ぽぽぽ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
再開発で社を失った路端の稲荷神は、生き延びるために人に化け、心霊探偵になった。 ――祈りも、欲望も、呪いも、まとめて引き受けるために。 これは人に化けた稲荷神と、神を信じない霊能者が怪異と人間の業の後始末をする、現代日本怪異譚。
本文
モニター付きインターホンが鳴った。
一度ではない。
短く、間を置かず、何度も。
創は、嫌な予感を覚えながら画面を見た。
映っていたのは、若い男だった。
二十代前半。
顔色が異様に悪く、額には汗が浮いている。
周囲を何度も振り返りながら、画面の外で何かに怯えている様子だった。
インターホンが、また鳴る。
創が応答ボタンを押し返事をすると、勢いよく捲し立てた。
『助けてください!!』
声が裏返っている。
『殺されるんです! もう……もうすぐ……!』
創は、舌打ちを一つしてロックを解除した。
「……入れ」
数秒後、事務所のドアが乱暴に開く。
男は転がり込むように中へ入り、背中でドアを閉め、鍵を確認した。
それでも安心できないのか、壁際まで下がる。
「……睦岡、銀二です……二十三……」
息が整わない。
「追われてます……今も……」
朔夜が、さりげなく男とドアの間に立った。
「落ち着いてください」
「無理です!!」
銀二は叫び、両手で頭を抱えた。
「聞こえるんです……ずっと……」
創が、低く言う。
「何がだ」
銀二の唇が、震えた。
「……ぽぽぽぽ……」
その音を口にした瞬間、事務所の空気がわずかに冷えた。
「……ぽぽぽぽぽぽ……」
朔夜の眉が、わずかに動く。
銀二は、ポケットから何かを取り出した。
掌に乗せられたそれは、一本の古びたマッチ棒。
創の視線が、一気に鋭くなる。
「……お前」
低い声。
「それ、どこから持ち出した」
銀二は、唾を飲み込んだ。
「……鎮守の森です」
震えながら、言葉を継ぐ。
「フェンスで囲われた、立ち入り禁止の……」
創の表情が、はっきりと変わった。
「八尺様の封印に使われてたもんだな」
銀二は、崩れ落ちるようにソファに座った。
「ちょっとした……肝試しだったんです」
必死に言い訳する。
「記念品のつもりで……マッチ棒だし……まさか……こんな……」
創は、深く、長く溜め息を吐いた。
面倒事の、最悪の種類だ。
「……裏の祠に」
銀二が、顔を上げる。
「酒と、いなり寿司置いてけ」
一瞬、理解できない顔。
「……え?」
「引き受けるって言ってんだ」
創は、淡々と言った。
「ただし、助かるかどうかは話を聞いてからだ」
銀二の肩から、わずかに力が抜ける。
「……ありがとうございます……」
「礼を言うのはまだ早い」
創は、椅子に腰を下ろした。
「最初から、全部話せ」
一拍。
「どこで、何をして、何を壊した」
銀二は、震える声で語り始めた。
東区の一角。
フェンスに囲まれた鎮守の森。
真昼の肝試し。
五角形の建物。
五角形の箱。
五芒星に並べられたマッチ棒。
「……三人で……一本ずつ……」
その言葉を聞いた瞬間、朔夜は確信する。
――封印は、解かれている。
完全ではない。
だが、確実に。
創は、腕を組んだ。
「……なるほど」
声だけが先に出る。
まだ”本体”がない。
「……まだだな」
ぼそりと呟く。
銀二が、顔を上げる。
「……まだ……助かりますか……?」
創は、窓の外を見る。
祠は静かだ。
だが、空気の底で、何かが動き始めている。
「八尺様はな」
一拍。
「完全に戻ったら、もう止められねえ」
銀二の顔から、血の気が引く。
「……だが」
創は、ゆっくりと言った。
「今はまだ、声だけだ」
その瞬間。
どこからともなく、微かに――。
ぽぽぽぽ……。
銀二が、悲鳴を上げた。
朔夜は、静かに立ち上がる。
「……急ぎましょう」
創は、頷いた。
「これ以上、活動力を上げさせる前にな」
事務所の中で、確かに何かが“こちら”を探し始めていた。
まだ、姿はない。
だが、もう歩き出している。
※※※
さあ、動こうとした、その時だった。
事務所の隅でつけっぱなしになっていたテレビから、場違いなほど明るいニュース音が流れた。
『――次のニュースです』
女性アナウンサーの声。
『本日午後、福岡市東区の交差点で小学生の男児が道路に突き飛ばされ、車にはねられる事件がありました』
銀二の肩が、びくりと跳ねた。
『男児は現在、意識不明の重体です』
創が、テレビを見る。
朔夜も、視線を向けた。
『目撃者によりますと、男児は歩道を歩いていたところ、近くにいた女性に突然突き飛ばされたということです』
画面が切り替わる。
規制線。
集まる野次馬。
ぼかしの入った女性の後ろ姿。
『女性はその場に立ち尽くしており、警察の問いかけに対し「覚えていない」と話しているということです』
銀二が、喉を鳴らした。
「……覚えて……ない……」
創は、リモコンを手に取らなかった。
消さない。
『警察は、詳しい状況を調べています』
ニュースが、次の話題へ移る。
天気。
イベント。
どうでもいい日常。
だが、事務所の空気は、完全に変わっていた。
「……東区……」
銀二の声が、震える。
「……あの交差点、鎮守の森から……近い……」
朔夜が、静かに言った。
「……無差別化が始まりました」
