第1章:慣性の檻(Cage of Inertia)②
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
太陽系内移動が普遍化した時代。エリート戦闘艇パイロット候補生のカイ・セリザワは、突如として開発中の人型兵器『G-STRIKE』への兵科転換を命じられる。 そこには、重力アンカーを用いた「空間を蹴る」という、従来の物理法則を根底から覆す超機動技術が投入されていた。
本文
循環器に溜まった熱が引いていく。
『スティングレイ』のハッチが開放されると、人工大気の冷えた感触が、汗ばんだパイロットスーツの隙間に忍び込んできた。
カイはヘルメットを脱ぎ、重力下での歩行を思い出すように、ゆっくりと床を踏み締める。
基地のハンガーには、整備兵たちの怒号と、金属がぶつかり合う高周波の響きが満ちていた。
それは、彼にとって最も心地よい、調律された世界の音(ノイズ)だった。
「カイ、今の機動……あれは記録更新だろう。司令部が放っておかないぞ」
隣を歩く僚機の肩が、疲労でわずかに下がっている。
カイは無言のまま、視線だけを前方のモニターへと向けた。
そこには、演習のログが青い光の線となって再生されている。
無駄のない、直線と曲線。
自身の人生もまた、この軌道の延長線上にある。
宇宙軍のエリート階梯(ラダー)、その最上段に手が届くはずだった。
「カイ・セリザワ候補生。ブリーフィング室へ。——第1ではなく、第4執務室だ」
放送システム(PA)から流れる冷淡な声に、カイの足が止まった。
第4執務室。
それは、戦績の評価ではなく、主に「人事的な調整」が行われる際に使われる場所だ。
同僚の視線が、一瞬だけ彼を刺し、そして困惑したように逸らされた。
第4執務室のドアは、重厚な真空隔壁のような圧迫感を持って彼を迎え入れた。
室内には、古い紙と電子機器の焦げたような臭いが淀んでいる。
デスクの向こう側に座る男の顔は、逆光でよく見えない。
ただ、その肩に並ぶ階級章だけが、鋭い光を反射していた。
「演習成績は拝見した。極めて優秀、いや、非の打ち所がない」
男の声は、感情を剥製にしたような平坦さだった。
「慣性計算、G耐性、空間把握。君はまさに、戦闘艇に乗るために生まれてきたような人間だ」
カイは姿勢を正し、視線を一点に固定したまま答える。
「過分な評価です。私はただ、物理法則に従っているに過ぎません」
「その通りだ。だが、物理法則そのものが書き換わるとしたら、どうする?」
男が差し出した一枚のホロ・タグ。
そこに表示された文字列を認めた瞬間、カイの指先が微かに震えた。
兵科転換命令。
転属先――『第零特殊技術開発室』。
そして、機種変更(機種転換)の欄には、彼がこれまで一度も真面目に検討したことのない、不格好な「二本足の機械」の名前があった。
「人型兵器……ですか。民間警備会社の『重作業機』の類に、私が?」
カイの声には、隠しようのない拒絶が混じった。
「戦闘艇のパイロットとしての私のキャリアは、どうなるのですか。これは、何かの誤りではないかと」
「誤りではない。要請(オーダー)は軍上層部、そして……この技術を提供した『業者』からの指名だ」
男はゆっくりと椅子を傾け、影の中から顔を覗かせた。
その瞳には、憐れみとも、諦めともつかない色が浮かんでいる。
「君の『感覚』が必要なのだそうだ。慣性を理解し、かつ、それに裏切られる準備ができている人間がな」
執務室の窓の向こう、遠いドックで、巨大なコンテナが運び込まれていくのが見えた。
その中には、これから彼が「手足」として使わされる異形の機械が眠っている。
カイの胸の奥で、確固たる重力を持って存在していたプライドが、音を立てて剥落していく。
戦闘艇の、あの研ぎ澄まされた計算の世界から、自分は追放されたのだ。
「……本日中に私物をまとめろ。シャトルは明朝、極地基地へ向けて発つ」
カイは敬礼をしたが、その指先にはもう、操縦桿を握っていた時の熱は宿っていなかった。
廊下に出ると、先ほどまで心地よく聞こえていたハンガーの喧騒が、今はひどく不快な、金属の悲鳴のように耳を打った。