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第29話 図書室と、「穴場」の続き

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/6 📚 シリーズ: 「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 📝 4,610文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 - 第29話 図書室と、「穴場」の続き

本文

学年末テスト前の教室は、空気が勝手に固くなる。

 机の上に並ぶのがプリントじゃなくて、問題集と単語帳になって。

 黒板の端っこに「範囲:ここまで」みたいな小さな文字が増えて。

 休み時間の雑談が、いつの間にか「昨日何時まで勉強した?」に置き換わっていく。

(……勉強の中身より、時間の話が多いのはあるあるだな)

 僕は窓側の後ろから二番目の席で、その変化をなるべく静かに眺めていた。

 眺めていた、はずだった。

「安藤ー、これさ、どっちで解く?」

 前の席の大木が、ノートをひらひらさせた。

(来た)

 誰かに頼られやすい顔をしてる自覚はない。

 むしろ「話しかけないでください」って額に貼り紙したいくらいなのに、テスト前だけは勝手に“教える人”に仕立て上げられる。

「えっと……ここ、先に公式当てはめて。で、例題と同じ形になるから」

「おお、なるほど。ありがと」

(よし。深追いされる前に切る)

 大木の「助かった」が教室に馴染む前に、教室の真ん中から別の声が乗ってきた。

「今日から俺、勉強キャラでいくわ」

 山本が胸を張って宣言した。

「うわ、キャラ変宣言」

「今まで何キャラだったの」

「陽キャ」

「それはキャラじゃなくて属性」

 女子のツッコミが飛ぶ。

 山本は笑いながら、机の上に広げたノートを見下ろして言った。

「……ってかさ、まずノートがどれか分かんねーんだけど」

(崩壊が早い)

 どっと笑いが起きる。

 勉強モードの教室にしては、まだ平和なほうだ。

 ただ、その笑いの中にいると、僕のほうにも視線が寄ってくるのが分かる。

(この流れだと、次は僕が“解説係”にされるやつ)

 僕はすっとカバンを持ち上げた。

 その拍子に、ふと桜井の席が視界に入る。

 そこだけ、綺麗に空だった。

(……逃げ時)

「ちょっと図書室行ってくる」

 誰にともなく言って、返事を待たずに廊下に出る。

 背中で「逃げた」みたいな声が聞こえた気がしたけど、気のせいだと思うことにした。

 モブは、戦場から離れるのが一番だ。

◇

 図書室のドアを開けると、空気が一段冷たくなる。

 暖房の効いた教室と違って、ここは静けさが先に来る。

 ページをめくる音と、シャーペンの芯が紙を擦る音が、規則正しく響いている。

(……よし。誰もいない席、取れる)

 そう思って足を踏み入れた、その瞬間。

 奥のほう、窓際の席に、見覚えのある背中があった。

 黒い髪をまとめて、机の端に問題集を積んで。

 ペンケースと、付箋と、スマホ。

 桜井すみれが、そこにいた。

 そして、そこは。

(……あ)

 僕の足が、ちょっとだけ止まる。

 同じ席。

 同じ机の端。

 同じ、妙に落ち着く静けさ。

 七月。

 テスト前に、僕が“穴場”を探してここに来て。

 先客として彼女がいて、そのまま何となく隣に座って、無言で勉強した日。

 説明しようとすると薄くなるやつだ。

 でも、思い出すと温度だけが戻ってくる。

 桜井が顔を上げる。

「……あ。ここ、また被ったね」

 声が小さくて、図書室に合っている。

 その小ささが、やたらと狙って出してるみたいで困る。

「前もここだったよね」

 僕が言うと、桜井は少しだけ目を細めた。

 笑った、というより、そういう形になった、みたいな。

「うん。穴場の続き」

「続きって言い方、なんか連載みたい」

「連載です。期末まで」

 さらっと言って、桜井は自分の隣の椅子を、ほんの少し引いた。

 座っていい、って合図に見える。

(……いや、深読み)

 そう思いながら、僕は静かに椅子に座った。

 座った瞬間、机の端に置かれた桜井の付箋が、ちょっとだけ僕のほうを向いている気がした。

 気がしただけだ。

 見ない。見ないって決めてる。

◇

 しばらく、会話はほとんどない。

 問題集のページをめくる音が二つ。

 消しゴムのカスを払う小さな動き。

 机の上で、シャーペンが転がりそうになるのを慌てて押さえる指。

 こういう時間は、教室だと成立しない。

 誰かの笑い声が入って、誰かの話題が混ざって、勝手に“みんなの時間”になる。

 でもここは、そうならない。

 僕と桜井の間にあるのは、言葉じゃなくて同じ空気だ。

(……普通の勉強)

