開運の家
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あらすじ
再開発で社を失った路端の稲荷神は、生き延びるために人に化け、心霊探偵になった。 ――祈りも、欲望も、呪いも、まとめて引き受けるために。 これは人に化けた稲荷神と、神を信じない霊能者が怪異と人間の業の後始末をする、現代日本怪異譚。
本文
モニター付きインターホンが鳴ったのは、午前中だった。
平日のこの時間帯のお客は珍しい。
呼び出し方も、どこか切羽詰まったていた。
一度きりではなく、少し間を置いて二度。
創は湯呑みを置き、画面を確認する。
映っていたのは、若い男だった。
二十代半ば。
身なりはきちんとしているが、目の下に薄く隈があり、口元が落ち着かない。
「……はい」
応答すると、男は一瞬だけ周囲を気にする素振りを見せ、すぐに頭を下げた。
『千田と申します。こちらに相談させていただきたいことがありまして……』
「……入れ」
ほどなくして、事務所のドアが開く。
「失礼します」
深く一礼して入ってきた男は、千田 隼人と名乗った。
二十六歳。
年齢より少し疲れて見えるのは、生活の重さのせいだろう。
「……家のことで、相談がありまして」
ソファに腰掛けても、背中は伸びたまま。
落ち着かない。
「妻と、二歳の娘と、三人暮らしです」
前置きとして語られる、ごく普通の家族構成。
「場所は博多区の、ファミリー向けマンションです」
朔夜が、静かに頷く。
「……それで?」
隼人は、少し言いづらそうに目を伏せた。
「妻が……占いに、ハマっていまして」
創は、特に反応を示さない。
「占い師の男性で……奏多、と名乗っています」
名前を出した瞬間、隼人の眉がわずかに寄る。
「イケメンで、話し方がうまくて……」
苦笑に近い表情。
「最初は、軽い気持ちだったと思います。でも……」
言葉を選びながら、続ける。
「次第に、高額な開運グッズを買うようになって」
数点ではない。
そう分かる言い方だった。
「置物、アクセサリー、お札みたいなもの……」
創が、短く聞く。
「いくらくらいだ」
「……数万から、高いものだと十万以上」
隼人は、はっきり答えた。
「一つ一つは“投資”だと言われているそうです」
ため息が、自然と漏れる。
「それが増えていくにつれて……家で、変なことが起き始めました」
創の視線が、隼人に戻る。
「どんな」
「……ラップ音が、頻繁に鳴ります」
夜だけではない。
昼間でも。
「誰もいない部屋で、パキン、とか……ミシ、って」
隼人は、自分の腕をさする。
「それに……自分しか家にいない時でも、人の気配がするんです」
空気が、わずかに沈む。
「背後に、誰か立っている感じが……ずっと」
朔夜が、穏やかに尋ねた。
「お子さんは?」
隼人の表情が、強張る。
「……娘の写真を撮ると」
一拍。
「心霊写真みたいになるんです」
創の指が、机を軽く叩いた。
「具体的には」
「……知らない人影が写り込んだり、顔が歪んだり」
隼人は、唇を噛んだ。
「最初は、偶然だと思いました。でも……」
回数が、増えた。
「妻には、何度も話しました」
隼人は、正直に言う。
「でも、逆効果でした」
――悪い気を寄せているのは、あなたの不安だ。
――だから、魔除けを増やさないと。
「……開運グッズに加えて、魔除けグッズまで増えています」
創は、椅子にもたれた。
「要件は」
「……お祓いを、してほしいです」
隼人は、はっきり言った。
「それと……危険なものがないか、見てほしい」
娘の名前を、口にする。
「凛が……まだ小さくて」
沈黙。
創は、しばらく考えるように天井を見上げた。
「……妻は、今日は?」
「今も、奏多のところです」
隼人は、少し苦い顔をした。
「“守護を強くしてもらう”って」
創は、短く息を吐いた。
「……裏の祠に」
隼人が、顔を上げる。
「酒と、いなり寿司置いてけ」
一瞬、安堵が滲む。
「……引き受けて、いただけるんですね」
「見るだけだ」
創は、淡々と言った。
「原因が“霊”かどうかも含めてな」
朔夜は、静かに立ち上がった。
ゴンが、小さく鳴く。
事務所の窓の外。
祠の前を、風が抜けた。
その瞬間。
創の眉が、ほんの僅かに動いた。
「……面倒なのを、集めてるな」
それは、隼人には聞こえない独り言だった。
※※※
千田の住むマンションは、博多区の住宅街に建つ、ごくありふれたファミリー向けマンションだった。
築年数は浅く、エントランスも明るい。
オートロックもあり、防犯面に不安はない。
しかし、エレベーターに乗った瞬間、朔夜の表情がわずかに変わった。
「……もう、います」
小さな声だったが、確信がこもっている。
