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第68話 閑話 田中陸は、観客席を立つ兆しを見る

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/14 📚 シリーズ: 「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 📝 4,027文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 - 第68話 閑話 田中陸は、観客席を立つ兆しを見る

本文

湊が変わったな、と思ったのは、あいつがスマホを構えたときだった。

 十二月の頭。

 期末テスト前の、平日感を引きずった土曜日。

 駅前のファストフード店は昼時で混雑していて、カウンター近くまで列が伸びている。

 俺は窓際の二人席を確保して、先にチキンナゲットを開けていた。

 湊が来るまで、あと五分くらいだろう。

 あいつは時間にルーズなタイプじゃない。早く着きすぎると目立つからか、いつもぴったりに現れる。昔から、そこだけは一貫している。

 ガラスの向こうに見える駅前ロータリーを眺めながら、ナゲットにケチャップをつける。

 定期連絡。

 どっちかがなんとなくLINEを送って、なんとなく合う日に会う。それだけの集まりだ。

 ただ、今回は俺のほうから呼んだ。

 最近の湊のLINEが、妙に引っかかるのだ。

 前は「テスト前だるい」「今日も生存報告」程度だった内容が、最近は「放課後に記事のレイアウトやった」「写真選びで意見が割れた」みたいに具体的になった。

 あいつは基本、聞かれなければ自分から語らない。なのに、わざわざ日常を切り取って送ってくる。

 何かが変わっている。

 その「何か」を、俺はまだ掴めていない。

 ◇

「……悪い、ぎりぎりになった」

 湊が向かいの椅子に座ったのは、約束の二分前だった。

 マフラーを半分ほどいた状態で、片手にはコンビニのビニール袋。

「いや、予定通りだろ。お前いっつもぴったりだし」

「そうかな」

「そうだよ。遅刻しないけど早くも来ない。絶妙に目立たないタイミング」

「……それ、褒めてる?」

「観察してる」

 湊が微妙な顔をした。

 観察って言葉に引っかかったのか、それとも別の何かか。

「てか、お前先食ってんじゃん。ナゲット」

「腹減ってたからな。お前の分はない」

「別にいらないけど」

 湊はトレイの上にハンバーガーのセットを並べ、ドリンクのストローを差した。

 少しだけ肩の力が抜けているように見えた。

 前に会ったとき――秋ごろだったか。あのときは、もう少し張り詰めた空気を纏っていた気がする。新聞係の人間関係がどうとか、佐伯さんとの距離感がどうとか、そんな話をぽつぽつとしていたっけ。

 今の湊は、あのときよりいくらか穏やかだ。

 穏やかだけど、どこか――落ち着かなさそうでもある。

「で、どうよ」

「何が」

「近況。テスト前で死にそうか」

「まあ、それなりには。古典がやばい」

「古典は知らん。俺のとこ、そもそも出題範囲が違うし」

「聞いたのそっちだろ」

「雑談のフリをした情報収集だよ」

 湊は呆れたように息を吐いて、バーガーの包み紙を開けた。

 しばらく、どうでもいいテストの話が続く。

 俺の高校の数学教師がやたら癖のある問題を出す話。湊のクラスの世界史の先生が板書をノートに写す速度を前提にしていない話。

 こういう時間は嫌いじゃない。

 くだらないことを喋ってるだけで、空気が温まっていくのが分かるからだ。

 ◇

 ポテトが半分くらいになったころ、湊がふとスマホを取り出した。

 LINEの通知を確認した、という感じの動きだ。

 画面を一瞬見て、ロックし直す――はずだった。

 湊の指が、止まった。

 画面を見つめたまま、数秒。

 それから、何かを思い出したように窓の外に目を向けて。

 おもむろにカメラを起動した。

 窓の向こうには、駅前ロータリーの植え込みがある。

 街路樹の枯れかけた葉が風に揺れていて、その隙間から冬の曇り空が覗いている。

 正直、絵になる風景かと言われると、微妙だ。

 映えるわけでもないし、記録に残すほどの情景でもない。

 なのに、湊はシャッターを切った。

 一枚。

 それから、少しだけ角度を変えて、もう一枚。

「……何撮ってんの」

「え? あ、いや。なんとなく」

 湊はスマホをテーブルに伏せた。

「なんとなく、ね」

「うん。なんとなく。……枯葉の色合いがちょっと良かったから」

「お前、いつから風景写真撮る人間になったわけ」

「別に、撮る人間ってほどじゃ――」

「前はそんなことしなかったろ」

 湊が黙った。

 図星、というほど大げさじゃない。ただ、反射的に否定しなかった。

 それだけで、俺には十分だった。

 俺はポテトを一本つまみながら、なるべくさりげなく聞いた。

「それ、誰かに見せるために撮ってない?」

「……は?」

「自分が『きれいだな』って思ったから撮ったんじゃなくて、『あの子ならこれ気に入るかな』って思って撮ってるだろ」

 湊のポテトを持つ手が、ほんの一瞬だけ止まった。

「……違うよ」

「へえ」

「本当に違う。たまたまだよ、今のは」

「はいはい」

 俺は深追いしなかった。

 ここで追い詰めたところで、湊は余計に殻に引っこもるだけだ。あいつは追われると逃げるタイプで、でも逃げたあとに自分で考えるタイプでもある。

 ただ、一つだけ言っておきたいことがあった。

「湊」

「何」

「お前さ、最近"主語"が変わったなって思うんだよ」

「……主語?」

「うん。前のお前って、何かを見るとき"自分がどう感じるか"が先だったじゃん。教室の空気とか、人の動きとか。全部、"僕から見てこうだった"っていう一人称の話だった」

