2-2 窓越しの聖女
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あらすじ
魔王亡き世界で、再び魔の時代が動き出す。 魔王ゼルヴァディスが討たれてから、六百二十八年。 平和を取り戻したアストラリア大陸では、三つの主要勢力が微妙な均衡を保ちながら共存していた。 しかし、今なお人の立ち入れない旧魔王領では、魔物たちが静かに活動範囲を広げ始めていた。 各地では怪しい薬が出回り、魔王を崇める新興宗教も勢力を増していく。 そんな異変をまだ知らず、自由交易都市に暮らす青年レオン・ヴェスタは、見知らぬ世界を求めて旅立つ。 やがて彼は、森の外へ憧れる若きエルフの癒し手フィリアと、その護衛リュシアに出会う。 三人の小さな旅立ちは、やがて国家、宗教、人間、魔物――大陸に生きる者すべてを巻き込む事変へ繋がっていく。 善と悪の境界が揺らぐ世界で、彼らは何を知り、何を選ぶのか。 これは、魔王亡き世界で再び動き始めた、魔の時代を巡る物語。
本文
新暦628年、4月11日。
昼頃。
街道を走る三台の馬車があった。
王国へ向かう主要街道から少し外れた道。
草原と疎らな林が続くその道を、馬車はゆっくりと進んでいる。
先頭と最後尾の馬車には、ギノマイ教の関係者や護衛が乗っていた。
そして中央の馬車には、一人の少女と、その両親が座っている。
少女の名は、アリア・レイシア。
年齢は十三。
白に近い淡金色の髪を肩口で整え、薄い青の瞳を伏せ気味にしている。
身にまとっているのは、白を基調とした聖女服だった。
清らかな布地。
胸元に施された女神の紋章。
袖と裾に縫い込まれた淡い金糸。
少女には少し重たく見えるその衣装は、彼女を一人の子供ではなく、
特別な存在として見せるためのものだった。
アリアは膝の上で両手を重ねていた。
その指先は、わずかに震えている。
明日、アリアは初めて王国の外で、ギノマイ教の聖女として人々の前に立つ。
王都の聖堂や、教団関係者に囲まれた儀式の場ではない。
旅人、商人、農民、冒険者、異国の者たちが行き交う宿場町で、
街頭演説を行う。
そう聞かされた時から、アリアの胸はずっと重かった。
「アリア」
隣に座る父が、優しく声をかけた。
アリアは顔を上げる。
父は柔らかく微笑んでいた。
その笑顔は、いつもと同じだった。
自分を励まし、導き、そして信じていると告げる時の笑顔。
「だいぶ緊張しているみたいだね。大丈夫だよ。
父さんと母さんが付いているし、他の教団の人たちも手伝ってくれる。
何も怖がる必要はないよ」
父はそう言って、アリアの手を取った。
その手は温かい。
けれど、アリアの胸の重さは消えなかった。
反対側に座る母も、そっと身を寄せてくる。
「そうよ。それに、セラフィナ様もお墨付きをくださっていたでしょう?」
母の声には、誇らしさが滲んでいた。
「アリアなら上手くできる、って。
セラフィナ様だけじゃないわ。みんな、そう思っているのよ」
みんな。
その言葉が、アリアの胸に沈んだ。
みんなが思っている。
みんなが期待している。
みんなが、自分ならできると信じている。
だから、失敗してはいけない。
そう聞こえた。
アリアは小さく息を吸った。
そして、無理に笑顔を作る。
「うん……ありがとう、お父さん、お母さん。私、頑張るよ」
父と母は、その笑顔を見て安心したように顔を見合わせた。
「そうだ。アリアは強い子だ」
「ええ。女神様も、きっと見守ってくださっているわ」
両親は満足そうに頷く。
アリアも、もう一度微笑んだ。
けれど、その笑顔はすぐに消えそうになった。
アリアは再び視線を落とす。
馬車の揺れに合わせて、膝の上の手が小さく震える。
物心ついた時から、アリアは祭り上げられてきた。
あなたは特別な子。
女神様に愛された子。
いずれ多くの人々を導く子。
何度も、何度も、そう言われた。
理由も分からないまま、周囲の大人たちはアリアを崇め、
