第二話 神、召喚に応ず

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/20 📚 シリーズ: アイはペンより強いのか 📝 11,124文字 ✅ 全年齢

あらすじ

<p> 一か月前。</p><p> 夜更けの書斎に、キーボードを叩く音だけが規則正しく響いていた。</p><p> デスクの上には参考資料と付箋だらけの原稿が積み重なり、淹れたままの緑茶はとうに冷めている。</p>

本文

 一か月前。

 夜更けの書斎に、キーボードを叩く音だけが規則正しく響いていた。

 デスクの上には参考資料と付箋だらけの原稿が積み重なり、淹れたままの緑茶はとうに冷めている。

 森崎翡翠のスマートフォンが、机の上で立て続けに三度震えた。

 執筆中の原稿から目を離し、表示された通知を確認する。

 送り主は、長い付き合いになる幼馴染の峰岸だった。

『スイ……助けてくれ……』

『俺、もうダメ……』

『マジで死ぬ……』

 ヒスイは画面を一瞥し、ほとんど間を置かずに返信した。

『そうか。成仏しろ』

 送信から一秒も経たないうちに、再び通知が鳴り始める。

『マジで!!』

『マジだから!!』

『スイ頼む!!』

『話だけでも聞いてくれ!!』

 さらに間髪を容れず、五件目が届いた。

『ほんとに死ぬ!!』

「先ほどから死ぬ死ぬと騒がしい男だな」

 ヒスイは眉間へ皺を寄せ、再び文字を打ち込んだ。

『死ぬ者はメッセージを五件も連投できん』

『できるんだよ!!!』

『精神的に死ぬの!!』

『俺もう限界!!!』

『お願いだから一回会って!!!』

 森崎家に関わる者が見れば、付き合う相手を選べと苦言を呈したことだろう。

 ヒスイと峰岸の付き合いは長い。

 だからこそ、この男が大袈裟な言葉で騒ぎ立てることにも慣れていたが、幼馴染だからといって、面倒を無条件で引き受ける義理まではなかった。

 現在のヒスイには、自分の生活がある。

 執筆中の原稿に、次回作のための資料収集。

 新人賞へ応募する作品の推敲も残っている。

 作家として生きるためには、いくら時間があっても足りない。

 無視して原稿へ戻ろうとしたところで、スマートフォンがもう一度震えた。

『飯奢るから』

 ヒスイは即座に返信した。

『場所を送れ』

『来てくれるの!?』

『話を聞くだけだ』

『ありがとうスイ!!!』

『泣くな。鬱陶しい』

 こうして数日後、二人は中野駅近くの喫茶店で向かい合うことになった。

       ◇

 窓際の席に差し込む午後の光が、使い込まれたテーブルの木目を淡く照らしている。

 かすかに漂うコーヒーの香りと、低く流れるBGMだけが店内を満たしていた。

「……酷い顔だな」

 席に着くなり、ヒスイは率直な感想を述べた。

「もうちょっと優しく言えない?」

「事実へ無用な装飾を施す必要がどこにある」

「幼馴染がここまで疲れ切ってんのにさぁ」

「故に、疲れ切った酷い顔をしていると言ったのだ」

「優しさが行方不明なんだよ……」

 峰岸は力尽きたようにテーブルへ突っ伏した。

 目の下には濃い隈があり、髪もいつも以上に乱れている。

 先に注文していたコーヒーは、運ばれてから相当な時間が経っているのか、湯気ひとつ立っていなかった。

 ヒスイは向かいの椅子へ深く腰を下ろす。

「それで、死ぬほどの用件とは何だ」

「俺さ…仕事、辞めようと思ってる」

 ヒスイの眉が、わずかに動いた。

「現在担当しているアイドルグループの件か?随分と唐突だな」

「唐突じゃない。俺の中では、もう半年くらいずっと悩んでた」

「それを俺へ一度も相談せず?」

「相談したら、絶対こう言うだろ。もっと早く言えって」

「当然だ」

「ほら!」

「問題が深刻化するまで黙っている者の気が知れん。

 早期に相談していれば、取り得る手段も増えただろうが」

「その正論で逃げ道を全部潰すところが嫌なんだよ!」

 峰岸は再びテーブルへ沈んだ。

 ヒスイは小さく息を吐く。

「話せ」

「……え?」

