夢の魔導士

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/20 📝 12,729文字 ✅ 全年齢

あらすじ

願いや希望の方の夢を食べる事を仕事にしているバクのカウンセラーの話です。

本文

 夢とは、原動力であり、呪いでもある。

 若く、まだ何者にもなれる可能性に満ちている頃、それは灯火のように人を照らし、前へ前へと導いてくれる。足元さえおぼつかない夜道でも、遠くにその光が見えているうちは、人は歩みを止めない。

 だが時間というものは、容赦なく灯火の光量を奪っていく。気づけば光は遠く、弱く、揺らめきながら消えかけている。そうして人はふと立ち止まり、自分がいつの間にか暗闇の中に一人取り残されていることに気づくのだ。

 ジーンは、そういう人間――いや、そういう者たちを、数え切れないほど見てきた。

 バクという生き物は、本来、悪夢を食らうものだとされている。だが彼が食べるのは、眠っている間に見る夢ではない。人が抱く「叶えたい未来」としての夢だ。捨てられずに膨れ上がり、抱えた者を内側から蝕んでいく夢を、彼はそっと食べて、断ち切ってやる。それが仕事であり、能力だった。

 その日の午前の診療は、ジーンのため息癖を確実に加速させるものだった。

「自分はいつか大物になる」何も具体的な行動をしていないにもかかわらずヘラヘラとしながら豪語するオオカミの男性。白髪がまばらに混じり、若い頃から着続けてきたであろう、ボロボロにプリントが剥がれたTシャツ姿。疲れ切った表情の老いた親に付き添われて診療に訪れた。

 彼のもとを訪れる者たちは、思っていた以上に難ありな者が多い。夢を見ることと、夢に向き合うことは、まるで別の技術だ。その技術を持たない者ほど、ここへやってくる。

「はぁ……」

 午前の診療を終えたジーンは、誰に聞かせるつもりもない、深いため息をついた。

 休憩時間になっても、彼は自分が何を食べているのかすら意識しないまま、昼食を口に運んでいた。片手に持ったスマホの画面をぼんやりと眺める。

 あるSNSの投稿に、目が留まった。

 漫画家になりたいが上手くいかず、夢が苦しくて仕方がないという内容だった。手書きで撮られた画像には、癖のある丸みを帯びた字で、こう綴られていた。

 ――苦しい。もう無理かもしれない。

 その投稿にぶら下がるコメント欄には、応援の言葉もいくつか見えた。だが、悪意のあるコメントというのは、なぜかいつも目立って見えてしまうものだった。

 “とっととやめたら?”

 “私、こんなに辛いんです〜(チラッチラッ)”

 “あなたの言う努力なんて、他の人が口に出さずにやってることですよ”

 ジーンはそれ以上読み進めることをやめ、スマホの画面を閉じた。

 誰が見るわけでもなく、つけられたままのテレビからは、大リーグで活躍する選手のインタビューが流れていた。続いて、華やかな俳優が主演する新作映画のPR映像が映し出される。眩しいくらいの笑顔だった。

 ジーンはいつしか、こう思うようになっていた。

 ――世の中の大半の人間は、脇役としての人生を送るのだ。ああいった、光の中で主役を生きる誰かのために、地道に、目立たぬまま生きていくのだ、と。

 それは諦めというよりも、彼がこの仕事を通して身につけてしまった、一種の処世術だったのかもしれない。

---

 午後のカウンセリングが始まった。

 ノックの後、扉を開けて入ってきたのは、ボーダーコリーの女性だった。緊張しているのか、肩が少し縮まっている。彼女は椅子に腰を下ろすと、絞り出すようにこう言った。

「夢が、諦めきれなくて……辛いんです」

ステアと名乗る女性は、開口一番に嘆きのような心情を吐露した。

 ジーンは経験上、知っていた。女性の相談者に対しては、こちらから助言を並べるよりも、まず話したいことを話させる方がいい。感情を吐き出し、自分の中で整理をつけていくうちに、最終的には自分自身で結論に辿り着き、それで満足することが多いのだ。

