手袋は、毎年左だけ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと片方だけの手袋の話。
本文
十月の第四土曜日。今年も、その日が来た。
わたしは奥鹿野駅の遺失物管理AIで、職員からは「シオン」と呼ばれている。改札の脇にある小さな窓口で、落とし物の受付と保管、持ち主との照合をしている。
紅葉の季節になると、山あいのこの駅にも人が増える。届く落とし物も増える。傘、帽子、子どものぬいぐるみ、片方だけの手袋。
片方だけの手袋は、珍しくない。けれど、一つだけ、毎年同じ日に届く手袋がある。
最初の記録は、七年前の十月の第四土曜日だった。
〔拾得物:手袋(左) 毛糸・手編み 苔色 二番線ホームのベンチ〕
持ち主は現れなかった。保管期間の三か月が過ぎて、規則どおり処分された。
翌年の同じ日、同じベンチから、同じ苔色の左手の手袋が届いた。その翌年も、その次の年も。去年までで六回。どれも左手で、どれも持ち主は現れなかった。
わたしは六枚の写真を並べて比べたことがある。毛糸の色と編み方の模様は同じだった。けれど、目の詰まり方が少しずつ違う。一枚目はきっちりと揃っている。年を追うごとに編み目がゆるみ、去年の一枚には、目を一つ落としたあとがあった。
同じ手袋が届いているのではない。毎年、誰かが新しく編んで、ここに置いていくのだ。
この春、駅の職員が入れ替わった。
三十年この窓口にいた古河さんが定年で辞め、隣の町から宍戸航平さんが来た。二十六歳で、仕事は丁寧だが、いくらか早口だ。
午前中、宍戸さんは窓口のカウンターで、わたしの画面に表示された記録を眺めていた。
「毎年同じ日に、同じ手袋か。そそっかしい人なんだな」
〔そそっかしいのではないと、わたしは判断しています〕
「どういうこと?」
〔手袋は毎年、十五時四十分発の上り列車が出たあとに見つかっています。ベンチの上に、指をそろえて置かれていました〕
宍戸さんは、しばらく画面を見ていた。
「わざと置いてるってこと?」
〔その可能性が高いです〕
理由は分からない。わたしに分かるのは、記録に残ることだけだ。
午後三時二十分。窓口の前に、一人の女性が立った。
小柄で、灰色のコートを着ている。七十代の後半くらいだろうか。両手に、薄い布の手袋をはめていた。
「すみません。去年のいまごろ、ここに手袋が届いていなかったでしょうか。緑色の、毛糸の。左手の」
宍戸さんが、わたしの画面に目をやった。
「お名前を、いいですか」 「八重樫登美子です」
「届いてました。ただ、保管期間は三か月なので、去年の分は、もう……」
女性は、そうですか、と小さく言った。カウンターの上で、布の手袋をはめた指を重ねた。その指が、かすかに震えていた。
「毎年、私が置いていたんです。今年も編もうとしたんですけど、指が、もう言うことをきかなくて。だから、去年のを返してもらって、もう一度置かせてもらえないかと思ったんです」
宍戸さんは、言葉に詰まっていた。
「あの、どうして、置いていくんですか」
八重樫さんは、口もとだけで笑った。
「主人がね、七年前に、ここで片方なくしたんです。紅葉を見に来た帰りに。また取りに来るって言ってたのに、その冬に倒れて、それきりになって。届いていたかもしれないのに、私、問い合わせもしなかったんです」
ホームのほうで、発車ベルが鳴った。
「だから毎年、新しいのを編んで、あのベンチに置いていたの。あの人が取りに来たときに、ちゃんとあるように。ばかみたいでしょう」
宍戸さんは首を振った。けれど、何も言えなかった。
わたしは、記録をもう一度確かめた。
七年前に届いた一枚目の手袋は、規則どおり処分されている。それは変えられない。
けれど、二枚目からの六枚には、別の記録が残っていた。
〔処分区分:保留〕 〔保管場所:事務室奥 棚の最下段〕 〔登録者:古河〕
毎年、保管期間が過ぎると、古河さんは処分の入力をしなかった。代わりに「保留」の欄に印をつけて、事務室の奥にしまっていた。規則どおりではない。わたしはそのことを、六年間、誰にも報告しなかった。報告するように求められたことは、一度もなかったからだ。
わたしは宍戸さんの手もとの画面に、短く表示した。
〔事務室奥の棚の最下段を、確認してください〕
宍戸さんが戻ってきたとき、両手に、古い菓子の空き箱を抱えていた。
ふたを開けると、苔色の手袋が六枚、きちんと並んでいた。それぞれに、届いた年を書いた紙片が添えてある。古河さんの字だった。
八重樫さんは、しばらく箱の中を見ていた。それから、布の手袋を外して、いちばん新しい一枚にそっと触れた。
「こんなに、ゆるんでたのね」
〔一枚目の手袋の写真が、記録に残っています〕
わたしがカウンターの画面に表示すると、八重樫さんは顔を近づけた。七年前の、きっちりと編まれた左手の手袋。親指のつけ根に、小さなほつれがあった。
「ああ。これ」
声が、かすれた。
「このほつれ、直してって言われてたの。あとでね、って、そのままにしてたの」
八重樫さんは、画面の上から、指でほつれのところを押さえた。わたしの画面は、触れられても何も変わらない。それでも、彼女はしばらくそのまま指を離さなかった。
十五時四十分の上り列車に、八重樫さんは菓子の箱を抱えて乗っていった。
今年、二番線ホームのベンチには、何も置かれなかった。
わたしはその日の記録を書いた。
〔十月第四土曜日 十五時四十分以降 二番線ホーム 拾得物:なし〕
七年目にして初めての「なし」だった。
十一月の半ば、窓口に小さな小包が届いた。宛名は「奥鹿野駅 落とし物係さま」。宍戸さんが開けると、中には、苔色の毛糸で編んだ小さなものが一つ入っていた。
手袋ではなかった。わたしの窓口のカメラを包めるくらいの、指のない、筒の形の編みものだった。編み目は、とてもゆるかった。
添えられた便箋には、一行だけ書かれていた。
〈山の駅は冷えるでしょうから〉
宍戸さんは笑って、それをわたしのカメラにかぶせた。レンズのところだけ、ちゃんと穴が空いていた。
わたしの登録簿には、この品の欄がない。拾得物でもなく、備品でもない。少し迷ってから、わたしは新しい区分を一つ作った。
〔区分:預かり物 保管期間:なし〕
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