「相談するために呼び出したのだろう。事情が分からなければ、お前が辞めるべきかどうかすら判断できん」

 峰岸が、ゆっくりと顔を上げる。

「スイ……」

「泣くな」

「まだ泣いてない」

「泣きそうな顔をするな。鬱陶しい」

「そこまで言う!?」

 抗議しながらも、峰岸の口元にはわずかな笑みが戻っていた。

 足元の鞄を持ち上げると、中から分厚いファイルとタブレットを取り出す。

 さらに月間スケジュール、ライブの出演記録、物販売上、SNSの分析資料まで並べ始めたため、小さなテーブルはたちまち紙で埋め尽くされた。

「これが、俺の担当してる四人」

 峰岸が最初のページを開く。

 そこには、四人組男性地下アイドルの宣材写真が載っていた。

 Secret Syndrome

 赤、白、青、黄の衣装をまとった四人が、暗い背景の中でそれぞれ決められた表情を作っている。

「……名前からして、随分と痛々しいな」

「そこは本人たちも気にしてる…」

「誰が命名した」

「社長と、前のプロデューサー」

「後ほど責任を追及する」

「何の責任を!?」

「略称は」

「シスシん」

「悪化したな」

「分かってんだよ!実は俺もねぇと思ってるから!」

 峰岸の悲痛を聞き流し、ヒスイは資料をめくった。

 ルカ。

 シオン。

 ハルト。

 リン。

 年齢、身長、担当カラー、グループ内での役割。

 歌唱やダンスの評価、過去の出演歴、本人が希望する仕事、SNSの反応、ファン層、体調不良や遅刻などの記録まで、項目ごとに整理されている。

 続いて月間スケジュールへ目を通す。

 週末を中心とした複数グループ合同の対バンライブ。

 平日の夜公演。

 定期ライブに単独公演、メンバーの誕生日に合わせて開催される生誕祭。

 ライブのない日にもダンスと歌のレッスンが入り、SNS用の動画撮影や生配信が組み込まれている。

 一回の対バンで与えられる出演枠は、二十分から長くても三十分程度。

 その短い時間で数曲を披露し、MCを挟み、終演後には物販と特典会が待っている。

 販売されるのは、ブロマイドやアクリルスタンド、タオルといった定番のグッズだけではない。

 サイン入りチェキ、メンバーとの二人撮影、短時間のトークが付いた特典券。

 メンバー同士を指定して撮影できるペアチェキには、壁ドン、背後からの抱擁、頬を寄せ合うといったポーズまで細かく設定されていた。

 ライブのチケットから事務所へ入る金額より、終演後の物販とチェキによる売上のほうが大きい。

 地下アイドルにとって、ファンと直接接する特典会は重要な収益源なのだろう。

 それ自体は理解できる。

 だが、ページを進めるにつれ、ヒスイの目は徐々に鋭くなっていった。

「……峰岸。コイツら、仲が悪いだろう」

 峰岸の動きが止まった。

「なんで分かった?」

「分からないほうがおかしい」

「まだ写真と資料しか見てねぇじゃん!」

「だから分かるのだ」

 ヒスイは、ペアチェキの売上一覧を指先で叩いた。

「赤と白だけ、他の組み合わせと比較して売上が突出している」

「ルカとシオンな。そこが一番人気のペアだから」

「ところが、営業方針を変更した時期を境に、両名がSNSで互いへ言及する回数は減少している。

 ライブ外で行われた共同配信も、会社主導のものばかりだ。

 本人たちが自主的に行った形跡はほとんどない」

「……そこまで調べたの?」

「お前が持ってきた資料に書いてある」

「数字では書いてあるけどさぁ」

「数字も文章だ。読み方を知らぬ者には、何も語らんだけでな」

 ヒスイはプロフィールへ戻り、出演希望欄を開いた。

 ルカの希望は、身体を動かす仕事、スポーツ、バラエティ、バイク関連。

 シオンは歌唱、舞台、芸術、衣装や演出に関わる仕事を挙げている。

「互いと組みたいとは、一言も書かれていない」

「まあ……本人たちは、ずっと嫌がってるから」

「にもかかわらず、会社が提示している今後の企画はルカとシオンの密着企画、二人きりの温泉ロケ、恋人を模した撮影、ライブ限定のキス寸前演出」

 ヒスイは、次の企画書を持ち上げた。

「本人たちの希望と、事務所の営業方針が完全に乖離している」