「諦めきれないのは、辛いですよね」

 彼はいつもの、経験則に従った声音で言った。

「どのような夢か、私に聞かせてもらってもよいでしょうか」

 彼女は少し目を伏せてから、ぽつりぽつりと語り始めた。

 漫画家になりたくて、これまで出版社への持ち込みや、いくつもの新人賞への投稿を重ねてきた。だが、なかなか結果が出ない。年齢のことを考えても、もう厳しいのではないかと思う――そう言って、彼女は膝の上で手を握った。

 ジーンは漫画家という世界に明るいわけではなかったが、以前どこかで聞いたことがある。あの世界は、十代の、とにかく若い才能を求める世界なのだと。

 彼は手元の問診票にふと目を落とした。癖のある丸みを帯びた字。それは、昼休みに見たあのSNSの投稿の、手書き文字と同じだった。

 「漫画家の夢が叶わず辛い」

 相談内容と、この文字。もしかして――と思ったが、それはあくまで彼女の私的な領域だ。踏み込んで確かめるべきことではないと、ジーンは口を噤んだ。

 話を続けて聞くと、彼女は子供の頃から漫画を描くのが好きだったという。絵を描いて、物語を作って、それを誰かに見せる。それが彼女にとって、いちばん自然な喜びだった。漫画家になる――それが夢になったのは、ごく自然な流れだったのだろう。

 学生の頃は、同級生も、親も、彼女を応援してくれていた。

 だが時が経つにつれ、風向きは変わっていった。かつての同級生からは「えっ、まだ漫画家目指してたんだ…」と、驚きと呆れの混じった声をかけられるようになった。親も、心配の言葉をかけてくるようになった。

 気づけば、自分には何の実績もない。周囲の同年代が、それぞれの場所で積み上げているものと自分を比べてしまい、苦しくなる。

「現実を見ろ」「身の丈を知れ」――そう言われても、それでも自分を信じて突き進み、いつか夢を叶えて名を挙げれば、それは美談として語られるだろう。

 だが、それは彼女が主役の人生を生きられる場合の話だ。そうでないなら、その言葉はただの毒にしかならない。

 ジーンは少し考えてから、静かに口を開いた。

「どこかの賞を、ひとつの区切りにしてみるのはどうでしょう。それに全力を出して、それでも駄目だったなら――そこで諦める、というのは」

 ステアが、これからもこの夢に縛られ、苦しみ続けるのなら。彼女は主役ではなく、脇役としての人生を、生きていくべきなのかもしれない。

---

 ステアの診療の後も、数人のカウンセリングを続けて、その日の仕事を終えた。

 伸びをすると、背骨のあたりが小さく鳴った。ジーンはコーヒーを淹れ、事務室のソファに、疲れたように腰を沈めた。マグカップから立つ湯気を眺めながら、しばらく何も考えないようにしていた。

 だが、ジーンには黒い瞳が映っていた。

別の事を考えようとしてもシワの刻まれた黒目がちな瞳が消えようとしない。

 もう、同じ後悔は繰り返したくなかった。

直後ジーンは体を起こし、スマホを開いていた。

 検索欄に、覚えたばかりの名前を入れる。見つかったアカウントは、やはり昼休みに見たものだった。ステアの、漫画家を目指す日々を綴った投稿の数々。

 プロとして、業務以外で相談者に関わることはしない。それは徹底してきた一線だった。

その一線を越えようとしている自覚は、彼自身にもあった。

 今回は、ジーンにとって久しく――いや、久しぶりに、慎重に判断すべきケースだった。彼女の夢を食べるべきか。それとも、まだ食べるべき時ではないのか。判断のために、少しだけ、彼女について知っておきたかった。

