終わらない電話
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
再開発で社を失った路端の稲荷神は、生き延びるために人に化け、心霊探偵になった。 ――祈りも、欲望も、呪いも、まとめて引き受けるために。 これは人に化けた稲荷神と、神を信じない霊能者が怪異と人間の業の後始末をする、現代日本怪異譚。
本文
電話が鳴った。
それだけなら、何の変哲もない。
平日の昼下がり。
事務所には、エアコンの低い稼働音と、紙をめくる乾いた音だけがあった。
「……はい、時塔心霊探偵事務所」
受話器を取った瞬間。
――ぶつぶつ、ぶつぶつ。
耳元で、湿った音がした。
人の声、ではある。
だが、言葉になっていない。
何かを必死に伝えようとしているようで、同時に、ただ音を出しているだけにも聞こえる。
「……?」
創は、無言のまま数秒待った。
ノイズ混じりの声は、止まらない。
同じ調子で、同じ音を繰り返している。
イタズラだな。
そう判断して、受話器を置いた。
――三秒後。
電話が、また鳴った。
今度は、事務所の電話ではない。
朔夜が使っている、個人用のスマートフォンだ。
「……え?」
朔夜が画面を見て、首を傾げる。
知らない番号。
出た瞬間、表情が固まった。
「……は? え?」
創は眉を動かさず、競馬新聞を畳んだ。
「切れ」
朔夜が通話を終了する。
――すぐに、また鳴る。
今度は、事務所のFAX。
受信エラー音が、やけに大きく響いた。
「……は?」
朔夜が顔を上げる。
創は、ゆっくりと立ち上がった。
「番号を変えてるんじゃない」
低く、落ち着いた声。
「回線を渡り歩いてる」
電話は、まだ鳴っている。
止めても。
切っても。
拒否しても。
出るまで、終わらないという調子で。
創は、受話器を取り直した。
ノイズの奥で、くぐもった声が、同じ調子で続いている。
その声に、怒りはない。
恨みも、殺意もない。
ただ――。
「……仕事、してるだけだな」
創は、そう呟いた。
その瞬間。
受話器の向こうで、音が、ほんの一拍だけ止まった。
まるで、聞いてもらえたことに、驚いたみたいに。
※※※
最初に電話がかかってきたのは、月曜の午後だった。
社内の固定電話。
外線が鳴るのは珍しくない。
番号を見て、首を傾げた。
見覚えのない市外局番。
「はい、山中です」
返事はなかった。
無言電話だと思い、受話器を戻す。
その直後、また鳴った。
今度は、違う番号。
出る。
『……』
無音ではない。
ノイズの奥で、誰かが小さく喋っている。
言葉ではない。
意味を持たない、声だけ。
気味が悪くなって切った。
それで終わると思っていた。
だが、その日は定時までに七回、同じような電話がかかってきた。
すべて番号が違う。
拒否設定をしても、意味がない。
切れば、また鳴る。
出ないと、鳴り止まない。
翌日からは、スマートフォンにもかかってくるようになった。
通勤電車の中。
会議中。
昼休み。
着信音を消しても、バイブレーションが止まらない。
同僚に見られるのが嫌で、トイレに逃げて出た。
『……ぶつ……ぶつ……』
耳元で、同じ音。
切る。
数秒後、また鳴る。
別の番号で。
その日の夜、自宅の固定電話が鳴った。
この番号は、家族しか知らない。
表示された番号は、公衆電話だった。
受話器を取ると、あの音。
背中に、冷たい汗が流れた。
切る。
すぐ、また鳴る。
出ない限り、終わらない。
眠れなくなった。
夜中、鳴っていないのに、電話の音が聞こえる気がする。
目覚ましと着信音の区別がつかなくなった。
仕事でミスが増えた。
上司に呼ばれた。
「最近、集中できてないな」
理由は言えなかった。
電話が怖い、なんて説明できない。
家族にも相談した。
母は笑って言った。
「気にしすぎじゃない?」
父は言った。
「番号変えたらいい」
番号を変えた。
それでも、鳴った。
通信会社に相談した。
警察にも行った。
どこも、同じ答えだった。
「こちらでは対応できません」
ある日、仕事中に電話が鳴った。
出ると、いつもの音。
その時、ふと思った。
怒っていない。
脅してもいない。
ただ、待っている。
出るのが当たり前だと、思っている。
それが、何より怖かった。
ネットで調べて、最後に行き着いたのが、時塔心霊探偵事務所だった。
正直、霊なんて信じていない。
だが、もう理屈ではどうにもならなかった。
電話を切るたびに、出なかったという感覚が残る。
罪悪感に似た、気持ち悪さ。
だから、依頼内容は決まっていた。
祓ってほしい、ではない。
消してほしい、でもない。
ただ一つ。
「代わりに、電話に出てほしいんです」
それで終わるなら、他には何も要らなかった。
※※※
聞き込みのため事務所を出た朔夜は、歩道を歩きながらスマートフォンを耳に当てた。
誰から見ても、仕事の電話だ。
「……ああ、はい。分かりました」
相槌を打ちながら、視線だけを少しずらす。
人の流れの隙間。
電柱の影。
街路樹の根元。
そこに、透けた人々が居る。
いつもの光景。
「すみません、確認なんですけど」
朔夜は、歩調を緩めずに続ける。
「最近、変な電話の話、出てます?」
通話相手に説明しているような口調。
実際は、聞き込みだ。
