人生10連

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/20 📝 15,109文字 ✅ 全年齢

あらすじ

選ばれた未来の自分10人と進路相談が出来る世界で、女子高生は未来の自分をどう受け取るかという話です

本文

「ノゾミ、おっはよ〜!」

校門をくぐった瞬間、聞き慣れた声が飛んできた。

「おはよう」

手を振り返すと、別のクラスの女子が駆け寄ってくる。

「昨日送ってくれたノート、本当に助かった! あれなかったら詰んでた」

「よかったね」

「今日のお昼、一緒に食べようね!」

「うん」

昇降口へ向かうまでに、何人もの同級生と挨拶を交わした。

廊下では男子に数学の問題を聞かれ、教室では文化祭実行委員の相談を受ける。

ノゾミは特別に社交的というわけではない。けれど、誰に対しても穏やかで、頼まれたことはきちんとやる。そんな積み重ねが、いつの間にか「相談するならノゾミ」という空気を作っていた。

一時間目の休み時間、教室の扉から担任が顔を出した。

「ノゾミ、少し相談なんだが」

「はい」

廊下に出ると、担任は少し困ったように頭をかいた。

「進路希望の件なんだけどな。クラスで意見が割れてて、ちょっと整理したいんだ。お前の考えを聞かせてくれないか」

教師は生徒に相談しているというより、同僚に意見を求めるような口調だった。

ノゾミは少し考えてから、自分なりの案を伝える。

担任は何度も頷きながら聞き終えると、ほっとしたように笑った。

「やっぱりノゾミに聞いてよかった」

そう言って職員室へ戻っていく背中を見送りながら、ノゾミは少し照れくさくなった。

昼休み。

スマートフォンが震える。

『こっちは17時にバイト終わる。そっちの部活が終わったら少し会おう』

大学生の彼氏からだった。

思わず口元が緩む。

『うん。今日は早く終わりそう』

送信するとすぐに、

『駅前で待ってる』

と返ってきた。

「彼氏?」

友人に覗き込まれて、ノゾミは慌てて画面を閉じる。

「もう、やめてよ」

「顔が緩みすぎ」

「そんなことないって」

笑い声が教室に広がる。

十八歳。

高校三年生。

勉強も、人間関係も、恋愛も。

振り返れば、何一つ欠けているものはなかった。

放課後、駅前で少しだけ彼と会い、他愛ない話をして別れる。

「またね」

「うん。また」

家路につく足取りは軽かった。

玄関の扉を開ける。

「ただいま〜」

「おかえり」

リビングから母の声が返ってきた。

両親は食事の途中だった。

ノゾミの姿を見るなり、母は箸を置いて立ち上がる。

「すぐご飯の準備するわね」

「いいよ、お母さん食べてて」

「大丈夫、大丈夫」

母は手際よく鍋に火をかけ直し、味噌汁を温め始める。

父はテレビを消して振り向いた。

「ノゾミ、今日テストの日だったよな。どうだった?」

「ん〜、まあまあかな」

自信がある日ほど、この答えになる。

父は笑った。

「ノゾミの『まあまあ』なら充分だな」

その言葉には、期待よりも信頼があった。

結果を聞く前から、きっと大丈夫だと思っている。

その無条件の安心感が、ノゾミは好きだった。

温かい食事を囲み、今日あった出来事を話し、食後には順番に風呂へ入る。

湯船につかると、一日の疲れがゆっくり溶けていく。

風呂から上がると、リビングでは父がくだらないバラエティ番組を見て笑い、母は洗濯物を畳んでいた。

そんな何気ない夜が、ノゾミには当たり前だった。

自室へ戻り、制服をハンガーにかける。

机の上のスケジューラーを開いて、明日の予定を確認する。

模試。

部活。

彼と会う約束。

その下に、小さく印字された文字が目に入った。

『人生会議』

「あ、そういえば明日人生会議だ……」

人生会議。

十八歳を迎えたすべての国民が参加する義務プログラム。

年代別のパラレル世界の未来の自分と対話し、人生設計を行うための制度だ。

職業。

結婚。

出産。

移住。

あらゆる選択の先にある未来の自分と話し合い、自分の人生を設計する。

ベッドに仰向けになる。

天井を見つめながら、小さく息をついた。

未来の私か。

どんな風になっているんだろう。

海外で働いているかもしれない。

研究者になっているかもしれない。

起業しているかもしれない。

子どもがいるかもしれない。

本を書いているかもしれない。

想像は次々と膨らんでいく。

どれも期待に満ちていた。

きっと今よりもっと広い世界で、もっと多くの人に囲まれて、もっと充実した毎日を送っている。

そんな未来を疑わなかった。

――でも。

ふと、小さな不安が胸をよぎる。

もし。

もし私の幸せが、今が一番ピークだったらどうしよう。

その考えが浮かんだ瞬間、自分でも可笑しくなった。

「そんなわけないか」

小さく笑って目を閉じる。

考えすぎだ。

未来なんて、これからいくらでも良くなる。

そう思いながらも、不安は完全には消えなかった。

明日、未来の自分に会う。