 見るだけだ。ロム専に徹していれば、彼女の活動を阻害することはない。彼はそう自分に言い聞かせて、画面をスクロールした。

          *

 この仕事を始めて三年目の頃、ジーンは既に仕事にすっかり慣れていた。

 その頃の彼は、自分の「夢を食べる力」に自信を持っていた。だからこそ、相談者の夢を食べるべきか否かの判断が、次第に甘くなっていたのかもしれない。

 夢を食べれば、相談者の心は軽くなる。救われたと、感謝される。彼が知っていたのは、そういう経験ばかりだった。

 ある時、年配のビーバーの相談者が彼のもとを訪れた。生涯を懸けてでも作家になりたいという夢を、長く抱いていた人だった。

 彼は肺を患っており、これから執筆活動を続けることは難しい。緩和ケアに専念することになった、と静かに語った。

「その前に、夢を断ち切って、気持ちを整理したいんです」

 彼はそう言った。

 ジーンは、これは自分にしか出来ないことだと、いくらかの誇らしさを持って、鼻先を彼の頭に当てた。そうして、夢を吸い込むようにして、食べた。

「…ありがとう。これで、未練はないよ」

 彼はそう言って、シワの刻まれた目を細め、笑った。

 だが、ジーンにはその時のことが、ずっと引っ掛かっていた。感謝の言葉と言葉の間にあった、僅かな静寂。そして、まるで世界から色を失ったかのような、彼の黒目がちな瞳。

 それから数日後、風の便りで、彼が亡くなったことを知った。自殺だったという。

 夢を食べたことと、直接の繋がりがあるのかは分からない。緩和ケアという状況の中で、彼はすでに、その先の道筋を見ていたのかもしれない。

 ただ、あの日の彼の、悲しそうな笑顔。そして、自ら死を選んだという事実。

「未練はないよ」という言葉。

自分の力が「救い」ではなく「最後の後押し」になってしまったのかもしれない。

それだけではない。

時間が経つにつれ、彼の胸には、別の後悔も静かに積もっていった。

あの日、自分は彼の何を知っていただろう。

作家になりたいという夢を抱き、病を患い、緩和ケアに入ることになった――彼について知っているのは、結局、診療室で彼自身の口から語られた、その程度のことだけだった。

どんな人生を歩み、何を愛し、何を失い、何を支えに今日まで生きてきたのか。家族はいたのか。どんな作品を書こうとしていたのか。自分は何一つ知ろうとしていなかった。

彼は「夢を食べてもらうための相談者」として、目の前に座っていた。

そして自分もまた、その能力を頼ってここへ来た相談者なのだからと、あまりにも「夢を食べる」という結論ありきで応対してしまっていた。

本当に彼に必要だったのは、夢を断ち切ることだったのだろうか。

もっと話を聞いていれば、もっと彼という人間を知ろうとしていれば、違う選択肢が見えていたのではないか。

その答えは、もう誰にも分からない。

だからこそ、彼の自殺は、能力への疑念だけではなく、自分が一人の人間と向き合う姿勢そのものへの後悔として、今もなおジーンの心に残り続けていた。

---

 ステアのアカウントを、最も古い投稿まで遡ってみる。

 投稿は、五年以上前まで続いていた。

 描き始めた頃の四コマ漫画。今よりずっと拙い人物のデッサン。線は歪み、パースも怪しい。それでも、一つひとつのコマには、「描くことが好き」という熱だけが、確かに滲んでいた。

