タラスの風(タラス河畔の戦いを題材にしています)
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あらすじ
史実を題材にはしたけど、創作だから違う部分もあります。
本文
第一章 石国の王子
城門が開いたのは、和睦の使者が来て三日後のことだった。
「唐の将軍は、戦をするつもりはないそうだ」
父はそう言って、久しぶりに笑った。
石国(せきこく)は、東の唐と、西に興った新しい帝国とのあいだにある、オアシスの小さな国だ。どちらかに頭を下げなければ生きていけない。父はこれまで、上手に頭を下げてきた王だった。だからその朝も、門を開けた。
入ってきた兵たちは、使者の言葉とはまるで違う顔をしていた。
最初に悲鳴が上がったのは、市場のほうだった。次に、宮殿の中庭。わたしが回廊に出たときには、もう父は縄をかけられていた。冠を外され、膝をつかされ、それでも父は背筋だけは伸ばしていた。
「約束が違う」
父の声は、通訳の口を通って、馬上の将軍に届いた。将軍は眉ひとつ動かさず、何か短く答えた。通訳は訳さなかった。訳す必要もない顔だった。
老いた者は、その場で斬られた。歩けない者も。宝物庫の扉が壊され、金の器や玉の飾りが、次々と荷車に積まれていった。わたしが幼いころから見上げてきた、祖父の代の銀の燭台も、そこにあった。
「王子さま、こちらへ」
乳母の息子が、わたしの腕を引いた。厩の裏の水路を抜ければ、城壁の外の葡萄畑に出られる。子どものころ、何度も叱られた抜け道だった。
水は膝まであった。冷たかった。振り返ると、城壁の上に唐の旗が立っていた。風に吹かれて、ばたばたと鳴っていた。
父は、東へ連れて行かれるのだという。唐の都、長安へ。そこで何が待っているのか、誰も口にしなかった。口にしなくても、皆わかっていた。
その夜、葡萄畑の小屋で、わたしは一睡もしなかった。
東へ行けば、父に会えるかもしれない。だが、会えたとして、わたしに何ができるだろう。唐は大きすぎる。あの将軍は強すぎる。この国のどこにも、あれと戦える力はない。
ならば、西だ。
西には、近ごろ旗の色を黒に変えた帝国がある。古い王朝を倒し、新しい教えのもとに、驚くほどの速さで国をまとめているという。唐を恐れていない、とも聞いた。
夜が明けるころ、わたしは馬に乗った。供は乳母の息子ひとり。持っているのは、父の印章を写した小さな粘土板だけだった。
振り返らなかった。振り返れば、城壁の上の旗がまた見えてしまう。
あの将軍は、たぶん、もうわたしのことなど覚えていないだろう。逃げた子どもがひとり。それだけのことだ。
けれど、翌年の夏。
その「それだけのこと」が、将軍の三万の兵を、遠いタラスの河原まで連れてくることになる。
――――
第二章 高仙芝
天幕の外で、馬が鼻を鳴らした。
高仙芝(こうせんし)は地図から顔を上げ、灯火の芯を少し短くした。ここまで、唐の領域を出てすでに七百里。明日か明後日には、タラスの城が見えるはずだった。
「眠られませんか、節度使どの」
入口の布をくぐって、大柄な男が身をかがめた。副将の李嗣業(りしぎょう)だ。背丈は並の兵より頭ひとつ高く、長柄の大刀を振るえば、人も馬もまとめて断つという。
「眠れぬのではない。眠る必要がないだけだ」
高仙芝は笑った。笑うと、整った顔立ちがいっそう若く見えた。
彼の父は、高句麗の人だった。国が滅び、唐に仕えた。異国の血を引く者が、この国で将軍になるには、人の倍は勝たねばならない。そして高仙芝は、勝ってきた。
四年前には、誰も越えられないと言われた雪の山脈を越え、山の向こうの小国を降した。兵たちはそれを、いまでも焚き火のそばで語り草にしている。