「多いか?」
創が聞く。
「はい。かなり」
エレベーターの壁に映る自分たちの姿。
その隙間に、何かが割り込んでいる感覚。
見えない。
だが、確かに“埋まっている”。
千田は、二人の会話を聞いて、唇を噛んだ。
「……やっぱり、普通じゃないですよね」
「普通じゃねえな」
創は、それ以上説明しなかった。
部屋の前に着き、鍵を開ける。
ドアが開いた瞬間。
――ざわり。
空気が、音もなく動いた。
風ではない。
換気でもない。
人が、一斉にこちらを見たような感覚。
「……っ」
千田が、思わず立ち止まる。
「今……」
「気配だ」
創は、靴を脱ぎながら言った。
「いつも、こんな感じか?」
「……最近は、ずっとです」
玄関を上がると、すぐ分かる。
靴箱の上。
棚の隅。
壁に掛けられた飾り。
小さな置物、札、石。
どれもこれも、主張が弱い。
だが、数が多い。
「……増えてますよね」
朔夜が、静かに言う。
千田は、力なく笑った。
「はい……」
創は、一つ手に取ることもせず、眺めるだけだった。
「開運、厄除け、金運、縁結び……」
呟くように読む。
「統一感がねえ」
「妻が……奏多っていう占い師に……」
千田の声が、少し小さくなる。
「勧められるままに……」
リビングに入る。
途端に、ラップ音が鳴った。
――パキッ。
天井でも、壁でもない。
位置が定まらない。
千田の肩が、びくりと跳ねる。
「今のも……」
「ああ」
創は、淡々と答える。
「誰かが叩いた音じゃねえ」
「じゃあ……」
「“触った”だけだ」
朔夜が、そっと空間に意識を向ける。
「……落ち着きがないですね」
「落ち着きがない?」
「居場所が定まってないんです」
霊が。
――とは、言わない。
だが、千田には伝わる。
「ラップ音が鳴る時って……」
千田が、思い出すように言う。
「決まって、静かな時なんです……」
「暇になる」
創が、短く言った。
「暇?」
「やることがねえと、音を出す」
ぞっとする説明だった。
悪意がない。
だからこそ、止まらない。
朔夜は、リビングを一周する。
壁際。
カーテンの影。
テレビの裏。
「……ここ、溜まり場ですね」
「溜まり場……」
「人で言えば、駅前です」
千田の顔が、引きつった。
「駅前……」
「寄りやすくて、居やすい」
朔夜は、視線を下げる。
「“呼ばれてる”わけじゃありません」
一拍。
「“歓迎されてる”だけです」
その言葉に、千田は言葉を失った。
創は、はっきり言う。
「祟りじゃねえ」
だが――。
「このまま放っときゃ、祟りに近づく」
その先を、言葉にする前に。
奥の部屋から、小さな音がした。
――きし。
千田の喉が、鳴る。
「……凛の、部屋です」
創と朔夜は、視線を交わした。
※※※
凛の部屋は、きちんと整えられていた。
明るい色のラグ。
低い棚に並んだ絵本。
小さなぬいぐるみが、几帳面に座っている。
――普通の、子ども部屋だ。
だが。
朔夜が一歩足を踏み入れた瞬間、視線を落とした。
「……ここ、特に多いですね」
「多いって……」
千田は、思わず娘の方を見た。
凛は、ベビーベッドの中で静かに眠っている。
呼吸は穏やかで、顔色も悪くない。
異常は、ない。
「……危ないんですか?」
千田の声が、かすれる。
創は、首を横に振った。
「今は大丈夫だ」
「今は……?」
「害意はねえ」
創は、壁際に置かれた小さな置物に視線を向けた。
丸い石。
小さな像。
紐のついたお守り。
「ただし、理由は分かる」
朔夜が、棚の上を指差す。
「ここ、写真立てありますよね」
千田が、頷く。
「はい……」
「その写真、見せてもらえますか」
千田は、ためらいながらも写真立てを手に取った。
そこに写っているのは、凛の写真。
笑っている一枚。
だが。
「……これです」
千田の指が、震える。
写真の奥。
凛の背後に、薄く、重なって。
――人の影。
いや。
人“だったもの”。
複数だ。
一人ではない。
朔夜は、静かに言った。
「写り込んでますね」
「やっぱり……」
「でも、これ」
朔夜は、写真から目を離さない。
「守ろうとしてるのかな?」
千田が、顔を上げる。
「……え?」
「子どもが中心です」
創が、補足する。
「寄ってきてる」
「寄って……」
「凛ちゃんが原因じゃねえ」
創は、はっきり言った。
「ここが“居心地いい”だけだ」
千田は、唇を噛みしめる。
「……開運グッズのせいですか」
「当たりだ」
創は、リビングの方を親指で示した。
「全部じゃねえが、ほとんどが“入れ物”だ」
「入れ物……?」
「中身入り」
朔夜が、穏やかに説明する。
「ちょっとした動物霊です」
千田の眉が、寄る。
「……動物霊?」
「狐でも、犬神でもない」
