第5話 遺された手帳と決意
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
中世ヨーロッパを思わせる世界を舞台に、剣とサーベル、人間と魔族が交差する物語。 《過剰な魔力》という、呪いにも似た力を宿す少年シグル。 奴隷だった彼は、元・王国軍総司令官である養父ゴーヴァンから、魔力に頼らず生き抜くための実戦サーベル術を叩き込まれていた。 温かな家族に囲まれ、穏やかな日々を送っていたシグル。 しかし――その平穏は、一夜にして破られる。 現れたのは、不気味な鉄の仮面をつけた謎の刺客。 そして事件の後、軍上層部によって進められる不可解な隠蔽。 なぜ、あの男は現れたのか。 なぜ、この事件は隠されようとしているのか。 やがてシグルは、受け継いだサーベルと、家族や仲間たちから託された想いを胸に、幾つもの謎を追う旅へと踏み出す。 その旅の先で待っているのは、《過剰な魔力》に秘められた真実。 そして、人間と魔族が歩んできた長い歴史の裏側だった――。
本文
静まり返った父ゴーヴァンの書斎。
重厚な文机、棚に並ぶ戦史の書物、革の匂い——つい昨日まで確かにここに居た父の気配が、今も色濃く残っていた。
「父さん……僕に、何かを残してくれていないか……?」
シグルはあちこちを探し回った。だが、軍の重要書類や一般的な書簡があるだけで、裏の動きを示すようなものは見当たらない。軍上層部が隠蔽に走るほどの“秘密”が、本当にこの部屋にあるのだろうか。
(待てよ……3年前、この屋敷に来て間もない頃、父さんに『本当に大切なものはどこに隠す?』って聞いたことがあった……)
記憶の糸を手繰り寄せる。
『目立つ場所ほど、人の目は滑るものだ。二重構造のからくりは、思い出の品にこそ仕込む』
ゴーヴァンがそう言って笑っていたのを思い出し、シグルの視線が壁に飾られた小さな飾剣に注がれた。
3年前、十二歳になるシグルがこの屋敷に引き取られ、初めて本格的に剣の手ほどきを受けた記念に父が授けてくれた一振りの飾剣だ。
飾剣の台座を慎重に押し込み、右に一回、左に二回ひねる。
——カチリ。
微かな作動音とともに、壁の木目パネルが滑り、小さな二重空洞があらわれた。
「あ……」
そこに納められていたのは、使い古された黒革の小さな手帳——そして、その下に大切に畳まれて並べられていた、羊毛の油脂と硝石の匂いが残る一片の『羊皮紙』だった。
シグルは震える手でその羊皮紙を広げた。
そこに残されていたのは、虫こぶインクの濃淡もいびつな、歪でお世辞にも上手とは言えない不格好な文字。
3年前、文字の読み書きすら怪しかったシグルが、ゴーヴァンに教わりながら没食子(もっしょくし)のインクを指先まで真っ黒にして書き直した、初めての練習紙だった。
『不格好でも気にするな、シグル。泥臭くても、お前が諦めずに泥を啜ってでも書き切った言葉だ。どんな綺麗な名剣よりも、俺にとっては価値がある宝物だよ』
あの時、照れくさそうに羊皮紙を差し出した自分を、ゴーヴァンは大きな手で頭をくしゃりと撫でて褒めてくれたのだ。当時の皮地には、まだインクを吸いきっていない硬い触感が残っている。
父は、その拙(つたな)い一枚の羊皮紙を、自分の命や王国の運命に関わる極秘の手帳と“同じ場所”に、一番の大切な宝物として隠し続けてくれていたのだ。
「父さん……っ」
こみ上げる温かい涙を袖で拭い、シグルは隣に置かれた黒革の手帳を手に取った。
ページをめくると、暗号化された軍内部の動向や、人名と思われるアルファベットがびっしりと記されていた。その中に書かれた『独立都市の闇商人』や『和平阻害』という単語を目にした瞬間、シグルの胸に激しい感情が渦巻いた。
(やっぱり……父さんはハメられたんだ! こんなに優しくて、誰よりも平和を望んでいた父さんを……!)
