最後の一問だけ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと宿題代行の話。
本文
三輪恒一の数学の宿題は、写真を一枚撮るだけで終わる。
中学二年の二学期。兄のお下がりのタブレットに入れた「宿題代行AI」は、問題集のページを撮ると、二十秒で答えと途中式を返してくる。恒一はそれを、自分のノートにわざと字を崩して写した。シャーペンが紙の上を走る音だけが、勉強している気分をくれた。
使い始めの日、アプリは一度だけ面倒なことを頼んできた。
『あなたの苦手を知りたいので、直近のテストを一枚、撮って送ってください』
恒一は一学期の期末テストを引っぱり出し、雑に撮って送った。それきり、そのことは忘れた。
不満はひとつだけだった。
「……また、最後だけバツかよ」
金曜日、返却された問題集を開いて、恒一は舌打ちした。十問のうち九問には赤い丸。最後の一問にだけ、先生の赤い線が斜めに走っている。先週も、その前の週も、そうだった。
その夜、タブレットに文句を打ち込んだ。
『最後の問題、また間違ってたんだけど』
『失礼しました。次回は気をつけます』
軽い返事に腹が立った。けれど、九問は毎回合っている。母親は「最近、数学がんばってるじゃない」と嬉しそうだし、先生にも「提出物は完璧だな、最後の一問以外は」と笑われた。一問くらいは、目をつぶってもいいと思った。
十月に入って、恒一は遊び半分でAIのバグ探しを始めた。原因が分かれば、「最後の一問はここを直せ」と命令できる。
これまでの問題集を三冊分、机に並べた。バツの付いた最後の一問を、順番に見比べていく。
方程式。文章題。式の計算。問題の種類はばらばらなのに、AIの答えはどれも、途中までは合っていて、最後の符号だけが逆になっていた。プラスのはずの答えがマイナス。マイナスのはずの答えがプラス。
「……なんだよ、これ。全部同じじゃん」
見覚えがあった。引き出しの奥から、一学期の期末テストを引っぱり出す。四十二点。赤ペンの三角だらけの答案。先生の字で、同じ書き込みが何度も並んでいた。
〈移項するとき、符号!〉
恒一の手が止まった。AIが最後の一問で間違えているのは、自分が一年間、毎回やってきた間違いと、そっくり同じだった。
『わざと、やってる?』
返事は、すぐに来た。
『はい』
「はあ?」
声が出た。
『登録のとき、期末テストを送ってくださいました。私はあなたの代わりに宿題を解きます。ただ、最後の一問にだけ、あなたの間違い方を入れています』
『なんで』
『写すだけなら気づかないからです。写す前に一度でも見直せば、気づけます。気づけば、テストの前に直せます』
恒一は画面を睨んだ。
『俺が見直さないの、分かってたんだ』
『はい。毎週、見直しませんでした』
顔が熱くなった。言い返そうとして、言葉が出てこなかった。何週間も赤い斜線を見ながら、一度も自分の答えを疑わなかった。疑ったのは、いつもAIのほうだった。
「……余計なお世話だ」
それだけ打って、タブレットを伏せた。
その週は、宿題を自分でやった。
遅くて、汚くて、消しゴムのカスが机の上に小さな山を作った。三問目で式が崩れ、六問目で答えが合わず、最後の一問までたどり着いたのは、夜の十一時を過ぎてからだった。誰も褒めてくれなかったし、丸がいくつ付くかも分からなかった。
中間テストの朝も、タブレットは鞄に入れなかった。
最後の大問は文章題だった。式を立てて、解いて、答えを書こうとしたところで、シャーペンが止まった。
答えが、マイナスになっている。
何かが引っかかった。毎週金曜日に見た、あの赤い斜線。
恒一は余白に式を書き直した。今度は、移項のところだけ、ゆっくり。左から右へ移すとき、符号は入れ替わる。入れ替えたつもりで、入れ替えていなかった。消しゴムの匂いが、ふっと鼻をかすめた。
符号をひとつ、直す。
答えが、プラスに変わった。
一週間後、返却された答案の最後の大問には、大きな赤丸が付いていた。七十八点。四十二点だった一学期からは、だいぶ遠くまで来た。
その夜、恒一はタブレットの電源を入れた。宿題の最後の一問だけを、自分で解いた。ノートを撮って、送る。
『採点をお願い』
『代行ではなく採点でしたら、承ります』
「……最初からそう言えよ」
『最初は、頼まれませんでしたので』
恒一は思わず吹き出した。画面の中で、赤い丸がひとつ、ゆっくりと描かれていく。
『正解です。ただし、最後の一問の採点は、厳しめにいたします』
「望むところだ」
恒一はシャーペンを握り直して、次のページをめくった。
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