三十年、溺れている
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
「この話をするのは、たぶん百回目になる」。住宅設備の営業マン・真壁浩一には、客先で必ず笑いを取る十八番がある。小学五年の夏、台風のあとの濁った川で、溺れた年下の転校生を助けた話だ。三十年後、その思い出を書いた投稿は十二万の「いいね」を集め、地元のテレビが「あの日の男の子」を探しはじめる。見つかった相手は、撮影の前に二人だけで会いたいと言ってきた。真壁は再会の場所に、あの日の橋を選ぶ。
本文
この話をするのは、たぶん百回目になる。
給湯器の見積もりを出す前に、俺はこの話をすることが多い。客の家の裏に回って二十年ものの給湯器の型番を控え、居間に戻ると、麦茶が出ている。
その日の客の家は、市内の古い一軒家だった。朝に電話があって、シャワーがぬるくなったり急に熱くなったりするという。裏の給湯器は、ラベルの字がほとんど消えていた。交換は十八万円から、と先に言っておくと、あとの話が早い。
大塚さんは七十をいくつか過ぎた一人暮らしの人で、仏壇の横に孫の写真を何枚も並べていた。水泳帽の男の子が、賞状を胸の前に持って写っている。
「上の孫がね、スイミングに通ってるの。この前、級が一つ上がったって」
入り口はもうできたようなものだ。
「いいですねえ。私なんか、川で人を助けたことがあるんですよ。小五のとき」
大塚さんは湯呑みを置いた。
俺は手を振って、大したことじゃないんです、と言う。そう言うと話が長くなるのは、もう分かっている。
「もぐり橋って、ご存じですか」
「ああ、欄干のない。あそこは昔から危ないって」
年配の客なら、ここまで言ってくれる。若い客には手で高さを見せる。川面から、このくらい。
一九九六年の八月十四日、お盆の日だった。三日前に台風が通って、早瀬川はまだ濁っていた。茶色い水が、橋のコンクリートのすぐ下を、音を立てて流れていた。
もぐり橋は、子どもだけで行ってはいけない場所だった。町の子なら誰でも知っている。けれど、よそから来た子は知らない。その春に転校してきたばかりの四年生の男の子が、橋の縁に腰かけて、川の上で足をぶらぶらさせていたんだ。
青いサンダルが片方、足から抜けて、水に落ちた。あの子はそれに手を伸ばして、そのまま淵に落ちた。
俺は下の河原にいた。
淵の少し下に亀岩という大岩があって、その向こうは膝までの浅瀬と、丸い石の河原が続いている。平たい石を選んで濁った水に投げていたら、橋の上で何かが水に落ちる音がしたんだ。
考える暇はなかった。サンダルを脱いで、浅瀬から入って、淵まで泳いだ。
淵は、足がつかない。
水が冷たい。
必死のあの子に、右の手首をつかまれた。
痛いほどだった。
水を飲んだ。
水の中から見上げた空が、緑色だった。
これは客には話さない。長くなるからだ。
亀岩は平たい大岩で、甲羅みたいな形をしている。子どもが四、五人は乗れる。俺はそこへ、あの子を押し上げた。
「もう大丈夫だからな」
そう言うと、あの子は黙ってうなずいた。
「あら、泳げたのね」
「あの日だけです。あれで一生分泳ぎました」
ここで客は笑う。大塚さんも、口に手を当てて笑った。
鮎釣りのおじさんが、竿を放り出して河原を駆けてきた。事情を話したのは俺で、あの子は何も言わなかった。転校してきて四か月の子が、知らない大人に口をきけるわけがない。
唇が紫色だった、と母はあとで何度も俺に言った。夏なのに、と。
その日、俺は裸足で家に帰った。河原で脱いだサンダルがどこへ行ったのかは、覚えていない。翌週、母が前と同じ青いサンダルを買ってきた。
地元の新聞にも載ったし、消防から感謝状ももらった。九月の全校朝会では、校長に名前を呼ばれて壇に上がった。そこまで話して、俺は麦茶を一口飲む。
「でもね、大塚さん。それ以来、湯船には腰までしか浸かれないんです。ユニットバス売ってるのに」
さっきより大きな声で笑ってくれた。
笑わなかった家とは、たいてい契約にならない。いまでも二十五メートル泳げないんですよ、と付け足すと、もう一度笑ってくれる。話しているあいだ、客の目は何度か俺の手元へ行った。
「お孫さんには、ちゃんと泳げるようになってもらわないと」
「そうねえ。あの子、背泳ぎが得意なのよ」
見積もりは十八万六千円で、その場で判をもらえた。
帰りぎわ、玄関で靴べらを返すと、大塚さんが言った。
「それで、その子は見つかったの?」
「テレビが探してくれてるんですよ」
家の前に停めた白い軽バンは、横腹の社名まで熱くなっていた。エンジンをかけ、エアコンが効くまでのあいだに、いつものように自分の投稿を開く。今日はこれで四度目になる。
