国民的アイドル誘拐事件 ②3人の容疑者
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ベテラン刑事・桐谷麻里子は、心理学を巧みに用いて犯人像を分析するのが得意な警察官。 『国民的アイドル誘拐事件』 国民的アイドル・愛沢ミナミが何者かに誘拐された。犯人から送られた声明文には、不自然なまでに装飾的な言葉が並んでいた――「静謐なる時」「凡庸なる大衆」「完璧な計画」。麻里子は、その言葉遣いに違和感を覚える。「知的に見せたがっている」。20年のキャリアで培った心理分析の眼が、犯人像を浮かび上がらせていく。
本文
捜査本部では、防犯カメラの映像解析とSNSアカウントの追跡が並行して進められていた。
映像解析チームは、愛沢ミナミの自宅マンション周辺に設置された複数の防犯カメラ映像を集め、事件当日の深夜から早朝にかけての時間帯を重点的に精査した。
チームリーダーの若手刑事、村田が麻里子に報告に来た。
「桐谷さん、映像解析の進捗を報告します」
村田はノートパソコンを開き、タイムラインを表示した。
「事件当日の深夜0時から早朝6時まで、マンション周辺の防犯カメラ映像をすべて時系列で並べました。各カメラの映像から、人物の動線を追跡しています」
画面には、複数のカメラ映像が同時に表示されている。
「まず、深夜0時台。マンション周辺の人通りはほとんどありません。帰宅する住民が数名いる程度です」
「1時台に入ると、大通りを歩く男性が映っています。作業着姿、眼鏡。この人物を『A』とします」
村田はAの映像を拡大した。
「Aは1時5分頃、マンションから100メートル離れた交差点を通過しています。歩行速度は普通。特に急いでいる様子はありません」
「Aはその後、コンビニに立ち寄り、1時15分頃に退店。それから住宅街の方向へ向かっています」
「次に、2時台」村田は別の映像に切り替えた。「マンション近くの別のコンビニで買い物をする男性が映っています。カジュアルな服装、眼鏡。この人物を『B』とします」
「Bは2時10分頃にコンビニに入り、2時15分頃に退店。カップラーメンとエナジードリンクを購入しています。レジの防犯カメラで確認済みです」
「Bはその後、渋谷方面に向かって歩いています。おそらく、近隣のオフィスビルに戻ったと思われます」
麻里子は画面を見つめながら尋ねた。
「AとB、両方ともマンションに近づいた様子は?」
村田は首を横に振った。
「両者とも、マンションの前を通過したり、入口に近づいたりする様子は確認出来ていません」
「じゃあ、直接的な関与は薄い?」
「現時点ではそう判断しています。ただ、時間帯が事件前後に重なっているため、参考人としてリストアップしています」
稲本が質問した。
「他に不審な人物は?」
「います」
村田は別の映像を開いた。
「事件前日の昼間、設備メンテナンス作業員がマンションに入っています。作業車が映っており、車両ナンバーから会社を特定済みです」
「この作業員を『C』とします。Cは午後2時頃にマンションに入り、3時頃に退出しています。作業時間は約1時間」
麻里子は頷いた。
「Cが吉野剛ね」
「はい。既に身元は確認済みです」
村田は画面を閉じた。
「現時点で、A、B、Cの3名が重要参考人です。ただ、決定的な証拠映像——例えば、愛沢さんを連れ出す様子とか、侵入する場面とか——そういったものは見つかっていません」
麻里子は考え込んだ。
「犯人は、防犯カメラを意識して行動していたのかもしれないわね」
◆
一方、デジタル捜査チームは、犯行声明文が送信されたSNSアカウントの追跡を進めていた。
チームを率いるのは、サイバー犯罪対策課から応援で来た技術者、佐々木だ。30代前半、眼鏡をかけた痩せ型の男性。
「桐谷さん、SNSアカウントの解析結果です」
佐々木はタブレットを麻里子に見せた。
「犯行声明文が送信されたアカウントは、事件の3日前に作成されています。つまり、計画的な犯行です」
「アカウント名は?」
「『observer_2024』。観察者、という意味ですね。プロフィール画像は設定されておらず、デフォルトのアイコンのままです」
「投稿履歴は?」
「ありません。ただ、声明文のDMを送っただけです」
麻里子は眉をひそめた。
「完全に、犯行のためだけに作られたアカウントね」
「はい」佐々木は頷いた。「登録メールアドレスは、使い捨ての無料サービスで作成されたものです。『temp_mail_7392@freemail.com』という、明らかに一時的なアドレスです」
「IPアドレスは?」
「VPNを経由しています。表示されているIPは海外のサーバーで、実際の接続元を特定するのは困難です」
佐々木は画面をスワイプして、別の情報を表示した。
