黒魔女さんからお手紙ついた【20話】
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
魔法学校入学のために金貨3億枚の借金を背負ったヴェロア
本文
【二十】
アリエスは不思議な感覚のただ中にいた。遠く記憶から無くしていた、母の胎内にいた頃のような。もちろんその頃ちゃんと意識が合ったわけではないので、それ自体が記憶なのかどうかすらわからない。
ただなんだかとても温かく、なんだかとても懐かしいということだけを、魂の奥深くまで感じることができた。
ゆっくりと、およそ十年ぶりに瞼の重さを感じながらそれを開く。
「くっ……」
飛び込んでくる白い光が眩しい。全身を包む倦怠感に耐えながら、大きく息を吸うと、アリエスは首を軽く動かしてみる。
懐かしい自分の身体。まだ多少馴染んでいない感はあるが、今はただ感慨だけに包まれる。ゆっくりと視線を送り両手が拘束されているのを確認する。それはアリエスにとっては予想通りであって、決して驚くべきことではなかった。
「よく頑張ったね」
その状態に思わずねぎらいの言葉を呟きかける。こうして十年もの間、魂なき身体は魔力だけでそれに抗い続くてきたのだと思うと、自分の身体だということ以上に慈しみを感じるのだった。
しかし魔力が食い尽くされてしまうと、もう耐えることはできなくなり、身体は堕ちて魂も強制的に戻ってしまう。
その時間が、もうほとんど残されていなかった。なのでアリエスはこうして自らの意思で戻ってきたのだ。
アリエスは再び視線を下に向けると、そこにはち切れんばかりの二つの膨らみが無いことを確認する。
「べ、別に残念だなんて思ってないんだから……」
くすりとした笑みを浮かべると、そう誰に言うでもなくこぼした。少しだけほっと胸を撫で下ろし、続けて「ただいま」と呟いた。
キンキンとうるさいほどに続く耳鳴りのせいで、周囲の音はいっさい聞こえてこない。
アリエスは最初に目に飛び込んできた白が、目の前に引かれ仕切りのための布だということをようやく理解する。かたわらに人影もなく、全てを見渡しても、そこがどこなのか判断できるだけの情報は何一つ得られない。
「いったいここはどこなんだろう……」
微かに白い布が風に揺れる。注意深く目を向けると、時折そこに人影がわずかに照られる。
「誰かがいる……」
アリエスに緊張の色が浮かぶ。確率的にいえば、それは自分に害成す者であると考えるほうが正しいだろう。それなのに、待てど暮らせど目の前の布が開けられる様子はない。
影は居なくなることもなく、慌ただしい感じで左右を行ったり来たりしている。
「一体何をしているの? 何かの準備とか?」
まったく理解が追いつかず、ただただ不安な表情を浮かべるアリエス。身動きできない状況では、それを見守ることしかできない。
それでも出来るならば、ここがどこなのかを友人にも、そしてあの少年にも知らせたいと思う。「ワタシはここにいるよ」と伝えたい。
最悪一回ならば、召喚魔法を使えなくもない。魔力を失って無防備になる可能性と引き換えにではあるがだ。
しかしそれはあくまで最後の手段。戦うことができない以上、単なる足掻きでしかない。
ただこうしている間にも、時間は無情にも過ぎていく。だが幸いにも今は何もされてはいないので急激に魔力を減らしたりすることはない。それが唯一の救いといえるのだった。
しかしその状況も、いつまで続くとはわからない。いつ何時奴等が現れるとも知れない恐怖はある。時間が経つにつれて急激にアリエスの身体を不安が蝕んでいく。
なぜならば目の前の布を隔てた向こう側には、確実に誰かがいるのだから。
「怖いよ、ワタシ怖いよ…… 助けて。アイリーシェ…… ヴェロア……」
声を出せば気づかれてしまうかも知れないと頭ではわかっていても、心を埋め尽くさんばかりのおそれから思わず言葉を漏らす。
それに反応したわけではあるまいが、視界を制限していた白に布が突如引き落とされた。それによって今まで制限されていた視界が開けると、アリエスは目に飛び込んでくる情報を素早く整理する。だが残念なことにそれだけでは、この場所がどこなのかまではわからなかった。
拘束されている場所がわかりさえすれば、どうにかしてアイリーシェとヴェロアに伝えることができる。そう考えていたアリエスだったが、その必要がないことをすぐに理解した。
なぜならば眼前にいる人物こそが、自らが指示を飛ばした少年ヴェロアであったからだ。
「っつ……」
そのヴェロアというと、たまらず目を背けたくなるほどにそれは酷い有り様だった。全身の数十ヶ所に及ぶ細かい切り傷があり、そのせいで全身が赤く染まっていた。
惨事を目の当たりにすると、あまりのショックに声が喉を通って出ることが困難になっていた。アリエスの幼い顔は悲痛な表情で、今にも泣き出さんばかりに歪む。
