紅葉前線、ここで止まる
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと紅葉前線の話。
本文
〔杉ノ沢町 紅葉情報 十月十八日〕 〔もみじ谷 色づき始め/不動滝 見ごろ/旧分校跡 見ごろ〕
画面に並んだ地図の上で、赤い印が一つずつ灯っていく。
町の観光案内AI「ヤマビコ」は、毎朝六時に町じゅうの定点カメラを見て、紅葉の見ごろを発表する。阿久津創、高校二年。母さんが観光協会で働いているせいで、俺は土日だけ、ここで写真の差し替えを手伝っている。
地図の北のはずれ、うちの裏山だけが、毎年灰色のままだった。
「創くん、これ見た?」
事務局長の諸岡さんが、スマホを俺の机に置いた。
SNSに上がった一枚の写真だった。杉林の奥にぽっかり開けた斜面があって、一本の大きなカエデが空ごと燃えているみたいに赤い。〈杉ノ沢の裏山、すごすぎる。なんで観光マップに載ってないの〉。いいねは三万を超えていた。
見覚えがあった。カエデの根もとに、崩れかけた板の小屋が写っている。
「ヤマビコに聞いたら、ここだけ『非公開』だって言うのよ。設定、外せる?」
俺は管理画面を開いた。
「ヤマビコ。裏山のカエデの見ごろ、出してないのはなんで」
〔登録者の要請により、この地点の情報は公開していません〕
「登録者って」
〔間宮千草 八年前に「みんなの紅葉スポット」へ投稿〕 〔投稿文:ここはひみつきち。だれにもおしえないで〕
キーボードの上で、指が止まった。
小学四年の秋、千草と二人で、あの小屋を作った。
拾ってきた板と、千草の家の物置にあったブルーシート。屋根は雨が降るたびに落ちた。千草は「ここ、学校のタブレットで登録しといた」と得意そうに言った。誰にも教えないでって書いたから大丈夫、と。
俺はそのとき、それがどういう意味なのかよく分かっていなかった。
六年生の夏、千草は父親の仕事で町を出ていった。見送りには行かなかった。行ったら何か言わなきゃいけない気がして、裏山の小屋で一人、カエデの葉が青いまま揺れるのを見ていた。
それきりだ。連絡先も知らない。
三日後、写真はテレビの情報番組にも出た。
観光協会の電話が鳴りやまなくなった。「裏山にはどう行けばいいの」「駐車場はあるの」。諸岡さんは受話器を置くたびに、俺の机のほうを見た。
「創くん、管理者権限、持ってたよね」
俺は黙ってうなずいた。
「子どもの投稿でしょう。八年も前の。町にとっては大事なチャンスなのよ」
分かっている。町の人口は、俺が生まれてから三割減った。バスは一日四本になった。紅葉の季節の観光客が、この町の一年分の稼ぎを左右することも知っている。
その夜、俺は一人で事務所に残って、管理画面を開いた。〈非公開設定を解除〉のボタンが、灰色の地図の上に浮かんでいる。
「ヤマビコ。これ、押したらどうなる」
〔裏山の地点に見ごろ情報が表示されます。現在の色づきから、見ごろは十月二十五日と予測しています〕 〔なお、設定を変更する前に、登録者へ通知が送られます〕
「通知?」
〔子ども向け投稿の非公開設定を解除する場合、登録者本人に確認を求める決まりです〕 〔通知は、本日十七時に送信済みです。管理者の操作要求を受けた時点で、手順どおりに送りました〕
俺は椅子の背にもたれた。蛍光灯の音が、じいっと耳に残る。
諸岡さんが昼間に試したのだ。そして、ヤマビコは律儀に、千草のもとへ手紙を出していた。
「……返事は」
〔まだありません〕
返事は、それから四日間来なかった。
観光協会の前には、カメラを提げた人たちが何人も来た。俺は「私有地なので」と頭を下げ続けた。本当は町の土地だ。うそをつくたびに、喉の奥がざらついた。
五日目の夜、俺はボタンの上にカーソルを置いた。
千草は八年前の約束なんて、もう覚えていないのかもしれない。覚えていないものを守っても、誰も得をしない。
指先に力を入れかけたとき、画面の端で、小さな光が点いた。
〔登録者から設定が更新されました〕
俺は息を止めた。
〔公開範囲:一名まで〕 〔追記:見ごろの日に、そっちに帰ります。屋根、まだ落ちてる?〕
十月二十五日の朝、ヤマビコの地図に、灰色のままの点が一つ残った。
〔杉ノ沢町 紅葉情報 十月二十五日〕 〔裏山のカエデ 情報非公開(公開範囲一名)〕
俺は始発のバスの時刻を確かめてから、物置のブルーシートを肩にかついだ。新しい板も二枚、ホームセンターで買ってある。
杉林を抜けると、斜面の上でカエデが真っ赤に燃えていた。落ち葉を踏む音が、自分のものとは別に、もう一つ聞こえる。
小屋の前に、誰かがしゃがみこんでいた。崩れた屋根の板を一枚ずつ拾い上げて、振り向く。
「遅い」
八年ぶりの声は、少し低くなっていた。でも、言い方は変わらなかった。
「……屋根、まだ落ちてる」 「知ってる。見れば分かるよ」
千草は笑って、手に持った板を俺に差し出した。
帰ったら、ヤマビコにだけは報告しようと思う。今年の見ごろは、予測どおりだったと。
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