『先日、県内の川で水難事故があったというニュースを見て、三十年前の夏を思い出しました。小学五年のとき、地元の川で溺れていた年下の男の子を助けたことがあります。台風のあとで川は濁っていましたが、迷わず飛び込みました』
『必死だったあの子に手首をつかまれた感触を、私はいまも覚えています。あの子はいま、どこでどうしているのでしょうか。元気でいてくれたら、それだけで十分です』
八月三日の夜九時すぎに、玄関の額の記事を写真に撮ってつけた。いいねは十二万八千になっていた。返信は千を超えている。いちばん上には『小四の息子に読ませました。こういう勇気を持ってほしいです』とあった。
画面の上に、メールの通知が出た。宇野さんからだった。
『真壁様、いつもお世話になっております、宇野です。お相手のお母様が番組をご覧になり、局にお電話をくださいました。隣の市のスイミングスクールでコーチをされている、篠田渉さんという方です。撮影の前に、お二人だけで一度お会いしたい、とのことです。ご都合をお聞かせいただけますと、幸いです』
二度読んだ。
溺れた子が、いまは子どもに泳ぎを教えている。話が一つよくなった。次の客先では、亀岩のところで一呼吸置いて、こう足せばいい。あのとき溺れた子がですね、いまはスイミングのコーチなんですよ。
返信はすぐに書いた。
『宇野様、お世話になっております。ご連絡、大変助かりました。八月十二日(水)の夕方五時に、もぐり橋でお会いするのはいかがでしょうか。十七日の撮影の下見にもなるかと存じます。篠田さんにも、よろしくお伝えください』
送ってから、エアコンの風を顔に向けた。
◇
家に着いたのは八時すぎだった。
玄関の靴箱の上に、額が二つ並んでいる。一つは地元紙の記事で、見出しは「小五男児、川に落ちた児童救う」。社会面の下段、はがきくらいの記事だ。写真は河原で亀岩を指さしている俺ひとりで、あの子のことは「小学四年の男子児童(十)」としか書いていない。もう一つは消防本部の感謝状。
持ってきたのは二年前、母が七十一で亡くなって、実家を片づけたときだ。
実家からは、ほかにもいろいろ出てきた。傘の柄、体操袋、弁当箱のふた、習字の道具。どれにも油性ペンで「まかべ」と書いてあった。母の「ま」は結びの輪が大きくて、字を習いはじめた子が書いたように見える。高校のときの水筒にまで書いてあったのには笑った。
母だけは、この話を人にしなかった。盆に親戚が集まって誰かが持ち出しても、台所から出てこない。一度だけ、「泳げもしないくせに」と言われたことがある。中学に上がったころだったと思う。あの日の無茶を叱ったのだと、俺は思っている。
夕飯は冷やし中華で、俺の皿だけ錦糸卵が多かった。食べ終わってから、発泡酒の一缶目を開ける。美穂は流しで皿を洗っている。
朱里が、スマホをこっちへ向けた。
「お父さん、まだ増えてる。十二万九千」
「そうか」
「見つかったぞ、あの子」
朱里が顔を上げた。
「どこにいたの」
「隣の市だ。スイミングのコーチをしてるんだとさ。あのとき溺れた子が、いまは子どもに泳ぎを教えてる」
軽バンで組み立てた一行は、口に出すと、思っていたよりよく響いた。
「ふうん」
美穂は背中を向けたまま言った。
朱里は画面を指でずらして、俺の投稿を読み返している。
「ねえ、その話、毎回ちょっとずつ違うよ」
「どこが」
「前は、橋から飛び込んだって言ってた。最近は浅瀬から入ったって言うし、これには迷わず飛び込みましたって書いてある」
「そのほうが伝わるだろ」
「どっちのほうが?」
「どっちもだよ」
朱里は左手の親指で、自分の右の手首をこすってみせた。
「それ、また」
「汗疹だ。夏はかゆいんだよ」
缶を傾けると、もう半分もない。
「朱里が泳げるのは、俺に似たんだな」
「朱里に泳ぎ教えたの、私だからね」
美穂は振り向きもしない。朱里が声を出して笑い、俺も笑った。
「その人、テレビに出るの?」
「十七日に撮るんだと。朱里も来るか」
「行かない。クラスの子に見られたら終わる」
「なんだよ。お父さんの晴れ舞台だぞ」
缶に口をつけてから、流しの背中に声をかける。
「でな、撮影の前に、二人だけで会いたいんだと。水曜に、もぐり橋で会ってくる」
皿を洗う音が止まった。
「二人だけで、って向こうが言ったの?」
「照れてるんだろ。三十年ぶりなんだから」
美穂は蛇口をひねり直した。
「テレビ、私は映らないから。パートの人に何言われるか」
それきり、皿を洗う手が速くなった。朱里はもうスマホで別のものを見ている。
俺は冷蔵庫から二缶目を出した。
◇
もぐり橋の袂に軽バンを停めたのは、十二日の五時少し前だった。
「水難事故多発 遊泳禁止」の看板が二枚立っている。一枚は錆びていて、もう一枚は文字の赤がまだ新しい。ヒグラシが鳴いていた。車を降りると、夕方なのに三十度は超えている。