「……そりゃ、僕の話なんだから当たり前だろ」

「茶化すなって。……最近のお前は、"あの人なら、これをどう見るか"が先に来てる」

 湊が、ドリンクのストローを咥えたまま動きを止めた。

「自分のために見てるんじゃなくて、誰かのために見てるだろ」

 数秒の沈黙。

 ファストフード店の喧騒が、急にクリアに聞こえた。

 レジの電子音。隣のテーブルの笑い声。ドリンクサーバーの氷が落ちる音。

 湊は、視線を窓の外に逃がした。

「……別に、そういうわけじゃ」

「否定しきれてないぞ、それ」

「……」

 黙った。

 湊が黙るときは、だいたい二パターンある。本当に何も考えていないか、考えすぎて言葉が出てこないか。

 十何年の付き合いで当てる精度には自信があるが――今のは、たぶん後者だ。

 ◇

 会話の空白を埋めるように、俺はドリンクを一口飲んだ。

 押さない。

 今日は、押さないと決めている。

 前に会ったとき、俺は「裏方って逃げ道になってないか」と言った。あのときの湊の顔――図星を突かれたような目と、それを認めまいとする口元が、ちぐはぐに動いていた。

 あれから何ヶ月か。湊は変わった。

 少なくとも、「誰かのために風景を撮る」程度には。

 それが桜井さんのためだってことくらい、俺でも分かる。

 千夏ちゃん経由の情報と、湊の断片的なLINEを繋ぎ合わせれば、大体の輪郭は見える。

 ただ、湊の変化には妙な硬さも混じっていた。

「なあ、湊」

「……まだ何かあるの」

「文化祭のあと、なんかあった?」

 湊の肩が、ぴくりと跳ねた。

 ほんの一瞬だったが、見逃さなかった。

 幼稚園から十何年、あいつの動揺の種類くらいは見分けがつく。

「……別に。普通に忙しかっただけだよ」

「ふーん」

 嘘だな、とは思った。

 でも、そこを掘る気はない。

 湊が何かを見て、何かを感じて、それを飲み込んだ。

 たぶん、そういうことだ。

 で、飲み込んだあとで「観察係」っていう殻を、前より固くしている。

 分かるのは、そこまでだ。

 俺は幼なじみであって、エスパーじゃない。

 あいつの問題は、あいつが解くしかない。

「……ま、聞かないけどさ」

「助かる」

「ただ、一個だけ」

 湊が、警戒するように目を細めた。

「さっきの写真」

「……だから、あれはたまたま――」

「いや、たまたまでもいいんだよ」

 俺は、ナゲットの最後の一個をソースに浸しながら言った。

「"誰かのために何かを見る"って、モブの発想じゃないだろ」

 湊の視線が、テーブルの上のスマホに落ちた。

 伏せられた画面。さっき撮ったばかりの枯葉の写真が、その裏側に眠っている。

「お前の目線がどこに向いてるか、本人が一番分かってないのが面白いよな」

「……お前に面白がられても困るんだけど」

「面白いって言うか」

 俺は立ち上がって、トレイを持った。

「心配、かな」

 ぼそっと言ったつもりだったが、湊にはちゃんと届いたらしい。

 あいつの目が、少しだけ丸くなった。

「……心配って、何が」

「お前が"観客席"に座ったまま、試合終了のホイッスル聞くことが」

 軽く言った。

 軽く言ったつもりだったけど、声に少しだけ本気が混じったのは、自分でも分かった。

 湊は何も答えなかった。

 ただ、視線をドリンクのグラスに落として、溶けかけの氷をストローでかき回していた。

 ◇

 店を出ると、十二月の風が頬を切った。

「じゃ、俺このあと買い出しあるから」

「ん。……今日はありがとう」

「何もしてないだろ、飯食っただけだ」

「まあ、それはそうだけど」

 湊が、マフラーを口元まで引き上げた。

 白い息がマフラーの隙間から漏れて、すぐに冬の空気に溶ける。

「あ、そうだ」

 思い出したように、俺は足を止めた。

「お前、今日撮った写真さ」

「……まだ言うの」

「消すなよ」

 湊が、怪訝そうにこっちを見た。

「たまたまだろうが、誰かのためだろうが。お前が撮りたいと思った瞬間があったのは本当なんだから。それ、なかったことにするなよ」

 言い終わる前に、湊は視線を逸らしていた。

 マフラーに半分埋もれた口元が、何か言いかけて閉じるのが見えた。

「……うるさいな、お前は」

「外部相談役だからな。うるさいのが仕事」

 手を振って、反対方向に歩き出す。

 十歩くらい進んだところで、俺はちらっと振り返った。

 湊は、まだそこに立っていた。

 ポケットからスマホを取り出して、さっき撮った写真を見ているのか、画面を見つめている。

 消さなかったらしい。

 ――よし。

 まだ動かない。

 あいつはまだ、観客席から立ち上がれていないように見える。

 でも、あの席の居心地が前ほど良くなさそうなのは、さっきの顔を見れば分かる。

 俺にできるのは、ここまでだ。

 背中を押すのは、もう少し先でいい。

 さっき「文化祭のあと」って聞いたとき、湊の肩が跳ねた。

 あれが何だったのか、俺には分からない。

 ただ、あいつの殻が前より窮屈そうに見えたのは、たぶん気のせいじゃない。

 冬の風が、吹き抜ける。

 俺はポケットに手を突っ込んで、駅へ向かった。

 ま、いいさ。

 あいつが自分で動くのを待つしかない。

 外部相談役は、待つのも仕事だ。

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もりぞー

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