ハロウィンの約束(トト)
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あらすじ
ミリアは瞳を閉じて、今この瞬間が永遠に続くことを強く願った。
本文
# ハロウィンの約束
## 第一部
## 第1章 オレンジ色の街
秋の風が石畳の街路を撫でていく。エルドリア王国の国境近く、交易の要所として栄えるこの街は、今まさにハロウィンの熱気に包まれていた。
「わあ、見て見てロウエン! どの家も飾り付けが素敵!」
栗色のショートボブを揺らして、ミリアは目を輝かせた。癒しの魔術師として騎士団に所属する彼女は、普段は団服を着ているが、今日は街歩きにふさわしい軽装だ。
「ああ。王都ヴァルクロスとはまた違った賑わいだな」
黒髪の若き騎士、ロウエンが穏やかに答える。精悍な顔つきには柔らかな笑みが浮かんでいた。腰の剣は任務中でなくとも決して手放さない。それが彼の流儀だった。
通りの両脇には、かぼちゃのランタンが無数に並んでいる。まだ昼間だというのに、その中にはもう蝋燭を灯しているものもあった。オレンジ色の温かな光が、秋の午後の陽射しと溶け合っている。
軒先には魔女の帽子や黒猫の飾り、骸骨のぬいぐるみ、こうもりの切り絵が吊るされ、まるで街全体が巨大な舞台装置のようだ。パン屋の窓には、黒とオレンジのアイシングで飾られたクッキーが並び、肉屋の看板には「ハロウィン特別! 悪魔風スパイシーソーセージ」の文字が躍っている。
「ミリア、あそこの露店を見てみろ」
ロウエンが指差した先には、仮装用の衣装や小道具を売る屋台が並んでいた。吸血鬼のマント、狼男の爪、幽霊のシーツ、そして――
「まあ! 可愛い魔女の帽子!」
ミリアは小走りに露店へと向かった。黒いフェルトに紫のリボンがあしらわれた、つばの広い三角帽子。手に取ってかぶってみると、ちょうどいい具合に頭にフィットした。
「お嬢さん、よくお似合いだ。癒しの魔術師には魔女の帽子がぴったりだね」
露店の老人が笑う。ミリアははにかんで、帽子を購入した。銀貨三枚。少し高いが、ハロウィンの思い出には値する。
「似合ってるぞ、ミリア」
「本当? ありがとう!」
## 第2章 癒しの光と甘い香り
二人が街を歩いていると、路地の方から子供の泣き声が聞こえてきた。
「うわああん!痛いよぅ!」
「大変!」
ミリアは迷わず路地へと駆け込んだ。
「ミリア、待て!」
ロウエンも後を追った。
路地の奥、積み上げられた木箱の脇に、小さな女の子が座り込んで泣いていた。五歳くらいだろうか。金色の巻き毛に、水色のワンピース。そして右膝から血が流れている。
「大丈夫?」
ミリアは優しく声をかけながら膝をついた。女の子は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「うわああん!」
「大丈夫よ、すぐに治してあげるから」
ミリアの手が柔らかな光を帯び始めた。癒しの魔術——彼女の得意とする回復魔法だ。温かな光が女の子の傷を包み込んでいく。
傷口がみるみる塞がっていく。血は止まり、赤く腫れていた皮膚が元通りの健康な色に戻っていく。
「わあ…!」
女の子の瞳が驚きに見開かれた。痛みが消えた膝を、信じられないという様子で触っている。
「ほら、もう大丈夫」
「すごい! 魔法!?」
女の子は飛び跳ねて喜んだ。さっきまでの涙はどこへやら、目を輝かせてミリアの周りをぐるぐると回る。
「ええ、魔法よ。あなた、お名前は?」
「わたし、リリ! ねえねえ、もう一回! もう一回魔法見せて!」
リリはミリアの手を掴んだ。子供特有の、躊躇のない信頼。ミリアの心が温かくなる。
「お嬢ちゃん、お母さんは?」
ロウエンが尋ねた。
「ママはパン屋さんだよ!」
「ねえ! 一緒に遊ぼ! ハロウィンの飾り、いっぱいだよ!」
「いいわよ。でも、先にママのところに行きましょう」
「うん! あそこのお店、すごいんだよ!」
リリはミリアの手を引っ張って歩き出した。ロウエンとミリアは顔を見合わせて微笑む。
三人は街の広場へと向かった。広場の中央には巨大なかぼちゃのオブジェが鎮座し、その周りを色とりどりの屋台が囲んでいる。