「その通りだよ」

「いつからだ」

「一年ちょっと前」

 峰岸は、冷めたコーヒーの取っ手に指を掛けた。

 だが、飲む気にはなれなかったらしく、そのままカップを置く。

「もともとは、普通に歌とダンスで売ろうとしてた。

 ライブへ出て、物販をやって、配信とSNSで少しずつファンを増やしてさ。

 でも、なかなか動員が伸びなかったんだ」

 同じような男性アイドルグループは、次から次へと現れる。

 容姿が整っている。歌が上手い。ダンスができる。

 それだけでは、ファンに存在を認識してもらうことすら難しい。

「それで、前のプロデューサーが試しにBLっぽい売り方をしてみようって言い出した。

 最初は一回だけって話だったんだよ」

「本人たちの同意は?」

「嫌がってた。全員」

「ならば、なぜ実行した」

「一回だけだからって、俺たち大人が押し切った」

 峰岸は苦い顔で答えた。

「ルカとシオンがステージで顔を近づけた動画が拡散されて、次のライブから客が一気に増えた。

 ペアチェキも完売した。

 二人に恋愛っぽいことをさせれば、目に見えて数字が動いたんだ」

「それで会社が味を占めたか」

「……うん」

 初めは手を繋ぐだけだった。

 次は肩を抱き、さらに腰へ腕を回し、耳元で囁くようになった。

 ファンが演出に慣れるたび、新しいポーズや、さらに近い接触を求められる。

 規定上、本人たちは嫌なポーズを拒否できることになっている。

 しかし実際の現場で拒めば、客を落胆させた、空気を壊した、仕事を理解していないと責められる。

 売上が低下すれば、その責任まで本人たちへ向けられた。

「俺も何度も止めようとした。でも、会社から言われたんだ。

 だったら、これより売れる方法を持ってこいって」

「それでお前は、何も提示できなかった」

「……そうだよ」

「結果、止められぬまま一年以上も続けた」

「そうだ」

 ヒスイは遠慮なく事実を並べた。

 峰岸も言い訳はしなかった。

「分かってんだよ、そんなこと。

 給料払って、ライブハウス押さえて、衣装作って、曲発注して……全部金がかかる。

 今の路線が好きで通ってくれるファンだって、ちゃんといるんだ。

 そのファンの金でグループが回ってる」

 峰岸は、乾いた笑いを漏らした。

「メンバー守りたいけど、会社も潰せない。

 そんで会社の言う通りにすりゃ四人が荒れるし、四人に寄り添えば今度は会社から数字出せって詰められる。

 ……そのサンドバッグが、今のこの顔だよ」

「……なるほどな」

 ヒスイは資料を閉じるどころか、先ほど以上の速さでページをめくり始めた。

「BL営業の開始後、ライブの動員数は増加。物販売上も伸びている。

 だが、新規客が次回以降の公演へ来る割合は、注目度に比べて低い」

「え?」

「動画の再生数と、実際のライブ動員数の推移が一致していない。

 切り抜きを見た者のうち、相当数がその場限りで離脱している」

 ヒスイは鞄からペンを取り出し、売上表の余白へ数字を書き込んでいった。

「音源販売の伸びも鈍い。赤と白の接触を告知した公演は客が増えるが、歌やダンスを前面に出した公演では元へ戻る。

 個人配信も同様だ。二人の関係性を匂わせた告知だけが突出し、それぞれの企画へ客が定着していない」

「そこまで細かく比較してなかった……」

「比較せず、何を根拠に売れていると判断していたのだ」

「全体の売上が上がったから……」

「全体という言葉は便利だな。どこで増え、どこで失っているのかを、すべて覆い隠せる」

 ヒスイのペン先が、売上推移の一点で止まった。

「BL営業は入口としては機能した。

 だが、この事務所は入口を店そのものだと取り違えている。

 客を呼び込んだ後に見せるべき商品を用意せず、いつまでも入口へ客を滞留させている状態だ」

 峰岸が身を乗り出す。

「つまり、どういうこと?」

「現在売れているのは、四人ではない。

 商品として作り上げられた、ルカとシオンの疑似恋愛だ」

 峰岸の顔が、わずかに曇った。

「その二つは、何が違うんだ?」

