会社員
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 一話完結・オムニバス
本文
──佐藤 純の場合──
魔王を倒した瞬間のことを、純はわりとよく覚えている。
最後の一撃を叩き込んだとき、魔王は膝をついて、それから泣いた。
大人が、というか魔王が、声を上げて泣いた。
魔王はしばらく泣いてから「ありがとう」と言った。
十五年間で一番シュールな瞬間だった。
そのあと何処からか「お疲れ様でした」と声がした。
純は「ちょっと待って、この人どうするんですか」と魔王を指さした。
声は「あとはこちらで」と言った。魔王がまた泣きそうな顔をした。
純は魔王に「元気で」と言った。
魔王は「うん」と頷く。
それで全部終わった。
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気づいたらベッドの上にいた。
枕がやわらかかった。シーツがいい匂いだった。窓の外からバスの音がした。純はしばらく天井を見ていた。
声は言っていた。この世界の時間は止まっていた、と。向こうで過ごした十五年は、元の世界には流れていない、と。つまり今日は、あの朝の翌日だ。昨日の自分は普通に飯を食い、普通に眠った。
冷蔵庫を開けたら昨日の残りのカレーがあった。
純はそれをレンジに入れて、チンという音を聞きながら思った。
(魔王、今ごろどうしてるかな)
どうにもならないことを考えていても仕方がないので、カレーを食べた。
十五年ぶりのジャワカレーは、思ったより辛かった。
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翌朝、出社した。
席に着くなりメールが三十件来ていた。昨日の自分が返しそびれたやつだ。
純には「昨日」の記憶がないので、全部一から読んだ。
読みながら状況を把握した。
十五年間、言葉も地図も常識も違う世界で、情報の断片だけを頼りに生き延びてきた。メールの文脈を読むのはそれほど難しくない。
三十分で全部返した。
隣の先輩が振り返った。
「佐藤、今日やたら仕事早いな」
「昨日、色々と吹っ切れたので」
「彼女にフラれた?」
「逆です。魔王を倒しました」
「……ゲームか」
「まぁ」
先輩は「ふーん」と言って向き直った。純も向き直った。
これが現代の正解だ、と純は思った。魔王を倒しましたと言っても、ゲームの話だと思われる。便利な時代だ。
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昼過ぎ、大口取引先との打ち合わせがあった。
相手の担当者は、入室した瞬間から値下げを要求するオーラを全身から出していた。腕を組んでいた。目つきが鋭かった。声が低かった。
純は内心で分析した。
(戦闘力、低い。オーガ族より全然低い。あの人は開口一番に斧を机に刺してきた。この人は今のところ何も刺してきていない。有利な状況だ)
担当者が「御社の対応には、正直、不満がありましてね」と切り出した。
純は頷いた。喋らなかった。全部聞いた。
(エルフの女王との協定交渉に似てる。あのときも最初の四十分は一方的に怒鳴られた。しかも途中で矢が大量に降ってきた。この人は今のところ攻撃する様子はない。だいぶ楽だ)
担当者が言い終わった。
「おっしゃる通りです」と純は言った。「先月の件は弊社の確認不足でした」
担当者が少し拍子抜けした顔をした。
「本当に解決したいのは値段じゃなくて、連絡体制ですよね。そこから直させてください。値段はその後に話しましょう」
打ち合わせは四十分で終わった。次の面談が決まった。値下げはなかった。
廊下に出たら同僚がすごい顔で待っていた。
「何したんですか。あの人いつもごり押ししてくるのに」
「話を聞いた」
「それだけ?」
「あと、矢が飛んでこなかったので落ち着いて話せました」
「矢?」
「...こちらの話です」
同僚は何か言いたそうな顔をしたが、何も言わなかった。
賢い判断だと純は思った。
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金曜日の夕刻、会社のサーバーが落ちた。
バックアップが壊れていた。二年分のデータが消えかかっていた。
月末の締め前だった。オフィスが阿鼻叫喚だった。
純はコーヒーを飲みながら、ログを横目で眺めていた。
(あ、これわかるかも)
「見てもいいですか」と言ったら、
三人くらいから同時に「お願いします」と言われた。
椅子を引いて座り、コマンドを打ち始めた。
(魔王城の地下、封印術式が連鎖崩壊したときと構造が似ている。
あのときは一人で止めた。あのときよりは簡単だ。たぶん。いや、ちょっと待って)
五分後、純は手を止めた。
「……あれ」
全員が固唾を飲んだ。
「思ったより複雑だ」
全員がのけぞった。
「いや、いけます。ちょっと待ってください」
(落ち着け。焦ったら負けだ。魔王城のときも最初は「無理かも」と思った。
でも手を動かしていたら道が見えた。ゆっくりやれ。でも早く。ゆっくり早く)
一時間後、データはほぼ完全に復旧した。
社長が純の両肩をつかんで揺さぶった。
IT担当者が泣いた。
社長が「何でも奢る!何が食べたい!」と叫んだ。
同僚が呆然とした顔で言った。
「佐藤さんって、前は何をしていた人なんですか」
純は少し考えた。
「世界を救う仕事です」
「コンサルですか」
「魔王案件専門の」
「クセの強いクライアントってことですよね」
「すごくクセが強かったです。最後は泣いてたし」
「クライアントが泣くの、あるあるですよね」
「ですね」
二人はしみじみと頷いた。
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純は、自分が「落ち着いた人間」だとは思っていない。
心の中はいつもうるさい。
締め切りが近いと焦る。
上司に「例の件どうなった」と聞かれると、一瞬どの件かわからなくなってパニックになる。
取引先に無理を言われると「なんでだよ」と思う。
後輩のミスを引き継ぐとき、一秒だけ「なんでだよ」と思ってから笑顔になる。
その一秒が純にとっての戦場だ。
ただ、顔に出さない。
十五年間、パーティーリーダーとして、仲間の前で「無理かも」という顔を封印し続けた。死にそうなときほど平静な顔をしてきた。リーダーが折れたら全員折れる。だから折れない顔をし続けた。
それが此処で「頼りになる人」に見えているだけで、中身は別にそんなことない。
今日も「例の件」を三秒で思い出せなくて、内心で焦った。
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残業を終えて会社を出たのは、夜の九時過ぎだった。
スマートフォンが震えた。
「今日遅い? 駅で待ってるよ」
純は立ち止まった。
十五年間、毎晩思っていた。帰りたいと。この街に、この時間に、この人の隣に。
その気持ちだけで剣を握り続けた夜が、何百にちもあった。
なのに今、そのメッセージを見て最初に思ったことは、
(返信、なんて打てば...) だった。
高揚感とか、感慨とか、そういうものは全部すっ飛んで、ただただLINEの返し方がわからなかった。三十秒悩んで「今から行く」とだけ打った。我ながら情けない。
改札を出たら、緑のコートが似合う彼女が立っていた。純に気づいて顔を上げ、手を振って笑った。
「お疲れ。また残ってたんでしょ」
「まあ」
「顔、なんか変だよ。目、潤んでない?」
「潤んでない」
「潤んでるよ」
「潤んでないです」
「なんで急に敬語」
純は黙った。彼女は少し首を傾けて、それからくすっと笑って「ご飯食べて帰ろ」と言った。
二人は並んで歩き始めた。夜の街は明るかった。どこからか夕飯の匂いがした。風が少し冷たかった。
おそるおそる、彼女の腕をとった。
(帰ってきた。本当に、帰ってきた)
純はこっそり上を向いた。目が潤んでいないことを確認するために。
街灯が眩しくにじんだ。