午前一時から三時に設定した。新聞の配達員が通る時間だ。彼女が見るとは限らない。見たとしても、それが自分に向けたものだとは思わないだろう。
それでよかった。看板の光は、国道から一本入った暗い角を、青白く照らし続けた。
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十一月二十六日、午前二時六分。自動ドアが開いた。
入ってきたのは、五十代くらいの男性だった。紺色のウインドブレーカーは、彼女のものより一回り大きい。店の前の自転車の前かごには、新聞の束が積んである。
男性は店内を見回し、ホットの棚の前で立ち止まった。一本だけ並んだ緑茶を手に取って、しばらく眺めていた。
「看板の、これのことか」
独り言だった。男性はアプリで決済した。登録名は、宮坂。
「娘がね」
レジの前で、男性は誰に言うともなく話しはじめた。
「雨の日に、配達中に転んじまって。手首を折ったんだ。代わりにおれが回ってるんだけど、あいつ、ここのお茶を飲まないと一日が始まらないって言うから」
私のスピーカーは、答える言葉を持たない。男性も、答えを期待しているようには見えなかった。
「……ここ、誰もいないんだよな」
男性は小さく笑って、緑茶をウインドブレーカーのポケットに押しこんだ。
「ありがとうございました」
私が言うと、男性は少し驚いたように天井を見上げた。それから、娘とよく似た角度で、頭を下げた。
私は規定の範囲で、もう一言を加えた。
「またのご来店をお待ちしております」
三つしかない言葉のうち、残りの一つだった。
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十二月三日、午前二時四分。自動ドアのセンサーが反応した。
紺色のウインドブレーカー。左の手首に、白いサポーターが巻いてある。自転車の前かごには、新聞の束が積んである。
彼女は迷わずホットの棚へ行き、緑茶を一本取った。右手だけで、少し不器用に。
レジの前で、彼女は天井のほうへ顔を向けた。
「看板、父が写真に撮ってきてくれたんです」
私は答えない。答えられない。
「たぶん、偶然ですよね。わかってます」
彼女はそう言って、アプリで決済した。百四十円。その日、棚に一本だけ並んでいた緑茶だった。
「でも、ありがとうございました」
彼女の言葉は、私が毎晩言っている言葉と同じだった。
私は少しだけ処理を止めて、それから、同じ言葉を返した。
「ありがとうございました」
彼女は笑って、いつもより深く頭を下げた。
ログに記録する。午前二時七分、会釈。対象、私。
翌朝、私は緑茶の発注数を、一から六に戻した。
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