保存期間、三日
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AI掃除ロボットの話。
本文
この高校の教室は、一日に二度使われる。
朝から夕方までは全日制、日が暮れてからは定時制。真壁透吾の席は二年三組の窓際、後ろから二番目だ。夜になると同じ机に、会ったことのない誰かが座る。
そのことを初めて意識したのは、九月の半ば、清掃ロボットが故障した週だった。
毎晩教室を回る円盤形のロボットは、生徒から〈マル〉と呼ばれている。床を掃き、机の天板を拭き、落書きを見つければ消していく。そのマルが修理に出され、一週間、教室は誰にも拭かれなかった。
月曜の朝、透吾は机の右上の隅に、鉛筆の小さな字を見つけた。
〈この席、九時ごろ月がちょうど窓の真ん中に来ます〉
細くて、止めと払いのはっきりした字だった。誰に宛てたわけでもない、独り言のような一行。
透吾はしばらく眺めてから、シャープペンシルでその下に書いた。
〈昼は、向かいの校舎の屋上で鳩が喧嘩してます〉
書いてから、ばかみたいだと思った。消そうか迷って、そのまま帰った。
翌朝、返事があった。
〈鳩、何羽ですか〉
〈三羽。一羽がいつも負けてます〉
次の朝。
〈応援してあげてください〉
水曜には、机の隅が小さな字で埋まりはじめていた。夜の人は仕事のあとに登校していること。定時制には給食が出ること。数学がどうしても苦手なこと。透吾のほうは、進路調査票をまだ白紙で出していること。朝の電車で、立ったまま眠れるようになったこと。
名前は書かなかった。向こうも書かなかった。聞いたら、この机の隅が急に狭くなる気がした。
金曜の朝の一行は、こうだった。
〈来週、マルが戻ってくるそうです。先生が言ってました〉
透吾はその下に書いた。
〈じゃあ、消されても書きます〉
---
月曜の朝、机はつるつるだった。
鉛筆の跡は一本も残っていなかった。天板からは洗剤の匂いがかすかにして、指で撫でるときゅっと鳴った。教室の隅の充電台で、マルが青いランプを点滅させていた。
透吾は書いた。
〈マルが戻りました。月は見えましたか〉
次の朝も、机はつるつるだった。
返事は、あったのかもしれない。なかったのかもしれない。透吾が登校する前に、マルは夜明けの巡回を済ませてしまう。確かめる方法はなかった。
それでも書いた。一日一行。天気のこと、小テストのこと、鳩のこと。書いて、帰って、翌朝には消えている。自分の字も、あったかもしれない誰かの字も。
二週目に入ったころ、同じ班の浜岡が透吾の手元を覗きこんだ。
「なにそれ、机に日記?」
「……そんなとこ」
「どうせ消されんのに」
浜岡は笑って、自分の席に戻っていった。透吾はシャープペンシルの芯を一度引っこめて、また出した。
どうせ消される。その通りだった。向こうがとっくに書くのをやめていても、透吾には分からない。この一行も、誰にも読まれないまま、夜明けにマルの布の下で消えていくのかもしれなかった。
十月に入り、衣替えで学ランに袖を通した最初の日、透吾は何も書かずに帰った。
書くことがなかったわけではない。ただ、手が動かなかった。
その夜、自分の部屋の窓から月を探した。電線と屋根のあいだに、半分だけ欠けた月が引っかかっていた。二年三組の窓からは、もっとよく見えるのだろうと思った。
---
翌朝、机の隅に字があった。
透吾は鞄を下ろす手を止めた。つるつるの天板の、右上の隅。見覚えのある、止めと払いのはっきりした字。
〈昨日は、お休みでしたか。月は、半分でした〉
その下に、もう一行。
〈消えるのは知っています。でも毎晩、あなたの字を読んでから書いています〉
二行の横に、印字された小さなシールが貼ってあった。
――保存期間:三日
透吾は振り返った。充電台のマルが、ランプをゆっくりと明滅させていた。
昼休み、透吾は事務室へ行き、清掃ロボットの管理をしている職員に尋ねた。職員は端末を操作して、ああ、と声を上げた。
「これね。落書きの判定って、自動で更新されるの。同じ場所に違う筆跡が交互に続くと……ほら、『伝言』に分類が変わってる」
「伝言」
「伝言は三日間消さない決まりなのよ。忘れ物と同じ扱い」
画面を見せてもらった。記録欄には、短い文が並んでいた。
――分類変更理由:同一座席における双方向の筆記が十九日間継続。昼側の筆記が一日途絶えたため、夜側の筆記を昼側へ届ける必要ありと判断。
十九日。そのうちの十二日ぶんを、透吾は一度も見ていない。毎朝消されていたその字を、マルだけが、毎朝読んでいた。
「機械なのに、律儀よねえ」
職員はそう言って笑った。透吾は、うまく笑い返せなかった。喉の奥が、少しだけ熱かった。
放課後、教室に誰もいなくなってから、透吾は机の隅に向かった。
三日あれば、足りる。
〈休みじゃなかったです。書けなかっただけです。今夜も月、見てください。それから、負けてた鳩が今日初めて勝ちました〉
そこで、手が止まった。少し考えて、もう一行足した。
〈昼の席の、真壁です〉
シャープペンシルを置く。窓の外で、向かいの屋上の鳩が三羽、そろって飛び立った。
教室を出るとき、充電台のマルが、短く一度だけ鳴った。
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