 『初めて八ページ描けた!』

 『持ち込み行ってきます!』

 『編集さん優しかった!』

 思わず口元が緩んでしまうような投稿が続く一方で、こんな言葉も残されていた。

 『商業誌としてはもう一歩ということで、落選でした。』

 『今回は一次止まり。キャラクターは魅力的です、とのこと。』

 『自分でここが弱かったと感じていた部分を指摘された。次はもっと反省点を活かして描きたい。』

 悔しさを、それでも前を向く言葉で包んだ投稿だった。

 彼女は、応援のメッセージにも、悪意のあるメッセージにも、それぞれ丁寧に返信をしていた。感謝の言葉。時には、静かな反論。そのどれもに、誠実さがあった。

 昼休みに目にした投稿だけを見れば、それは「夢に押し潰されそうな人」という印象だった。

 だが、時間を遡るほどに見えてくるものは違った。喜び。悔しさ。前進。停滞。そのすべてを抱えながら、それでも手を止めずに描き続けてきた、長い日々だった。

 画面をスクロールするジーンの指が、ふと止まる。

 『どんなに辛くても、やっぱり私は、私の世界を描きたい』

 その一文を、彼はしばらく見つめていた。

 夢は、人を縛る呪いだ。それは間違いない。だが同時に、人を明日へと繋ぎ止める、命綱でもある。だからこそ、安易に切り離すことなど、出来はしないのだ。

 ジーンはスマホから目を離した。そのままソファのヘッドレストに頭を預け、天井をぼんやりと眺める。

 答えの出ない問いが、静かに胸の中に積もっていった。

---

 二回目のカウンセリングで、ステアはこう切り出した。

「私、四ヶ月後の賞を、最後の挑戦に決めました」

 彼女の声は静かだったが、揺るぎないものが奥にあった。

「もし、これで結果が出せなかったら……私の夢を、食べてください」

 膝の上に添えられた手が、スカートの布を強く握っている。彼女が言うには、その賞は漫画家への登竜門とされているものらしかった。

「分かりました」

 ジーンは、それだけ答えた。

 本当は、賞に落選したそのタイミングで、彼女自身に判断を委ねるのもいいと思っていた。夢を残すことも、一つの答えのはずだ。ただ、今この場で逃げ口を用意してしまえば、彼女は全力を尽くせなくなる。そんな思いが、彼にそれ以上の言葉を選ばせなかった。

「少し……あなたのことを、聞かせてもらえますか」

 わずかな沈黙の後、ジーンは重くなった空気を変えるように、優しい口調で切り出した。

「ステアさんが、漫画を描くことを好きになったきっかけを、ぜひ私に聞かせてほしいです」

 彼はステアのアカウントには書かれていない、彼女の夢の起源に、あえてアプローチした。

「そうですね……小学生の頃だと思います」

 ステアは、少し目を上げて話し始めた。

「私、なかなか友達ができなくて。机で、自由帳にちょっとした漫画を描いていたんです」

「『もしも学校が宇宙にあったら』、『もしも先生が宇宙人だったら』とか。私の学校生活を“もしも”でアレンジした内容の漫画でしたね」

「あ、それと。校庭でサッカーをするクラスメイトを見て、『もしもサッカーボールが子供と同じサイズだったら』なんて漫画も描きました」

 ステアはクスクスと笑った。

「こういう漫画を描いていたら、興味を持ってくれた子たちが寄ってきて、読んで面白がってくれたんですよ」

「他に絵の好きな子と、机を椅子で囲むようにして、一つの自由帳に自分たちのキャラクターを描いて交流させたり。一日一ページ漫画を描いて、リレー形式で続きを描いたりもしましたね」

 ステアは目を細めて、楽しそうに語った。

 その後も、中学では学級新聞の挿絵や四コマ漫画を担当し、高校では漫画部に入った。ステアの学生生活は、常に漫画と切っても切り離せない関係にあったのだ。

 彼女の根幹には、漫画が深く根付いている。だからこそ、年々夢が遠のいていくことが、彼女にとってどれほどの苦しみになっているのか――ジーンには、痛いほど伝わってきた。

          *

 それから、ステアは定期的にジーンのもとを訪れるようになった。

「何か、漫画の進捗報告と雑談ばかりになってしまってすみません……」

 ある日、ステアは気恥ずかしそうにそう言った。

「いえ、ぜひいろいろ聞かせてください」

 ジーンは微笑んだ。

 彼はステアのアカウントを通して、既に彼女の作品や、漫画を描くことへの感情をある程度把握していた。だが、あえてそれを口にはせず、これまでどんな作品を描いてきたか、その作品に込めた思いを、ステア自身の言葉で語らせた。

