2. すれ違いの朝
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
宿場の食堂は、朝から活気に満ちていた。木製の長テーブルには焼きたてのパンやスープが並び、旅商人や労働者が思い思いに食事をとっている。食堂の奥、窓際の席。そこに見慣れた青年の姿があった。
本文
宿場の食堂は、朝から活気に満ちていた。
木製の長テーブルには焼きたてのパンやスープが並び、旅商人や労働者が思い思いに食事をとっている。
食堂の奥、窓際の席。そこに見慣れた青年の姿があった。
テーブルの上には、すでに二人分の朝食が用意されている。
わたしはまだはっきりしない頭のまま、彼の向かいの席へよろよろと突っ伏した。
「うう、トーマぁ。まだ頭が働かないんだ。パン、ちぎってくれないか……?」
「自分でやってくれ。どうせまた、昨日も夜更かししてたんだろ」
トーマがスープを口につけながら、素っ気なく言う。
「人聞きが悪いぞ、トーマ。わたしはただ、植物誌の記述に気になる一節を見つけて、考察を深めてただけなんだ」
「それが夜更かしだって言ってんだ。第一、朝起きられないくせに遅くまで起きてんなよ。子供じゃあるまいし」
「こ、子供じゃないやい! わたしがお前の、何倍生きてると思ってるんだ! これでも、百九十歳を超えてるんだぞ!!」
「そういうところが、子供だって言ってんだ」
「むぅう、朝からトーマが冷たい……」
ゴネても相手はしてくれないので、仕方なく自分でパンをちぎる。
しまった、バターつけるの忘れてた。ぱさぱさしてて、ちょっと食べにくい。おぼつかない手つきでスープをすくい、どうにか流しこむ。
「……そこ、こぼれてるぞ。そのままだと袖につく」
「へっ? あ、ごめん……」
「ったく、気をつけろよな。これから仕事だってのに、汚れたら格好がつかないだろ」
ぼやきながら、卓上に置かれた布巾でスープを拭いてくれる。
こういうところに目が利くのは、昔っから変わらない。
もぐもぐとパンを咀嚼しながら、わたしは仏頂面のトーマの顔をちらりと盗み見る。
(おっきくなったなぁ、トーマ……)
返す返すも、しみじみとそう思ってしまう。
とりわけ、この一、二年の変化は顕著だ。旅に出た頃は同じか、少し高いくらいだった目線の高さが、今ではもう完全に追い越されている。
体つきも変わった。
長旅の中で鍛えられたのか、昔の線が細かった印象はまったくない。薄い上着の下に、しっかりとした筋肉がついているのがわかる。
胸板も厚く、腕なんてわたしの倍くらいの太さがある。純粋な腕力に関しては、わたしなんかでは到底敵わないだろう。
思えば途中から、力仕事はみんなトーマが引き受けるようになっていった。
最初は背伸びをしたがってるのかとも思ったけれど、決してトーマは弱音を上げることをしなかった。
その結果が今に繋がっているのだから、やはり彼の努力の成果に他ならないのだと思う。
声だってそうだ。
エルフの男性にも声変わりはあるが、人間と比べてその変化は緩やかだ。
トーマ自身も戸惑いが強かったのか、声変わりが始まった頃はよくわたしに相談してきたものだ。
言葉遣いが変わったのは、それから少し経った頃。
これまでの丁寧な口調が一変してしまって、旅先で知り合った荒くれどもに、変なことでも吹き込まれたんじゃないかと気が気じゃなかった。
……それと同時に、トーマはわたしと一緒に寝るのを嫌がるようになった。
今までは自然にできていたスキンシップもほとんどなくなり、手をつなぐことさえ避けるようになってしまった。
夜の、その……に至っては、もう一年以上ご無沙汰だ。
初めてシた頃には、それこそ毎日だって求めてきてくれていたのに。
何度かわたしからも誘ってみたりもしたけれど、トーマがそれに応じてくれたことはなかった。
そりゃあ、旅の空で色々と大変だってのはわかるけどさ。
人間の男の子って、こういうのを我慢できなくなったりしないんだろうか。
いや、それだったらまだいいのかもしれない。
実はとっくに愛想を尽かしてしまっていて、わたしじゃない別の誰かとこっそり浮気してたりするんじゃ……。
「おい、師匠。手が止まってるぞ」
「ふえっ!? す、すまない。少し、考えごとをしてただけなんだ」
いけない、いけない。
朝っぱらから何を考えてるんだ、わたしは。
ぶんぶんと頭を振って、不埒な妄想を振り払う。
「ところで、トーマ。今日の予定なんだけどね」
「ああ。確か街の工房へ行って、機械の整備をするんだったよな」
かれこれ何年も旅を続けていると、路銀が心許なくなることも珍しくない。