特に右腕と左の腿の傷は深いもので、パックリと開いた傷口が、何かの生き物の顎門のようにも思えると、まるで自分のことのように痛みが同じ箇所を刺激する。
ボロボロになったその姿を見ると、胸の奥がズキリと痛むのだった。その感情がいかなるものなのかは自分にもわからない。
さらに目を走らせると、ヴェロアに対峙する二人の人物が見てとれた。
手前に居る赤い髪の女性は、その服装から一般教官だということがすぐに理解できた。それは十年間いっさいのモデルチェンジを行わなかったということの現れでもあった。
ヴェロアをそこまで痛め付けたのが、その女性教官なのだろうと察しがつくと怒りに全身を震えさせる。
ボロボロの状態になってもなお目の力を失わず、女性教官に鋭い視線を送るヴェロアの姿に、この短期間でわずかながらの成長を感じていた。
基礎魔法が上手くいかずに試験に落ちたと、人生の終わりとばかりに嘆いていたヴェロアにとって、教官とやり合うことは相当な恐怖であるのは間違いないはず。
圧倒的な力の差がそこにはあって、それをまざまざと見せつけられるのだから。見せつけられるだけでは済まず、まさにその身に刻み付けられるのだ。
それを思うと、いたたまれなさと共に己の無力さが込み上げてくる。
もしかすると、ヴェロアはこれで魔法に対して恐怖を覚えるかもしれない。本当は自分など大したことはないのだと自暴自棄になるかもしれない。そんな考えばかりが浮かんでは、アリエスの頭の中に蓄積していく。
ヴェロアの心を削り取っていく女性教官に、敵意をむき出しにした視線を飛ばすのをやめなかった。
攻撃魔法を放つためか、女性教官の身体がわずかに動くと、それまでずっとその影になっていたもう一人の人物の顔が明らかになった。
「あれは……」
それを確認した瞬間、自身の感情を抑えることができずに、アリエスは怒号を飛ばしていた。
「ドルモア・リッチェ・アルバンヌ!」
積年の恨みに満ちた叫びも、十年間憎み続けてきた相手が目の前に居るのだから、当然のことだった。
未だ思うように神経の伝達がままならず、手足に力が行き渡らなかったが、それでもその怒りにだけは反応を示した。
だがすぐに、飛びかからんとするアリエスの意思にしっかりと呼応して身体が動くようになる。しかし無情にも両腕の拘束がそれを許さなかった。
ギンという金属音をあげ、鎖が目一杯まで張る。しかしそこから先は微動だにせず、どうしたところで引きちぎることも抜けだすことも叶わないのであった。
アリエスは憎々しげに、両手の鎖を見やる。
突然の怒号に驚きを見せていた副校長だったが、その無様な姿を見ると、忌々しいほどの薄笑いを浮かべる。高みの見物を決め込んでいるその姿が目に映り、歯ぎしりをして怒りに耐える。
ようやくうるさいほどに押し寄せていたノイズから解放されると、アリエスの耳がその本来の機能を取り戻す。
そうしている間にも、女性教官の放った魔法がヴェロアに襲いかかっていた。
女性教官が右手をヴェロアに向けて付きだすと、一瞬にしてヴェロアの身体は氷塊に閉じ込められた。
はっと息を飲むアリエスの目の前で、氷塊がパキンと弾け飛ぶ。それはさらにヴェロアの身体にいくつもの傷を刻む。
「ヴェロア!」
悲鳴にも似た叫びで、狂おしいほどその名前を呼んだ。
もどかしいというその思いがアリエスの心を支配する。目の前で傷つくその姿を、ただ見ているしか出来ない自分が。
基本の四大魔法が苦手で、満足のいく魔法を扱うことの出来ないヴェロア。そんなヴェロアにまともに戦えるだけの召喚魔法を伝えられなかった自分が。
声をかけようにも、今の自分に言えることがないのだと痛感する。
ヴェロアが今、目の前で傷ついていくのは自分のせいなのだ。本来ならば負わなくていい怪我を負っているのも、能力の差にうちひしがれているのも、全て自分のせいなのだ。
赤い髪の女性教官も副校長も、ヴェロアのではない、本来は全て自分の敵なのだ。
長い間自分を苦しめてきた憎むべき相手が目の前にいるというのに、手が届かない。何も出来ない自分が、今はその全てがもどかしかったし、悔しかった。
ダメージが思ったよりも大きいのか、膝をついたまま立ち上がることができないでいるヴェロア。
「さあ、お遊びはここまでよ」
女性教官が笑ってそう宣言すると、とどめを指すつもりでいるのだと悟る。
ヴェロアの命を奪うまではしないとしても、結果は変わらない。捕まってしまえば、最後は自分が自分で無くなるのだから。
アリエスは目一杯唇を噛む。文字通り手足もでなければ、かける言葉さえも見つからない。満身創痍のヴェロアに対して自分は何を言えばいいのか、その最適解すら見つけられないのだった。
何を言えばいい?