「わあ、リンゴ飴だ!」
「あっちはキャンディケイン!」
「見て見て、魔女のクッキー!」
リリははしゃぎながら、あちこちを指差す。ミリアは女の子の手を優しく握りしめた。
三人は広場の屋台を巡り始めた。
「これ、パンプキンパイだって! 食べたい!」
「こっちはアップルサイダー!」
「わあ、ゴーストのマシュマロ!」
リリの興奮は止まらない。ミリアとロウエンは微笑ましく見守った。
屋台の一つで、ミリアは「魔女の指」と呼ばれるクッキーを購入した。アーモンドを爪に見立てた、細長いクッキーだ。見た目は不気味だが、バターの香りが食欲をそそる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
リリが両手でクッキーを受け取る。一口齧ると、目を丸くした。
「おいしい!」
## 第3章 骸骨の仮面
「トリック・オア・トリート!」
突然、背後から声がかかった。三人は振り向いてギョッとした。そこには不気味な人物が立っていた。
全身を黒いローブで覆い、顔には骸骨の仮面をかぶっている。手には大きな鎌を持っていた。まさに死神の仮装だ。
「こ、怖いよぅ…」
リリがミリアの後ろに隠れた。
「何者だ。おかしな真似をすると承知しないぞ!」
ロウエンは反射的に剣の柄に手をかけた。
「リリ? 大丈夫よ、ただの仮装だから」
死神仮装の人物は骸骨の仮面を持ち上げた。その下から現れたのは、まだあどけなさの残る顔立ち。大きな瞳に、いたずらっぽい笑み。背格好からすると少女かもしれない。
「ハハ、ごめんごめん。お菓子をあげるから機嫌直してよ」
死神少女――いや、少女は小さな袋からカラフルな飴玉を取り出して、リリに差し出した。
「わあ! ありがとう!」
リリの目が輝く。子供の機嫌は実に単純だ。リリは喜んで飴を受け取った。
「ボクの名前はトト。よろしくね」
トトは自分も飴玉を口に放り込んだ。
「ちょっと君たちに興味があってさ」
「あのね! ミリアはね、魔法が使えるんだよ! すごいでしょ!?」
リリが得意げに言う。まるで自分のことのように。
「へえ、すごいねえ。それで君は…騎士?」
「ああ。俺とミリアは王国騎士団『銀狼の牙』所属だ」
「ふうん、強そうだね。理想の騎士さまって感じだ?」
トトは意味ありげにミリアの方を見た。
「君たちも夕方には広場に行くんでしょ? それじゃ、またね。トリック・オア・トリート!」
「トリック・オア・トリートだよ!」リリは元気よく答えた。
トトは去っていった。
「一体何だったんだアイツは…」
「でも、悪い子じゃないみたい」
## 第4章 温かな家
しばらく街を散策した後、三人はリリの家へと向かった。石畳の路地を抜けると、小さなパン屋が見えてくる。店の看板には「エルサのパン工房」と書かれていた。
扉を開けると、甘い香りが漂ってくる。焼きたてのパン、シナモン、バニラ…そしてかぼちゃのスパイス。
「ただいま!」
リリが元気よく店に入る。
「リリ! おかえりなさ――」
奥から現れた女性が、娘の後ろにいる二人を見て目を丸くした。
「あら、お客様かしら?」
「いえ、リリちゃんが転んで怪我をしていたので治療したんです」
ミリアが説明すると、エルサは深々と頭を下げた。
「まあ! それはそれは…本当にありがとうございます」
「ママ! ミリアの魔法凄いんだよ!」
「そう、良かったわね」
エルサは娘の頭を撫でた。
「あのね、ママ! パン食べたい!」
「はいはい、今お昼を用意しますからね」
「本当にお世話になりました。皆さんも召し上がってくださいね」
エルサは棚からパンの詰め合わせを取り出した。ハロウィン特別仕様の、かぼちゃの形をした甘いパンや、黒ごまを使った真っ黒なパン、オレンジ色のアイシングで飾られたロールパンなどが入っている。
「ママのパン、すっごく美味しいよ! はやく食べよう?」
リリが嬉しそうに跳ねる。
「ありがとうございます。大切にいただきます」
店の奥で少し休憩をさせてもらうことになった。小さなテーブルに、焼きたてのパンと温かいお茶。
「美味しい!」
ミリアが目を輝かせた。
「パパがね、もうすぐ帰ってくるんだよ!」