その事実だけが、静かに胸の奥へ沈んでいく。

ぼんやりとした思考は少しずつ輪郭を失い、やがてノゾミは眠りに落ちた。

ーーーー

朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を柔らかく照らしていた。

目覚まし時計が鳴るより少し早く目を覚ましたノゾミは、制服に着替えて階段を下りる。

キッチンからはパンの焼ける匂いが漂ってきた。

「お母さん、おはよ」

「おはよう、ノゾミ」

いつもの朝だった。

母はトーストを皿に乗せ、サラダとスクランブルエッグを並べていく。

「今日は少し早いのね」

「うん、なんとなく目が覚めちゃって」

テーブルに座ると、母が温かいカフェオレを差し出してくれた。

ノゾミはトーストを一口かじってから、ふと思い出したように顔を上げる。

「お母さん、人生会議って知ってる?」

「もちろん。私も十八の頃にやったわね」

「え?」

ノゾミは少し身を乗り出した。

「どんなだった?」

母は少し考えるように視線を泳がせる。

「何か、不思議な感じだったわね」

「平行世界っていうんだっけ? 『もしこの大学に行ったら』とか『もし誰かと出会ったら』っていう分岐の先にいる、もしもの世界のこと?」

「うん、そうじゃない?」

「そんな平行世界の、各年代の自分とバーチャル上で会って話し合うんでしょ?」

「そうそう」

母は笑いながら頷いた。

「じゃあ六十歳とか七十歳の自分もいるの?」

「いるいる。私、おばあちゃんになったらこんな感じなんだって思いながら話してたわ」

「へぇ……」

ノゾミは少し驚いたように目を丸くした。

「で、その話し合いでどうしたの?」

「私はみんな元気で楽しそうだったから、それで満足しちゃって」

「え?」

「雑談して終わったわ」

「ええっ!? そんなんでいいの?」

母は肩をすくめる。

「ええ」

そのあまりにあっさりした答えに、ノゾミは思わず笑ってしまう。

「もっとこう、人生設計とか、進路とか、結婚相手とか、色々相談するものじゃないの?」

「そういう人もいると思うわよ。でも私は、未来の私たちが笑ってたから、それで十分だったの」

そう言って母はトーストを小さくちぎった。

「あ、でも一つだけ聞いたことがあった」

「何?」

「私、女の子が欲しかったから」

母は照れくさそうに笑う。

「女の子のお母さんになってる私に、女の子の育て方を教えてもらったの」

「へぇ」

「まさか、私とパパの間にノゾミみたいな子が生まれるなんて、夢にも思わなかったけどね」

「そんな大げさな」

「本当よ」

母は真顔で言った。

「勉強もできて、友達も多くて、先生からも頼りにされて。トンビが鷹を産むって、まさにこのことかしら」

ノゾミは少し照れながら笑う。

「ふふ、そうかもね」

まんざらでもなかった。

幼い頃から期待されてきた。

できる子だと言われてきた。

その言葉は嬉しかったし、自分でもそう思っていた。

だから自然と、未来の自分にも期待している。

「私」

ノゾミはカフェオレのコップを持ち上げながら言った。

「私に会って、今よりもっと凄くなって、もっと自慢の娘って思ってもらえるように頑張るね」

母は一瞬だけ目を細めた。

そして、とても柔らかく微笑んだ。

「うふふ」

その笑顔には、どこか懐かしさが混じっていた。

「私にとってはね、ノゾミが生まれてくれただけで、自慢の娘よ」

ノゾミは少し照れくさくなって視線を逸らす。

「もう、お母さんはすぐそういうこと言う」

最後の一口のトーストを口に放り込み、カフェオレで流し込む。

時計を見ると、家を出る時間だった。

「じゃあ、行ってきます!」

リュックを背負って玄関へ向かう。

「いってらっしゃい」

母はキッチンから手を振った。

玄関の扉が閉まる音を聞きながら、その笑顔はしばらく消えなかった。

ーーーー

一時間目のチャイムが鳴ると、教室はどこか落ち着かない空気に包まれていた。

普段なら小テストの結果や部活の話題で賑やかな朝のホームルームも、今日は違う。

「お前、何歳の自分に会いたい?」

「二十五歳かな。結婚してるか気になる」

「私は三十歳。仕事してる自分が見たい」

そんな会話が教室のあちこちで飛び交っていた。

期待と緊張が混ざったざわめき。

ノゾミも席に座りながら、窓の外をぼんやり眺める。

未来の自分。

その響きだけで、胸の奥が少し高鳴った。

ガラッ

担任が教室に入ってくる。

出席簿を教卓に置き、教室を見回した。

「あー、皆知っての通り、今日は人生会議の日だ」

ざわめきが少し静まる。

「各自自習してもらい、名簿順に一名ずつ進路相談室に来なさい」

担任は黒板に順番を書き込みながら続けた。

「会議が終わった者は、次の名簿の者に声をかけること。分かったな?」

「はーい」

教室から一斉に返事が返る。

「質問は?」

すぐに教室の後ろから勢いよく手が挙がった。

「は~い!」

クラスのお調子者の男子生徒だ。

