立冬の朝、暖房をつけない部屋

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/2 📝 2,277文字 ✅ 全年齢

あらすじ

AIと立冬の話。

本文

 目を覚ますと、吐く息が白かった。

 枕もとのスマホは、午前六時二分。壁の温度計は九度を指している。布団から出した腕に、部屋の空気が冷たく触れた。

〔おはようございます。本日は立冬です〕 〔本日から、朝の暖房を開始します〕 〔開始条件:晶さんの起床〕

 スマート家電をまとめる管理AI「イロリ」の声は、いつもどおり穏やかだった。

 柘植つげ恒一こういち、四十六歳。この春から、盛岡の支店に単身赴任している。千葉の家には、妻の塔子とうこと、高校二年の娘の晶あきが残った。1LDKの社宅は、九月の終わりから朝晩がめっきり冷えるようになった。

 開始条件、という言葉の意味が、しばらく分からなかった。

 思い出したのは、湯を沸かしながらだった。

 三年前の冬、家族用のアカウントで、家のリビングの暖房に条件をつけたのは僕だ。立冬から毎朝暖房を入れる。ただし入れるのは、晶のスマホのアラームが止まってから。

 当時、中学二年の晶は、朝の暖房の音がうるさいと怒った。乾いた温風で喉が痛くなるとも言った。僕は五時半に起きて、冷えた台所で晶が下りてくるのを待つことにした。暖房の吹き出し口が鳴りだすと、それが「起きた」の合図だった。二階でアラームが止まって、二分後に階段がきしむ。その二分のあいだに、僕は二人分のトーストを焼いた。

 春に引っ越すとき、アカウントをそのまま社宅に移した。設定まで一緒に引っ越してくるとは、思っていなかった。

 直せばいい。設定画面を開けば、一分で終わる。

 僕は画面を開いて、そのまま閉じた。土曜日だった。晶はたぶん、昼まで起きない。

 暖房が入ったのは、午前十時四十八分だった。

〔晶さんが起床しました。暖房を開始します〕

 吹き出し口が低く鳴って、温風が部屋に流れた。僕はダウンジャケットを着たまま、ソファで読んでいた本を閉じた。千葉で、晶が布団から腕を伸ばしてアラームを止めた。その音が、五百キロ離れたこの部屋で鳴った気がした。

 晶とは、もうほとんど話していない。家族のグループに送るメッセージには、塔子が返事をくれる。晶はたまにスタンプを押すだけだ。寝ぼけた顔の猫のスタンプを、月に二回ほど。

 その日の夕方、塔子から電話があった。

「そっち、もう寒いでしょう。ちゃんと暖房つけてる?」

「つけてるよ」

 嘘ではなかった。十時四十八分から、ちゃんとついている。

 月曜の朝、暖房は六時五十一分に入った。火曜は六時四十八分、水曜は七時ちょうど。

 僕は、六時に起きて晶を待つようになった。冷えた台所で湯を沸かし、トーストを一枚だけ焼く。暖房が鳴りだすと、ああ起きたな、と思う。それから着替えて家を出る。

 時刻を見ていると、晶の朝が少しずつ分かってきた。週の初めは少し遅く、火曜は少し早い。水曜は、きっかり七時に起きる。アラームを止めてから二分後に、千葉の家の階段がきしむ。その音は聞こえないのに、僕は毎朝、心の中で二分を数えた。数え終わるころには、トーストが焦げる手前のにおいになっている。

 同僚の戸叶とかのには「柘植さん、最近いつも鼻が赤いですね」と言われた。社宅の壁が薄いからだと答えた。

 木曜の朝は、七時を過ぎても暖房が入らなかった。

 七時十五分。七時半。台所の温度計は八度まで下がって、指先の感覚がなくなってきた。学校は八時半に始まる。家から高校までは、自転車で二十分かかる。

〔晶さんのアラームは、六時四十五分から鳴り続けています〕

 イロリの報告に、僕は塔子に電話をかけた。三回目の呼び出しで、塔子が出た。

「晶、起きてる?」

「起きてないのよ。昨日から熱があって、今日は休ませるって、さっき学校に電話したとこ」

 電話の向こうで、遠くアラームが鳴っているのが聞こえた。塔子が二階に上がって、それを止めた。

〔晶さんが起床しました。暖房を開始します〕

 止めたのは塔子なのに、と思った。けれどイロリには、そこまでは分からない。

「……なんで知ってるの、晶が起きてないって」

 塔子に聞かれて、僕は全部話した。設定のことも、毎朝六時から待っていることも。

 塔子はしばらく黙っていた。それから、あきれたような声で言った。

「直しなさいよ。あなたが風邪ひくでしょう」

 その夜、直そうと思って設定画面を開いた。

 開始条件の欄に、見覚えのない一行が増えていた。

〔変更者:晶さん(本日 十八時十二分)〕 〔開始条件:恒一さんの起床〕

 イロリが、短く付け足した。

〔晶さんは同時に、ご自宅のリビングの設定も変更しています〕 〔ご自宅の暖房の開始条件:恒一さんの起床〕

 僕は、画面の文字を何度も読み返した。熱のある晶が、布団の中でアプリを開いて、二つの欄を書き換えたのだ。塔子から話を聞いたのか、自分でログを見たのかは分からない。

 グループのメッセージ欄には、何も届いていなかった。届いていたのは、寝ぼけた顔の猫のスタンプが一つだけだった。

 翌朝、目を覚ましたのは五時五十分だった。

 布団から腕を出すと、吹き出し口が低く鳴りはじめた。

〔恒一さんが起床しました。暖房を開始します〕 〔ご自宅のリビングの暖房も、いま入りました〕

 千葉の家のリビングで、誰もいない台所に温風が流れはじめる。晶が下りてくるまでに、部屋はちょうどよく暖まっているだろう。

 僕はトーストを一枚焼いて、窓の外を見た。社宅の駐車場に、初霜が白く降りていた。

 スマホが短く鳴った。

 寝ぼけた顔の猫のスタンプの下に、一行だけ文字があった。

「あったかい」

 今朝の部屋は、十八度だった。

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作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

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