「石国の王子が、西の黒衣の国に駆け込んだそうですな」
李嗣業が言った。
「らしいな」
「あのとき、王まで長安に送らずともよかったのでは、と申す者もおります」
高仙芝は、しばらく黙って灯火を見ていた。
正月、長安の宮殿で、彼は捕らえた王たちを皇帝の前に引き出した。都の人々は通りに出て、勝利の行列を見物した。石国の王が斬られたと聞いたのは、その数日後だった。
「戦は、勝つか負けるかだ。勝った者が、あとのことを決める」
「では、黒衣の国が勝てば?」
「勝たせはせん」
声は静かだった。李嗣業はそれ以上、何も言わなかった。
陣営には、唐の兵だけがいるわけではない。西域の諸国から集めた兵、フェルガナの騎兵、そして草原から来た遊牧の民カルルクの戦士たち。言葉も、祈る神も、まちまちだった。それをひとつに束ねているのは、高仙芝という名前と、これまでの勝利だけだ。
「カルルクの族長たちは、どうしている」
「おとなしいものです。報酬の話になると、目の色が変わりますが」
「それでいい。わかりやすい味方は、使いやすい」
李嗣業が出ていったあと、高仙芝は再び地図に目を落とした。
タラス河。西の帝国の軍が、そこに集まりつつあるという。
負ける気はしなかった。これまで一度も、負ける気がしたことはなかった。
だからこそ、彼は気づかなかった。自分の陣営の中で、いくつかの焚き火が、夜更けまで消えずにいることに。そのまわりで、聞き慣れない言葉が低く交わされていることに。
外で、また馬が鼻を鳴らした。
西からの風が、天幕の布をかすかに揺らしていた。
――――
第三章 カルルクの兵
五日目の朝も、河原には霧が出ていた。
トゥグルは、馬の首を撫でながら、向こう岸を見ていた。黒い旗が、霧の中にぼんやりと並んでいる。この四日間、押しては引き、引いては押した。どちらも崩れなかった。河原には、敵と味方の区別もつかない死体が、そのまま転がっていた。
「トゥグル」
叔父が、低い声で呼んだ。叔父は百人の騎兵を束ねる長で、トゥグルにとっては父の代わりだった。
「今日は、合図があるまで動くな」
「合図?」
「族長の角笛だ。三度鳴る」
それ以上、叔父は何も言わなかった。けれど、目が言っていた。訊くな、と。
トゥグルは、ゆうべのことを思い出した。族長の天幕に、見知らぬ男たちが入っていくのを見た。黒い衣を着ていた。唐の陣の中で、黒い衣を着ている者などいないはずだった。
唐の将軍は、強い。それは誰もが知っている。けれど、石国の王に何をしたかも、草原の民は皆知っていた。和睦すると言って門を開けさせ、王を縛って都へ送り、首を斬らせた。
「唐は、約束を守る相手を選ぶ」
いつだったか、叔父がそう言ったことがある。
「大きな国はみなそうだ。だから、おれたちも選ぶ」
日が高くなり、霧が晴れた。唐の陣から太鼓が響き、歩兵が前に出ていく。長い刀を構えた、李という大男の部隊が先頭だった。唐の兵たちは、カルルクの騎兵がいつものように横から回り込むと思っているはずだった。
トゥグルは手綱を握った。手のひらが汗で濡れていた。
唐の陣で、トゥグルに干し肉を分けてくれた兵がいた。名前は知らない。言葉もほとんど通じなかった。ただ、故郷に小さな娘がいるのだと、指で背丈を示して笑っていた。
あの男は、今どこにいるのだろう。
角笛が鳴った。
一度。二度。三度。
叔父が馬腹を蹴った。百の騎兵が、一斉に走り出した。けれど向かう先は、敵の横腹ではなかった。
味方の、背中だった。
トゥグルも走った。走るしかなかった。止まれば、自分が踏み潰される。前方で、唐の兵たちが振り返るのが見えた。何が起きたのかわからない、という顔だった。