 そう自分に言い聞かせて、問題に集中する。

 集中してると、ページの端で手が止まる瞬間が来る。

(糖分補給)

 僕はポケットから、チャック付きの小袋を取り出した。

 中から、個包装のチョコを一個だけ出す。

 クリーム色の箱に入っていた、ビター味のやつ。

 箱ごと持ち歩くのは邪魔だから、今日食べる分だけ移し替えてきた。

 いかにも「大事に食べてます」みたいな主張はしていない……と思う。

 思うんだけど。

 隣から、視線の気配がした。

 桜井が一瞬だけ、僕の指先とチョコを見て。

 すぐに何もなかったみたいに問題集に戻る。

(……見られた)

(というか、このチョコの出所、この人だ)

 突っ込まれたわけでもない。

 言われたわけでもない。

 なのに、僕の心臓だけが勝手に騒ぐ。

(落ち着け。これはただの糖分だ)

 僕は包装を静かに開けて、口に入れた。

 甘さが広がる。

 同時に、あの夜の小さい公園の街灯の光が、頭の隅にちらっと差し込む。

(説明すると、イベントになる)

 だから僕は、何も言わない。

 桜井も、何も言わない。

 その沈黙が、妙に優しい。

 ……と思った次の瞬間。

 桜井がシャーペンを置いて、付箋を一枚剥がした。

 さらさらとペンを走らせる音が、やけに近い。

 次の瞬間、付箋が指先からふわっと浮いて、僕のノートの端に落ちた。

(……落ちた?)

 拾って返そうとして、文字が見えてしまう。

『糖分補給、必要』

(見えてしまった)

(というか、これ……僕宛てだよな)

 僕が顔を上げると、桜井は問題集から目を離さないまま、言い訳みたいに小さく囁く。

「……今の、落ちただけ。図書室だから、声出せないし」

「落ちただけにしては、刺さる文字だね」

「仕様。観察係向け」

 僕は小袋から、もう一つチョコを取り出した。

 机の上を滑らせて、桜井の手元に置く。

 桜井は受け取るのが早かった。

 顔は真面目なまま。

 なのに指先だけが、慣れたみたいに迷わない。

 包装を静かに開けて、口に入れる。

 何もなかったみたいに、ページをめくる。

 自分が渡したものを、相手が持ってきていて。

 それをまた、自分が食べる。

 よく分からない「共有」の形に、僕だけが妙に落ち着かない。

 桜井は付箋を自分のノートに貼り直して、何事もなかったみたいに問題集に戻った。

 その仕草だけで、さっきの甘さが少し濃くなった気がした。

◇

 十五分くらい経ったころ、桜井がシャーペンを置いて、小さく息を吐いた。

「……今日の教室、急に“勉強できる人”が増えた気がする」

 小声なのに、的確すぎて笑いそうになる。

「分かる。さっき山本が“今日から勉強キャラ”宣言して、秒速で崩壊してた」

「秒速で?」

「ノートがどれか分からないらしい」

「それはもう、勉強以前の問題」

 桜井の口元が、ほんの少し上がる。

「期間限定の職業、『受験生』、みたいな」

「限定すぎる」

「期間限定だからみんな頑張れるんじゃない?」

「その理屈だと、夏休みの宿題も限定のはずなんだけど」

「うわ、急に現実ぶつけてくる」

 小さな笑いが二つ、机の上で転がる。

 桜井は何か思いついたみたいに、机の端の付箋を一枚剥がした。

 そこにさらさらとペンを走らせる。

(……また書いた)

 覗かない。

 覗かないけど、桜井の視線が一瞬だけ僕のほうへ来て、すぐ戻るのが分かった。

 それが、やたらと“確認”っぽい。

 桜井が付箋をノートに貼って、また問題集に戻る。

「……安藤くん」

「ん?」

「今の、“期間限定の職業”って言い回し、使っていい?」

「どうぞ。著作権とかないので」

「じゃあ採用。業務協力、ありがとうございます」

 やっぱり、油断すると“業務”に寄せてくる。

 でも今日は、それが不思議と嫌じゃなかった。

 むしろ、そういうラベルがあるから、隣にいられるのかもしれない。

 桜井が、さらっと言う。

「……これ、覚えとく。来年も使うかもしれないし」

「来年って」

「うん。いいフレーズには、賞味期限がないから」

(……食品扱いかよ)