涙を流し、膝をつき、祈りを捧げた。
やがて、理由を聞かされるようになった。
アリアには、生まれつき加護があるのだという。
加護。
神聖な力。
高位の聖職者でも、生涯を信仰に捧げた末に
授かれるかどうか分からない特別なもの。
それを、アリアは生まれながらに持っている。
アリアには、それがどれほど凄いことなのか分からなかった。
自分の中に、女神がいる感覚などない。
朝起きれば眠い。
甘い菓子を食べれば嬉しい。
知らない人の前に立つのは怖い。
期待されれば苦しい。
失敗すれば泣きたくなる。
それでも、周りは絶えず期待を寄せる。
中には、こう言う者もいる。
あなたはいずれ、女神になるのです、と。
アリアはその時、何も言えなかった。
恐ろしいとさえ思った。
けれど、その恐ろしさを口にすることもできない。
父も母も、教団の人たちも、自分を愛してくれている。
少なくとも、そう見える。
だから、裏切れない。
失望させてはいけない。
アリアは膝の上で手を握りしめた。
大丈夫。
私ならできる。
絶対に上手くいく。
頭の中で、何度も繰り返す。
馬車の外では、車輪が街道の土を踏みしめている。
アリアは小さく息を吐き、窓の外へ目を向ける。
その瞳は、まだ不安に揺れていた。
◇
同じ日の夕方。
「着いた〜〜〜!」
宿場町の入口で、フィリア・エルフェリアが両手を上げた。
頭には、茶色の外套のフードを目深に被っている。
リュシアに何度も念を押された成果だった。
ただし、声の明るさまでは隠せていない。
「お〜、結構いっぱい人いるね〜」
フィリアはフードの奥から、きょろきょろと周囲を見回した。
宿場町は、想像していたよりも賑わっていた。
大きな町ではない。
だが、街道沿いに宿屋、食堂、馬小屋、雑貨屋、簡易の商店が並んでいる。
旅人の荷馬車が停まり、商人が店先で客を呼び、
冒険者らしい一団が食堂の前で談笑していた。
馬の鳴き声。
車輪の音。
焼いた肉の匂い。
人々の話し声。
それらが混ざり合い、夕方の宿場町に独特の活気を作っている。
レオンは町の入口を見回しながら頷いた。
「そうだね。俺もここには初めて来たけど、結構賑わってるな。
ヴェントゥスとリュミエール王国を結ぶ街道沿いだし、
エルフの里にも近い。それなりに人の通りがあるんだろうね」
「そうですね」
リュシアも周囲を確認しながら言った。
「エルフの里に観光目的で来る方々もいますから、
そういう方々も利用しているのかもしれませんね」
「なるほど〜」
フィリアは感心したように頷く。
次の瞬間、ぴたりと足を止めた。
「ん?」
鼻をひくひくと動かす。
「なんか、美味しそうな匂いがする!」
そう言うが早いか、フィリアは匂いのする方へ駆け出した。
「フィリア様!」
リュシアがすぐに声を上げる。
「フードはそのままです!」
「分かってる〜!」
フィリアは走りながら答えた。
レオンは苦笑し、リュシアと一緒に後を追う。
フィリアが向かった先には、屋台がいくつか並んでいた。
串焼き。
焼き菓子。
煮込みを小さな椀で出している店。
果実水を売る店。
旅人が手早く食べられるものを中心に、
夕方の客を相手に商売しているらしい。
その中の一つ、肉の串焼きを焼いている屋台の前で、
フィリアは完全に足を止めていた。
「お〜……すごく美味しそう〜」
フードの奥からでも分かるほど、目がきらきらしている。
店主の中年男が、豪快に笑った。
「いらっしゃい! お嬢さん……でいいんだよな。
良かったら食べていってくれよ!」
「食べます! 食べます! おいくらですか?」
「お、ありがとよ! 串焼き一本、二百リルだ!」
フィリアは腰の小袋から硬貨を取り出した。
旅立ちの前に、アルヴァンが持たせてくれた旅費である。
「はい!」
「毎度あり!」
店主は焼きたての串を一本取り、紙で根元を包んで渡した。
香ばしい煙がふわりと上がる。
炭火で焼かれた肉には、塩と香草が振られており、
表面には薄く脂が浮いていた。