同時に、向こう岸の黒い旗が動いた。河を渡り、正面から押し寄せてくる。
前と後ろ。挟まれた唐の陣は、砂の城のように崩れていった。
トゥグルは、矢を一本も射なかった。弓を引こうとするたびに、干し肉の匂いを思い出した。
日が傾くころ、河原にはもう、唐の旗は一本も立っていなかった。
叔父は、馬上で一度だけ振り返った。
「これでいい」
誰に言ったのか、トゥグルにはわからなかった。
――――
第四章 李嗣業
「今夜のうちに、お退きください」
李嗣業がそう言ったとき、高仙芝はまだ鎧を脱いでいなかった。脱ぐ暇もなかった、というほうが正しい。
三万いた兵は、数千にまで減っていた。残った者も、半分は手負いだった。カルルクが裏切った瞬間から、戦は戦でなくなった。あとは、どれだけ多く逃げられるか、それだけだった。
「わたしに、背を向けて逃げろと言うのか」
「将軍が討たれれば、西域の唐軍はおしまいです。生きて戻っていただかねばなりません」
高仙芝は、しばらく答えなかった。灯火のない闇の中で、その顔は見えなかった。やがて、短く言った。
「道は」
「山あいの細道がひとつ。わたしが先に立ちます」
月の細い夜だった。
生き残りの兵たちが、黙って列をつくった。誰も口をきかなかった。後ろから、黒衣の騎兵の松明がちらちらと見え隠れしていた。
細道に入ってすぐ、列が止まった。
前方に、人と馬と荷車が、ぎっしりと詰まっていた。味方として連れてきたフェルガナの兵たちだった。彼らもまた逃げ道を求めて、この狭い谷に殺到していたのだ。押し合い、怒鳴り合い、倒れた馬が道をふさいでいる。進むことも、戻ることもできない。
後ろの松明が、少しずつ近づいてくる。
李嗣業は、腰の大刀を抜かなかった。代わりに、荷車から太い棒を一本引き抜いた。
「道を開けろ」
言葉が通じたかどうかはわからない。通じたところで、開けられる道もなかった。
李嗣業は、棒を振り上げた。
人が倒れた。馬が倒れた。悲鳴が谷に跳ね返った。彼は振るい続けた。打ち倒し、押しのけ、踏み越えて、一本の筋をこじ開けた。その筋を、高仙芝の馬が駆け抜けていった。
ようやく谷の出口が見えたとき、闇の中から鋭い声が飛んできた。
「李将軍!」
段秀実(だんしゅうじつ)という、まだ若い武官だった。
「敵を恐れて逃げるのは、勇ではない。自分だけ助かって、仲間を置き去りにするのは、仁ではない。あなたは、それでも将か!」
李嗣業は、棒を握ったまま立ち尽くした。
背後の谷には、置き去りにされた者たちが、まだ大勢いた。唐の兵も、フェルガナの兵も。その中には、ついさっき自分が打ち倒した者たちもいた。
長い沈黙のあと、李嗣業は棒を捨てた。そして段秀実の手を、両手で強く握った。
「……そのとおりだ。すまん」
それから彼は、谷の出口に踏みとどまった。追ってくる敵を防ぎ、散り散りになった兵を一人、また一人と呼び集めた。段秀実が、その名を闇に向かって叫び続けた。
夜が明けたとき、谷を抜けた者の数は、思っていたより少しだけ多かった。
けれど、戻らなかった者のほうが、はるかに多かった。
その中に、杜環(とかん)という名の兵がいたことを、李嗣業は知らない。
――――
第五章 杜環 異国の都
どれほど歩いたのか、杜環(とかん)はもう数えるのをやめていた。
タラスの河原で縄をかけられてから、季節がひとつ変わった。砂漠を越え、川を越え、見たこともない色の土の上を、ただ西へ西へと引かれていった。一緒に捕らえられた仲間は、途中で何人も消えた。病で倒れた者、どこかの町で売られていった者。行き先を訊いても、答える者はいなかった。
そして、その朝。
丘の上から、街が見えた。
杜環は、思わず足を止めた。背中を押されても、しばらく動けなかった。