 ステアは、作品のテーマや込めた思いを、とても嬉しそうに話した。

「この作品は、誰かが『普通』って決めつけている世界を、少しだけ違う角度から見てほしくて描いたんです」

「こっちは、人と比べることばかり考えていた頃の自分を主人公にしていて……」

「持ち込みした時に、こういうことを話すと、編集さんからは『読者にいちいち説明して回るのか?』って言われちゃいますけどね」

 そう言って、ステアははにかんだ。

「ははは……」

 控えめではあったが、ジーンは久々に、声を出して笑った気がした。

 それを見たステアは、嬉しそうに目を細めた。

 ジーンは、初回のカウンセリングの頃に比べて、ステアの表情が明らかに明るくなっていることを、静かに感じ取っていた。

---

 募集期間が残すところ二カ月を切った頃、ステアはこれまで描いてきた作品ではなく、新たに考えた内容で応募しようと言い出した。

「それは……急ですね。大丈夫そうでしょうか?」

 流石にジーンは戸惑った。

「はい、先生とのカウンセリングで、どうしても描きたい事が出来まして……」

「カウンセリング……」

 ジーンは思わず、その言葉を復唱した。

「あ、いえ!先生やカウンセリングの内容そのままではないですよ!」

 ステアは慌てて、両手をぶんぶんと振った。

「えと、先生とのカウンセリングみたいに、主人公が会話を通じて他者を導く内容なんです」

 ジーンは、自分の手がピクッと動くのを感じた。

「内容は、まだ秘密です」

 ステアはペロッと舌を出し、少しお茶目に振る舞った。

          *

 それからしばらく、ステアは制作に集中するためにカウンセリングへ訪れなくなった。

 その間もジーンは何人もの相談者と向き合っていたが、頭の隅で気になるのは、やはりステアのことだった。

 漫画の応募期間も指折りになった頃、ステアは封筒を手にクリニックを訪れた。

「先生、何とか完全にこぎつけました!この後、投函します!」

 ステアの声は弾んでいた。

「良かったですね」

 それは、ジーンの本心から出た言葉だった。

「あの、先生。もし良ければ、私の作品を読んでみてください」

 ステアはどきまぎした口調で言う。

 ジーンはステアから受け取った封筒をデスクの上で開け、慎重に原稿を取り出した。

 『夢の魔導士』というタイトル。魔導士と思われる姿をした黒豹の男性と、猫の少女が向かい合い、宙に浮く光り輝く珠に手をかざしている表紙絵だった。

 生の原稿は、デジタルの画面で見るより印象がまるで違っていた。線の一本一本に、命が宿っているようだった。

 ジーンは校正するかのように、一コマずつ丁寧に読み進めた。

 物語の中の魔導士は、卓越した未来視の力を持っていた。人の叶えたい夢に対して、具体的に何をすればいいかを見通す力だ。一見無関係に思える内容であっても、言葉通りに動けば、巡り巡って因果が結ばれ、確実に夢が叶うという。

 猫の少女は、服飾師を目指していた。少女は魔導士に、どうしても夢を叶えたいと伝える。魔導士は、一見すると全く無秩序な行動を、どの時間に行えばいいかを記した、日ごとのリストを少女に渡した。

