第62話 拉致監禁
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
終焉の探偵 - 第62話 拉致監禁
本文
窓の外に広がる東京の空は、病的なまでに青ざめていた。
時折、陽炎のように景色が歪むのは、熱のせいではない。世界そのものが、その輪郭を保てなくなっているのだ。
都内の総合病院、特別病棟の一室。
そこには、重苦しい沈黙だけが横たわっていた。
規則的な電子音が、命の綱渡りを冷淡に告げている。
ベッドに横たわる虚木真弓は、蝋細工のように白く、動かない。無数の管に繋がれたその姿は痛々しく、あの夜以来、一度として意識を取り戻していなかった。
病室には三人の影があった。
一人は、窓際で亡霊のように外を見つめる、黒いコートの男――探偵。
彼は壁に寄りかかり、荒い呼吸を繰り返している。封印を強制解除した代償は大きく、立っているだけで精一杯の状態だった。それでもその目は、何かを待つように鋭く光っている。
部屋の隅には、矢野梓が座り込んでいた。
膝を抱え、うつむいたまま動かない。相棒を奪われ、心を折られた彼女は、ただ無力感に苛まれている。
そして、ベッドの脇で真弓を見守る青年――久我樹。
彼は献身的な先輩として、静かに真弓の寝顔を見つめていた。
「……サヤカちゃんの容態は、安定しているそうだよ」
沈黙を破り、久我が静かに告げた。
「この病院の別棟に入院している。はるかさんと同じで命に別状はない……それだけが救いだね」
梓は顔も上げずに、小さく頷いただけだった。
誰もが、言葉を持たなかった。
真弓の原因不明の昏睡。迫りくる世界の崩壊。
手詰まりだった。
その時。
バンッ!!
病室の扉が、乱暴に開け放たれた。
静寂が一瞬で吹き飛ぶ。
「あ、困ります! お客様、院内を走らないで……!」
看護師の制止を振り切り、一人の男が転がり込んできた。
「ハァ……ッ、ハァ……! こ、ここか……虚木真弓の、病室はッ!」
その眼鏡をかけた男は着古したシャツはズボンから半分はみ出し、急いで羽織ったのであろうジャケットのボタンは掛け違えている。足元は左右で色の違う靴下。髪は寝癖で爆発していた。
年の頃は三十代前半だろうか? 理知的な表情が焦りに歪んでいる。
端正な顔をしているが、色々と雰囲気で台無しだ。
雰囲気イケメンならぬ、雰囲気ふつメンとでもいう感じだろうか?
まるで、寝ていたところを叩き起こされ、そのまま走ってきたような恰好だ。
だが、その男の顔を見た瞬間、久我がわずかに目を見張った。
「……直樹?」
吉川直樹。
かつて真弓の主治医であり、今は村の診療所にいるはずの男。
だが彼は久我には目もやらずにベッドで規則正しく呼吸をしている少女だけを見つめ駆け寄った。
「はぁ、はぁ……虚木さん……真弓ちゃんは……大丈夫か!?」
肩で息をしながら、ずり落ちた眼鏡を指で押し上げる。
ボストンバッグですらない、小さな診療鞄ひとつの状態だ。とても旅先とは思えない。だが、その目は真剣そのものだった。
聴診器を取り出すと、彼は真弓の胸に当て、指先で脈を取る。
「……酷いな。脈が乱れているのに、体温が異常に低い。いや……だが、ただ事じゃない。これは病気というより、もっと根本的な……」
吉川は言いよどみ、ふと視線を上げた。
窓際に立つ黒いコートの男――探偵と目が合う。
探偵は無言で、わずかに口元を緩めた。
「……君か、僕を呼んだのは」
吉川が低い声で問う。
「昨日……診療所に、奇妙な電話があった。『虚木の少女が死にかけている。救えるのは、君だけだよ』と」
「来てくれると思ったよ。きっと貴方なら」
笑みを浮かべ答える探偵に、吉川は呆気にとられたように口を開き、やがて苦笑した。
「……随分と、強引な患者紹介だ。おかげで着の身着のままだよ。財布だけ持って飛び出してきた。村長の車で最寄りの駅まで送って貰ってね」
「急を要したんだ……貴方ならわかるだろう?」
「面識はないと思うが?」
「こっちではね。でもずっと見ていたんだ、貴方のことを」
探偵の謎めいた言葉に、吉川は首を捻る。
そのやり取りを見て、久我がふっと小さく笑い、割って入った。
「やれやれ。怪しい電話一本で東京まで爆走してくるなんてね。相変わらずお人好しというか、猪突猛進というか」