「大違いだ」

 ヒスイは即答した。

「今の客が金を払う最大の理由は、本人たちの能力ではなく、二人の関係性へ投影された幻想にある。

 本人たちが歌唱力を高めようが、ダンスを磨こうが、それだけでは客の目的と結びつかん」

「でも、実際にそれで客が来てる」

「短期的にはな」

 数字の並んだ紙の上で、ヒスイが一本の線を引く。

「この方法では、売上を維持するために演出を過激化させ続けるしかない。

 手を繋ぐだけでは満足されなくなり、次は抱き合い、それにも慣れてしまえば唇を近づけさせる。

 あげくには、実際に触れろと言われるだろう」

「……もう、そうなり始めてる」

「要求が強くなるほど、本人たちの拒否感は増す。

 互いの顔を見るたび嫌な仕事を思い出すようになれば、グループ内の関係も悪化する」

 ヒスイはようやく資料から顔を上げた。

「そして最終的には、誰かが壊れる」

 峰岸は何も答えなかった。

 その沈黙だけで、答えは十分だった。

       ◇

「……だからさ、俺、もう続けられない」

「辞めること自体を責める気はない」

「え?」

「限界を超えて続ければ、お前まで壊れる。

 使い物にならなくなるまで耐えることを、責任感とは呼ばん」

 淡々とした口調だったが、峰岸はわずかに目を見開いた。

「問題は、その後だ。後任は決まっているのか」

 峰岸が、露骨に視線を逸らした。

 ヒスイはその変化を見逃さなかった。

 「まさか…この話を俺へ持ち込んだ真の目的は」

「……スイ…俺の後任、やってくれない?」

「断る」

「早ぇよ!」

「聞くまでもない」

「せめて五秒くらい悩め!」

「なぜ俺がアイドルのマネージャーなどせねばならん」

「助けてくれ!」

「断る」

「俺、もう本当に無理なんだよ!」

「休め」

「後任がいない!」

「探せ」

「見つからない!」

「求人を出せ」

「この四人の担当だって聞いたら、社内の人間も全員逃げる!」

 ヒスイが眉を寄せた。

「そこまでなのか」

「そこまでなの!」

 峰岸はついに両手を合わせた。

「頼む、スイ!」

「嫌だ」

「俺にできることなら何でもする!」

「その手の台詞を安易に口にするな」

「じゃあ、俺にできる範囲で何でもする!」

「修正したところで、発言の軽率さは変わらん」

「お願いだから!」

 峰岸の懇願を無視し、ヒスイは再び資料へ視線を落とした。

 本来ならば、ここで帰ればよい。

 ヒスイには何の関係もない。

 芸能界にも、地下アイドルにも、そこに写っている四人にも興味はなかった。

 ただ、資料を閉じる前に、一つだけ気に掛かることがあった。

「峰岸、この四人…能力そのものは悪くないな」

 峰岸の顔が上がる。

「赤は、身体能力と舞台上での瞬発力が突出している。

 ダンスの体幹も強く、荒削りながら歌声にも客を引きつける力がある。

 中央へ置くのは妥当だ」

「そうなんだよ。ルカは、ステージに立つとすごく目を引く」

「白は四人の中で最も歌唱が安定している。

 舞台美術や衣装への知識もあり、過去の公演では演出案まで提出しているな」

「シオンは自分の見せ方をよく考えてる。言い方のせいで、周りと揉めることは多いけど」

「青は情報を整理し、他者へ説明する能力が高い。

 法律知識を扱った個人動画は、他の配信より視聴維持率がよい。

 リーダーとして外部の人間と交渉した記録もある」

「ハルトは押しが弱いだけで、話せば一番まともなんだ」

「黄は元子役か。

 カメラへの反応が速く、即興にも強い。

 ゲーム大会への出場歴もあり、バラエティ方面への導線を作りやすい。

 ダンスも赤とは異なる見せ方ができる」

「リンは場を回すのが上手い。…余計なことまで言うけど」

「全員に長所があり、しかも互いに重複していない」

 ヒスイは、四人の宣材写真をあらためて見つめた。

「ならば、なぜ売り方を一つへ絞る?」

「え?」

「全員まとめて、『男同士でいちゃつくアイドル』という狭い箱へ押し込める必要がどこにある」

 ルカにはルカの入口がある。