リリが突然言った。
「素敵ね! パパはどんなお仕事をしてるのかしら?」
「ええ。今日は夫が帰ってくる日なんです」
「夫は隊商の護衛をしていまして。遠い国まで交易に出ているんです。でも、ハロウィンに必ず帰ってくると手紙が来て」
「パパが一番強いんだよ! すごいでしょ!?」
リリが胸を張る。
「俺だって、結構強いぞ」
「ロウエン…」
「パパの方が強いよ! みんな言ってるよ! パパが一番強いって!」
リリが勢いよく話すあまり、手に持っていたクッキーの破片がぽろりと落ちた。
「もう、リリったら。ちゃんと座って食べなきゃダメでしょう」
「えへへ…」
リリは舌を出して笑った。
「すみません…失礼なことを言って…」
「いいんです。ロウエン、リリのパパが一番よね?」
「ああ、まあ…そうだな。リリのパパの方が強いかもな」
ロウエンも自分が少し大人げなかったと認め、照れ臭そうに笑った。
「あの、もしよろしければ…夕方からのハロウィン祭りも、リリと一緒に回っていただけませんか?」
「もちろんです」
ミリアはロウエンを見た。ロウエンは頷く。
「喜んで」
「やったー! みんなと一緒にお祭り行ける!」
リリが飛び跳ねた。
## 第5章 仮面の夜
夕方が近づいてきた。西日が石畳の街路をオレンジ色に染める。この時間がハロウィンには一番似合う。
「さあ、行きましょう!」
エルサとリリが店を閉めて出てきた。リリは魔女の衣装を着ている。黒いドレスに紫のマント、そして――
「リリ、魔女の帽子よ」
ミリアは自分が買った魔女の帽子をリリに被せてあげた。少し大きめだが、それがまた可愛らしい。
「似合う?」
「とっても似合うわ!」
「やったー!」
リリは嬉しそうにくるりと回った。
街は完全にハロウィンモードに入っていた。家々の窓にはかぼちゃのランタンが灯り、オレンジ色の光が通りを照らしている。大人たちも仮装をしている人が多い。吸血鬼、狼男、魔女、骸骨…幻想と現実の境界が曖昧になる夜。
広場には特設ステージが設けられ、そこでは音楽隊が軽快な曲を奏でていた。フィドル、フルート、太鼓。人々は手拍子をし、踊り、笑う。
「トリック・オア・トリート!」
子供たちの声が至る所から聞こえてくる。小さな魔女や幽霊、骸骨に扮した子供たちが、家々を回ってお菓子をもらっている。
「ミリア! あっちの家に行こう!」
リリが手を引っ張る。
「はいはい、わかったわ」
ミリア、リリ、そしてエルサの三人で最初の家を訪れた。ロウエンは少し離れたところから見守っている。
「トリック・オア・トリート!」
リリが元気よく叫ぶ。
「まあ、可愛い魔女さん!」
扉を開けた老婆が笑顔でキャンディの袋を差し出した。
「ありがとうございます!」
リリは丁寧にお辞儀をしてキャンディを受け取った。
次の家では、かぼちゃの形をしたクッキー。その次では、チョコレートバー。リリのバスケットはあっという間にお菓子でいっぱいになった。
「すごいでしょ!」
リリが誇らしげにバスケットを見せる。ミリアは微笑んだ。
広場に戻ると、リリの友達らしい子供たちが駆け寄ってきた。
「リリ! 一緒に回ろう!」
「うん!」
子供たちの輪にミリアも入れてもらった。小さな魔女、幽霊、こうもり、黒猫…様々な仮装をした子供たちが、ミリアの周りに集まる。
「お姉さん、魔女なの?」
「本物の魔女?」
「魔法使える?」
質問攻めだ。ミリアは笑いながら答えた。
「ええ、魔法が使えるわよ。癒しの魔法だけどね」
「すごーい!」
「見せて見せて!」
「うーん…じゃあこれならどう?」
ミリアは手のひらに小さな光球を浮かべた。淡い緑色の光が、子供たちの顔を照らす。
「わあ…!」
「きれい!」
「触っていい?」
「どうぞ」
子供たちが恐る恐る光球に手を伸ばす。触れると、ほんのり温かい。
「ふわふわしてる!」
「お日様みたい!」
子供たちの歓声。ミリアの心が満たされていく。これだ。これが彼女が魔術師になった理由。人を癒し、笑顔にすること。
広場には大きな焚き火が起こされ、その周りで人々が輪になって踊っている。古代ケルトのサウィン祭を再現したものだろう。炎が夜空に向かって揺らめき、火の粉が舞い上がる。