なんと言葉をかければいい?
励ます?
それとも助言?
何を言いたい…… 何を伝えたい……
その思いはあるのだが、いざ声に出そうとすると、喉の奥が蓋をされたかのようにそこから先は言葉が上がってこないのだった。
苦悩するアリエスの耳に届いた声は、ヴェロアのものだった。
「最初は授業、次は遊びって、なんだか一貫してない教育方針じゃないですか?」
嘲笑をあげながら挑発するように言葉を吐くヴェロアの姿。
その言葉に怒りを加速させたか、女性教官は魔法を放つべく精霊エナジーを集め始めた。
その時だった。
入り口から女性教官と副校長の間を縫って飛来する何かに気づく。それはまっすぐにアリエスの前までやってくると、血塗られたヴェロアに一瞥をくれ大きな翼をバサリと広げて着地した。
「アイリーシェ!」
アリエスよりも先にその名前を口にしたのはヴェロアだった。
アイリーシェはそちらを見やると、くわえていた何かをぺっっと吐き捨てた。
そして開口一番、あろうことかヴェロアを叱りつけたのだった。
「だから何なのさ! この不格好な生き物は」
「それは、あれだよ……」
その叱責に、なぜか気後れしているようで、明確な返事を口にしないヴェロア。
「あんたが召喚するものは、もれなくキメラなのかい?」
「違うよ。 鳥だよ、鳥。どう見ても鳥でしょ」
呆気にとられながら二人のやり取りを聞くアリエスは、吐き捨てられたそれに目をやる。どうやら鳥のような生き物らしかったが、ヴェロアが自信を持っていい放つほど、鳥の姿はしていなかった。
翼の長さが左右で違くて、首が少々長い。そして顔は鳥とは思えないほどに丸みを帯びていて、申し訳ほど度にちょこんとしたくちばしがついていたのだった。
そして極めつけは、猫や犬を思わせる耳がついていること。確かにアイリーシェの言い分もわかるなと感じた。
ヴェロアが鳥という単語を口にしなければ、それが鳥をイメージして作られたなどとは、小一時間は気づかないかもしれないほど、どう見ても鳥である可能性の方が低いことは明白だった。そう考えると、自然と笑いが込み上げてきた。
「相変わらず、ひどい言われようなんだけど……」
「当たり前だよ! 下手くそ過ぎて途中で動かなくなってたんだからね」
「え? ちゃんと届いたんじゃないの? 届いたから、来てくれたんじゃないの?」
黙ってしきりに首を傾げるアイリーシェ。長年付き合いのあるアリエスには、そのしぐさを見せるときは、相当に怒っているときだとすぐにわかった。
それを裏付けるかのように、すぐに雷がヴェロアを襲った。
「こんなもの届くか! 届いたら全力で逃げるわ! あのままヘタってたら、猫にでも襲われてたわよ! それを見つけてやったんだから、感謝してほしいもんだね。ほれ、ありがとうは?」
「……ありがとう。アイリーシェ」
感謝をなかば強制されたヴェロアは、どこか腑に落ちないといった様子で、渋々感謝の言葉を吐いた。
「ホントに、センスがないのも大概だね。一体何をイメージしたら、あんなキメラが出来るのさ」
その質問に、どこかバツの悪そうな表情を浮かべたヴェロアは、うつむき加減に答えた。
「それは、その…… アイリーシェをイメージして作ったんだ」
首を左右に何度も傾げて、その言葉の意味が理解できないとでも言いたげなアイリーシェ。察したアリエスが首をすくめて備えた次の瞬間、恐るべき怒声がヴェロアに飛ばされたのだった。
「なんだって! あんたはあたしのことを、あんなんだと思ってんのよ!」
「いや、ちょっとオリジナリティが加わったというか……」
「お黙り! 後でしこたま説教してやるから。もちろん痛みつきだからね。覚悟しな」
女性教官の攻撃よりもうちひしがれてうなだれるヴェロアから、アイリーシェは視線をこちらへとよこすと怒りを飛び火させた。
「あんたも、いつまでそんなみっともない格好をしているつもりなわけ?」
「アイリーシェ?」
怪訝な表情を浮かべて言葉をかけたヴェロアにはいっさい目もくれず、バサリバサリと羽ばたかせながら、アイリーシェはその先の言葉を続けた。
「あんたには出来ることがないとでも思っているの? 長いことそうしていたお陰で、どうやらずいぶんとしおらしい娘になったもんだねぇ。エルターナ・アリエス・ベルトーラ。あれぇ? それとも、王子様の前だからって、か弱いお姫様気取りなのかしら?」
「え、アイリーシェ。どういうこと? アリエスって……」
「ちゃんと目を覚ましなよ、アリエス。それが黒魔女と恐れられた者か!」
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