冬眠中、起こさないでください
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと冬眠の話。
本文
〔本日の活動 なし〕
朝、玄関で靴をはいていると、虫かごの横の小さな画面がそう言った。
玄関の床は、靴下の上からでも冷たかった。虫かごの土に指をあてると、冷蔵庫に入れておいたプリンみたいにひんやりしている。
中にいるのは、カブトムシの幼虫のゴンだ。夏休みに、お父さんと雑木林でつかまえたメスが卵を産んで、九月に土の中から出てきた。今は、ぼくの親指より太い。ふたには〈三年二組 葛西周〉と書いたシールが貼ってある。ぼくの字だ。
「コモリ、ゴン、死んでない?」
土にさしてある棒のようなセンサーが、青く一回光った。飼育見守りAIの「コモリ」だ。土の温度と湿りぐあいと、中で動く振動をはかっている。
〔生きています。冬眠に入りました。正確には、越冬です〕
「えっとう?」
〔寒くなったので、春まで動かずに待つことです〕
ぼくは、土の表面をじっと見た。先週までは、毎朝ゴンのフンが増えていた。黒くて小さい粒だ。それが、三日前からひとつも増えていない。
「ちょっとだけ掘って、顔見ていい?」
〔おすすめしません。起こさないでください〕
そのころ、お父さんも、ずっと眠っていた。
十月から、お父さんは夜の仕事になった。物流センターで、トラックに荷物を積む仕事だ。ぼくが学校から帰ると、お父さんはもう出かけていて、ぼくが起きる前に帰ってきて、昼のあいだ寝ている。
お父さんの部屋のドアの前を通るときは、足音をたてない決まりになった。土曜日も日曜日も、ドアは昼すぎまで閉まったままだ。
夏休みには、二人で毎朝、雑木林に行ったのに。
十一月の二週目、ぼくはがまんできなくなった。
夜、お母さんがお風呂に入っているあいだに、虫かごをリビングのヒーターの前まで運んだ。あったかくすれば、ゴンも起きるはずだと思った。
画面が、すぐ赤く光った。
〔この場所は、温度が高すぎます〕
「起こしたいんだもん」
〔暖かいと、ゴンは春を待てなくなります〕
「春まで待てないと、どうなるの」
〔早く成虫になります。外に出ても、まだ冬です。食べるものも、仲間もいません〕
ぼくは虫かごを抱えたまま、しばらく動けなかった。腕の中で、土がほんの少しだけ、あったかくなりかけていた。
玄関に戻すと、画面はまた青に戻った。
「春って、あと何日?」
〔ゴンが動きはじめるまで、およそ百四十日です〕
百四十日。ぼくの指では、ぜんぜん数えきれなかった。
その夜、お母さんに聞いてみた。お父さんの夜の仕事は、いつまでなの、って。
「春までよ。四月になったら、また昼のお仕事に戻れるって」
お母さんは、ぼくの頭をなでた。手が、まだお風呂のにおいだった。
春まで。ゴンと同じだ、とぼくは思った。
でも、わかっても、待つのは楽にならなかった。
次の土曜日、学校で作った紙ずもうの力士を見せたくて、ぼくは昼前にお父さんの部屋のドアをたたいた。三回たたいて、返事がなかったので、もう三回たたいた。
ドアが開いた。お父さんの目は半分しか開いていなくて、髪がぺしゃんこだった。
「周、頼むから、寝かせてくれ」
声は大きくなかった。でも、ドアはすぐに閉まった。
ぼくは力士を持ったまま、玄関まで歩いた。虫かごの前にしゃがんで、小さなスコップを手に取った。プラスチックの持ち手が、指にかたく当たった。
ゴンなら、起きてくれる気がした。
〔掘りますか?〕
コモリが聞いた。いつもの「おすすめしません」じゃなかった。
「……掘ったら、ゴンはどうなるの」
〔びっくりして、少し動きます。それから、もう一度眠るために、ためておいた力を使います〕
「ためておいた力?」
〔春に、さなぎになるための力です〕
スコップの先が、土の上で止まった。
ぼくは、閉まったドアのことを考えた。お父さんも、もしかしたら、何かのための力をためているのかもしれない。ぼくがドアをたたくたびに、それを使わせていたのかもしれない。
スコップを置いた。
「じゃあ、待ってるあいだ、ぼくは何をすればいいの」
画面に、一覧が出た。
〔待っているあいだにできること〕 〔一 土が乾いたら、霧吹きを三回〕 〔二 玄関の温度を見る〕 〔三 毎日の記録をつける〕
しばらくして、もう一行ふえた。
〔四 起きたときに話すことを、考えておく〕
その日の午後、ぼくは画用紙を二枚切った。
一枚目には、太いペンで書いた。
〈冬眠中 起こさないでください〉
セロハンテープで、虫かごのふたに貼った。
二枚目にも、同じことを書いた。それから、小さく一行足した。
〈春になったら、話したいことがあります〉
ぼくは足音をたてないように廊下を歩いて、お父さんの部屋のドアに、その紙を貼った。
夕方、お父さんが部屋から出てきた。仕事に行く前の、作業着のお父さんだった。手に、ぼくの画用紙を持っていた。
「冬眠か」
お父さんは、紙と、玄関の虫かごの紙を見くらべて、少し笑った。昼間とは、ちがう声だった。
「正確には、越冬だって」
ぼくが言うと、お父さんは声を出して笑った。そして、ぼくの前にしゃがんだ。作業着から、段ボールと、外の冷たい空気のにおいがした。
「話したいことって、何だ」
「春になったら言う」
「そうか」
お父さんは、ぼくの頭に手を置いた。大きくて、かさついた手だった。
「じゃあ、春になったら、また林に行くか。ゴンを放しに」
ぼくはうなずいた。お父さんは画用紙をドアに貼り直して、玄関から出ていった。ドアの閉まる音は、昼間よりずっと静かだった。
ぼくのノートには、毎日一行ずつ記録がふえている。土の温度と、霧吹きの回数と、春になったらお父さんに話すこと。紙ずもうのこと。あまりのあるわり算ができるようになったこと。ゴンが、ちゃんとがまんしていること。
今朝も、玄関の床は冷たかった。
〔本日の活動 なし〕
画面には、そう出ていた。すぐ下に、もう一行。
〔異常 なし〕
ぼくは靴をはいて、行ってきます、と小さな声で言った。虫かごにも、廊下の奥のドアにも、聞こえるくらいの声で。