「未来の自分に宝くじの番号聞くのってありですか?」

一瞬の沈黙。

担任は額に手を当てた。

「お前なぁ……」

教室のあちこちから笑いが漏れる。

「よく勘違いしがちだが、平行世界はお前の無限にある可能性の一つで、自分の確定した未来の存在じゃないんだぞ」

「えー」

男子生徒は露骨に肩を落とす。

担任はチョークを持ち直し、黒板に一本の線を引いた。

「例えば、今日家に帰る途中で右に曲がるか左に曲がるか、それだけでも理論上は分岐になる」

一本だった線は途中から何本にも枝分かれしていく。

「人生会議で会う相手は、この枝の先にいる可能性の一人だ」

「会議に宝くじに当たった平行世界の自分がいたら、ぜひ番号を聞いてみてくれ」

教室が少しざわつく。

「もっとも」

担任は苦笑した。

「無限の自分の中でそんな自分が抽出される確率は、宝くじより低いと思うがな」

「ガーン!」

男子生徒は机に突っ伏し、大げさに頭を抱えた。

「俺の億万長者計画が!」

分かりきっていた教師からの回答を待ってましたとばかりの反応に、クラス中から笑いが起こる。

担任も小さく笑いながら手を振った。

「あー、他に?」

教室を見回すと、一人の女子生徒が控えめに手を挙げた。

真面目で目立たないタイプの生徒だった。

「先生」

「なんだ?」

女子生徒は少し周囲を気にするように視線を落とした。

「その……平行世界の自分って、みんな幸せなんですか?」

笑い声がすっと引いていく。

「何ていうか……人生の大きな失敗とか、取り返しのつかないことをしてしまった自分には、怖くて会いたくないというか……」

教室の空気が少しだけ重くなった。

誰もが一度は考えたことなのだろう。

担任は腕を組み、ゆっくり頷いた。

「あー、そこんとこだが」

少し間を置いてから答える。

「無作為に抽出と言っても、AIによる事前審査はある」

「事前審査?」

「そういう極端に精神的負荷の高いケースや、重大なトラウマを誘発する可能性のある世界線は、あらかじめ間引いている」

女子生徒は少し安心したように息をついた。

けれど、すぐにまた顔を上げる。

「間引くってことは、やっぱりそういう可能性の自分もいるってことですよね」

担任は少しだけ苦い表情になった。

「まぁ、それはそうなんだが」

教卓にもたれかかる。

「それはお前だけじゃない。ここにいる全員だ」

教室をゆっくり見回した。

「俺のこの先の未来だって、事故に遭う可能性もあるし、病気になる可能性もある」

「可能性だけなら、誰にでもある」

誰も口を開かなかった。

「でもな」

担任は黒板の枝分かれした線を指した。

「大事なのは、分岐は完全な運だけで決まるわけじゃないってことだ」

一本の枝をチョークでなぞる。

「健康に気をつける」

別の枝をなぞる。

「勉強する」

さらに別の枝。

「人との信頼関係を作る」

枝は少しずつ太く描き足されていく。

「そういう日々の積み重ねで、行きやすい方向と行きにくい方向は変わる」

「事故に遭う可能性をゼロにはできない。でも安全確認をすることで、その可能性を下げることはできる」

「病気を完全には防げない。でも生活習慣で分岐をある程度操作することはできる」

担任はチョークを置いた。

「つまり」

黒板いっぱいに広がった枝を見つめながら言う。

「可能性は無限にある。だが、自分の生き方で、その無限の中のどの方向へ進みやすくなるかは作れる」

女子生徒は静かに頷いた。

「……はい」

その返事には、先ほどよりも少し力があった。

教室の空気も少しずつ和らいでいく。

ノゾミは黒板の枝分かれを見つめた。

勉強に励む自分。

皆から慕われる自分。

先生から信頼される自分。

家族に愛される自分。

その積み重ねが、きっと良い未来へ繋がっている。

そういう人生を、自分は歩いてきた。

ならば、この先の分岐もきっと幸福な方向へ伸びていく。

ノゾミは机の下で拳をぎゅっと握った。

未来の私は、きっと今よりもっと凄い。

ーーーー

人生会議が始まった。

黒板に書かれた名簿の順に、一人ずつ教室を抜けていく。

進路相談室の前に設けられた専用ブースで会議を行い、終わった生徒は教室へ戻ってくる。

教室では自習。

そう言われてはいたものの、担任は進路相談室にいる。

つまり今の教室には、誰も監視する大人がいなかった。

最初の数人が戻ってきた頃は、皆それとなく様子を窺っていた。

けれど十分、二十分と経つうちに、教室は完全に別の空間になっていた。

「やばい、全員に勉強真剣にやれって怒られたんだけど……」

戻ってきた男子生徒が机に突っ伏す。

「え、全員って?」

「二十代も三十代も五十代も。『今サボるな』しか言わねえの」

周りが笑う。

「未来のお前、めちゃくちゃ説教してくるじゃん」

「なんかさー」

別の男子生徒が前髪をかき上げながら言った。

「四十の俺に、前髪がだいぶ後退してたのがいたんだけど!」

「え?」

「これ深刻なトラウマじゃん! AI事前審査サボってるだろ〜?」