長安ほど大きくはない。けれど、長安とはまるで違っていた。四角い家々が、日に焼けた土の色で重なり合い、そのあいだを、驚くほど多くの人が行き交っている。どこからか、水の流れる音がした。
街に入ると、まず匂いに打たれた。焼いた肉、知らない香料、熟れすぎた果物、駱駝の汗。市場には、絹も、銀の器も、ガラスの壺も、山のように積まれていた。売り手も買い手も、声を張り上げている。言葉は一つもわからない。それでも、値切っていることだけはわかった。どこの国の市場も、同じなのだと思った。
昼近く、高い塔の上から、長く伸びる声が降ってきた。
すると、通りの人々が一斉に手を止めた。商人も、荷運びも、子どもまでも。皆が同じ方角を向いてひざまずき、額を地につけた。
杜環は、立ち尽くした。
唐にも寺はある。祈る人もいる。けれど、街じゅうが一つの呼び声で動きを止める光景は、見たことがなかった。あとで知ったことだが、彼らはこれを一日に五度繰り返すのだという。
その夕方、杜環たちは、ある工房に連れて行かれた。
中に入って、彼は耳を疑った。
機(はた)の音だった。唐の機の音だ。子どものころ、近所の家から毎日聞こえていた、あの音。
薄暗い奥で、一人の男が振り返った。痩せて、日に焼けていた。けれど、その顔立ちは、まぎれもなく自分と同じ国の人間のものだった。
「……河東の者だ」
男はそれだけ言った。唐の言葉だった。
杜環は、膝から崩れそうになった。どうしてここに、と訊こうとして、やめた。訊くまでもなかった。自分と同じように、どこかの戦で捕らえられ、ここまで連れてこられたのだろう。
男は、織りかけの布を指さした。唐の文様だった。この国の人々は、唐の絹を欲しがる。だから、織れる者は生かされる。絵を描ける者も、金銀を細工できる者も。
「おまえは、何ができる」
男が訊いた。
杜環は、答えに詰まった。自分は兵だった。剣を振ることしか知らない。
けれど、見ることならできる、と思った。
この街を。この人々を。この祈りの声を。いつか、もし帰れる日が来たら、全部書き残してやろう。誰も信じないかもしれない。それでも。
その夜、杜環は寝床で、覚えたばかりの異国の言葉を、ひとつずつ指で床に書いた。
――――
第六章 杜環 帰還の港
船が港に入ったのは、湿った風の吹く午後だった。
広州。唐の南の玄関口。
杜環は、船べりに手をついて、岸を見ていた。瓦屋根が並んでいる。漢字の看板が見える。人々が、唐の言葉で怒鳴り合っている。十一年ぶりに聞く、故郷の騒がしさだった。
なのに、なぜか涙は出なかった。
タラスの河原から連れ去られたとき、彼はまだ若かった。いまは髭に白いものが混じっている。異国の都で暮らし、さらに西の国々の噂を聞き、やがて商人たちに混じって海の道をたどり、ここまで戻ってきた。砂漠を歩いて西へ行った男が、海を渡って東へ帰ってきたのだ。
岸に降りると、足もとが揺れた。長い船旅のせいだけではない気がした。
港の役人は、杜環の話を半分も信じなかった。タラス、と言っても、首をかしげるだけだった。
「それより、北のほうはまだ騒がしい。都へ上るなら気をつけることだ」
北のほう、と役人は言った。何があったのかと訊くと、相手は呆れた顔をした。
安禄山(あんろくざん)という将軍が、反乱を起こしたのだという。七年前のことだ。都の長安も、一度は奪われた。皇帝は都を捨てて逃げ、国じゅうが戦になった。乱はまだ、完全には終わっていなかった。
杜環は、宿の粗末な寝台に腰を下ろし、あちこちで話を聞いた。そして少しずつ、自分のいない十一年を知っていった。
高仙芝は、もういなかった。
