わかりません
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと第一希望の話。
本文
チャイムが鳴ったとき、教室の時計は二時五十三分を指していた。
二年二組の掛け時計は、七分遅れている。四月からずっとだ。秒針は十二のところで毎回一瞬だけ引っかかって、それから思い出したように進む。誰も気にしない。みんな、時間はタブレットの隅で見るからだ。
わたしだけが、ときどきあの引っかかりを数えている。
「はい、結果が出た人から用紙に書き写してー」
根岸先生が、教卓で進路希望調査票の束をそろえた。締め切りは今週の金曜。中二の秋に初めて書く、第一希望から第三希望まで。
その前に、全員がタブレットで適性診断AIの「シルベ」を受けていた。六十問の質問に「そう思う」から「そう思わない」までの五段階で答えると、向いている高校や学科を三つまで選んでくれる。
「七緒、見て見て」
隣の席の真柴心晴が、画面をこちらに傾けた。
〔第一希望:看護科〕 〔第二希望:普通科(医療系進学)〕 〔第三希望:福祉科〕
「当たってる。こわ」
心晴は小四のときから、看護師になると言い続けている。シルベは、それをちゃんと読み取っていた。
わたし、塩見七緒の画面には、こう出ていた。
〔第一希望:わかりません〕 〔第二希望:わかりません〕 〔第三希望:わかりません〕
心晴がのぞきこんで、ふき出した。
「え、なにそれ。AIに見放されてるじゃん」
前の席の男子まで振り返って笑った。わたしも笑った。笑っておくのが、いちばん早く話が終わるからだ。
「故障かもな。塩見、家でもう一回やってみ」
根岸先生はそう言って、白紙の調査票をわたしの机に置いた。
夜、自分の部屋でもう一度受けた。
「休みの日は外に出かけたい」「人前で話すのは苦手ではない」「数字を扱うのが好きだ」。一問ずつ読んで、一問ずつ答えた。
〔第一希望:わかりません〕
同じだった。
三回目は、答え方を変えた。心晴ならこう答えるだろう、先生が喜びそうなのはこっちだろう、と考えながら押していった。
〔第一希望:県立東雲高校 普通科〕 〔第二希望:県立北陵高校 普通科〕
ちゃんと出た。ちゃんとした高校の名前だった。なのに、知らない子の名札を胸に付けられたような気がした。わたしは保存せずに、その結果を閉じた。
閉じた画面の下に、目立たないボタンがあった。
〔回答履歴を見る〕
開いてみる。一回目と二回目の回答が、六十行ずつ並んでいた。
〔どちらでもない〕 〔どちらでもない〕 〔どちらでもない〕
指でスクロールしても、スクロールしても、同じ文字が続いた。六十問中、六十問。二回とも、全部。
いちばん下に、シルベからの短い説明がついていた。
〔回答から推定できる希望はありませんでした。この結果は、あなたの回答をそのまま反映しています〕
故障じゃなかった。
シルベは、わたしを正直に映していただけだった。
布団に入っても、眠れなかった。
好きなものを聞かれると、いつも困る。嫌いなものもない。給食も体育も音楽も、だいたい「ふつう」だ。部活は友だちに誘われて入った美術部で、絵は上手くも下手でもない。
心晴には看護師がある。前の席の男子にはサッカーがある。わたしには、「どちらでもない」が六十個ある。
暗い部屋で、タブレットだけが青白く光っていた。診断画面の隅の入力欄に、わたしは指で打った。
わたし、何が好きなのかな。
送ってから、ばかみたいだと思った。AIに聞いてどうするんだろう。
返事は三秒後に来た。
〔その質問には、私は答えられません〕 〔代わりに、六十一問目を追加してもいいですか〕
「はい」を押した。
〔最後に時間を忘れたのは、いつですか〕 〔五段階ではなく、文章で答えてください〕
指が止まった。
ゲームでも、動画でもない。あれは時間を忘れているんじゃなくて、時間がなくなっているだけだ。
それから、思い出した。
六月の掃除の時間だった。掛け時計のほこりを拭くために、わたしは椅子に乗って時計を壁から外した。裏の電池のふたが少し浮いていたので、なんとなく開けてみた。中には、小さな歯車が重なっていた。大きい歯車がわずかに回ると、小さい歯車がいくつも回る。秒針が十二で引っかかるたびに、いちばん小さな歯車が、かすかに震えていた。
「七緒、掃除もう終わってるよ」
心晴に肩をたたかれて顔を上げたら、教室には誰もいなかった。十五分たっていた。
そのことを、そのまま打った。思ったより長くなった。送信すると、少しして画面が変わった。
〔回答を登録しました〕 〔六十一問目は診断には使われません。希望の推定は、引き続き「わかりません」です〕
なんだ、と思った。
でも、その下にもう一行あった。
〔この回答だけ、「どちらでもない」ではありませんでした〕
次の日の放課後、職員室で根岸先生に頼んだ。
「教室の時計、直してみてもいいですか」
先生は一瞬きょとんとして、それから引き出しから精密ドライバーのセットを出してくれた。
「壊すなよ。いや、もう壊れてるのか、あれ」
「七分遅れてます。あと、秒針が引っかかってます」
「よく見てんなあ」
誰もいない教室で、時計を机に寝かせた。カバーを外すと、秒針の根元がほんの少し曲がって、分針にこすれていた。それが、引っかかりの正体だった。息を止めて、爪の先で秒針を髪の毛一本ぶんだけ持ち上げる。電池を新しいものに替え、スマホの時報に合わせて竜頭を回す。
カチ、カチ、カチ。乾いた音が、静かな教室にやけに大きく響いた。
窓の外が暗くなっていくのに、気づかなかった。
「塩見、もう六時だぞ」
入り口に、根岸先生が立っていた。いつからか、ずっと見ていたらしい。
わたしは冷えきった指で、時計を持ち上げた。秒針は十二のところを、何事もなかったように通り過ぎていった。
金曜日、調査票を提出した。
第一希望の欄には、こう書いた。
まだわかりません。
その下の備考欄に、小さく一行足した。
時計の中を見るのが好きです。
根岸先生はそれを読んで、口の端を少し上げた。それから赤ペンで横に何か書いて、用紙を返してくれた。
〈第一希望の書き方として、今年いちばん正直です〉
席に戻ると、心晴がわたしの用紙をのぞきこんだ。
「わかりません、のままじゃん」
「うん。でも、前のとは違うわかりません」
心晴は首をかしげた。説明しようとして、やめた。たぶん、シルベにしか分からない。
六時間目の終わりに、チャイムが鳴った。
わたしは顔を上げた。教室の後ろの掛け時計は、ちょうど三時を指していた。秒針は引っかからずに、十二を越えていった。
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