教室中から笑いが起こる。

「遺伝だろ」

「うるせえ!」

その隣では、女子グループが小声で盛り上がっていた。

「未来の私、夢が叶ってる自分がいたよ」

一人の女子生徒が興奮気味に話している。

「え、何の夢?」

「言わない」

「なんで!」

「なんか恥ずかしいじゃん」

頬を赤くしながら笑う彼女は、本当に嬉しそうだった。

「すっごいいろいろ聞いちゃった」

「何聞いたの?」

「勉強のこととか、大学のこととか……あと、誰と結婚したかとか」

「うわ、それ気になる!」

「でも教えてくれなかった」

「え?」

「『あなたが知っちゃうと分岐が変わるから』って」

「何それ!」

そんな会話が教室のあちこちで続いていた。

誰もが小声だった。

けれど、誰もが聞き耳を立てていた。

自習をしているふりをしながら、ページはほとんど進まない。

戻ってきた生徒の表情を見るたびに、想像が膨らんでいく。

ノゾミは名簿の一番最後だった。

もどかしかった。

楽しみだった。

時間が経つほど、期待は大きくなっていく。

昨日、先生も言っていた。

生き方は分岐の方向性を作る。

だったら。

今の自分がこれだけ恵まれているなら、その先にいる未来の自分は、きっともっと凄い。

もっと誰もが羨むような人生を歩いている。

そう考えると、胸が熱くなった。

窓の外では夏の日差しが校庭を照らしている。

時計の針だけが妙に遅かった。

「ノゾミ」

声をかけられて顔を上げる。

直前に人生会議を終えた女子生徒が、教室の入り口に立っていた。

「順番だよ」

ガタッ。

ノゾミは勢いよく立ち上がる。

教室では人生会議を終えた生徒たちが、もうすっかり緊張を解いて笑い合っていた。

「じゃあ行ってくるね」

友人たちに小さく手を振り、ノゾミは教室を後にする。

廊下は思っていたより静かだった。

一歩進むたびに心臓が高鳴る。

緊張していた。

けれど。

その口元は、少しだけほころんでいた。

ーーーー

「失礼します」

ノゾミが進路相談室の扉を開けると、担任は机の上に広げた書類をまとめているところだった。

顔を上げると、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。

「おっ、ノゾミで最後だったな」

「はい」

「じゃあ、こっちだ」

担任は立ち上がり、部屋の奥へ歩いていく。

そこにあったのは、思っていたよりずっと簡素な空間だった。

白い簡易的な衝立で囲まれた小さなブース。

中には丸椅子と会議机が一つ置かれているだけ。

ノゾミは思わず目を瞬かせた。

「……意外です」

「だろ?」

担任は苦笑した。

「もっとカプセル型の装置に入ってダイブするやつとか、ハイテクなものをイメージしてただろ?」

「ちょっとだけ」

「予算なくてな」

担任は肩をすくめる。

その冗談にノゾミも小さく笑った。

机の上には黒いゴーグルが一つだけ置かれていた。

担任はそれを手に取り、頭上に掲げる。

「やることは簡単だ。このゴーグルを装着するだけ」

そのまま被るジェスチャーをしてみせる。

「脳波で起動して、脳内に仮想空間が投影される」

今度はゴーグルを外し、机に戻した。

「あとはアナウンスに従って会議をする。終わったらゴーグルを机に戻す。それだけだ」

ノゾミは真剣な表情で頷く。

「お前の声や動きは全部仮想空間での出来事になる」

「何を話したかとかは、こっちからは一切分からない。内容も記録されない。だから進路でも恋愛でも家族のことでも、プライベートな相談をして構わない」

「はい」

「それと、一つだけ大事なことがある」

担任はゴーグルに軽く触れた。

「相手は可能性として実現し得る未来の自分だ」

ノゾミは静かに聞いている。

「向こうにとっては、全員ゴーグルをつけた瞬間のお前を基準に分岐が始まって、その年齢まで生きてきた存在だ」

「つまり」

担任はノゾミの目を見た。

「彼女たちは『もしもの自分』ではあるが、『作り物』じゃない」

その言葉は思っていたより重かった。

「だから敬意を持って接すること」

少し間を置いてから苦笑する。

「まあ、お前には要らぬ心配だと思うが」

「?」

「昔、相手をNPCだと思って会議をめちゃくちゃにした大馬鹿者がいてな」

担任は気まずそうに頭をかいた。

「全員を論破しようとして大喧嘩になったらしい」

ノゾミは思わず吹き出した。

「そんな人がいるんですか」

「いるんだよ。しかも泣きながら出てきた」

「ふふっ」

少し緊張がほぐれた。

担任は改めて姿勢を正す。

「最後にもう一つ」

黒いゴーグルを見つめながら言う。

「向こうはお前の確定した未来じゃない」

「はい」

「無数にある可能性の中から抽出された十人だ」

担任は黒板に描いた枝分かれの図を思い出すように手を動かした。

「お前が今日見た十人だけが全てじゃない」

「当然十人以外にも、数え切れないくらいの未来の可能性がある」

「だから会議は『運命の宣告』じゃない」

