第63話 道行き
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あらすじ
終焉の探偵 - 第63話 道行き
本文
ガタン、と体が大きく跳ねる感覚があった。
目を開けて入ってくるのは、知らない天井……その上これって車の天井なんだけど!?
意識の底から、泥の中の泡が浮き上がるように、ゆっくりと覚醒する。
「――では清音さんは、何かに乗っ取られていると?」
「ええ、少なくとも清音の意思で、惨劇を起こしている訳ではないと思う」
「にくゑ絡みか。清一さんにも相談してみないとね」
「国の方は?」
「秘匿が優先みたいだね。協力はしてくれてるみたいだけど――」
会話が聞こえてくる。梓さんと、もう一人、誰だろう。懐かしい声だ。
規則的なタイヤの走行音と、エンジンの低い唸り声。
背中にはシートの硬い感触があり、身体は簡易的なベルトで固定されているのがわかった。
「……ん……」
声を出そうとしたけれど、喉が焼けるように熱かった。
身体が、ひどく重い。
指先ひとつ動かすのにも、全身の神経を総動員しなければならないような、深い沼に沈んでいるような感覚。
「あ……真弓さん!?」
すぐ傍らで、弾かれたような声がした。
視線をずらすと、梓さんの泣きそうな顔があった。彼女は私の手を両手で包み込むように握りしめていた。その手は冷たくて、小刻みに震えている。
「梓……さん……」
「よかった……気がついたのね。……無理しないで、まだ横になってて」
梓さんが私の汗ばんだ前髪を払ってくれる。
私はぼんやりと周囲を見回した。
「サヤカちゃんは……他の人たちは……」
助手席には、黒いコートを着た背中が見える。探偵さんっ!
良かった、無事だったんだ!!
「大丈夫、みんな無事だよ。僕もね」
いつも通りの探偵さんの声が、私に安心をくれる。
――でも無理してない? 心配だよ。
そして、ハンドルを握っているのは――。
ボサボサの髪。サイズの合っていないシャツ。
バックミラー越しに、真剣な眼差しと目が合った。
「……吉川、先生?」
夢かと思った。
村にいるはずの先生が、どうしてここに。
先生は私の声に気づくと、パッと表情を明るくした。
「真弓ちゃん! わかるか、僕だ!」
「せん、せい……どうして……」
「話は後だ。今はとにかく休んでいてくれ。……必ず、助けるから」
その声は力強く、迷いがなかった。
先生の運転する車は、かなりのスピードで走っているようだった。カーブを曲がるたびに体にGがかかる。普段なら車酔いしそうな荒い運転だったけれど、今の私には不思議と心地よかった。揺れるたびに、身体の芯にある「何か」が共鳴しているみたいで。
ストレッチャーから上半身を起こし、窓の外を見る。
流れる景色は、見慣れた東京のビル群。
「……なんだか、今日はやけに空気が悪いな。スモッグか?」
運転席の先生が、咳払いをしながら言った。
梓ちゃんがビクリと肩を震わせる。
私は目を凝らして外を見た。
空が、病的に青ざめていた。
遠くの山並みが、陽炎のように揺らめいている。
いや、違う。あれは陽炎じゃない。
高速道路の防音壁には血管のような蔦が這い、すれ違う車のボディは甲殻類のように波打っている。
世界が「ほどけ」かかっている。
探偵さんが私に声を掛けた。
「あまり……見ちゃダメだよ。見すぎたら、引きずり込まれるから」
探偵さんにはわかるんだ。
今私が見てる光景が。
けれど、その崩れかけた世界の風景が、今の私にはなぜか「懐かしい」と感じられてしまうのだ。
先生には、この光景が見えていないらしい。彼にとっての世界は、まだ正常なままなのだ。
――ああ、離れていく。
あの息苦しい、コンクリートの棺桶から。
不思議なことに、東京から距離を取るにつれて、身体の奥にあった「鉛のような重さ」が少しずつ薄らいでいくのを感じた。
力が戻ってくるのとは違う。ただ、呼吸がしやすくなる。
まるで、酸素濃度の薄い場所から、本来いるべき場所へ近づいているような。
それが、自分がもう「人」として変わってしまった証のようで、少し怖かった。
その事実に、私は安堵と、言い知れぬ孤独を感じた。
「……探偵君、だったか」
しばらくの沈黙の後、先生がハンドルを握ったまま口を開いた。
その声は低く、先ほどまでの「頼れるお医者さん」とは違う、鋭い響きを帯びていた。
「さっき病院で、君に聞きたいことがあると言ったね」
「ああ。何だい、吉川先生」
「君は……『人間』じゃないだろう?」
その言葉に、車内の空気がピリリと張り詰めた。
助手席の探偵さんは、静かに前を見据えたままだ。
「失敬な。戸籍も住民票もあるかも知れない善良な市民だよ」
「医者の目は誤魔化せないよ。……非科学的な話になるが、君からする気配は人のそれじゃない」
先生は前を見据えたまま、続けた。
「……村で、似たような気配を感じたことがあるんだ。村の洞窟だ。あの中から漂ってくる、冷たくて湿った……それでいて懐かしいような気配。君は、あれと同類の気配がする」
先生の鋭い指摘に、私は息を呑んだ。
先生には「視えて」いないはずなのに、「本質」だけは正確に嗅ぎ取っている。
探偵さんは、ふっ、と小さく息を吐いた。それは嘲笑ではなく、感嘆のようだった。
「……驚いたな。そこまで感じ取れるんだ」
探偵さんはゆっくりと先生の方を向いた。その瞳には、深い敬意の色が宿っていた。