「い、樹!? お前、いたのか!」
「ああ。……でも良かったよ。君が来てくれて」
久我はやっと自分に気がついた親友の言葉に呆れたような、しかし親愛を込めた口調で言って、吉川の跳ねた襟を直してやった。
「寝癖、ついてるよ。直樹」
「あ、ああ、すまん……」
久我は笑顔で吉川の身なりを整えながら、一瞬だけ探偵の方へ視線を流した。
そして、吉川の背中をポンと叩いた。
「で、どうなんだ、真弓ちゃんの様子は?」
吉川は表情を引き締め、再び真弓に向き直った。
診療器具が入っている鞄を取出し、真弓の様子を診断してゆく。
「ああ……これは昔完治した筈の症状がぶり返しているんだね」
そして、断言した。
「治療は……ここじゃ無理だ」
「無理?」
「連れて行く……虚木村へ」
その言葉に、梓が顔を上げた。
「村へ……?」
「この症状は現代医療だけでは、どうしもようもない。もっと非合理的な、医者としてはちょっと認めがたい対処法が必要なんだ」
――あの時のようにね、と吉川は口にする。
「ご家族に連絡を取らないと、移動は無理かな。だが、病院の許可は取っている時間はない……となると、拉致監禁するしかないか」
「先生!?」
吉川の言葉に、梓がビックリしたように口を開いた。
「ああ、任せてくれ! 梓君! 君にも色々と聞きたいこともあるんだが、村にゆく道々話してくれるかな」
胸を張って非合法なことを口にする吉川に久我は苦笑を浮かべた。
「なんだか、随分印象が変わったな。お前こんなヤツだったっけ?」
「そりゃ、色々あったからな。世の中には不思議なこともあるし神様もいるのさ」
「俺の婚約者も、今意識不明なんだ。出来れば見てやって欲しいが――」
「なんだって!? 婚約者!! それはめでたいが、意識不明? 詳しく話せ!」
血相を変えて詰め寄る吉川を久我は両手を広げていなす。
「いや、今はそんな時間はないだろう。彼女の容態は安定している。ここは真弓ちゃんを優先しないと」
「――確かにそうだな。さて、どうやって真弓君を移動させるか?」
「車の手配とご家族への連絡は僕がやろう……普通に手配するより僕のツテを使った方が早い」
久我は手早くスマートフォンを取り出し、どこかへ指示を出し始めた。
吉川はその背中を見て、安堵の息を吐いた。
「助かるよ、樹。……お前がいなかったら、どうなっていたか」
「よしてくれ。僕は何もできてないよ」
数十分後。
病院の裏口には、久我が手配したワンボックスカーが待機していた。
ストレッチャーに乗せられた真弓が運び込まれ、探偵、梓が乗り込む。
吉川は汗を拭いながら、最後に久我へと向き直った。
「村に行くのは梓くん、とそこの君。探偵? 巫山戯た名前の君、そして真弓くんだな」
「巫山戯てはいないんだけどなぁ」
「ああ、探偵くん。君には特に色々と聞きたいことがある。君はあれに雰囲気が似ているからね」
「さすが、吉川先生は鋭いね」
探偵は頭をかきながら苦笑を浮かべた。
運転席に着いた吉川は確認するように一同の顔を見渡す。
そしてストレッチャーの固定をしていた久我に目を向けた。
「樹、お前も来ないか? 村へ」
吉川の言葉に、久我の手が止まる。
「……え?」
「伊織も……きっと会いたがってる。久しぶりだろう、もう何年も会ってないって聞いたけどな」
その提案に、梓も期待を込めた視線を向けた。
だが、久我の表情は暗く沈んだ。
彼は寂しげに笑い、ゆっくりと首を横に振る。
「……やめておくよ、直樹。僕には、彼女に会う資格なんてない」
「樹……」
「僕のせいで、彼女は……。あの日、僕が彼女の未来を奪ったんだ」
その告白に、場の空気が凍りついた。
吉川は痛ましげに眉を寄せた。それは彼にとっても、触れられたくない古傷なのだろう。
「……それは、お前だけのせいじゃない。それに、僕たちはもう……」
「僕が許せないんだよ、自分を」
久我は吉川の言葉を遮り、祈るように目を伏せた。
「合わせる顔がないんだ。……だから、行ってくれ直樹。真弓ちゃんを頼んだよ」
その悲壮な決意を前に、これ以上誘うことは誰にもできなかった。
吉川はしばらく久我を見つめていたが、やがて短く頷いた。
「……分かった」
久我が車を降り、エンジンがかかる。
重い空気を乗せて、車は走り出した。
遠ざかってゆく病院の前で、久我はいつまでも手を振っていた。