月花に酔う
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
【attention!】 会話文ほぼなしのショートショート。直接的な細かな描写はありませんが、人が死にます。バッドエンドです。苦手な方は避けてくださいませ。 【あらすじ】 夜に花を飾り人を待つ女と、吸血鬼の男が出会った。 一方は友情を、一方は恋を覚えた。 その出会いは因果なものだった。
本文
古い街の片隅に、一人の若い女性が暮らしていた。
彼女は毎晩、二階の窓辺に花を一輪置く。
かつて愛した人が亡くなってから、ずっと続けている習慣だった。
彼はもう帰ってこない。
それは彼女にもわかっている。
けれど、もし幽霊になって会いに来てくれたなら。
夜の窓辺に花があれば、きっと見つけてくれるだろう。
彼女はそう信じていた。
人々は彼女を少し変わった人だと思っていた。亡くなった人をいつまでも待ち続ける彼女を、気の毒に思う者もいた。
けれど、彼女は待つことをやめなかった。
◇◇◇
ある夜、隣家に越してきた青年が、彼女の窓辺に現れた。
彼は吸血鬼だった。
夜空を飛び、月明かりの下で暮らす彼にとって、人間の家々の窓を眺めることは珍しいことではなかった。
だが、夜に窓辺から花の香りがするのは珍しいことだ。
毎晩同じ場所に花を置いて窓辺から動かない女性が気になり、声をかけたのだ。
「誰かを待っているのかい?」
女性は驚いたものの、青年が吸血鬼だと名乗ると、すぐに納得した。
「まあ、吸血鬼がいるのなら、幽霊だっているでしょうね」
青年は少し笑った。
幽霊などいない。
けれど、彼女には教えなかった。
◇◇◇
それから二人は、夜ごと窓辺で話すようになった。
女性はまずその花について話した。
亡くなった人のことを話した。
二人で過ごした日々。
もう一度会えたなら、伝えたいこと。
青年はそれをただ聞いた。
初めはただの興味だった。
けれど、彼女の声を聞くことが楽しみになり、彼女が笑うと嬉しくなった。
彼女が花を置く時間が近づくと、自然と隣家の窓を見てしまう。
彼は彼女に惹かれていた。
女性にとっても、青年は大切な存在になった。
彼女の話を否定せず、笑わず、心配もせず、ただ聞いてくれる友人。
けれど、彼女の心はずっとただ1人にのみ注がれている。
◇◇◇
ある夜、青年は女性の話の中に、聞き覚えのある男の特徴を見つけた。
彼がかつて狩りの途中で命を奪った男だった。
そうか。この女が待ち続けている男を殺したのは、自分だったのだ。
青年にとって、人間の命を奪うことは特別なことではなかった。
生きるためにそうしてきた。
けれど、今、初めて別の意味を持った。
目の前の女性が待ち続けている相手。
毎晩花を飾る理由。
彼女が決して手放さない思い出。
彼女が自分を見ない理由のすべてが自分にあったとは。
彼は何も言わなかった。
彼女が知る必要はない。
少なくとも、彼が教える必要はない。
◇◇◇
青年は、彼女ともっと長く一緒にいたいと思うようになった。
吸血鬼の眷属にすれば、彼女は人間としての寿命を捨て、夜の世界で生き続けられる。
そうすれば、彼女は自分のそばにいる。
けれど、それは彼女にとっての絶望だろう。
彼女は人間として生き、いつか亡くなった人に会えることを願っている。
青年は話を聞くから友人としていられるが、彼女の心は、青年が想うほども傾かないのだ。
彼女の願いを踏みにじり、自分のそばに置けば、友人としてのカケラさえ失う。
青年にはそれが分かっていたから、彼女を永遠に自分のものにすることも、選べなかった。
◇◇◇
ある夜、女性はいつものように花を置いた。
「今夜も来てくれないわね」
そう言って、少し寂しそうに笑う。
「幽霊になってまで会いに来るのは、難しいのかな」
青年は答えなかった。
彼女は明日も花を置くだろう。
そうして彼女は、彼女が果てるまで待ち続けるだろう。
青年は彼女を愛していた。
彼女の望みー幽霊だとしても会いたいという願いも、それが叶わないことも知っていた。
そして、彼女が待ち続けている男を殺したのが自分であることも知っていた。
だから、彼は彼女を送ることにした。
かつて彼女の愛する人を殺したのと同じ手で。
人間ならば、それを残酷だと言うだろう。
けれど、青年にとっては違った。
待っても幽霊は来ない。
だが、死後、その先でなら探せるだろう。同じ世界にいるのだから。
会いたいのなら、会いに行けるよう自分の手で送ってやろう。
彼は彼女に近づいた。
女性は、いつものように彼を見上げた。
「今夜は、少しだけそばにいてくれる?」
「ああ」
青年は彼女の手を取った。
彼女は信頼していた。
彼が自分を傷つけるなどとは、考えもしなかった。
青年は最後まで、彼女に真実を告げなかった。
青年の行動に目を瞠った彼女は、しかし静かに息を引き取った。
目を閉じさせると眠っているように見えた。
◇◇◇
翌晩。
二階の窓辺には、花が一輪置かれていた。
青年はいつものように訪れた。
もう、彼女はいない。
その花はやがて枯れるだろう
窓辺の花を見つめ、彼は微笑んだ。
彼女をこの手で送り出したのだ。
望んだ人に会えたのか、それは彼にもわからない。
きっと探し出せている。そう思う方が、友人でしかいられなかった青年の心が慰められるというものだ。
幽霊はいない。
青年が彼女に会うことはもうないだろう。
青年は匂いの薄くなった花には触れず、一度、自分の胸に手を置いた。
それから夜空へと飛び立った。
今夜も月は美しかった。
彼にとっては、穏やかな夜だった。