声紋が一致しません

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/30 📝 2,348文字 ✅ 全年齢

あらすじ

AIと声紋の話。

本文

「えっと、おはよう、ソナ」

 スマホは黙ったままだった。画面の真ん中に、赤い文字が出る。

 〔声紋が一致しません〕  〔パスコードを入力してください〕

 これで九日連続だ。ぼくは布団の中で六桁の数字を打ちこんだ。

 音声アシスタントの「ソナ」は、小四の誕生日にスマホを買ってもらったとき、最初に設定したアプリだ。「おはよう、ソナ」と言えばロックが外れて、天気と時間割を読み上げてくれる。四年間、一度も間違えたことはなかった。

 間違えるようになったのは、十月の半ばからだ。

 喉の奥が、ずっとむずがゆい。朝いちばんの声は、自分でも聞いたことのない低さで出る。かと思うと、途中で急に裏返る。

「柊吾しゅうご、声、ガラガラじゃない。風邪?」

 台所で母さんが振り返った。

「……ちがう」

 短く答えたつもりが、「ち」と「がう」で高さが変わった。母さんは何か言いかけて、黙って味噌汁をよそった。

 学校でも、ぼくはあまりしゃべらなくなった。

 国語の時間に音読で指されたとき、「走れメロス」の一行目で声がひっくり返った。教室のうしろで誰かが「メロス、声変わり中」と言って、何人かが笑った。悪気がないのは分かっていた。それでも次の行から、ぼくは教科書に顔を近づけて、自分にしか聞こえないくらいの声で読んだ。

 宍戸ししど柊吾、二年三組、放送委員。週に一度、昼休みの校内放送でお知らせを読むのが仕事だ。先週の当番は、同じ委員の安曇あずみ迅じんに代わってもらった。

「次も代わる?」

 給食の牛乳パックをつぶしながら、迅が聞いた。迅の声は、夏休みのあいだに先に低くなっていた。ひっくり返ることもない。

「……頼む」 「いいけど、十一月の文化発表会の司会は、宍戸だからな。八巻やまき先生が決めたやつ」

 分かっている。だから困っているのだ。

 その夜、ソナが初めて自分から通知を出した。

 〔声紋の不一致が続いています〕  〔新しい声で登録し直しますか?〕  〔※登録し直すと、以前の声紋データは削除されます〕

 「はい」のボタンの上で、親指が止まった。

 以前の声紋、というのは、四年前のぼくの声だ。

 設定のときに、画面の指示どおり三回くり返した。「おはよう、ソナ」。父さんが横で笑いながら、「もっと大きい声で」と言った。その声が、今もこのスマホの中にだけ残っている。

 家の中の動画を探しても、もうあの声は見つからない。父さんのスマホが去年壊れて、写真も動画も一緒に消えたからだ。

 隣の部屋から、父さんのいびきが聞こえてくる。あの頃より、少しだけ大きくなった気がした。

 ぼくは「いいえ」を押して、スマホを枕の下に押しこんだ。

 十月二十九日の朝、何も期待せずに言った。

「えっと……おはよう、ソナ」

 かちり、と小さな音がして、画面が明るくなった。

 〔おはようございます。本日の天気は晴れ、最高気温十七度です〕

 ぼくは跳ね起きた。声は、相変わらずがさがさだった。治ったわけではない。

「ソナ、なんで今日は開いたの」

 〔本人確認の詳細を表示します〕

 画面に、見たことのない表が出た。

 〔声の高さ 一致率 二十一%〕  〔声の響き 一致率 三十四%〕  〔発話前の間(「えっと」から次の語まで) 〇・八秒 一致率 九十九%〕  〔総合判定:本人〕

 〇・八秒。

 ぼくが「えっと」と言ってから、次の言葉を言うまでの時間だった。四年前の登録のときも、ぼくは「えっと」と言ってから、〇・八秒おいて「おはよう」と言ったらしい。

 〔過去九日間の照合で、この値だけが一度も変わっていません〕  〔声の高さよりも安定した特徴と判断し、本日から照合の基準に加えました〕

 枕の下から出したスマホが、手の中であたたかかった。

 声はもう、四年前のものではない。でも、ぼくがしゃべり出す前のあの迷い方だけは、ずっと同じだったのだ。

 十一月の文化発表会まで、あと一週間になった。

 放課後の放送室で、ぼくは初めて一人でマイクの前に座った。司会原稿の一行目を読む。

「ただいまより、第二十八回」

 「回」のところで、声が裏返った。ガラスの向こうの廊下で、通りかかった三年生が噴き出すのが見えた。

 耳が熱くなった。マイクのスイッチを切ろうとした手を、迅がつかんだ。

「最初の一言、なんて言ってる? 朝」 「……『えっと、おはよう』」 「じゃあ、それでいいじゃん」

 迅は原稿の一行目の上に、鉛筆で小さく「えっと」と書き足した。

「先生には、宍戸の癖ですって言っとく。癖ならしょうがない」

 ぼくは原稿を見下ろした。鉛筆の文字は、迅らしく右に傾いていた。

 十一月六日、体育館は全校生徒の話し声でざわついていた。

 ステージの袖で、マイクを握る。手のひらが汗で湿っていた。舞台の照明がまぶしくて、客席の顔は一つも見えない。

 ポケットの中で、スマホが一度だけ震えた。

 〔照合の準備ができています〕

 ぼくは息を吸った。

「えっと」

 〇・八秒。

「ただいまより、第二十八回、文化発表会を始めます」

 「回」で、やっぱり少しだけ声が揺れた。でも、裏返る前に次の言葉が出た。誰も笑わなかった。最前列で、迅が小さく親指を立てていた。

 その夜、ぼくはベッドの上でソナを開いた。

「ソナ。新しい声を、登録したい」

 〔以前の声紋データは削除されます。よろしいですか?〕

「えっと……」

 〇・八秒のあいだに、決めた。

「消さないで、両方にできる?」

 少し間があって、画面が切り替わった。

 〔可能です。声紋を追加しました〕  〔登録数:二〕

 翌朝、ぼくは布団の中で言った。

「えっと、おはよう、ソナ」

 低くて、がさがさで、四年前とは似ても似つかない声だった。

 かちり、と音がして、画面が明るくなった。

ジャンル・タグ

,

作品統計

👁️ 閲覧数: 3 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

👥 フォロワー: 22人

作者ページを見る