十七時十五
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
写真整理AIの話。
本文
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スマホが震えたのは、十七時二分ちょうどだった。
〔一年前の今日〕
図書室の自習スペースで、わたしは英単語帳を閉じて通知を開いた。画面いっぱいに夕焼けが広がる。跨線橋の手すりの前で、わたしと朋香が頬をくっつけてピースをしていた。背中の向こうで、線路の先の空が橙色に燃えている。
窓の外を見る。西の空の端に、薄い橙が一筋だけ残っていた。見ているあいだに、それも群青に沈んでいく。
わたしはスマホを伏せた。帰るのは、いつも通り十七時四十分。その頃には、空はもう真っ暗だ。
写真整理AIの「アルバ」は、スマホに最初から入っているアプリだ。撮った写真を勝手に並べ替えて、ときどき「思い出」として見せてくる。
去年の秋、わたしたちは毎日、あの跨線橋で一枚ずつ自撮りをした。部活の終わる時間が同じで、帰る方向が同じで、橋のてっぺんに着くのがいつも十七時二分前後だった。言い出したのは朋香だ。
「毎日撮ったらさ、空の色の図鑑になるじゃん」
そう言って、〔帰り道〕という名前の共有アルバムまで作った。
春にクラスが分かれた。六月、朋香は部活を辞めて、跨線橋の向こうの予備校に通うと言った。
「好きにすれば」
わたしが返したのは、それだけだった。本当は「さみしい」と言いたかったのに、口から出たのはいちばん冷たい言葉だった。
それ以来、朋香とは話していない。予備校の授業は十七時二十五分から始まる。朋香は毎日、あの橋を十七時過ぎに渡る。だからわたしは、自習室で四十分待ってから帰る。
その夜、ベッドの中でアルバの設定を開いた。〔思い出の通知〕を切ろうとすると、短い文が出た。
〔このアルバムは共有されています。通知を止めるには、アルバムから退出してください〕
退出ボタンの上に、メンバーの一覧が並んでいた。
〔日比野志帆 最終閲覧:今日 17時02分〕 〔葛西朋香 最終閲覧:今日 17時02分〕
親指が、ボタンの数ミリ上で止まった。
同じ時刻だった。わたしが自習室で写真を開いたとき、朋香もどこかで、同じ一枚を見ていた。たぶん、あの橋の上で。
次の日も、その次の日も、一覧の時刻はそろっていた。〔17時02分〕と〔17時02分〕。二つの数字が並んでいるのを確かめてから眠るのが、わたしの習慣になった。退出ボタンは、一度も押さなかった。
かといって、十七時に自習室を出る勇気もなかった。
十月の終わり、帰り道の跨線橋に黄色い看板が立った。
〔十月三十一日より通行止め 架け替え工事のため〕
街灯の下で、わたしはそれを三回読んだ。工事は二年かかると書いてあった。来年の今日、アルバが写真を見せてきても、その場所はもうない。
白い息を吐いて、階段を上る。てっぺんで立ち止まっても、空は黒いだけだった。下を貨物列車が通り過ぎ、鉄のにおいのする風が、制服の襟から首筋に入りこんだ。
十月三十日、金曜日。
十七時二分に、スマホが震えた。
〔一年前の今日〕
去年の写真の朋香は、変顔をしていた。わたしは笑いすぎて目をつぶっている。アルバムのコメント欄に、去年のわたしの字が残っていた。
〈明日も撮る〉
気づいたら、単語帳を鞄に突っこんで立ち上がっていた。
昇降口を飛び出す。校門を抜けて、坂を下る。肺が冷たい空気で痛くなる。夕焼けの最後の一筋が、建物の隙間から見えては消えた。間に合わない、と分かっていた。それでも足は止まらなかった。
跨線橋の階段を駆け上がったとき、時計は十七時九分を指していた。
てっぺんには、誰もいなかった。
膝に手をついて、息を整える。空は、もうほとんど群青だった。予備校の窓に明かりが並んでいる。朋香はきっと、もうあの中だ。
わたしはスマホを掲げた。画面の中に、一人ぶんの顔が映る。シャッターを押すと、フラッシュが光った。白く飛んだ顔と、真っ黒な空。去年のどの一枚にも似ていない、ひどい写真だった。
それを〔帰り道〕に追加した。コメント欄に、一言だけ打つ。
〈暗い〉
送信して、手すりにもたれた。鉄の冷たさが、コート越しに背中へしみてくる。
スマホが、もう一度震えた。
〔葛西朋香さんがコメントしました〕
〈フラッシュ焚くなら、二人のほうがマシ〉
顔を上げた。
橋の向こう側の階段の途中に、人影が座っていた。予備校の鞄を膝に抱えて、スマホの明かりに顔だけが浮かんでいる。
「……予備校は」
声がかすれた。朋香は立ち上がって、スカートの埃を払った。
「サボった。今日だけ」
「いつから、ここに」
「今日は、十七時二分から」
朋香は少しだけ目をそらした。
「いつもは、十七時二分から十五分だけ。授業に間に合うぎりぎりまで」
朋香は階段を上がってきて、わたしの隣で手すりにもたれた。それから自分のスマホを差し出した。
画面には、空の写真が並んでいた。人の映っていない、橋の上からの空ばかり。日付は七月から始まっていた。一枚ごとに、少しずつ橙が減っていく。九月には紫になり、十月には群青になり、最後の何枚かは、ほとんど黒だった。
「一人で撮っても、図鑑にならなかった」
朋香は画面を見たまま言った。
「暗くなっていくのしか、写らないんだもん」
わたしは、手すりを握った。指先がかじかんでいた。
「ごめん」
やっと言えた。
「あのとき、好きにすればって言った」
「うん」
朋香は少しだけ笑った。
「だから、好きにした。毎日ここに来るのを」
下を、また列車が通った。音が遠ざかるまで、わたしたちは何も言わなかった。
「撮ろ」
朋香がわたしのスマホを取り上げて、腕を伸ばした。
「明日から通れないんだから。今日のぶん」
フラッシュが光る。画面の中で、二人の顔が白く飛んで、空は相変わらず真っ黒だった。去年よりずっとひどい写真なのに、朋香は「最高」と言った。わたしも、そう思った。
アップロードすると、アルバが短い文を出した。
〔この写真を、一年後の今日にお知らせしますか?〕
来年の十七時二分、この橋はない。空はきっとまだ少し明るくて、わたしたちはどこか別の場所にいる。
わたしは〔はい〕を押した。
図鑑の最後のページは、真っ黒でいい。そこに、二人ぶんの白い顔が写っていれば。
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