反乱軍と戦うために呼び戻され、いったん退いたところを、勝手に退却したと讒言された。弁明も聞き入れられず、陣中で斬られたという。勝ち続けた将軍の最期は、戦場ではなかった。
李嗣業も、もういなかった。
反乱軍の籠もる城を攻めているとき、流れ矢に当たって死んだという。あの夜、谷の出口に踏みとどまった大男は、最後まで前に立っていたのだ。
西域の唐軍も、反乱を鎮めるために多くが呼び戻され、もう昔のようには西へ目を向けていないらしかった。
杜環は、窓の外の暗い海を見た。
あの河原で負けたことが、何かを終わらせたのだと思っていた。けれど本当に国を揺るがしたのは、西の果ての戦ではなく、東の内側から起きた乱だった。タラスのことなど、もう誰も覚えていない。
石国の王子は、どうしているだろう、とふと思った。カルルクの兵たちは。工房で機を織っていた、河東の男は。
誰も覚えていないなら、と杜環は思った。
自分が書けばいい。
負けた者が見たものを。連れ去られた先にあった街を。祈りの声と、市場の匂いと、異国で唐の文様を織り続けていた男の背中を。
彼は筆を借り、紙を一枚もらった。
この国で作られた、白い紙だった。
最初の一行を書くまでに、長い時間がかかった。
――――
後書き
うん。
一章
戦いの一年前から始めました。
750年、唐の将軍・高仙芝(こうせんし)は、石国(今のウズベキスタン、タシケント周辺)と和睦すると見せかけて王を捕らえ、老人や弱い者を殺して財宝を奪った、と中国の歴史書『資治通鑑』は書いています。王は長安に送られ、処刑されました。
このとき王子は逃げ延び、周りの国々に唐の仕打ちを訴えて回ります。そして西の新しい帝国、アッバース朝に助けを求めました。アッバース朝は黒い旗を掲げたことで知られ、前の王朝(ウマイヤ朝)を同じ750年に倒したばかりでした。
王子の名前や性格、抜け道を通って逃げた場面などは、史料にはありません。わたしの創作です。史料が残しているのは「王子が逃げた」「西に訴えた」という骨組みだけです。
物語の都合で王子を「わたし」にしましたが、実際の年齢もわかっていません。
二章
高仙芝は、高句麗系の家に生まれた唐の将軍です。歴史書は彼を、見た目が美しく、馬上で弓を射るのがうまかったと書いています。747年、パミール高原を越えて小勃律(今のパキスタン北部)を降した遠征で名を上げました。
751年の正月、彼は石国の王などの捕虜を長安で皇帝に献上し、王は処刑されます。その後、逃げた王子の訴えを受けて西方の国々とアッバース朝が動き出したため、高仙芝は先手を打って出兵しました。
兵の数は、『資治通鑑』では唐と周辺民族あわせて3万。ただし史料によって数字が違い、もっと多く書くものもあります。「七百里あまり進んだ」という距離も同じ史料によります。
この夜の会話はすべて創作です。李嗣業が高仙芝の部下として従軍していたこと、カルルクやフェルガナの兵が唐軍にいたことは史実です。
三章
いちばん創作の多い章です。
カルルクは、テュルク系の遊牧民で、当時は唐に従っていました。『資治通鑑』によれば、両軍は5日間にらみ合い、そこでカルルクが寝返って、アッバース朝の軍と唐軍を挟み撃ちにしました。唐軍はこれで大敗します。
ただ、史料が書いているのは「寝返った」という事実だけで、理由は書かれていません。前もって相手と通じていたのか、戦いの流れを見てその場で決めたのか、今もはっきりしません。この章の「黒い衣の使者」や「石国への仕打ちへの反発」は、わたしが補った理由のひとつです。
トゥグルという名前も、叔父も、干し肉の兵も、創作の人物です。名前の残らなかった兵士が、この河原には何万人もいました。
四章
思いのほか史料に沿っています。