そういう時には資金を稼ぐため、街に滞在して仕事をするのが常だ。
魔法の腕を買われて護衛を引き受けることもあれば、薬草の知識を活かして地元の薬屋に調合した薬を卸すこともある。
最近ではトーマが自分の体格を活かし、荷下ろしや土木作業のような肉体労働をこなすことも増えてきている。
「そう。ちょっとした作業だから、午前中には片付くはずだよ。それでね、時間があるからもしよかったら……」
「……あー、えっと。そのことなんだけどな」
「うん?」
視線を逸らしながら、言いよどむトーマ。何かあったのだろうか。
少しの間のあと、口を開きかけたその時――。
「おーい、トーマ! いるかー?」
宿の木製扉に取り付けられた真鍮のベルが、カランとけたたましく鳴り響く。
音のした方に目をやると、こちらに向かって手を振る若者たちの姿があった。
いずれもトーマと同い年くらい。
丈夫そうな革のツナギを着込んだ男性が二人。……そして、その隣にもう一人、小麦色に日焼けした肌の女性がいた。
短く切り揃えられた栗色の髪を揺らし、腰に小ぶりな革のポーチと水筒をぶら下げている。いかにも活発そうな風情の、愛らしい女の子だ。
「いたいた、もう準備はできてる?」
「ああ、今行くよ」
トーマは椅子にかけてあった上着に素早く袖を通すと、足元に置いてあった道具袋を手に取って肩にかける。
「えっ? ちょ、ちょっと待っておくれよ、トーマ!」
唐突な展開に目をしばたかせて、わたしは慌てて立ち上がった。
こちらに向き直ると、トーマはばつの悪そうな顔で答える。
「すまない、師匠。悪いけど、今日は一人で行ってくれないか」
「どういうことなの、トーマ。その子たちは、一体……」
「昨日、街で知り合ったんだ。彼らの仕事を、俺も一緒に手伝うことになった」
「そんな……わたしの仕事は、どうするんだい?」
「整備の仕事だったら、俺が出る幕なんてないだろ。師匠だけで十分なはずだ」
「そ、そりゃ、そうかもしれないけどさ……」
トーマの言葉は正論だ。
確かに、今日の仕事くらいはわたし一人で造作もない。
けど、そういう問題ではないのだ。わたしは、トーマと一緒に……。
「仕事って、どこへ行くの?」
「それは……あんたには、関係のないことだ」
「関係ないって、そんな……」
非難混じりの声から逃げるように、トーマは若者たちへと向き直る。
「待たせて悪かったな。さあ、行こう」
「お師匠さん、いいのかよ」
「いいって。そんなことより、急ぐんだろ」
「あ、ああ……」
トーマはこっちに振り返ることなく、若者たちと宿を出ていった。
人より優れたわたしの耳が、遠ざかる彼らの会話を耳ざとく拾い上げる。
「頼りにしてるよー、トーマ。あんたの腕っぷしなら、安心して任せられるからね」
「買いかぶりすぎだ。せいぜい、足手まといにならないよう努力するよ」
「またまたー、謙遜しちゃって! ほら、行きましょ!」
屈託のない、少女の笑い声。
それに応えるトーマの口ぶりも、どこか穏やかでわたしに見せるような険しさはない。
……あんな声、ここ最近のトーマは向けてくれたことがなかったのに。
そう思った瞬間、胸の奥がズキンと痛んだ。
(可愛かったな、あの子……)
しなやかな手足と、元気いっぱいの笑顔が印象的だった。
ふっくらと膨らんだ胸元や、くびれた腰つき。
トーマと同じ速度で時間を刻み、大人の女性へと花開きつつある同年代の女の子。
それに引き換え、わたしは――。
自分の小さな手を見つめる。
何百年生きようとも変わらない、子供のように華奢で頼りない指先。
背丈も伸びず、成熟した女性のような凹凸もない、小柄で幼いままの体つき。
(トーマもやっぱり、ああいう子のほうが好みなのかな)
みぞおちの辺りに渦を巻く、冷たい感覚。
それを何と呼ぶのか、百年以上生きてきたはずなのにすぐには名前がつけられなかった。
トーマの隣に並んでるであろうあの子の姿を思い浮かべるのが、たまらなく嫌だった。
いますぐ駆け出して、あの子との間に割って入って引き剥がしてやりたい。そんな衝動すらも湧いてくる。
感情に乏しいなんて言われてきたわたしでも、嫉妬することはあるんだ。
ひとりの女として、あまりにも惨めで、浅ましい独占欲。
でも、止められない。
どうしようもなく抑えられなくて、身の内に抱えた感情が、ざくざくと心をかきむしるようだった。
ぽつりと置き去りにされたわたしは、所在をなくして再び食卓につく。
食べかけのスープを口にすると、冷めきってしまったそれがやけに塩っ辛く、酸っぱく感じられた。