「確定された未来を見る場じゃなくて、未来を考える材料をもらう場だ」

ノゾミはしっかりと頷いた。

「心の準備はいいか?」

「はい!」

ノゾミは背筋を伸ばし、はっきりと答えた。

「大丈夫です!」

その返事は、いつもの優等生らしい、淀みのない声だった。

「よし」

担任は満足そうに頷く。

「じゃあ終わったら俺に声をかけてくれ」

そう言うと、衝立の外へ出ていった。

白い衝立に囲まれた静かな空間。

ノゾミは丸椅子に腰を下ろし、机の上のゴーグルを手に取る。

思っていたより軽かった。

手のひらの上でゆっくりと眺める。

この向こうに、未来の自分がいる。

どんな大学へ進み、どんな仕事をして、どんな人生を歩いたのだろう。

「よし」

小さく呟くと、ノゾミはゴーグルを頭に装着した。

次の瞬間。

脳波を受信したゴーグルが静かに起動し、眼前が白く眩しい光に包まれた。

――人生会議が始まる。

ーーーー

光がゆっくりと収まっていく。

ノゾミは思わず周囲を見回した。

「……え?」

想像していたより、ずっと簡素だった。

足元にはほんのり発光する白い床。

壁はない。

天井もない。

どこまでも白い空間が続いている。

中央には、円をそのまま押し出したような白い円卓と、それを囲む白い椅子だけが置かれていた。

装飾は何一つない。

いかにも役所や公的機関が好みそうな、華美を避けた無難なデザインだった。

『ようこそ、人生会議へ』

女性の機械音声が空間全体に響く。

『現実世界で事前説明済みと設定されているため、説明パートは省略します』

少しだけ事務的すぎる口調に、ノゾミは苦笑した。

『まずは、目の前の赤く光る椅子にお座りください』

円卓を囲む椅子の一つだけが赤く発光している。

ノゾミは促されるまま席に着いた。

すると椅子は白に戻る。

『便宜上終了時間を設けていますが、会議が終了した場合、またやむを得ない理由で終了する必要が生じた場合、あなたの席の正面に終了スイッチがありますので押してください』

円卓の自分の席の前だけに、赤いボタンが静かに浮かび上がった。

『これから残りの椅子に平行世界の自分を呼び出します』

ノゾミは少し息を呑む。

『なお、御年配の方ほど分岐深部まで検索および検証を行う必要があるため、読み込みと退出までに時間がかかります。ご了承ください』

そのアナウンスが終わった瞬間。

隣の椅子に光の粒子が集まり始めた。

人の輪郭が形作られ、やがて一人の女性になる。

ノゾミとよく似た顔。

けれど髪型も雰囲気も少し大人びていて、化粧も自然で垢抜けている。

「あっ、こんにちは!」

ぱっと笑顔を見せた。

「私は二十二歳の私です!」

「え、あ、こんにちは」

思わずつられて笑顔になる。

すぐに反対側の椅子にも光が集まり始めた。

今度は落ち着いた雰囲気の女性が現れる。

「あなたにとっては初めましてね」

柔らかく微笑んだ。

「三十五歳のあなたです」

その後も、一言挨拶を交わす間隔を置きながら、次々と年代を経たノゾミが現れていった。

四十八歳。

五十五歳。

六十三歳。

…

それぞれ服装も髪型も違う。

誰一人として同じ人生ではないことが、その細かな違いから伝わってきた。

ノゾミは一人一人に挨拶しながら、さりげなく身につけているものを観察していた。

腕時計。

指輪。

バッグ。

靴。

ブランドには疎かった。

けれど少なくとも全員に共通しているものがあった。

品の良さだった。

派手ではない。

しかし、どこか余裕のある大人の雰囲気がある。

(凄い……)

胸が高鳴る。

(みんな、ちゃんと大人になってる)

(私、こんな風になれるんだ)

期待が膨らんでいく。

円卓を見回す。

あと一席だけ空いていた。

ノゾミの真正面。

「最後の一人ね」

五十五歳の自分が静かに言う。

自然と全員の視線がその席へ集まった。

光の粒子が現れる。

けれど。

これまでとは明らかに違っていた。

粒子が集まる速度が遅い。

輪郭ができるまでに時間がかかる。

人の形になるまで、何度も光が揺らいだ。

『高齢検索領域の読み込みを完了しました』

機械音声が静かに告げる。

ようやく光が収まる。

そこに立っていたのは、とても年老いた女性だった。

白髪。

深い皺。

少しだけ背中は丸くなっている。

けれど、その表情は驚くほど穏やかだった。

「あら」

柔らかく笑う。

「待たせちゃったかしら?」

静かな声だった。

「私は九十一歳のあなたです」

ゆっくりと全員を見渡す。

「本日は皆さん、よろしくお願いします」

そう言って丁寧に頭を下げた。

その瞬間。

二十二歳の自分も。

三十五歳の自分も。

他の年代の自分たちも。

どこか畏れと謙遜を含んだように、自然と頭を下げた。

誰も指示されていない。

それでも、この人には頭を下げるべきだと感じてしまう。

そんな空気があった。

ノゾミも慌てて頭を下げる。

(凄い……)

胸が震えた。

(そんな歳まで生きている私もいるんだ)