一拍。
「もっと軽いものです」
鼬。
鼠。
小鳥。
名前を持つほどではない存在。
「奏多という占い師」
創が、低く言う。
「おそらく本業は拝み屋だ」
「……」
「ただし、腕は安い」
遠慮がない。
「低級な動物霊を捕まえて、物に縛って売ってる」
千田は、愕然とした。
「……それって……違法とか……」
「法律は霊そのものは扱わない。商法としちゃあグレーだな」
創は言い切る。
「今は害がでるほどじゃない。だが……集めりゃ話は別だ」
朔夜が、凛のベッドから少し距離を取る。
「この家、今は“溜まり場”です」
「駅前だって言ってましたよね……」
「ええ」
朔夜は、頷いた。
「しかも、子どもがいる」
一拍。
「寄ってきます」
千田の顔が、青ざめる。
「凛に……何か……」
「今すぐはない」
創が、きっぱり言う。
「だが、このまま増やせば別だ」
ラップ音。
人の気配。
心霊写真。
すべて、“賑やかになった結果”。
「祓うこと自体は、簡単だ」
創は言う。
「話して、出てってもらえばいい」
千田の表情が、わずかに明るくなる。
「じゃあ……」
「だがな」
創は、そこで言葉を切った。
「グッズがある限り、また来る」
静かな断言。
「売るか、捨てるか」
一拍。
「全部だ」
千田は、何度も頷いた。
「分かりました……俺が、説得します」
創は、視線を逸らした。
――そこが、いちばん難しい。
その予感は、的中することになる。
玄関の方で、鍵が回る音がした。
「……ただいまー」
明るい声。
瑠璃子が、帰ってきた。
※※※
玄関の扉が閉まる音がして、軽い足音が廊下を進んでくる。
「ただいまー」
明るい声だった。
瑠璃子は、いつも通りの笑顔でリビングに入ってくる。
手には紙袋。
中身は見なくても分かる。
「今日はね、奏多先生に“守護”をつけてもらったの」
嬉しそうに言って、紙袋を掲げる。
「これで凛も安心だって」
千田の表情が、固まった。
「……瑠璃子」
「なに?」
創と朔夜に気づき、首を傾げる。
「あれ? お客さん?」
創は、短く名乗った。
「時塔心霊探偵事務所だ」
その瞬間、瑠璃子の顔に、わずかな警戒が浮かぶ。
「ああ……」
納得したように、鼻で笑った。
「あなたが呼んだの?」
千田は、言葉を選びながら答える。
「家の中が……おかしいだろ」
「気のせいでしょ」
即答だった。
「良いものが集まってきてるだけ」
創は、瑠璃子の肩口を見る。
そこに、いた。
鼬と鼠の中間のような、細長い体。
毛並みはくすんでいて、目だけがやけに生々しい。
低級動物霊。
憑いている、というより、“乗っている”。
「……それが、守護か」
創が言う。
「は?」
「今、あんたに憑いてるやつだ」
瑠璃子の眉が、つり上がった。
「失礼すぎません?」
朔夜が、穏やかに続ける。
「害は、ほとんどありません」
「でしょう?」
瑠璃子は、勝ち誇ったように言う。
「先生はちゃんとした人ですから」
「ただし」
朔夜は、言葉を切る。
「運気は、確実に下がります」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「……は?」
瑠璃子が、声を荒げた。
「奏多先生アンチなら、帰ってください」
千田が、思わず言う。
「瑠璃子、聞いてくれ。凛のことだって――」
「凛のためにやってるの!」
叫ぶ。
「あなたは何もしないじゃない!」
創は、もう一度だけ言った。
「グッズを処分しろ。全部だ」
瑠璃子は、睨みつける。
「は?」
「この家が、壊れる前にな」
「余計なお世話です!」
はっきりとした拒絶。
低級動物霊が、くすりと笑った気がした。
創は、それ以上何も言わなかった。
「……行くぞ」
朔夜にだけ、そう告げる。
玄関を出る直前、千田が追ってきた。
「……ありがとうございました」
声が、震えている。
「凛だけは……守ります」
創は、短く頷いた。
それが、できる人間だと分かったからだ。
※※※
数週間後。
千田夫婦は、離婚した。
理由は、散財。
度を越えた依存。
話し合いの不成立。
凛の親権は、父親の隼人が持った。
事務所の窓から、夕方の街を眺めながら、朔夜が言う。
「……あの動物霊、どうなったでしょうね」
「次の客に、くっついただろ」
創は、素っ気なく答える。
「そういうもんだ」
「救えなかった……んでしょうか」
創は、少し考えてから言った。
「救えたのは、子ども一人だ」
一拍。
「それで十分だ」
祠の方で、風が鳴った。
今日もまた、日常が続いていく。
――生きている者の、選択の結果として。
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