 桜井の口調は軽いのに、言葉の選び方が妙に現実的で。

 その「来年も会話している前提」の響きが、逆に照れる。

◇

 そのあと少しして。

 桜井が、問題集の同じページを何度か行き来しているのが視界の端に入った。

 ペン先が止まる。

 消しゴムが動かない。

 目線だけが、式と設問の間を往復している。

(詰まってる)

 桜井は、基本的に“できる側”に見える。

 教室の真ん中で笑ってるときも、ちゃんと周りを見てるし、話の回し方も上手い。

 だから、こういう“止まる瞬間”は少しだけ意外だ。

 桜井が小さく僕のほうを見た。

「……これさ。解き方、二通りある?」

 声が、さらに小さい。

 図書室のルールを守ってる、というより、自分の中の何かを薄めてるみたいに聞こえた。

「見せて」

 僕は椅子を少しだけ寄せて、ノートを覗き込んだ。

 肩が触れそうで触れない距離。

 触れないのに、触れそうってだけで、身体が勝手に意識してしまうのが腹立つ。

 僕は指先で、問題文の条件を軽くなぞった。

「ここ。まず“場合分け”しないと、途中で迷子になるやつ」

「場合分け……」

 桜井のペン先が、そこで一瞬止まる。

 僕は声の大きさを意識して、囁くみたいに説明した。

「こっちの条件だと、最初からこの数は固定になるから……ここは計算しないでいい。で、残るのはこっち」

 僕の指が紙の上を滑る。

 桜井の視線が、その動きに合わせて動く。

 近いのに、触れてない。

 触れてないのに、やたらと意識してしまう。

(……集中)

 桜井が小さく頷いて、ノートに式を書き足す。

「……助かる」

 声がほんとに小さくて、聞き逃すところだった。

「どういたしまして。これ、教室で聞かれたら大声で説明する羽目になるから、むしろ今のほうがいい」

「それ、分かる。教室だと“教えてもらってる感”が出る」

「図書室だと“隣で確認しただけ”になる」

「便利だね、それ」

 桜井が言ったあと、少しだけ間が空く。

 その間に、桜井が僕の指先を見た気がした。

 見た気がした、だけだ。

 たぶん。

 僕は少し距離を戻した。

 戻したはずなのに、さっきより空気が近いまま残ってる気がした。

◇

 気づけば、空の色がゆっくり濃くなっていた。

 図書室の閉館時間が近いアナウンスが流れて、僕たちは同時に顔を上げた。

「……そろそろ出る?」

「うん。ここ、居心地良すぎて危ない」

「穴場の罠」

 荷物を片付けて、席を立つ。

 図書室のドアの前で、桜井が一拍だけ間を置いた。

「……また」

 言いかけて、止まる。

 桜井は咳払いみたいに息を整えて、言い直した。

「……また、たまたまね」

 その言葉は、前にも聞いたことがある。

 便利で、ずるくて、でも安心できるやつ。

「たまたま、便利だよね」

 僕が返すと、桜井は少しだけ肩をすくめた。

「便利な言葉、乱用する派なので」

 そのまま廊下に出る。

 昇降口の手前で、桜井がふと思い出したみたいに言った。

「テスト終わったら、スポドリでも買う?」

「業務連絡っぽく言うな」

「業務です。期末後の体力回復案件」

「案件化すな」

 桜井は小さく笑って、廊下の曲がり角で手を振った。

「じゃ、たまたまね」

「……たまたま」

 僕も同じ言葉を返す。

 たまたま。

 偶然。

 たまたま隣に座っただけ。

 そういうことにしておけば、たぶん落ち着く。

 僕はポケットの中で、チャック付きの小袋の角を指で確かめた。

 中身のチョコは、もうだいぶ減っている。

 さっきの付箋の文字が、頭の中にまだ貼り付いている気がする。

(袋は軽くなってるのに、なんで記憶だけ重くなるんだよ)

 それはモブらしくない思考だったけど、今日くらいはいいかと思って、僕は一人で昇降口を出た。

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もりぞー

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