第1章:慣性の檻(Cage of Inertia)③
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
太陽系内移動が普遍化した時代。エリート戦闘艇パイロット候補生のカイ・セリザワは、突如として開発中の人型兵器『G-STRIKE』への兵科転換を命じられる。 そこには、重力アンカーを用いた「空間を蹴る」という、従来の物理法則を根底から覆す超機動技術が投入されていた。
本文
シャトルの気密扉が開き、吸い込まれた空気は、錆と安価な潤滑油の混じった重い臭いがした。
小惑星帯の影、極地基地『コキュートス』。
その名の通り、太陽の光を拒絶した永久影の中に築かれた基地は、エリートたちが集う月軌道の司令部とは、流れる時間の密度が違っていた。
カイ・セリザワは、支給されたばかりの無機質なダッフルバッグを肩にかけ、凍りついた磁力舗装の上を歩く。
防寒機能(サーマル)を最大にしても、肌を刺すような寒気がスーツの継ぎ目から侵入してきた。
首筋のバイオセンサーが低体温の警告を刻むが、彼はそれを無視した。
それよりも、視界の先に広がる光景が、彼の理性的な美意識を激しく逆撫でしていたのだ。
「……これが、次世代の主役か」
独り言は、寒冷な空気の中で白く濁り、霧散した。
巨大なハンガーの中央、何本もの高圧ケーブルに繋がれ、まるで拘束された巨人のように立っていたのは、人型の機体だった。
戦闘艇のような流線型の美しさはない。
四肢は不自然に太く、その末端――手足に相当する部位――には、重力アンカーの心臓部である巨大な噴射口(ノード)が、剥き出しの牙のように備わっている。
不格好な「二本足」は、宇宙という自由な空間において、あまりにも冗長で、非効率な設計に見えた。
「見惚れている暇があるなら、その荷物を片付けろ。新人(ルーキー)」
背後から、岩を削り出したような声が響いた。
カイが振り向くと、そこには使い込まれたフライトジャケットを羽織った大男が立っていた。
バロウズ中佐。
顔に刻まれた深い皺と、鋭い眼光。
その男の周囲には、長年、高Gと死線に曝され続けてきた者特有の、独特の威圧感(プレッシャー)が漂っていた。
「第4戦闘艇大隊から転属しました、カイ・セリザワ候補生です」
「知っている。慣性計算の神童だそうだな。だが、ここにはお前が愛した綺麗な数式はない。あるのは、ゲロを吐き散らしながら空間を掴み取る、泥臭い格闘だけだ」
バロウズはカイの返事を待たず、人型の機体――コードネーム『G-STRIKE』を顎でしゃくった。
「戦闘艇乗りは、機体を自分を運ぶ箱だと思っている。だが、こいつは違う。こいつは、お前の肉体の延長だ。お前が腕を振れば、空間が歪む。お前が足を動かせば、慣性が死ぬ。……その意味がわかるか?」
「理解しかねます。慣性は死にません。物理法則に従って制御するものです」
カイの冷淡な言葉に、バロウズは鼻で笑った。
その笑みには、明白な侮蔑と、それ以上の深い諦念が混じっていた。
「理屈はいい。明日、初搭乗だ。慣性制御(インナースピンドル)はまだ不完全だぞ。脳がシェイクされる前に、遺書でも書いておくんだな」
バロウズはそれだけ言い残すと、重い足音を響かせて去っていった。
一人残されたカイは、再びその異形の機械を見上げた。
ハッチの奥、暗いコクピットが、獲物を待つ怪物の口のように開いている。
不完全な技術。泥臭い格闘。
彼が築き上げてきた「洗練された戦い」という概念が、この極寒の地で、少しずつ削り取られていくのを感じていた。