 少女がリストの通りに行動すると、その全てが、服飾師へのコネクションへと繋がっていった。魔導士と少女は、その道中、毎日会い、対話を重ねていく。

 ある日、少女は魔導士に問いかける。なぜ、人の夢を叶えることをしているのか。

 魔導士は答えた。「その力があるから」「そして、その力を前に、人々はどうするのか知りたいから」

 やがて、少女は全てのリストをやり終えた。魔導士は最後に一つ、これから言う言葉を口にすれば、夢は叶うと告げる。

 いよいよ夢が叶うという時、猫の少女は浮かない顔をしていた。

そして意を決したように言う。

「ごめんなさい!私、やっぱり夢は、自分で叶えます!」

 絞り出すような叫びだった。

 魔導士は驚いた顔を見せたが、やがて微笑んだ。

「そうか……」

 魔導士が最後に言うはずだった一言――それはまさに、猫の少女が叫んだ言葉そのものだった。しかし、魔導士はその力を、使わなかった。

 物語には後日談があった。明るい月夜、服飾師の工房の屋上で、大人になった少女が魔導士に問いかける。

「あの時、私が言う言葉を分かっていて――夢が叶う言葉に選んでましたよね?」

 魔導士は「どうかな?」と、はぐらかす。

 大人になった少女は、「ふふ、ズルいですよ……」と笑い、物語は幕を閉じる。

 ――そのような内容だった。

「あ、あのっ!先生への当てつけみたいになってしまって……気を悪くされたら申し訳ありません」

 読み終えたジーンのタイミングを見計らって、ステアが口を開いた。

「いえ。なんというか、とても温かいですね」

 猫の少女は、夢を叶えた。ここまで話を積み上げて、叶いませんでした、では読者は納まらない。ご都合主義と言えばその通りなのだろう。だが、それでもステアの希望や願いが、確かに伝わってくる作品だった。

「ありがとうございます」

「私、この作品に全力で取り組みました。どんな結果だったとしても、受け入れられます」

 ステアは、穏やかな笑顔を見せた。

 郵送方式のその賞は、原稿が手元に戻ってくることはない。落選したら、この作品はもう、誰の目にも触れないまま終わる。

---

 投函を終えたステアは、しばらく普段通りの生活に戻っていった。

 クリニックにも顔を出さなくなり、ジーンの日々もまた、いつも通りの相談者たちで埋まっていく。夢を持て余す者、夢を失うことを恐れる者――彼らの声に耳を傾けながらも、ジーンの頭の片隅には、ずっとステアのことがあった。

 結果発表までは、まだ二カ月ある。

 その間、彼はやはり、時折スマホを開いては、ステアのアカウントを覗いていた。ロム専に徹するという、自分に課したルールだけは、律儀に守りながら。

 投稿の頻度は、明らかに減っていた。全力を注いだ後の反動なのか、あるいは結果を待つことへの緊張からか、彼女は当たり障りのない日常の呟きを、たまに残す程度になっていた。

 そんなある晩、遅い時間に、一つの投稿が上がった。

 時刻は、深夜二時を回っていた。

 『今回だけは、本当に全部出し切った気がする』

 その一文だけの、短い投稿だった。いつものような絵文字も、装飾もない。ただ、その言葉だけが、ぽつんと置かれていた。

 ジーンは、その投稿をしばらく見つめていた。

 全力を出し切った、という言葉には、確かな充実感がある。だが同時に、深夜二時という時間そのものが、彼女の中にまだ何かがくすぶっていることを、静かに物語っているようにも見えた。

 ――もし、これで落選したら。

 その先を考えかけて、ジーンは自分の思考を止めた。今、自分に出来ることは何もない。ただ、結果を待つことだけだ。

 彼はスマホの画面を閉じ、しばらく天井を見上げていた。

          *

 結果発表を目前に控えたある日、ステアが久しぶりにクリニックを訪れた。

「先生、お久しぶりです」

 声には、以前のような弾みがなかった。椅子に腰掛けた彼女は、膝の上で手を組み、少しの間、視線を落としていた。

「発表、もうすぐなんです」

「そうですね」

 ジーンは、静かに相づちを打った。

「怖くて……。正直、これまで結果を待つ間、こんなに落ち着かなかったことはないです」

 ステアは、力なく笑った。

「今までは、心のどこかで『駄目でも次がある』って思えたんです。でも今回は、そう思えなくて」

 彼女は、自分の手のひらを見つめながら、続けた。

「全部、出し切ったから。だからこそ、怖いんです」

 ジーンは、何も言わずに頷いた。ここで下手な励ましの言葉をかけることが、彼女にとって何の助けにもならないことを、彼は知っていた。

「先生に聞いてもらえて、少し落ち着きました」

 ステアは、そう言って小さく息を吐いた。

「結果が出たら、また来ます」

 彼女はそう言い残し、クリニックを後にした。

 その後ろ姿を見送りながら、ジーンは、彼女がここに来た本当の理由を、なんとなく察していた。誰かに、この不安を聞いてほしかったのだ。答えを求めてではなく、ただ、聞いてもらうために。

