第3章:鋼の均衡(Equilibrium)②
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
太陽系内移動が普遍化した時代。エリート戦闘艇パイロット候補生のカイ・セリザワは、突如として開発中の人型兵器『G-STRIKE』への兵科転換を命じられる。 そこには、重力アンカーを用いた「空間を蹴る」という、従来の物理法則を根底から覆す超機動技術が投入されていた。
本文
宇宙は、もはや静寂の海ではなかった。 全天周囲モニターには、接近する企業連合の高速戦闘艇から放たれた、無数のミサイルの噴射光が針のように刺さっている。 輸送船団の護衛艦が対空砲火を撒き散らし、漆黒の帳に火花の刺繍を刻む。
「……遅い」
カイの唇から、乾いた言葉が零れた。 かつての自分なら、敵の波状攻撃に対して慣性計算を行い、最短の回避軌道を算出していただろう。 だが今の彼は、計算を始める前に、機体の「足」に意識を集中させていた。
重力アンカー、定着(オン)。 空間の何もない一角に、強固な支点が打ち込まれる。 カイがペダルを強く踏み込むと、G-STRIKEは慣性の糸を断ち切り、爆発的な横スライドを見せた。 その直後、本来彼がいたはずの座標を、数条のレーザーが虚しく貫いていく。
「なっ、なんだ今の動きは! 慣性中和(イナート)を無視しているのか!」
敵通信の混乱した叫びが、広域帯(ワイドバンド)から漏れ聞こえる。 カイはそれに応える代わりに、デブリの岩塊へと機体を叩きつけた。 衝突ではない。 脚部のアンカーで岩を「掴み」、その質量を自らの跳躍力へと変換する。 岩を蹴り飛ばした反動で、数トンの鋼鉄が、巨大な弾丸と化して敵陣へと突き刺さった。
「一機……、次」
マニピュレーターが敵戦闘艇の機首を掴み、そのまま空間に固定したアンカーを支点に振り回す。 遠心力によって引き千切られた装甲が、火花とともに宇宙へ散った。 残酷なまでに効率的で、物理の理を汚すような、人型の暴力。
だが、その全能感と引き換えに、コクピット内には致命的な「毒」が充満し始めていた。
「っ……、う、ああああ!」
突如、カイの視界が歪んだ。 不完全な慣性制御ユニットが、激しい機動の連続に耐えきれず、高周波の悲鳴を上げている。 相殺しきれなかった重力勾配(G-グラジエント)が、バイオセンサーをバイパスし、カイの脳幹を直接叩いた。 三半規管が、存在しない重力の方向を「下」だと誤認し、世界が激しく回転を始める。
「セリザワ候補生、機動を抑制しなさい! 慣性スピンドルがオーバーヒートしているわ!」
エレーナの警告は、激しい耳鳴りに掻き消された。 喉の奥から熱い塊がせり上がり、耐Gスーツの首元が、自身の猛烈な拍動で跳ねる。 首筋のG-ステインが、焼けた鉄を押し当てられたような激痛に変わった。 視界が赤く染まる。 それは、モニターの警告色か、それとも自身の眼球で毛細血管が弾けた色なのか、もはや判別がつかなかった。
「……まだだ……まだ、掴める……」
指先が痺れ、操縦桿の感触が遠のいていく。 しかし、意識の混濁とは裏腹に、機体とのリンク深度は加速的に深まっていた。 自身の脊髄が、G-STRIKEのメインフレームへと溶け出していく感覚。 彼は今、鋼鉄の肉体を持って、空間そのものを絞り上げようとしていた。
その時、モニターの死角から、敵の旗艦級が放った大出力の荷電粒子砲が、カイを照準(ロック)した。 警告音が脳を抉るが、肉体はすでに麻痺し、回避の「計算」を拒絶していた。