屋台では様々な料理が売られていた。
「悪魔のローストチキン」――スパイシーなソースがたっぷりかかった、真っ赤なチキン。
「魔女のシチュー」――かぼちゃとキノコ、根菜がたっぷり入った、濃厚なクリームシチュー。
「ゴーストパン」――真っ白な生地に黒ごまで目と口が描かれた、幽霊の形のパン。
「吸血鬼のブラッドワイン」――ザクロとベリーで作った、深紅の甘いワイン。
「骸骨クッキー」――アイシングで骨格が描かれた、人型のジンジャークッキー。
トトは様々な屋台を巡り、お菓子を買い集めていた。両手いっぱいの飴玉、チョコレート、クッキー。
「トト、そんなに食べて大丈夫?」
ミリアが心配そうに尋ねる。
「大丈夫大丈夫。ボクはお菓子がエネルギー源なんだ」
トトは仮面を少し持ち上げて、飴玉を口に放り込んだ。
その時だった。
屈強な男が広場にやってきた。日焼けした肌、鍛え上げられた筋肉、そして腰には立派な剣。旅装束は埃にまみれ、長旅の疲労が滲んでいる。
トトはその男の顔をじっと見つめた。
「ふ~ん…」
トトは小さく呟いた。
「おじさんも戻って来たんだね」
誰に言うでもなく、独り言のように。その声には、何か不思議な響きがあった。
## 第6章 帰ってきた約束
「パパ!!」
リリの叫び声。
時が止まったように感じた。リリは全速力で走り出す。バスケットからお菓子がこぼれ落ちるのも構わず。
「パパ! パパ!!」
男が振り向く。その顔に驚きと、そして深い愛情が浮かんだ。
「リリ!」
男は膝をついて、走ってくる娘を両腕で受け止めた。
「パパ! パパ! 会いたかった! 会いたかったよ!」
リリは父親の胸に顔を埋めて泣いた。
「ああ、俺もだ。ずっと会いたかったぞ」
男――マルクは娘を抱きしめた。その腕は、何があっても守り抜くという強い意志に満ちていた。
「マルク…」
エルサが近づいてくる。目には涙が溢れていた。
「エルサ…ただいま」
「おかえりなさい」
二人は抱き合った。言葉はいらない。ただそこにいること、生きて会えたこと。それだけで十分だった。
ミリアは少し離れたところから、その光景を見守っていた。胸が熱くなる。こういう瞬間のために、人は生きているのかもしれない。
「パパ! あのね、あのね! 今日すごかったんだよ!」
リリは涙を拭いながら、興奮気味に話し始めた。
「ミリアがね、魔法使えるの! 本物の魔法! それでね、わたしの怪我を治してくれたの! すごいでしょ!?」
「そうか。それは素晴らしいな」
マルクはミリアの方を見て、深々と頭を下げた。
「娘が世話になりました。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。リリちゃんと過ごせて楽しかったです」
「それでね! ロウエンはね、強い騎士だよ!」
「ほう、騎士殿か」
マルクはロウエンを見た。同じ戦士としての視線。ロウエンも頷き返す。
「それでね、トトはね…えっと…」
「死神だよ」
トトが仮面を被り直しながら答えた。マルクは一瞬、トトを見つめた。何か感じるものがあったようだが、すぐに笑顔に戻った。
「変わった友達だな」
「でしょ!? トトはね、お菓子をいっぱい持ってるんだよ!」
リリは父親の手を引っ張った。
「ねえねえ、パパも一緒にお祭り見よう! かぼちゃのランタンとか、焚き火とか、すごいんだよ!」
「ああ、見よう。今夜はずっと一緒だ」
マルクがそう言うと、リリの顔が輝いた。
「やったー!」
家族三人は、焚き火の方へと歩いていった。ミリア、ロウエン、トトも少し離れてついていく。
焚き火の周りでは、老若男女が輪になって踊っていた。古い民謡に合わせて、手を繋ぎ、足を踏み鳴らす。マルクとエルサも輪に加わった。リリは両親の間で、嬉しそうに跳ねている。
「パパ! もっと高く!」
マルクはリリの両手を掴んで、ぐるりと振り回した。リリのはしゃぐ声が夜空に響く。
エルサは夫の横顔を見つめていた。その目には、喜びと同時に、何か言いたげなものがあった。
踊りが一段落すると、一家は広場の隅の長椅子に座った。ミリアたちも近くのベンチに腰を下ろす。
「パパ! あのね、今日ね――」