怒りと悲しみが頂点に達し、シグルの体内で眠っていた過剰魔力が一気に暴れ出そうとした。熱い圧力が視界を赤く染め上げ、呼吸が途切れかける。
「頭を冷やしなさい、シグル!」
鋭い声とともに、冷涼な風がシグルの全身を包み込んだ。
ハッと正気に戻ると、部屋の入り口にモルガナが立っていた。彼女の手の平からは、暴走しかけた熱を優しく抑え込む青白い冷却魔力が立ち上っている。
「モルガナ姉さん……」
「書斎でコソコソ何をしているかと思えば……過剰魔力を暴走させて部屋を吹き飛ばすつもり? 愚か者」
吐き捨てるように言いながらも、モルガナの瞳にはシグルを案じる色が浮かんでいた。彼女はシグルの手から黒革の手帳を取り上げると、ふっと眉をひそめた。
「これは……父さんの隠し手帳ね。……ちょうどいいわ、ギャハッドが戻ったわよ。パルジファル卿から話を聞いてきたみたい。一緒に来なさい」
◇
深夜。ろうそくの微かな灯りが揺れる一室で、オークニー家の面々が長卓を囲んでいた。
ギャハッドはシグルが見つけた手帳と、自身がパルジファル卿から得た情報を照らし合わせ、重々しく切り出した。
「パルジファル卿の調べでも、やはり軍上層部の一部に『終戦協定』を嫌う過激派が存在することが裏付けられた。そして、父上の手帳に何度も書かれていたこの『M』という文字……終戦を阻もうとする者たちの、何らかの暗号かコードネームだ」
「『M』……不気味な響きね」
モルガナが警戒を露わに呟く。
「そうだ。戦争の継続によって巨大な利権を得ようとしている闇の存在……父上はこの過激派と『M』の不穏な裏取引を、一人で追っていたんだ。そして……北の『国境街 ・ノルドマルク』で何かが起きる」
「……父さんは、一人でこれと戦おうとしていたんだ。なら、ガリス兄さんも危ない」
「落ち着きなさい、シグル。ガリスなら大丈夫よ。ただの昼行燈ではないのは、あなたも知っているでしょう?」
「……はい。わかりました」
モルガナの言葉にシグルは深く息を吐き、落ち着きを取り戻した。そしてふと思い直すと、ギャハッドへ視線を向けた。
「そういえば、ギャハッド兄さん……フィナンとパルジファル卿は?」
「パルジファル卿なら、葬儀のあとすぐにフィナンを連れて王都を出たよ。あのお方は父上の死に軍上層部が絡んでいると察している。自分たちのやり方で王都や軍内部の闇を探り、父上の無念を晴らすとおっしゃっていた。フィナンも『僕も自分にできる形で伯父様の無念を追う。だから、勝手に死んだら絶対に許さないから』と言ってな。……あいつらも命がけだ。だからこそ、俺たちも手分けして動く必要がある」
同じ世代のフィナンもまた、自分の足で立ち上がり戦おうとしている。その事実が、シグルの背中を強く押した。
「ギャハッド兄さん、俺をノルドマルクへ行かせてほしい! ガリス兄さんに危険を知らせ、父さんが追っていた闇を突き止めたいんだ!」
「待ちなさいってば! シグル一人をそんな危険な場所に行かせるなんて絶対反対よ!」
モルガナが立ち上がり、食ってかかる。だが、静かに座っていた義母ヴィヴィアンが穏やかな手つきで制した。
「待ちなさい、モルガナ。……シグル、あなたはもう、自分の中で決めたのね?」
「はい、母さん。俺は父さんの仇を討ち、父さんが望んだ平和を実現させたい。あの暗闇の地獄から救い出してくれた父さんの想いに、今度は俺が応えたいんだ。それが、俺の生きる道だから」
「……そう。だったら行きなさい。あなたが選んだ道なら、私からは何も言わないわ」
「母さん……! 本気で言ってるの!?」
「いいのよ、モルガナ。私はシグルを信じているから」
モルガナは悔しそうに唇を噛み締め、長く深いため息をついた。
「……ハァ、分かったわよ。……なら、これを持っていきなさい、シグル」
モルガナが自身の首から外し、手渡してきたのは一筋の銀のペンダントだった。
繊細な透かし彫りが施されたその鎖は、幼い頃に死別したシグルの実母の、数少ない形見だった。
「これ……母さんの……?」
「ええ。あなたのお母様が生前、あなたの過剰魔力を抑えるために作ったものよ。亡くなる直前、父さんに託されたの。それを私が引き継いで、ずっと抑制の術式を補強し続けていたのよ。……まだ完璧な調律じゃないけど、お守りくらいにはなるわ」
モルガナは気恥ずかしさを隠すように横を向きながら、シグルの胸元にペンダントを押し当てた。
ほんのりと暖かいモルガナの魔力が、母の形見を通じてシグルの心根にじんわりと染み込んでいく。
「……ありがとう、モルガナ姉さん」
「勘違いしないでよね。あなたが無茶して死んだら、父さんに顔向けできないからなんだから!」
ギャハッドがニヤリと笑い、シグルの肩をポンと叩いた。
「よし、俺も腹をくくる。知り合いに信頼できる冒険者がいる。そいつらに同行してもらえるよう、俺から頭を下げて頼んでみる。連絡がついたら、ギルドへ向かえ。冒険者の立場でノルドマルクへ向かうのが一番目立たない。いつでも行けるように準備しておけ」
「ギャハッド兄さんが……? ありがとうございます!」
家族の温かい想いと、実母のペンダントを胸に抱き、シグルは自分の足で歩み出すための決意を固めたのだった。
(第5話・完)
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