電柱の影に立っていた中年の男の幽霊が、面倒そうに口を開く。
「あー……あれな」
朔夜は、わざと少し声を張る。
「はい。はい。鳴る、ですよね」
周囲からは、業務連絡にしか聞こえない。
「誰がかけてるか分かります?」
スマホを耳から離し、今度はボイスメモを起動する。
独り言に見えるが、違和感は薄い。
「“かけてる”って感じじゃないですか」
幽霊の言葉を、そのまま復唱する。
それに反応して、若い女の霊が近づいてきた。
「勝手に繋がってるだけ」
朔夜は、画面を見つめたまま頷く。
「……引っ張られる、はい」
スマホを耳に当て、メモを取っているふり。
「命令じゃない。出るのが当たり前、みたいな」
そのまま歩き続ける。
立ち止まらない。
視線を一点に固定しない。
別の幽霊が、少し離れた場所から声を投げる。
「近づかない方がいいぞ」
朔夜は、スマホに向かって小さく息を吐く。
「危険性は……低い」
すぐに続ける。
「ただし、巻き込まれる可能性あり」
老人の霊が、通りすがりにぽつりと言った。
「鳴ったら、出る」
朔夜の指が止まり、自然と立ち止まった。
だが、顔には出さない。
「仕事、ですね」
誰にともなく、通話相手に向けたように言う。
幽霊たちが、少しだけ納得した顔をした。
「恨みや未練は?」
返事は、揃って同じだった。
「ない」
「怒ってない」
「終わってないだけ」
朔夜はそこまで聞くと、スマホを仕舞って何事もなかったように歩き出す。
事務所に戻ると、創にだけ聞こえる声量で言った。
「分かりました」
創は、競馬新聞から目を上げない。
「言ってみろ」
「誰かがかけてるわけじゃないです。鳴ったら出る、っていう役割だけが残ってます」
創は、短く頷いた。
「だろうな」
受話器に視線を落とす。
「じゃあ――終業だ」
電話が、鳴った。
今度は、事務所の番号。
創は、迷いなく受話器を取った。
ここから先は、時塔の仕事だ。
「――はい」
ノイズ。
あの、ぶつぶつとした音。
依頼人は思わず耳を塞ぎかけて、止めた。
創の様子が、あまりにも普通だったからだ。
創は、受話器に向かって一度だけ息を吸った。
「お疲れさん」
それだけだった。
声を張らない。
怒らない。
諭しもしない。
ただ、仕事終わりにかける声だった。
「今日は、もう終わりだ」
ノイズが、揺れた。
ぶつぶつという音が、途切れ、伸び、薄くなる。
創は続ける。
「よくやった。もう、出なくていい」
一拍。
受話器の向こうで、何かが――ほどけた。
音が、消えた。
ツー、という通話終了音が、やけに大きく響く。
創は、静かに受話器を戻した。
電話は、鳴らない。
一秒。
二秒。
依頼人は、恐る恐る口を開いた。
「……終わった、んですか」
「終わった」
創は即答した。
その瞬間。
依頼人のスマートフォンが、机の上で震えた。
反射的に身構える。
だが、画面に表示されたのは、着信ではなく時刻だった。
何も、起きない。
依頼人は、その場にへなへなと座り込んだ。
「……鳴らない」
確かめるように、呟く。
「……鳴らない……」
創は、もう関心を失ったように競馬新聞を取り上げた。
「仕事は終わったからな」
それ以上、言うことはないという調子で。
朔夜が、小さく息を吐いた。
「……きれいに、閉じましたね」
「ああ」
創は紙面から目を離さずに言った。
「終わらせただけだ」
依頼人は、座り込んだまま深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
そして恐る恐る尋ねる。
「料金は?」
創は視線だけを向けた。
事務所の窓の外、裏手を示す。
「裏の祠に、酒といなり寿司置いてけ」
「……それだけで?」
「それでいい」
依頼人は、まだ半信半疑のまま頷いた。
金額を請求されるより、その方がよほど落ち着かなかった。
夕方。
事務所の裏手。
新しく設置し直された朱塗りの祠は、夕日を受けてやけに鮮やかだった。
石台も、朱の鳥居も、まだ真新しい。
依頼人は、言われた通り、コンビニで買った日本酒といなり寿司を供え、手を合わせた。
祈り方なんて、知らない。
だから、ただ一言だけ呟いた。
「……ありがとうございました」
その夜。
依頼人のスマートフォンは、一度も鳴らなかった。
翌日も、その次の日も。
代わりに、職場でこんな話を聞いた。
「最近さ、変な電話、減ってない?」
「そういえば……あのぶつぶつ言う変な電話、なくなったかも」
誰も理由は分からない。
分からなくていい。
噂は、いつものように形を変えて流れていく。
〈電話の怪が出なくなったらしい〉
〈裏手の祠、なんか効くらしい〉
〈心霊探偵、ガチだって〉
雑居ビル三階。
創は、競馬新聞を読みながら鼻を鳴らした。
「……電話番の仕事も、悪くねえな」
朔夜が、事務所の公式SNSを更新しながら言う。
「“祓わない解決”って、評判いいみたいです」
「そうか」
創は、窓の外を一瞬だけ見た。
真新しい祠は、何も語らない。
ただ、そこにある。
「仕事が終わったら、終わりでいい」
独り言のように、そう呟いた。
だが。
次の電話は、もうすぐ鳴る。
それが、心霊探偵事務所の日常だった。
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