九十一歳。

その数字だけで、気が遠くなる。

大学も。

仕事も。

結婚も。

子育ても。

老後も。

他の誰よりも長い人生を歩いた自分。

(勲章とかもらったりしてるのかな?すごい賞を取ったり、誰かに表彰されたり)

(きっと映えある晩年を迎えた私なんだ)

ノゾミは憧れにも似た眼差しで、九十一歳の自分を見つめていた。

ーーーー

『皆様揃いましたので、人生会議を始めてください』

女性の機械音声が静かに響いた。

円卓には十人のノゾミ。

誰もすぐには口を開かなかった。

「……」

妙な沈黙が流れる。

「ほら」

隣に座る三十五歳の自分が、少し困ったように笑った。

「司会はいないから、あなたが進めるのよ」

「あっ、ハイ!」

ノゾミはハッとしたように立ち上がる。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます!」

声が少しうわずった。

円卓のあちこちから、くすくすと笑い声が漏れる。

「全員あなたなんだから、そんなにかしこまらなくてもいいのよ」

手のひらを下に向けくいくいと動かし、座って良いという仕草をする。

「あ、じゃあ改めて……」

ノゾミは照れ笑いを浮かべながら座り直した。

「私、私にどんな人生の可能性があるのか、まだ分かってないんです」

円卓を見回す。

「だから……みんながどんな仕事や生活を送っているのか教えてください!」

10人のノゾミがうんうんと頷いた。

「そうね」

五十五歳の自分が顎をくいっと二十二歳の自分へ向ける。

「じゃあ若い子からどうぞ」

「えっ! 私?」

二十二歳のノゾミは少し肩をすくめる。

「私はまだ大学生だけど、就職活動を始めてるよ」

「どんな分野ですか?」

ノゾミは興味津々に身を乗り出した。

「商社、広告、メーカー、コンサル……あと外資系とかかな」

並ぶ会社名はどれも有名企業ばかりだった。

「まだ候補なだけで、説明会に出ただけだけどね」

照れくさそうに笑う。

ノゾミの表情はぱっと明るくなった。

「凄い! 楽しみですね!」

「ありがとう」

二十二歳の自分が笑う。

今度は三十五歳の自分が口を開いた。

「私はメーカーの企画職に入ったの」

「おお〜」

ノゾミは素直に声を上げた。

「今は三歳と一歳のお世話で育休中なの」

少し恥ずかしそうに笑う。

「子どもの世話の方が仕事より大変なくらいかも」

「大変よね〜」

七十二歳の自分が頷く。

「ちゃんと旦那さんと協力できてる?」

「うん。最初は全然だったけど、最近はだいぶ」

子どもの夜泣きや保育園の送り迎えの話で、子どもを育てた年代のノゾミたちが笑い合う。

四十八歳の自分は、中小企業の課長になっていた。

「課長、ですか」

「若い頃はもっと上を目指してたんだけどね」

少し照れくさそうに笑う。

「でも、プレイングマネージャーも悪くないなって」

「若い子が育っていくのが楽しいのよ」

「分かる」

六十三歳の自分が頷いた。

「人に任せられるようになると、景色が変わるのよね」

「生活は?」

七十九歳の自分が尋ねる。

「体型維持のためにヨガ教室に通い始めたところかな」

「今さら?」

七十二歳の自分が茶化す。

「今さらじゃないの」

円卓に笑いが広がる。

五十五歳の自分は少し言いにくそうに口を開いた。

「私は親の介護のために休職して、隙間時間にリスキリングを始めたところ」

少し視線を落とす。

「これまでの私たちに比べたら、見劣りしちゃうかもしれないけど……」

「そんなことないわ」

七十二歳の自分がすぐに首を振る。

「介護は立派な人生よ」

七十九歳の自分も優しく微笑む。

「誰かを支える時間は、仕事とは別の意味で大切だから」

五十五歳の自分は少し安心したように笑った。

彼女たちはきっと、介護や死別を経験してきたのだろう。

だからこそ、その言葉には重みがあった。

その後も順番にノゾミ達は半生を語っていく。

どの人生にも派手さはない。

けれど、それぞれが堅実に積み重ねられた時間を持っていた。

やがて、全員の視線が一人へ集まる。

九十一歳の自分だった。

「あらあら、そんなに注目されちゃ恥ずかしいわ」

彼女は少し照れたように笑う。

九十一歳のノゾミは、ゆっくりと口を開いた。

「そうね。まだ終わったわけではないけど……なかなか大変でした」

「でも、楽しかった」

その一言は、とても穏やかだった。

「三人子どもがいたけど、一人事故で亡くしてしまってね」

円卓の空気が静まる。

「高校二年の男の子だったの」

少しだけ目を伏せる。

「親も認知症になってしまって、離職せざるを得なかった」

「私も鬱になっててね」

「……あの時は、夫の存在がどれほどありがたかったか」

しばらく沈黙が続く。

「そんな夫も、私が八十歳の時に先立ってしまって」

九十一歳の自分は、静かに息をついた。

「楽しいことも、辛いことも、いろんなことがあった」

「本当にいろんなことがあったわ」

そして、小さく微笑む。

「今はね」