 シオンにはシオンの、ハルトにはハルトの、リンにはリンの入口がある。

 それぞれ異なる場所から客を呼び込み、最終的にグループへ還流させればよい。

 そうすれば一つの流行や組み合わせだけに、すべての売上を依存せずに済む。

「個々の市場価値を高めろ」

「簡単に言うけどさ、それができなかったから今の売り方になったんだよ」

「簡単ではない」

 ヒスイは即座に否定した。

「だからこそ、やる価値がある」

 峰岸は黙ってヒスイを見つめていた。

 この顔を、峰岸は知っている。

 何かに興味を持ち、問題を解くための思考を始めた時、ヒスイは決まってこういう目をする。

「スイ…もう考えてるだろ。この四人を、どうやって売るか」

「……」

「やっぱり…顔が完全にそういう顔だもん」

「俺の顔から勝手に情報を読み取るな」

「何年、幼馴染やってると思ってんだよ」

「知らん」

「知ってるだろ!」

 峰岸を一喝すると、ヒスイはすっかり冷めたカフェオレへ口をつけた。

 資料の上には、可能性が並んでいる。

 使い方を誤っているだけで、捨てる理由はどこにもない。

「BL営業は廃止する」

 峰岸が瞬きをした。

「正確には、本人の意思に反する恋愛演出を商品として強要する、現在の営業方針を廃止する」

「即日で?」

「廃止を決定することと、現在の収益源を何の代替策もなく即日消滅させることは別問題だ。

その程度の区別もつかんのか」

「じゃあ、どうする?」

 ヒスイは新しい紙を引き寄せると、迷いなく項目を書き始めた。

「まず、本人たちの同意を得ていない接触演出は止める。

 今後、過激化を前提とした企画は一切受けん」

「でも、もう決まってる仕事がある」

「契約内容を精査し、先方と交渉する。

 代替演出を用意し、売上への影響を最小限に抑えた上で切り替えればよい」

 一つ目の項目から線を伸ばし、二つ目へつなげる。

「同時に、歌、ダンス、MC、個人配信の内容を見直す。

 赤は身体能力とセンター性、白は歌唱と芸術、青は知識と説明力、黄は演技経験とゲーム、バラエティへの適性を軸に、別々の集客導線を作る」

「待てって、それもう四人分の個別プロデュース案じゃん」

「当然だ。同じ商品を四つ並べて売る気か」

「SNSで公開する短い動画も、二人の接触ばかりに頼るな。

 ライブへ来なければ見られないもの、音源を買わなければ得られないもの、個人を知った者がグループ全体へ興味を持つ仕組みを用意する」

「急にマーケティングの講義始まったんだけど」

「お前の事務所に足りなかった部分だ。黙って聞け」

「外部の仕事も増やす。

 スポーツ企画、舞台や歌唱、教養系の配信、ゲーム番組。

 四人を一組の商品として売るだけでなく、個人で得た認知をグループへ戻す」

「……お前、本当にマネージャー未経験?」

 ヒスイのペンは止まらない。

「現在の対バンと特典会へ依存した収益構造から徐々に離れ、まずは単独公演そのものへ客を呼べる状態を作る。

 生誕祭もチェキを大量に売るための催事ではなく、本人の強みを見せる公演として再設計する」

「そこまでやるの?」

「それでもまだ第一段階だ」

「第一段階!?」

「最終的には、この地下市場から出す」

 峰岸は、しばらく口を開けたまま固まっていた。

「……は?」

「聞こえなかったか」

「いや、聞こえたけど。俺、そこまで頼んでない」

「ならば、どこまでを望んでいた」

「とりあえず、四人が喧嘩しないで仕事してくれたらいいかな〜って……」

 ヒスイは心底呆れた顔をした。

「志が低い!」

「こっちは毎日を生き延びるので精一杯なんだよ!」

「この能力を、短時間の対バンと接触営業だけで消耗させるつもりか!」

「お前、もう完全に担当する気じゃん!」

「誰がすると言った!」

「してる人のテンションなんだよ!」

「これは仮定の話だ!」

「嘘つけ!」

 峰岸は堪えきれずに笑い出した。

 その笑い方は、店へ入ってきた時よりずっと軽かった。

       ◇

「ただし、もう一つ問題がある」

 ヒスイが告げると、峰岸の笑顔が瞬時に消えた。

「四人の関係性だ」