「ただ、使用端末の情報はある程度分かっています。Windows PC、ブラウザはChrome。デバイスの詳細な特定はできませんが、一般的なノートPCかデスクトップPCです」
「スマートフォンではないの?」
「はい。PCからの投稿です。これは、犯人がある程度ITリテラシーがあることを示唆しています。VPNの設定や、使い捨てメールアドレスの作成——一般の人にはやや難易度が高い作業です」
稲本が質問した。
「じゃあ、IT関係の仕事をしている可能性が高い?」
「可能性はあります」佐々木は答えた。「ただ、最近はネット上に情報が溢れているので、少し調べれば誰でもできる作業ではあります」
麻里子は考え込んだ。
「プロバイダーへの照会は?」
「進めていますが、VPN経由なので、実際の接続元を特定するまでに時間がかかります」
「公共Wi-Fiの可能性は?」
「それも検討しています。ただ、公共Wi-Fiを使用していた場合、ログが残っていない可能性もあります」
佐々木はタブレットを閉じた。
「デジタル捜査は正直、行き詰まっています。犯人は相当準備してきたようです」
麻里子は頷いた。
「でも、完璧な犯罪なんて存在しない。どこかに必ず綻びがあるはずよ」
♦
捜査開始から48時間が経過した。防犯カメラの映像分析とバックグラウンド調査が進み、重要参考人3名の素性が洗い出された。
会議室に捜査チーム全員が集まり、中間報告が行われる。
黒木が会議を仕切る。
「では、現時点での捜査状況を共有する。桐谷、プロファイリングの結果を頼む」
麻里子は立ち上がり、ホワイトボードに犯人像を書き出した。
「犯行声明文の分析から、以下のプロファイルが想定されます」
- 年齢: 30代から40代の男性
- 性格: 承認欲求が強く、自己顕示欲が高い
- 知的水準: 高学歴、または知的であることにこだわりを持つ
- 社会的地位: 本人の理想と現実が乖離している
- 人間関係: 孤立しており、家族や友人との関係が希薄
- SNS活動: ネット上で持論を展開しているが、フォロワーは少ない
- ITリテラシー: 中程度以上。VPNや使い捨てメールを使える
- 動機: 金銭ではなく、承認と支配
「以上が、現時点でのプロファイルです」
黒木は頷いた。
「次に、重要参考人の情報を共有する」
ホワイトボードに、3人の男性の顔写真が貼り出された。
「松屋尊信、34歳。物流倉庫管理責任者。事件当日深夜1時頃、愛沢さんのマンションから100メートル離れた大通りを歩いている姿が防犯カメラに記録されている」
村田が補足した。
「松屋は一人暮らし。両親は長野県在住で、ほとんど連絡を取っていない。大学は中堅私立の経済学部卒。その後、現在の会社に就職。SNSアカウントを複数保有していることが確認されており、社会批評や心理学に関する投稿が目立ちます。フォロワーは300人程度」
「吉野剛、34歳。設備メンテナンス作業員。事件前日の昼間、愛沢さんのマンションで定期点検作業を行っていた」
「吉野は既婚、妻と小学生の娘が一人。高校卒業後すぐに就職し、20代から現在の設備メンテナンスの仕事に従事しています。会社での評判は良く、真面目な性格。SNSアカウントは保有しているものの投稿はしておらず、閲覧するために会員登録をしてあるというだけのようです」
「須木健太郎、31歳。IT企業のプログラマー。事件当日深夜2時頃、マンション近くのコンビニで買い物をしている姿が防犯カメラに映っている」
「須木は、両親と同居しており独身です。理系の国立大学卒。趣味はアニメとゲーム。SNSではアニメ関連の投稿が多く、スターライトのSNSアカウントもフォローしています」
麻里子は3枚の写真を見比べた。年齢も職業もバラバラ。一見すると共通点は見当たらない。
稲本が質問した。
「3人とも決定的な証拠はないんですよね?」
黒木が答えた。
「ああ。アリバイも曖昧だが、犯行を裏付ける物証もない。防犯カメラ映像も、マンションに侵入する場面は映っていない」
麻里子は資料を読み込みながら、考えを巡らせた。
プロファイルと3人の人物像を比較していく。
松屋——人間関係がやや孤立気味で、ネット上で持論を展開している点は犯人像とも重なるものがある。
吉野——家族がいて、真面目に働いている。犯人像とは離れている印象だが、被害者の部屋をよく知っている。
須木——IT企業勤めであり、ITリテラシーは高い。VPNや使い捨てメールも難なく使えるだろう。
「桐谷、どう思う?」黒木が尋ねた。
麻里子は少し考えてから答えた。
「全員、任意同行で取り調べを行いましょう。直接話を聞いて、プロファイルと一致するか確認したいわ」
黒木は頷いた。
「分かった。では、3名を任意同行で呼び出す。取り調べは桐谷に任せる」
麻里子は3枚の写真を見つめた。
この中に、犯人がいる——そんな予感がした。
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