その笑顔は驚くほど優しかった。

「自分のことより、孫の成長が楽しみなの」

円卓のどこかから、すすり泣きが聞こえた。

七十二歳の自分が目元を押さえ、

五十五歳の自分は俯き、

三十五歳の自分は涙をこぼしていた。

九十一歳の自分だけが、静かに微笑んでいた。

ーーーー

会議は女子会となっていた。

旅行の思い出や健康診断の結果、些細な日常の話に移っていった。

『そろそろお時間になります。会議のまとめに入ってください』

女性の機械音声が静かに響いた。

「あら」

七十二歳の自分が小さく笑う。

「時間が経つのは早いものね」

「ごめんねぇ」

申し訳なさそうに肩をすくめる。

「あなたが主役なのに、私たちだけで話が盛り上がっちゃって」

四十八歳の自分が優しく微笑みながら、ノゾミの顔を覗き込む。

事実、ノゾミは会議の途中から静かに頷くだけだった。

「私たちの話を聞いてて、何か参考になったかしら?」

「あなたの総括で締めくくりましょうか」

「ええ……」

ノゾミは静かに微笑んだ。

ゆっくりと立ち上がる。

円卓をぐるりと見渡す。

全員が、穏やかな表情で彼女を見つめていた。

ノゾミは小さく息を吸い込んだ。

「……」

「今の私で終わりにします」

「え……?」

誰かが息を呑んだ。

「終わりって、どういう意味?」

三十五歳の自分が戸惑ったように尋ねる。

ノゾミは穏やかな笑みを浮かべたまま答える。

「言葉の通りよ」

その笑顔だけが、不気味なほど静かだった。

「今の私で終わりにするの」

「終わるから、分岐もその先もない」

「突然、あなたたちも存在しない」

円卓が凍りついた。

「何で……?」

五十五歳の自分が震える声で言う。

「どうして?」

「正直言うとね」

ノゾミは静かに口を開いた。

「あなた達の話を聞いているとずっと怖かったんだ」

「誰も彼も、幸せそうに語るから」

誰も動けない。

「もし一人でも『後悔してる』とか『こんなはずじゃなかった』って言ってくれたら、まだよかったんだよ」

ノゾミは円卓を見渡した。

「それなら『運が悪かっただけ』で済ませられたから」

笑みが少しずつ崩れていく。

「でも誰も彼も、目の前の普通を大事そうに笑ってた」

声が少しだけ低くなった。

「それってつまり」

「……その程度の人生でも十分満たされちゃうってことでしょ?」

誰も反論できなかった。

「満たされてるから、幸せだって感じちゃってるから」

ノゾミは乾いた笑いを漏らす。

「あなたたち、AIで間引かれなかったんでしょ?」

「本当に?」

「嘘でしょ?」

笑い声だけが空虚に響く。

「無数にある可能性から、十本を引いて」

「その十本が、全部これって」

目が少しずつ見開かれていく。

「そんなことある?」

二十二歳の自分が、何か言おうとした。

ノゾミは止まらなかった。

「私、今の自分ってかなりの初期スペックだと思ってたんだよね」

「成績も、友達も、家族も」

「恵まれてるって、みんなに言われてきた」

「なのに」

声が熱を帯びていく。

「そこから始まる十本のルート、全部おなじようなものにしかならないんだ」

「“普通”、“コモン“、”ノーマル“!」

「なにこれ?」

「私の可能性って、その程度で満足できちゃう程度のものだったんだ」

円卓に沈黙が落ちる。

「結局どの自分も、今の私の幸せを更新できてないじゃん!」

「私なら!10パターンの可能性を引けば、誰もが羨むような凄い人生を送ってる私だっているはずなのでしょ!」

拳を強く握る。

「他もこんな自分しかいないの!?」

その瞬間。

ノゾミはためらうことなく、自分の席の前に浮かぶ赤い終了スイッチへ手を伸ばした。

「待って!」

二十二歳の自分が立ち上がる。

「お願い!考え直して!」

三十五歳の自分が叫ぶ。

「あなたが現実からいなくなったら、可能性すらなくなっちゃうのよ!」

四十八歳の自分が手を伸ばす。

ノゾミはボタンを押した。

甲高い電子音。

次の瞬間。

二十二歳の自分の身体にノイズが走った。

「えっ」

光の粒子が足元から崩れ始める。

「やだ!まだ何もなれてないの…」

叫び声が途中で途切れた。

光になって消える。

三十五歳の自分が子どもの名前を呼んだ。

「待って、あの子が…」

言い終える前に崩れた。

四十八歳の自分は部下の顔を思い浮かべたまま消えた。

五十五歳の自分は母の写真を抱くように胸へ手を当てた。

七十二歳の自分は「写真展が」と呟いた。

七十九歳の自分は最後までノゾミを見ていた。

一人ずつ。

一人ずつ。

ノイズとともに光へ変わっていく。

円卓は静かになっていった。

最後に残ったのは。

九十一歳の自分だけだった。

彼女だけは、消える速度が遅かった。

高齢検索領域。

読み込みに時間がかかったように、消去にも時間がかかる。

身体がゆっくりと透けていく。

九十一歳のノゾミは、寂しそうな、どこか諦めたような瞳で十八歳の自分を見つめていた。

「よく、そんな年齢まで生きてたね」

少し間を置く。