---

 ――それから、数週間後。

 結果が、発表された。

 ステアの作品は、最終選考まで残った。

 しかし、結果は「落選」だった。

 編集部からの総評は、こうだった。

 『卓越した構成力とエモーショナルな筆致は高く評価できる。しかし、全体として設定が古く、“今時っぽさ”に欠ける。現代の読者のニーズ、トレンドには合致していない』

各編集者のコメントも併記されていた。

・少女が努力型なので地味に映る。読者が憧れやすいスター性のある主人公の方が、現在の市場では支持されやすい印象。

・全体的に落ち着いた雰囲気でキャラクター同士の対話がメインの内容だと、今の読者は飽きてしまう。もっとエモい展開で飽きさせない工夫が必要。

・絵にケレン味が足りない。内容は良いので昨今の絵柄のトレンドの研究をすると良い。

漫画は商業である以上、読者に受け入れられ、市場を意識しなければならない。

編集者たちの言葉は、決して間違ってはいない。むしろ、それぞれが作品をより多くの読者へ届けるための、真摯な助言なのだろう。

だからと言って――。

ジーンの胸には、言葉に出来ないわわだかまりが残った。

もし、ステアが言われた通りに作品を描けば、本当に彼女は幸せなのだろうか。

彼女が何年も描き続けてきたものは、その先にもあるのだろうか。

ジーンは複雑な思いを抱えたまま、ゆっくりとステアへ視線を向けた。

「先生、私、満足しました」

ステアは、無理に作ったような、痛々しいほど綺麗な笑顔を浮かべていた。

「やりきりました。だから、約束通り……私の夢を、消してください」

 …

 ギシッ…

 椅子の軋む音がした。

 ジーンは何も言わず、ゆっくりと立ち上がった。ずんぐりとした体を屈め、彼女の頭に、静かに鼻先を当てがう。

 あとは、彼女の胸の奥にある“夢”をイメージしながら吸い上げれば、彼女の夢は消え去る。

 ステアはゆっくりと目を閉じる。

 沈黙の時間が流れた。

「……っ、いや……ッ!」

 突如、ステアは身をよじってジーンの鼻先から逃れた。

 ガタンと大きな音を立て椅子が倒れる。

 ステアは椅子から転げ落ちる様にして床に倒れ込んだ。

「ごめんなさい、先生、消さないで! 」

ステアの目から、大粒の涙がこぼれる。

「本当は悔しいです……!ぜんぜん…全然っ、満足なんてできてません!」

この時、ステアの脳裏にはステアにとって耐え難い光景が浮かんでいた。

「う……ううっ、わぁああーーっ!!!」

 ジーンの服の袖を掴み、ステアは子供のように声を上げて、泣きじゃくり始めた。

---

 しばらくジーンにもたれかかるようにして泣き続けたステアは、ようやく呼吸を整えた。

「ごめんなさい、先生。私、本当に往生際が悪いですよね……」

 ステアの目は、真っ赤だった。

 自由帳を大事そうに抱えた、小学生の自分が、絞首台の上に立っている。

そしてジーンが、その幼い自分の足元にある床板を開けるスイッチの前に立っている。

「お姉ちゃん、一緒にお絵描きしないの?」

幼い自分は、自由帳を開いて笑っている。

大人になった自分は、幼い自分の言葉を一切意に介さず、淡々と幼い自分の首に縄を掛ける。

首に縄を掛けられてなお状況を理解できていない幼い自分を横目に、自分はジーンがスイッチを押す瞬間を、ただ眺めている。

 そんな光景が、ステアには見えたという。

 ジーンに夢を食べてもらうようお願いすること。それはステアにとって、一番自分らしくいられた自分を、その手で殺すことと、同じだった。

 ジーンは優しく微笑んだ。

「私は、あなたに鼻を当てて夢を食べようとする素振りをしましたが、本当はあなたの夢を食べるつもりは、これっぽっちもありませんでした」

 ステアが目を丸くして、ジーンを見つめる。

再び、ステアから涙が頬を伝った。

「きっとあなたは、私との約束を守ろうとしてしまうと思っていました」

「でも、こうしてあなたの気持ちが聞けて、本当に良かったと思います」

 その瞬間、ステアは自分の描いた漫画の魔導士と、ジーンが重なって見えた。

「ふふ、ズルいですよ……」

