第七十六話:100という数字
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
日常に潜む小さな違和感を記録し続けると、100個集めたとき、何かが起きるらしい。 逆行する時計、誰もいない部屋の足音、鏡の中の自分…… でも、最後に待っているのは「終わり」ではなく、君へのバトンだ。 7人の語り部が紡ぐ、永遠に終わらない百物語。 次はお前が観測者になるのか?
本文
これは私が記録した、七十六本目の違和感である。
今回も、語り部は、いない。
書くのは、百という、数字のことだ。
────────────────
記録を、終えた。
棚から、蝋燭を、取り出す。芯に、火を、灯す。炎が、揺れた。右に。いつもと、同じ、方向だった。
しばらく、見つめてから、指を、伸ばした。芯を、湿らせた。じゅっ、という、小さな、音。
七十六本目は、静かに、消えた。
残り、二十四本。
その数字を、書き終えて、初めて、気づいた。少しだけ、小さく、見えた。これまで、何百回、何千回と、頭の中で、繰り返してきた「残り」という数字だった。減っていくたび、重さが、増していく感覚しか、なかった。今夜、初めて、違った。あと、少し。そう感じている自分に、気づいて、ペンを持つ手が、一瞬、止まった。
その感覚を、ノートの隅に、書き留めようとして——やめた。感じたことは、感じたことのまま、置いておけばいい。理由を、探す必要は、ない。七十六回、そう自分に、言い聞かせてきた。
窓の外に、目を、やった。同じ夜、七人が、それぞれの場所で、同じ方向を、向いている。そんな気配が、まだ、残っていた。方向の先に、何があるのか。前回の記録には、そう書いた。今夜も、答えは、出なかった。
出なかった代わりに、別の問いが、頭を、離れなかった。
────────────────
なぜ、百なのか。
考え始めたのが、いつからだったか、思い出せない。百という数字そのものに、根拠は、ないはずだった。それでも、その数字を、疑ったことは、一度も、なかった。百に、達すれば、何かが、終わる。何かが、分かる。ただ、そう信じて、記録を、続けてきた。
信じているだけでは、足りない、気がした夜だった。
椅子から、立ち上がった。電灯を、点けるより、先に、体が、動いていた。
真っ暗な、書棚の前に、立っていた。取材で、集めた資料が、年代も、分野も、ばらばらに、詰まっている。何を、探しているのか、自分でも、分からなかった。
気づけば、手が、伸びていた。いちばん、奥の段へ、迷いなく。指先が、一冊の、背表紙に、触れた。探した、という感覚は、なかった。ただ、そこに、あることを、最初から、知っていたような、動きだった。
一冊の本を、取り出した。何年か前、古書店で、買った。買った理由は、覚えていない。開いた形跡も、なかった。手に取ると、重さだけが、確かだった。
机に、戻ってから、初めて、電灯を、点けた。表紙に、色あせた文字——「百物語考」。手のひらに、埃の、感触が、残った。蝋燭は、今夜の分を、すでに、使い切っていた。灯りの下で、表紙を、開いた。
────────────────
ページを、めくった。
紙は、乾いていて、めくるたびに、小さな音を立てた。各地に伝わる、様々な、異説が、並んでいた。ある土地では、百本の、線香。ある土地では、百枚の、御札。灯りの、形は、違っても、数だけは、どの伝承でも、百で、揃っていた。理由を、記した箇所は、どこにも、なかった。ただ、百だから、百なのだと、当然のことのように、書かれていた。
半分ほど、読み進めた、ところで。文字の、密度が、急に、変わった。他の項が、伝聞や、異説の、紹介に、留まっていたのに対し、その一項だけ、著者自身の、体験として、記されていた。
読み進めるうち、指が、止まった。
「百本目の、蝋燭を、消したる、その刹那——語りし者と、聞きし者、繋がるなり」
そう、書かれていた。
その一節の、横に。
小さな文字で、書き込みが、あった。誰の字か、分からなかった。インクの色が、周りの活字よりも、明らかに、新しかった。
「気をつけろ」
────────────────
続きを、探した。
「繋がる」の意味を、著者は、こう注していた——語り終えた者の記憶が、聞いた者の内側へ、流れ込む。それが、「繋がる」の実体だという。読み終えた記録が、読んだ者の一部に、なる。二つの輪郭が、次第に、見分けが、つかなくなっていく。そう、書いてあった。
輪郭、という言葉に、一度、目を、留めた。自分の書く記録にも、同じ言葉が、似合う気が、した。理由は、考えないことに、した。
指を、止めることも、できた。本を、閉じることも、できた。
閉じなかった。
理由は、なかった。ただ、続きが、知りたかった。止める理由が、目の前に、あるのに、止めなかった。その事実だけが、静かに、そこに、あった。
────────────────
最後の、ページに、たどり着いた。
残り、あと、数枚。窓の外は、まだ、暗かった。部屋の音は、電灯の、微かな、唸りだけに、なっていた。
「百物語を、完遂したる、記録者は、いまだ、一人も、なし。全員が、百本目の、直前にて——」
そこで、文字が、途切れていた。
紙が、破れていた。破れ口は、古く、変色していた。真新しい、破れ方では、なかった。この本が、この形に、なってから、長い年月が、経っている。誰が、いつ、破いたのか、跡からは、分からなかった。続きは、ない。永遠に、ない。
「全員が、百本目の、直前にて」
その先に、何が、続くのか。答えを、探そうとする、そばから。二の腕に、鳥肌が、立っていることに、気づいた。頭の中では、何十通りも、続きを、作った。作るたびに、別の言葉が、浮かんだ。誰かが、代わりに、答えを、探しているみたいに、次々と、湧いてきた。どれも、確かめようが、なかった。息を、止めていたことに、ようやく、気づいて、大きく、吐いた。読み終えた、あとも、頭の中で、その続きが、勝手に、生まれ続けた。
────────────────
本を、閉じようとして——最後に、奥付を、見た。
習慣だった。取材でも、記録でも、出典は、必ず、確かめる。著者名、発行年、出版元。長年、体に、染み付いた、手順だった。
奥付には、著者名が、印刷されていなかった。空欄のまま、なぜか、そこだけ、印刷が、抜け落ちていた。代わりに、余白に、手書きで、一行、書き添えられていた。先ほどの「気をつけろ」と、同じ筆跡だった。
指が、止まった。
その名前を、知っていた。目に、入った瞬間、確かめる前に、分かっていた。
自分の、字だった。
顔を、寄せた。無意識に、確かめようとしていた。
紙に、鼻先が、触れそうな、距離で。微かに、インクの、匂いが、した。
今夜、ノートに、書いたのと、同じ、匂いだった。机の上の、万年筆と、同じ、インクの、匂いだった。
本を、持つ手に、力が、入った。それ以上、力を、抜くことも、込めることも、できなかった。しばらく、そのまま、動けなかった。電灯の下、部屋には、紙の匂いと、静けさだけが、残っていた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。