「恥ずかしげもなく」

その言葉には、明確な敵意があった。

九十一歳の自分は怒らなかった。

ただ、静かに微笑んだ。

「周りの人たちに、たくさん支えてもらえたからね」

穏やかな声だった。

「ほら、あなたって昔からお友達が多かったでしょう?」

ノゾミは何も言わない。

「あなたの年齢の頃」

老女は静かに続けた。

「凄くギラギラしていたのを覚えてる」

「だって私も、今ここにいるあなたなんだから」

「絶対認められたい」

「特別でありたいってね」

消えゆく身体で、優しく見つめる。

「でもね、長く生きてきてわかったのよ」

「あなたの言う普通の人生ってのも、決して悪くな――」

「嫌なんだよっ!」

ノゾミの叫びが空間を裂いた。

「私、自分ならもっと」

涙も浮かべず叫ぶ。

「もっと誰もが羨むような、凄い人生になると思ってたんだ!」

九十一歳の自分は黙った。

それ以上何も言わなかった。

ただ悲しそうに、十八歳の自分を見つめていた。

ノゾミは冷たい目で老女を見返した。

「……さっさとお孫さんとお別れしてきなよ」

九十一歳のノゾミは、小さく笑った。

「…そうね」

その笑顔だけが、どこまでも優しかった。

光の粒子がゆっくりと崩れていく。

最後までノゾミを責めることはなかった。

最後まで愛するような目で見つめていた。

やがて。

音もなく消えた。

円卓は空になった。

白い空間には、十八歳のノゾミだけが残される。

次の瞬間。

世界が真っ白に染まり。

ノゾミはシステムからログオフした。

ーーーー

ノゾミはゆっくりとゴーグルを外した。

白い空間は消え、目の前には白い衝立と小さな会議机があった。

静かな進路相談室。

さっきまで十人の自分と話していたことが、夢だったようにも思える。

けれど。

右手には、確かにボタンを押した感覚が残っていた。

指先がわずかに震えている。

何も触れていないはずなのに。

喉も少し痛かった。

実際に叫んだわけではない。

それなのに、声を張り上げた後のような違和感が残っている。

ノゾミはしばらく動かなかった。

やがて、静かに立ち上がる。

衝立を出ると、担任が書類を整理していた。

「おっ、終わったか!」

顔を上げて気さくに笑う。

「お疲れ、ノゾミ。どうだった?」

「未来のお前なんだから、いい話が聞けただろ」

「……はい、よく理解できました」

担任は満足そうに頷く。

「そういや午後から文化祭の出し物の案出しがあるだろ?取りまとめ頼むな」

ノゾミは小さく首を振った。

「ごめんなさい、別の人にお願いしていただけますか?」

担任は少し意外そうな顔をした。

「え?」

その返事を聞く前に、ノゾミは深く一礼した。

「失礼します」

くるりと背を向け、進路相談室を出る。

教室へ戻ると、午前の授業はまだ続いていた。

自習時間の緩んだ空気が漂っている。

「あ、ノゾミお疲れー!」

前の席の友人たちが一斉に振り向いた。

「今日放課後さ、みんなで人生会議の打ち上げにカラオケ行くんだけど」

「ノゾミも行くでしょ?」

ノゾミは机の中から教科書を取り出し、静かに鞄へ入れ始めた。

「ごめん、やめておくね」

「えー?」

友人が笑う。

「珍しいじゃん」

ノゾミは答えず、ノートや筆箱を丁寧にしまっていく。

「え?」

一人が首を傾げた。

「早退?」

「調子悪いの?」

笑顔が消える。

本気で心配している顔だった。

「ううん」

ノゾミは小さく笑った。

「ちょっとね」

それ以上は何も言わなかった。

鞄の口を閉じる。

椅子を引いて立ち上がる。

そして、友人たちを見た。

「ねぇ」

その声に、全員が顔を上げる。

「今まで仲良くしてくれて、ありがとうね」

「え?」

「ノゾミ?」

誰も意味が分からなかった。

「何それ」

「急にどうしたの?」

不審そうな顔。

心配そうな顔。

ノゾミは小さく笑った。

その笑みは、教室でいつも見せていた穏やかな笑顔と変わらなかった。

「じゃあね」

それだけ言って歩き出す。

ノゾミは昇降口で靴を履き替えた。

校舎の外へ出る。

夏の光が一気に視界へ流れ込んできた。

山の麓に建つ校舎。

見上げれば澄みきった青空。

白い入道雲がゆっくりと流れている。

眼下には街並みが広がり、遠くで蝉の声が響いていた。

ノゾミは手を額にかざした。

眩しかった。

その光景をしばらく見つめる。

まるで初めて見る景色のように。

やがて。

ノゾミは静かに歩き出した。

誰にも気づかれることもなく、山の深い木々の中へと消えていった。

ジャンル・タグ

, ,

作品統計

👁️ 閲覧数: 3 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

もっち

漫画やイラストを描いてますが、頭のストーリーのストックを処理しきれない為、ストーリーやセリフ、構成など全て箇条書きにしてAIで小説化した作品を公開していきます。

👥 フォロワー: 1人

作者ページを見る