今年は台風が一つも来ていない。川は低く澄んでいて、橋の上から淵の底の石が見えた。少し下流の亀岩は、甲羅の上が乾いて白くなっている。
篠田は先に来て、橋の真ん中に立っていた。
紺のポロシャツの胸に、スクールの名前の刺繍がある。塩素で色の抜けた短い髪。半袖から出た腕は、外回りの俺の腕と比べると白かった。手に紙袋を提げている。
「篠田くん!」
大きな声で呼ぶと、篠田は頭を下げた。橋の真ん中まで歩くあいだ、靴の底がコンクリートの熱を拾う。近づくと、俺より頭一つ低かった。
「お前、相変わらずちっちゃいな」
「ご無沙汰しています、真壁さん」
篠田は笑わなかった。紙袋を持つ手の爪が、短く切りそろえてある。
「宇野さんから聞いたよ。スイミングのコーチだって? 大したもんだ。子どもはいるのか」
「息子が一人います。八歳です」
「泳げるのか」
「泳げます」
「そりゃそうだな。親がコーチなんだから」
俺は橋の縁に腰を下ろして、川の上で足をぶらぶらさせる。
「ここに座ってたんだよ、お前は」
「そこ、座らないでください」
「今日は水がないだろ」
俺は笑って、座ったままでいる。篠田は紙袋を持ち直した。
「テレビは、出ません」
「なんだよ、いきなり」
「投稿を、消してもらえませんか」
「消すって、お前。十二万だぞ」
「八月二日のニュース、見ましたか」
「見たよ。だから書いたんだ」
「生徒のお母さんから、あの投稿が回ってきました。こういう勇気を持ってほしい、と書いてありました」
「いい話じゃないか」
「僕は子どもたちに、飛び込まないと教えています。浮く物を投げて、大人を呼ぶ。毎年、夏の前に教えます」
篠田は、橋の下流側の淵に目をやった。
「あの淵は三メートル近くあります。泳げない人が入ったら、十秒もちません」
「だから俺は浅瀬から入ったんだよ。飛び込んだってのは、そのほうが伝わるから書いただけで。大したことじゃない。十二万人が読んで、いい話だって言ってるんだ。それを消してどうする」
篠田は黙っている。
俺は声を落とした。
「あのな。お前は小さかったんだよ。覚えてなくて当たり前なんだ」
篠田は少しのあいだ俺を見てから、「そうかもしれません」と言った。それから、淵の底を見た。
やっぱり覚えていない。十歳だった。無理もない。
「十七日はな、朝九時に局の人が来る。宇野さんって、腰の低い人だ。俺がここにこうして座ってて、お前が向こうの岸から歩いてくる。そういう絵を撮りたいんだと。お前、喋るのが苦手なら、うなずいてるだけでいいから。終わったら飯でも行こう。駅の向こうに、うまい蕎麦屋があるんだよ。俺が出す」
篠田の目が、俺の手元に落ちた。左手の親指が、右の手首の上にあった。
篠田は紙袋から、四角い缶を出した。クッキーの缶で、ふたの絵が色褪せて白っぽくなっている。
「母が、押し入れから見つけました。返して、お礼を言ってきなさい、と」
ふたを開けた。
子どもの青いサンダルが一つ入っている。左足のほうだった。
篠田は、中敷きが俺に見えるように缶を傾けた。
油性ペンで、「まかべ」。
「ま」の結びの輪が、大きい。
親指が、手首の上で止まった。
息を吸った。
「なんだよ、うちのおふくろ、人のサンダルにまで――」
言いかけて、やめた。缶には手を出さなかった。
「次の日、下流の葦に引っかかっていました。サンダルを脱いで浅瀬から入ったのは、僕です。淵の底で、あなたは目を開けて、上を見ていました。岩の上で、あなたは『黙ってろよ』と言いました」
「いいか、最初から話すぞ。あの日は台風のあとで、水が――」
篠田は黙って、瞬きもせずに俺を見ている。
ヒグラシが、両方の岸で鳴いている。俺も続きを言わなかった。
「三十年、あなたの話の中で、僕はずっと溺れているんです」
しゃがんで、缶からサンダルを出した。座っている俺のすぐ横、コンクリートの上に置く。空になった缶にふたをして、紙袋に戻した。
「テレビは、俺から断っとく。悪いな、わざわざ」
篠田は立ち上がって、俺に頭を下げた。
「今日は、来てくださってありがとうございました」
それから、橋を向こう岸へ渡っていった。振り返らなかった。
◇
夜十一時を過ぎて、美穂も朱里も二階で寝ている。居間の電気を消すと、冷蔵庫の音だけになった。
玄関の額の前に、青いサンダルを裏返して置いた。
居間に戻って、投稿を開いた。いいねは十三万を超えている。追記を書いた。
『追記 三十年前のあの日の男の子と、もぐり橋で再会できました。小さかった彼は、あの日のことをよく覚えていないようでした。それでも、あの日のサンダルを、三十年大事に持っていてくれました』
『照れ屋な彼の希望で、テレビは見送ります。別れぎわ、彼は頭を下げて、お礼を言ってくれました。三十年、待っていた言葉でした』