銀二が、顔を上げる。
「……え……?」
「今までは、条件がありました」
朔夜は、淡々と整理する。
「マッチ棒を持ち帰った三人。そのすぐ近くにいる女性。だから、巻き添えでもどこか線があった」
創が、低く続ける。
「だが今は違う」
テレビ画面を、顎で示す。
「もう、“理由”はいらねえ」
銀二の呼吸が、浅くなる。
「……じゃあ……あの子と女性は……」
「たまたま、そこにいた」
創の声は、冷たい。
「それだけだ」
沈黙。
銀二は、両手で頭を抱えた。
「……俺のせいだ……」
「違う」
創は、即座に切った。
「原因はお前だが、“選んだ”のはあいつだ」
朔夜が、銀二を見る。
「でも」
一拍。
「このまま行けば、もっと増えます」
銀二が、かすれた声で聞く。
「……どこまで……?」
創は、少しだけ目を伏せた。
「完全に戻るまでだ」
八尺様が、本体を得て“歩ける”ようになるまで。
「そうなりゃ」
創は、言葉を続ける。
「男も女も、子どもも老人も関係ねえ」
事務所の奥で、ゴンが低く唸った。
狸神が、舌打ちする。
「……ややこしい段階に入ったな」
創は、銀二を見下ろした。
「だから、急ぐ。封印を、元に戻す。“声だけ”のうちにだ」
銀二は、何度も頷いた。
「……行きます……」
声は、震えている。
だが、逃げてはいない。
「……俺が……戻します……」
創は、短く言った。
「死にたくなきゃ、言うことを聞け」
その瞬間。
事務所の外。
どこか遠くで。
ぽぽぽぽ……。
今度は、はっきりと“数が多い”。
朔夜が、静かに息を吸った。
「……もう、“探してる”段階は終わりましたね」
創は、扉に手をかける。
「次は、“狙ってくる”」
ニュースは、もう日常に戻っている。
だが。
日常の隙間に、確実に、八尺様は入り込み始めていた。
※※※
鎮守の森は、夜になると完全に音を失っていた。
フェンスの外に立った瞬間、銀二ははっきりと分かった。
――昼とは、別の場所だ。
「……ここ……」
「黙ってついて来い」
創は低く言い、懐中電灯もつけずに進む。
朔夜は一歩遅れて、銀二の背後についた。
森の奥。
昼間に抜けたという道をなぞるように進むと、やがて開けた空間に出る。
五角形の建物。
変わらない。
だが――違う。
「……近い……」
銀二の耳元で、確かに聞こえた。
ぽぽぽぽ……。
今までより、低い。
重い。
「聞くな」
創が即座に言う。
「返事もするな」
建物の扉は、静かに開いた。
中は暗い。
だが、中央の五角形の台座だけが、妙に“浮いて”見える。
五角形の箱は空だ。
五芒星が、欠けている。
「……ここに……」
銀二が、震える指でマッチ棒を差し出す。
「戻す」
創は短く言った。
「順番は、俺が言う」
朔夜が、床に膝をついた。
「五芒星は、魔除けと厄除けの形です。意味を忘れなければ、素材は問わない」
創が言う。
「“戻す意思”が大事だ」
銀二の手が、震える。
一本。
一本。
創の指示通り、マッチ棒を置いていく。
五本目が置かれた瞬間。
――空気が、歪んだ。
ぽぽぽぽぽぽぽぽ……!
建物の外から、声が押し寄せる。
壁越しに、無数の“気配”。
「来るぞ」
創が言った。
扉の向こう。
人影が、立っている。
背が高い。
異様に高い。
女。
いや――“女を通している何か”。
顔は、分からない。
だが、口元だけが、動いている。
ぽぽぽぽぽぽ……。
朔夜は、目を逸らさない。
「……戻れ」
創の静かな声。
「ここは、お前の場所じゃない」
次の瞬間。
五芒星が、淡く光った。
風が、内側へ巻き込まれる。
女の身体が、ぐらりと揺れ――崩れた。
声が、引き剥がされるように遠ざかる。
ぽ……ぽ……。
最後に残ったのは、耳鳴りのような静寂だった。
完全な、無音。
創は、息を吐いた。
「……終わりだ」
銀二は、その場に座り込んだ。
「……助か……った……」
「生き残った、が正しい」
創は、冷たく言う。
「忘れるな」
建物を出ると、森はただの森に戻っていた。
虫の音が、遅れて戻ってくる。
ぽぽぽぽ、は――もう、聞こえない。
「……ニュースの子は……」
銀二が、恐る恐る聞く。
創は、少しだけ間を置いた。
「生きてる」
「……!」
「後遺症は残るかもしれん」
事実だけを告げる。
「だが、これ以上は増えねえ」
銀二は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました……」
創は背を向ける。
「二度と、封印に手を出すな」
事務所へ戻った頃には、夜明け前だった。
銀二は、祠の前に酒といなり寿司を置き、何度も頭を下げて去っていった。
静かな事務所。
ゴンが、ようやく尻尾を振る。
「……終わった、んですよね」
朔夜が言う。
「完全にな」
創は、窓の外を見る。
「だが」
一拍。
「“声を聞いた”って記憶だけは、消えねえ」
それは、罰ではない。
戒めだ。
「……次は、ないですね」
「ああ」
創は、椅子に腰を下ろした。
「次は、助ける前に死ぬ」
朝日が、ゆっくりと差し込む。
日常が、戻ってくる。
ただし。
森のどこかで、もう二度と“ぽぽぽぽ”と鳴ることのない静けさが、確かに増えていた。
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