「ああ……そこが最大の問題」

「現状では、互いへの不満が無秩序に向けられている。

 赤は白へ苛立ち、白は赤を見下す。

 青は両者を仲裁し続けて疲弊し、黄は面白がって火へ油を注ぐ」

「よく分かるな」

「資料を読めば分かる」

「いや、そこまでは書いてない」

「行間だ」

「行間にリンの煽りまで書いてあった?」

「見える」

「怖ぇよ」

 ヒスイは腕を組み、四人の写真を見下ろした。

「ここへ、より強烈な存在を投入する」

「……何?」

「互いへの敵意よりも、優先して意識せざるを得ない共通の対象を作る。

 四人が同じ問題を共有すれば、その対処のために情報を交換し、意思疎通を図る必要が生じる」

 峰岸の胸に、嫌な予感が湧き上がる。

「待て。その強烈な存在って、まさか」

「俺だ」

「…………」

「俺だ」

「二回言わなくていい!」

「理解できていないようだったのでな」

「理解したくなかったんだよ!お前、自分から嫌われに行くつもりか!?」

「正確には異なる」

 ヒスイが人差し指を立てる。

「完全な敵となってはならん。仕事では必ず結果を出し、要求には理由を提示する。

 待遇に不公平を生じさせず、本人が真に拒絶するものは可能な限り排除する」

 二本、三本と指を増やし、最後にもう一本を立てる。

「その上で、個人的には存分に鬱陶しがられてやろう」

「嫌な覚悟だな!?」

「四人が俺への不満を共有し、対抗策を考えるために会話をする。

 その過程で、互いが何を考えているのかにも気づくだろう」

「それ、マネジメントっていうかヘイト管理じゃない?」

「感情も資源だ。適切に運用すればよい」

「お前さぁ……」

「無論、俺の判断へ異議を唱えることは許可する」

「意外と話し合う気あるんだな」

「ただし、議論で俺に勝てると思われても困る」

 ヒスイの目が、わずかに輝いた。

「そこが一番楽しみなんだろ!」

「当然だ」

「認めんなよ!」

「論破の神降臨、というわけだな」

 楽しそうだった。

 今日一番の笑顔である。

 本当にこの男へ四人を任せてよいのだろうかと、峰岸はほんの少しだけ不安になった。

       ◇

「でもさ」

 峰岸が、不意に声の調子を変えた。

「一つ、条件を出していい?」

「お前が依頼する側だろう」

「分かってる。助けてもらうなら、俺もお前のためにできることをしたいんだ」

「何をするつもりだ」

「出版社」

 その言葉に、ヒスイの手が止まった。

「知り合いがいるんだ。編集部に」

 峰岸は、ヒスイの反応を確かめながら続けた。

「お前の原稿を、一度きちんと読んでもらえるよう掛け合ってみる」

「採用するよう圧力を掛けるつもりなら断る」

「そんなことしねぇよ。新人賞を飛ばせとも言わない。

 ただ、持ち込みとして編集者に読んでもらえるところまでは俺がつなぐ。

 そこから先は、スイの文章次第だ」

 ヒスイは何も答えなかった。

 作家。

 それが、ずっと自分の目標だった。

 頭の中にある世界を自分の言葉で形にし、誰かの手元へ残るものにする。

 そのために書き続け、新人賞へ応募しては結果を待つ日々を繰り返してきた。

 正当な評価を得られる機会であるなら、使わない理由はない。

「……一か月だ。引き継ぎ期間として、最低でも一か月寄越せ」

「やってくれんの!?」

「話を最後まで聞け!」

 ヒスイは身を乗り出した峰岸を睨みつける。

「一か月の間に契約書、過去の出演記録、取引先、現場スタッフ、売上、SNSの運用状況、本人たちの希望、健康状態、トラブル履歴をすべて確認する。

 事務所やプロデューサーとも、今後の方針を協議せねばならん」

「一か月も?」

「そんなに、ではない。一か月しか、だ!」

 ヒスイは手の中の資料でテーブルを叩いた。

「マネージャーの交代は、予定表と連絡先を渡せば済む話ではない。

 各現場で誰が決定権を持ち、何を守り、どこまで譲歩できるのか。

 そこまで把握せず、四人の人生を預かれるとでも思っているのか!」

「マネージャー業をやったこともないのに、なんでそんなに本気なの?」

