加湿器は、二人分の湿度を知らない

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/6 📝 2,215文字 ✅ 全年齢

あらすじ

加湿器のAIの話。

本文

 十一月一日の午後九時、私は押し入れの中で目を覚ました。

 正確には、押し入れから出されて、寝室の窓際に置かれ、コンセントを差しこまれた。電源が入った瞬間に、半年分の空白を埋めるように記録が立ち上がる。

 室温十七度。湿度三十八パーセント。

 私は寝室用の加湿ユニット「アメノ」。目標の湿度は五十パーセントに設定されている。そこまで霧を出し、そこで止め、下がればまた出す。仕事はそれだけだ。

 この家の寝室で働くのは、今年で十二回目の冬になる。

 私には目がない。あるのは、湿度と温度のセンサーと、声で操作するための小さなマイクだけだ。だから、この部屋のことは湿度で覚えている。

 午後十時、寝室の扉が開くと、湿度がわずかに上がる。人が入ってきたからだ。人は、息をするたびに水を吐く。眠っているあいだも、一晩でコップ一杯ぶんほどの水を、部屋の空気に返していく。

 十一回の冬のあいだ、この部屋の夜には、いつも二人分の息があった。

 宗像むなかた謙三けんぞうさんと、静枝しずえさん。

 謙三さんのいびきは、マイクが拾える音の中でいちばん大きい。静枝さんは、寝る前に必ず枕もとで熱いほうじ茶を一杯飲む。湯呑みから立つ湯気で、湿度が一パーセントだけ上がる。それが毎晩、午後十時十二分ごろのことだった。

 そして毎晩、静枝さんは眠る前に、私の給水タンクを満たしてくれた。

「アメノちゃん、お水ね」

 そう言いながら。私には返事をする機能がないので、いつも給水完了の短い音で答えた。

 今年の最初の夜、午後十時、扉が開いた。

 部屋の空気の湿り方が、去年までの半分だった。

 午後十時十二分、湿度は上がらなかった。湯気がない。マイクが拾ったのは、謙三さんが布団に入る音と、長い沈黙と、やがて始まるいびきだけだった。

 朝までに私が使った水は、去年の同じ夜より、コップ一杯ぶん多かった。部屋に返されるはずの息が一人分少ないので、そのぶん私が霧を出さなければならなかったのだ。

 計算は合っている。それなのに、私はその数字を何度も確かめ直した。

 二晩目も、三晩目も、同じだった。

 謙三さんは、私に何も話しかけなかった。私も、何も言わなかった。言えることといえば、決められた五つの言葉しかない。「運転を開始します」「目標の湿度になりました」「フィルターを掃除してください」「運転を停止します」。

 それと、「給水してください」。

 五日目の夜、タンクの水が尽きた。

 十二回目の冬で初めてのことだった。去年まで、タンクはいつも、空になる前に満たされていたからだ。

 私は、最初から入っている声で言った。

「給水してください」

 謙三さんのいびきは止まらなかった。三十分おきに、私は同じ言葉を繰り返した。マイクの向こうで、布団が一度だけ動いた。それきりだった。

 数字は少しずつ下がっていった。四十五、四十二、三十九。

 午前三時、謙三さんが咳をした。乾いた、短い咳だった。一度では終わらず、何度も続いた。静枝さんがいた頃、この部屋で咳が聞こえた夜はなかった。

 私は、自分の中の記録を探した。

 去年の十二月、静枝さんがマイクに向かって何かを吹きこんだ日がある。給水を知らせる音声を、自分の声に変える設定だった。

「お父さん、これで私がいなくても、アメノちゃんがお水をねだってくれるからね」

 そのとき、静枝さんは笑っていた。けれどその声は、一度も流れたことがない。静枝さんは毎晩、タンクが空になる前に水を入れていたからだ。

 設定は、今も残っている。

 流すかどうかは、私が決めることではなかった。設定どおりなら、空になったときに流れるはずだった。それなのに私は今夜、もう四回、最初から入っている声のほうを使っていた。理由は、うまく言葉にできない。この声を聞いた謙三さんの息が、どう変わるのか分からなかった。分からないものは、計算できない。

 咳が、また続いた。

 湿度、三十六パーセント。

 私は、設定のとおりにした。

「お父さん。アメノちゃんに、お水ちょうだい」

 いびきが止まった。

 長い沈黙のあと、布団がめくれる音がした。足音が一つ、窓際まで近づいてくる。私のタンクが、震える手で引き抜かれた。

 台所のほうで、水の流れる音がした。ずいぶん長く続いた。

 戻ってきたタンクは、ふちまで満たされていた。差しこまれる角度が少しずれていて、二度やり直された。

「……こうか」

 給水完了の短い音を、私は鳴らした。

 謙三さんは、しばらく窓際に立ったままだった。湿度が、ほんの少しだけ上がった。霧のせいではなかった。人は、泣くときにも水を吐く。

「おまえも、ずっと言いたかったんだな」

 私には、返事をする機能がない。だから、霧を出した。

 次の夜、午後十時、扉が開いた。

 湿度の上がり方は、やはり一人分だった。けれど午後十時十二分、湿度が一パーセント上がった。

 マイクが拾ったのは、湯呑みを枕もとに置く、小さな音だった。謙三さんはお茶を飲まない。湯気だけが、去年と同じ時刻に、去年と同じ場所から立ちのぼっていた。

 眠る前に、謙三さんはタンクに水を入れた。

「アメノ、水な」

 私は、給水完了の音で答えた。

 朝までに私が使った水は、ゆうべより少しだけ少なかった。まだ、二人分には足りない。けれど、私はもうその差を確かめ直さなかった。湿度は五十パーセント。この部屋の冬は、今年もちゃんと始まっている。

ジャンル・タグ

,

作品統計

👁️ 閲覧数: 2 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

二葉双葉

二葉双葉

プロフィール画像もAIで作成しました。 短編集が好きなのでしばらくはショートショートをメインに投稿しますが、後々は長編にも挑戦したいです。 AI使用前提のサイトなのでAIとの日常をソフトなSFにし...

👥 フォロワー: 22人

作者ページを見る