第2章「擬似的な大地(Simulated Ground)」①
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
太陽系内移動が普遍化した時代。エリート戦闘艇パイロット候補生のカイ・セリザワは、突如として開発中の人型兵器『G-STRIKE』への兵科転換を命じられる。 そこには、重力アンカーを用いた「空間を蹴る」という、従来の物理法則を根底から覆す超機動技術が投入されていた。
本文
視界の端で、昨日食べたはずの固形食の味が、酸っぱい不快感とともにせり上がってくる。 「重力酔い」――宇宙軍の教科書では数行で片付けられているその単語が、これほどまでに破壊的な破壊力(パワー)を持っているとは、カイは想像もしていなかった。
「……ハァ、ハァ……」
コクピットの計器類が、焦点の定まらない瞳の中で二重、三重にブレる。 全天周囲モニターには、演習用の浮遊ターゲットが冷淡なマーカーを表示しているが、それに向かって機体を「踏み出させる」たびに、脳内を巨大な攪拌機(ミキサー)でかき回されるような衝撃が走った。
重力アンカーが作動する。 空間の何もない一点に、疑似的な質量が固定される。 機体はその「支点」を軸に、物理的な円弧を描いて急旋回する。 その際、不完全な慣性制御ユニット(慣性スピンドル)が発生させる相殺しきれない重力勾配が、パイロットの三半規管を無慈悲に引き千切ろうとするのだ。
「遅いぞ、候補生。計算に頼るから、体が遅れる」
通信(コミュ)から、バロウズの苛烈な声が突き刺さる。 彼はハンガーの管制室から、カイの無様な機動を眺めているはずだ。 「戦闘艇の癖を捨てろと言ったはずだ。機体を滑らせるな。空間を『掴んで』、無理やり方向(ベクトル)をねじ曲げろ。お前の脳は、まだニュートンの檻の中にいる」
「……わかって、います……っ」
カイは奥歯を血が滲むほど噛み締め、スロットルを叩き込んだ。 左足のアンカーを起動。 瞬間、左側方へ強烈なGが叩きつけられる。 本来なら、機体はそのまま慣性に従って左へと流れるはずだ。 だが、カイは右側のアンカーを「連動(リンク)」させず、あえてコンマ数秒遅らせて点火した。
――ドォン!
金属の悲鳴。 機体フレームが歪み、シートを通じて脊髄に直接、打撃(インパクト)が伝わる。 空間を「蹴った」衝撃で、G-STRIKEの巨体が、真空中で直角に折れ曲がるような挙動を見せた。 吐き気が限界を超え、視界が一瞬、真っ白に染まる。
「ぐ、あああああ!」
叫びは酸素マスクの中にこもり、誰に届くこともなく消えた。 機体はターゲットを捉えるどころか、不自然な挙動の末にスピンを起こし、デブリ除けのネットへと無様に突っ込んでいった。
「……本日の訓練は終了だ。機体を壊す前に降りろ」
バロウズの声には、もはや怒りすら混じっていなかった。 ただ、冷徹な事実を告げるだけの、乾いた響き。 ネットに絡まり、手足を力なく投げ出した人型兵器。 その姿は、カイのプライドをそのまま具現化したかのように、惨めで、不格好だった。
ハッチが開放され、外気の冷たさがコクピットに流れ込んできても、カイはしばらく動けなかった。 震える手でバイザーを上げると、そこには自分の指先さえも信じられないほど、ひどく浮腫んだ自分の手が映っていた。 重力に愛され、慣性を御してきたはずの自分。 その「正しさ」が、この極地基地では、何の意味も持たない。
カイは、薄暗いハンガーの天井を見上げた。 そこにあるのは広大な宇宙ではなく、自分を閉じ込め、翻弄し続ける、重力の重い闇だけだった。