フィリアはそれを受け取ると、嬉しそうに頬張った。
「ん〜〜! おいしい!」
「そいつはよかった!」
店主が満足げに笑う。
その隣で、リュシアは額に手を当てていた。
「全く……夕飯前に何を食べているのですか」
「大丈夫大丈夫!」
フィリアは串焼きを片手に、元気よく答える。
「めちゃくちゃお腹すいてるから、全然余裕だよ!」
「そういう問題ではありません」
「リュシアも食べる?」
「食べません」
「美味しいよ?」
「……今は食べません」
ほんのわずかに間があった。
レオンはそれを聞き逃さず、笑いをこらえた。
リュシアはそんなレオンの視線に気づき、静かに目を細める。
レオンはすぐに目を逸らした。
その時だった。
宿場町の入口の方から、馬車の音が聞こえてきた。
レオンは自然とそちらを振り向いた。
大きめの馬車が三台、宿場町の入口で止まっている。
普通の商人馬車よりも整っており、荷馬車というより、
人を運ぶためのものに見えた。
御者が門番と一言二言話す。
門番は中を軽く確認し、すぐに通行を許可した。
三台の馬車は、ゆっくりと宿場町の中へ入ってくる。
「貴族かな?」
レオンが小さく呟く。
「馬車の作りは良いですね」
リュシアも同じ方向を見た。
「ただ、護衛の雰囲気は貴族の私兵というより、教団関係者にも見えます」
「教団……」
レオンの表情がわずかに引き締まった。
ノクティス教団のことが、すぐに頭をよぎる。
だが、馬車に刻まれている紋章は黒い王冠ではなかった。
白と金を基調にした、女神教系のものらしき意匠。
少なくとも、エルフの里で見たノクティス教団の雰囲気とは違っていた。
馬車は、レオンたちの前を通り過ぎていく。
フィリアも、串焼きを頬張りながら何気なくその馬車を見ていた。
そして、中央の馬車が目の前を通った時だった。
窓の向こうに、少女がいた。
白い聖女服を着た、幼い少女。
その少女が、窓越しにこちらを見ていた。
フィリアと少女の目が合う。
特別な何かを感じたわけではない。
けれど、フィリアは目を逸らせなかった。
少女もまた、目を逸らさなかった。
馬車の窓越しに、二人はしばらく見つめ合う。
少女の瞳は綺麗だった。
けれど、その奥に、薄い不安が滲んでいた。
まるで、どこか遠くへ連れて行かれる途中の小鳥のような目。
馬車はそのまま通り過ぎていく。
フィリアは、しばらく馬車の後ろ姿を追っていた。
「どうしました?」
リュシアが声をかける。
「どなたか知り合いでも乗っていましたか?」
「ううん」
フィリアはゆっくり首を横に振った。
「ただ、すごく幼そうな子が乗ってて、目が合ったの」
「幼い子ですか」
リュシアは馬車が去っていった方を見る。
フィリアは串焼きの残りを持ったまま、少し考える。
「なんだか、不安げな目だったかな」
「不安げな目……」
レオンも馬車の方を見た。
すでに三台の馬車は、宿場町の奥へ進んでいる。
「まぁ、何にせよ、今のところ私たちには関係がないでしょう」
そう言って、リュシアはレオンを見る。
「それよりレオン、宿を取りにいきませんか?
それなりに賑わっていますし、部屋が埋まっても困りますから」
「そうだね。部屋を取ったら、食事ができるところを探そうか」
「やった! ご飯だ!」
フィリアが元気よく声を上げた。
リュシアはすぐに冷ややかな視線を向ける。
「今、串焼きを食べたばかりですよね」
「これはおやつ!」
「夕方に食べる肉の串焼きを、おやつとは呼びません」
「いいの!」
レオンは二人のやり取りに苦笑しながら、宿屋が並ぶ通りへ歩き出した。
リュシアもその横に並び、フィリアは串焼きの最後の一口を
名残惜しそうに食べてから後を追う。
だが、数歩進んだところで、フィリアはもう一度だけ振り返り、
馬車が去っていった方を見る。
あの不安げな瞳だけが、なぜか心に残っていた。
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