リリは止まることなく話し続けた。魔法を見たこと、お菓子をもらったこと、友達と遊んだこと。マルクは一つ一つに相槌を打ち、時には笑い、時には驚いた表情を見せた。
「それでね! あのね!」
リリの興奮はピークに達している。言葉が追いつかないほどだ。
「落ち着いて、リリ。ゆっくりでいいから」
エルサが優しく諭す。
「だって! だって伝えたいことがいっぱいなんだもん!」
リリは手にしていたゴーストパンを一口齧った。
「もう…」
エルサが苦笑しながらハンカチで拭き取った。
「えへへ…」
リリは舌を出して笑う。マルクも笑った。その笑顔には疲労の色が濃かったが、同時に深い愛情も滲んでいた。
「明日はゆっくり休んでくださいね?」
エルサが言った。
「いや…夜が明ける前に出発するつもりだ。美味しい仕事は早い者勝ちだからな」
マルクの言葉に、エルサの顔が悲しみに歪んだ。
「そんな…」
その声は、心底悲しそうだった。
「やだやだ!」
リリが突然叫んだ。
「明日は無いよ! パパはずっと家にいるの! ずっとずっと!」
リリは父親の腕にしがみついた。
「リリ…」
マルクは妻と娘を抱きしめた。
言葉が続かない。ただ涙だけが流れる。
沈黙が降りた。焚き火の爆ぜる音だけが響く。
やがてマルクが口を開いた。
「…そうだな。明日のことは、また明日考えよう」
「え…?」
エルサが顔を上げた。
「今日は特別な日だ。ハロウィンだ。家族と過ごす日だ。明日のことは…明日考えればいい」
マルクは無理に笑顔を作った。だがその目は、複雑な感情で揺れていた。
「本当!? パパ、ずっと一緒!?」
リリの顔が輝く。
「ああ。今日はいっぱい遊ぼう、な?」
「やったー! パパ! お話聞いて!? 今日ね、すごかったんだよ! それでね!」
リリは再び興奮して話し始めた。
祭りは深夜まで続いた。リリは父親の背中で、すっかり眠りこけている。
「本当にありがとうございました」
エルサがミリアたちに深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ楽しい時間をありがとうございました」
「また遊びに来てください。リリも喜びます」
「喜んで」
ミリアは微笑んだ。
マルクも頭を下げた。
「本当に世話になった。礼の言葉もない」
「いえ、リリちゃんが元気でいてくれるだけで十分です」
家族は家の中へと消えていった。扉が閉まる音。それから、かすかに聞こえる会話の声。
## 第7章 満月の願い
ミリアとロウエンは、しばらくその場に立っていた。
「じゃあ、ボクもそろそろ行くよ」
トトは手を振って、夜の闇へと消えていった。死神の仮装は、暗闇に溶け込んでいく。
「私たちも宿に戻ろうか」
ロウエンが言った。
「…少しだけ、夜空を見ていたいの」
ミリアは広場の方へと歩いた。焚き火はまだ燃えている。その傍らのベンチに座る。
ロウエンも隣に座った。二人は並んで夜空を見上げる。
満月が雲の間から顔を覗かせていた。ハロウィンの月。死者が蘇るという、境界の夜の月。
焚き火の爆ぜる音。遠くから聞こえる、祭りの余韻の音楽。
「今日は…楽しかった」
ミリアが言った。
「ああ」
「リリちゃんの笑顔。エルサさんの優しさ。マルクさんの家族への愛。みんな、必死に生きている」
「そうだな」
「私たちも…そうよね。騎士団で、毎日任務をこなして、人々を守って…」
「ああ」
「でも、時々思うの。こういう日常の温かさを、私たち自身は持てているのかって」
ミリアはロウエンを見た。彼も彼女を見返す。
二人の手が、自然と繋がった。
「俺たちは戦いの中で生きている。剣を振るい、人を守り、時には傷つき…でも、こういう穏やかな時間が、本当に大切なものなんだと思う」
「そうね…」
二人は再び夜空を見上げた。
星々が瞬いている。遥か彼方の光。
ミリアは瞳を閉じた。
今この瞬間が、永遠に続けばいい。
ロウエンの温かい手。焚き火の熱。秋の風。祭りの余韻。
全てが愛おしかった。
そして彼女は強く願った。
この温かさが、明日も、明後日も、ずっとずっと続きますように。
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