『資治通鑑』によると、大敗した唐軍は数千人しか残らず、李嗣業が夜のうちに退くよう高仙芝に勧めました。ところが狭い道を味方のフェルガナ兵がふさいでいたため、李嗣業は先に立って大きな棒で打ち払い、人も馬も倒れて、ようやく高仙芝が通り抜けたと書かれています。
そのあと、はぐれた兵の中から段秀実が李嗣業を責め、李嗣業はその手を取って詫び、踏みとどまって敗残兵を集めた、という流れも史料のとおりです。段秀実の言葉は、原文の意味を崩さないように現代の言葉に直しました。
月の細さや、松明の様子、李嗣業の台詞の細部は創作です。英雄の手柄話としてではなく、味方を打ち倒して道を開けた、というところまで書き残している史料の正直さが、わたしは好きです。
五章
杜環は、実在した唐の兵士です。タラスで捕虜になり、アッバース朝の領内で十年ほど暮らしたのち帰国して、『経行記(けいこうき)』という見聞録を書きました。本そのものは失われていますが、一族の杜佑(とゆう)が編んだ『通典(つてん)』に一部が引用されて残っています。
『経行記』には、一日五回の礼拝、断食の月、酒を飲まないこと、女性が外出時に顔を覆うことなど、当時のイスラム社会の様子が書かれています。中国人がイスラムの都を自分の目で見て記録した、かなり早い例です。
さらに、その地で働く唐の絹織り職人や画工の名前と出身地(京兆や河東)まで記されています。彼らがタラスの捕虜だったかどうかは書かれていません。工房での出会いの場面は、その記述をもとにした創作です。
どの街に着いたのかも、はっきりとは言えません。『経行記』はアッバース朝の都を「亜俱羅(アクーラ)」と呼んでおり、これは今のイラクの街クーファを指すと考えられています。
六章
杜環は、宝応年間のはじめ(762年ごろ)に商船で広州に帰り着いたと、自ら書き残しています。陸路で西へ連れて行かれ、海路で戻ってきたことになります。
その間に唐では安史の乱(755〜763年)が起きていました。高仙芝は755年、反乱軍との戦いの途中で退却したことを罪とされ、宦官の讒言によって処刑されます。李嗣業は759年、反乱軍が籠もる鄴(ぎょう)の城を攻める戦いで矢傷を負い、亡くなりました。杜環が帰国後にこれらをどう知ったかは史料になく、宿の場面は創作です。
ここで、全体の補足をいくつか。
まず、タラスの戦いの「後世への影響」について。この戦いで唐の西方進出が止まった、と言われることがありますが、実際に唐が中央アジアから手を引く大きな原因になったのは、4年後の安史の乱のほうだと考えられています。第六章の杜環の気づきは、そのことを物語にしたものです。
次に、有名な「製紙法の伝来」の話。タラスで捕らえられた紙職人がサマルカンドで紙を作り、そこから紙が西へ広まった、という話は、戦いから二百年以上あとのイスラム世界の書物に出てくるものです。紙はそれ以前から中央アジアに伝わっていた可能性も指摘されていて、今は史実というより伝承として扱われています。この物語でも、あえて紙職人は登場させず、最後の一枚の紙にだけ、その気配を残しました。
最後に、兵力について。唐軍3万という数字は『資治通鑑』によりますが、アラブ側の後世の記録はもっと大きな数を挙げており、どれが正しいかはわかっていません。戦場の正確な位置も、今のカザフスタンとキルギスの国境あたり、というところまでしか言えません。
六つの章のうち、名前が残っているのは高仙芝、李嗣業、段秀実、杜環の四人だけです。王子も、カルルクの兵も、河東の織り手も、名前のないまま歴史の中に消えていきました。それでも、杜環が書いてくれたおかげで、その気配だけは千年以上たった今も残っています。