 ステアは鼻をすすりながら、自分の漫画のセリフを、そのまま呟いた。

「はははっ…」

「ふふ…」

 二人の間に、和やかな時間が流れた。

---

 それから二カ月後。ステアがクリニックに来ることはなかった。

 もともと、夢の整理をするためのクリニックだ。彼女がもうここに来る理由はないはずだった。

 それでもジーン自身、彼女のその後が気になり、度々アカウントをチェックしていた。就職先が決まったことは、既に把握していた。趣味で短編の漫画を投稿するようにもなり、その反応も上々だった。

 そんなある日の午前、ステアがジーンのもとを訪れた。

「先生、お久しぶりです!」

 初めてここを訪れた時のステアとは、別人のように明るい声だった。

「私のこと、覚えてますか?」

 ステアは、冗談っぽく笑う。

「ええ、もちろん覚えていますよ」

 ジーンは穏やかに微笑んだ。その声は、嬉しさを隠しきれていなかった。

「実は……親戚の紹介で、小さな広告会社に就職が決まったんです。

漫画を描く中で培った、キャラクター作りとか、人の目を引くデザインのセンスが、意外と重宝されるみたいで……」

彼女は少し照れながらも、ちゃんと前を向いている。

ジーンは静かに頷いた。

「それは良かったですね」

「趣味で短編漫画も描き続けてます。就職してからも、週に一回は描く時間を確保するって決めてて……」

ステアは少し照れくさそうに続けた。

「先生に報告したくて、来ちゃいました!」

 ジーンは嬉しそうに話すステアに相槌を打ちながら、自分の仕事が、確かに彼女の力になれたのだと実感していた。

 自分の力を使わないことは、自分というアイデンティティの否定ではない。自分の持つ力は、あくまで選択肢の一つに過ぎないのだと、ようやく心の底から思えた。

 ふと、ずっと彼に影を落としていた、あの老人のことを思い出す。もっと結論を急がず、あの時、話を聞いていれば――あんな結末にはならなかったかもしれない。

 少なくとも、ステアの救いにはなれた。その事実を、ジーンは静かに噛みしめていた。

          *

 ステアが訪れたその日の午後も、カウンセリングは続いていた。

結婚を発表した推しのアイドルのことを、忘れ去りたいというウサギの女性だった。「彼を追い続けるのが夢だったのに…全部忘れたいです!」

家を出た時にグッズを全て段ボールに詰めてゴミに出したという。

 ステアの報告に温かい気持ちになったジーンに、水を差すような「難あり」な相談者は、やはりやってくる。それでもジーンは、ステアに対するのと変わらない態度で、しっかりと話を聞いた。

 といっても、彼女はこちらが話す隙すら与えず一方的に話し続け、満足して帰っていった。

 置き去りにされたかのようにジーンは呆然としていたが、ハッと我を取り戻した。

「ははっ…」

ジーンは控え目に笑う。

午前中のステアの嬉しそうな言葉を思い出す。

「……それで社長ったら、『私の事を我が社の宝だ!』だなんて言うんですよ。大げさですよね」

 ステアの漫画では、ジーンをモチーフにした魔導士が主人公だった。そして、ステアの就職先の社長にとって、ステアは主役なのだ。

 本人がそう思っていなくても、誰かにとっての主役になり得る――ジーンは、そう思った。

 次いでやってきたのはクマの男性。

視線は落ち着かず口をモゴモゴして言葉に詰まっている。

「こんにちは。ジーンと言います。今日はどうされましたか?」

 ジーンは朗らかな笑顔と、優しい口調で、目の前の相談者にそう尋ねた。

 今、話を聞いているこの人にとって、ジーンが主役になれずとも。せめて、名助演になれるようにと願いながら。

(完)

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作者について

もっち

漫画やイラストを描いてますが、頭のストーリーのストックを処理しきれない為、ストーリーやセリフ、構成など全て箇条書きにしてAIで小説化した作品を公開していきます。

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