「引き受ける以上、当然だろう!」

「スイ……!」

「泣くな!」

「ありがとう!」

「まだ正式に了承したとは――」

「ありがとう!!」

「話を聞け!」

 峰岸は、この一か月で初めて肩の力を抜いて笑った。

       ◇

 喫茶店を出る頃には、外は薄暗くなり始めていた。

 街灯がぽつぽつと灯り出し、人々の長い影が舗道に伸びている。

 駅へ向かう人の流れの中で、峰岸が立ち止まる。

「じゃあ、出版社の件は俺から掛け合ってみる」

「くれぐれも、森崎の名は出すな」

 ヒスイの言葉に、峰岸の表情が少しだけ真面目になった。

「分かってる」

「家の名前で原稿を読まれても意味がない。俺の文章を読ませろ」

「分かってるって。余計なことは何も言わない」

 ヒスイは短く頷いた。

 そのまま駅へ歩き出そうとして、ふと足を止める。

「それと」

 ほんの短い間だけ、いつもの尊大な調子が消えた。

「後の事は俺に任せて、お前は休め、康介」

 峰岸の目が、大きく開く。

「スイ…そういうの、ズルくない?」

「何の話だ」

「……なんでもない」

 峰岸は困ったように、けれど嬉しそうに笑った。

「よろしくな」

「ああ」

 ヒスイは、それだけ答えた。

「あ、そうだ。今日の会計――」

峰岸が言い終わる前に、ヒスイはヒラヒラと領収書を振って背を向け歩き出す。

「俺が奢るって言ったじゃん!」

「現在のお前から金を取るほど、俺は落ちぶれていない」

「……スイ」

「その代わり、残りの資料は今夜中に送れ」

「やっぱり容赦ねぇ!」

 ヒスイは振り返ることなく、駅へ向かう。

 峰岸はしばらくその背中を見送り、やがて小さく笑う。

「……そういうとこなんだよ」

       ◇

 その夜、ヒスイの机は峰岸から送られてきた資料で埋め尽くされていた。

 窓の外はとっくに暗く沈み、デスクランプの明かりだけが紙の山を淡く照らしている。

 契約書、売上、スケジュール、出演記録、SNSの分析資料。

 タブレットでは過去のライブ映像を流し、その傍らには四人分のプロフィールを並べている。

「Secret Syndrome……」

 あらためて口にして、ヒスイは露骨に顔をしかめた。

「やはり、名前もどうにかしたほうがよいな」

 まだ、四人とは直接会っていない。

 彼らの声も、姿も、今は映像を通してしか知らない。

 それでも資料を読み、ライブを見るほどに、一つの確信が強くなっていった。

 この四人は、今いる場所へ収まる器ではない。

 ヒスイは新しいノートを開き、一ページ目へ大きく文字を書いた。

『Secret Syndrome 現状分析』

 その下へ、迷いなく項目を加えていく。

『現行方針:短期収益性は高い。継続性なし』

『第一目標:本人の意思に反するBL営業からの脱却』

『第二目標:四名それぞれの市場価値を確立』

『第三目標――』

 そこで一度だけペンを止めた。

 我ながら、随分と大きく出たものだと思う。

 だが、不可能だとは思わなかった。

 方法がないのなら作ればよい。売り方が悪いのなら変えればよい。

 今いる場所が彼らの可能性を狭めているのなら、その場所から出せばよい。

 ヒスイは、最後の一文を書き加えた。

『地下市場からの離脱』

「ふむ」

 満足そうに頷き、資料に並んだ四人の顔を見渡す。

 赤。

 白。

 青。

 黄。

 四人が互いを嫌っているのなら、その不満を上回る存在を投入すればよい。

「まずは、俺を嫌うところから始めてもらおうか」

 ヒスイの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。

 この男は一か月後、峰岸の不正確な地図によって三十六秒遅れながら、彼らのいる地下へ降臨するのだった。

果たして神か、魔王か…その正体や如何に。

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甲斐ミキヤ

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