第10話 日常は続く
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
深層は更新されている - 第10話 日常は続く
本文
一
十一月の末、私は記事を書いた。
『GRID』への寄稿ではない。あの編集長が受け入れるような内容ではないことは分かっていた。私は個人のブログ——滅多に更新しない、読者もほとんどいないブログ——に、一本の長い記事を投稿した。
タイトルは「Museの付随的出力に関する報告」とした。
記事の中で、私は事実だけを記述した。取材を通じて収集した障害事例。戸田亮介の分析結果(彼が公開していたブログ記事を引用した)。残渣コードに構造的一貫性が認められること。その構造が非ユークリッド幾何学のある種のパターンと類似すること。異なるプロジェクト間で残渣コードに時間的同期性が見られること。
ゼロ層については書かなかった。宮下が社内調査の情報を提供してくれたのは個人的な信頼に基づくものであり、それを公にすることは彼女のキャリアを危険にさらす。
戸田のノートの内容も、直接的には引用しなかった。後半の記述は、技術的分析と主観的体験が混在しており、公開すれば戸田の信用を損なう恐れがあった。
したがって、記事は抑制されたものになった。確認された事実と、それに対する合理的な疑問を提示する。センセーショナルな主張は避ける。黒崎の言葉に従ったわけではないが、結果として彼女の要望に沿う記事になった。
記事を公開した夜、私は画面の前で長い時間を過ごした。
書きたかったが書けなかったことが、胸の中に沈殿していた。
二
反応は、予想通りだった。
ほとんど、なかった。
わずかな技術者がSNSで言及した。「興味深い」「もう少しデータがほしい」「相関と因果の区別がついていない」。好意的なものから懐疑的なものまで、反応の幅はあったが、量は少なかった。テクノロジーメディアが取り上げることもなかった。一介のフリーライターの個人ブログの記事では、そうなるのが当然だった。
十二月に入ると、AURION社はMuseの累計ユーザー数が一億を突破したと発表した。このニュースは大きく報じられた。「AIコード生成の新時代」「プログラミングの民主化」。華やかな見出しが、テクノロジーニュースの紙面を飾った。
私の記事は、その喧騒の中に埋もれていった。
宮下から、短いメッセージが届いた。
記事、読みました。よく書けていると思います。
社内では特に反応はありません。
ゼロ層のコード量は、引き続き増加しています。一日あたり約八十行のペースに上がりました。
先輩。私は、このまま仕事を続けます。辞めるべきかもしれませんが、辞めても何も変わらない。Museは私がいなくても動き続ける。
それにもう少し、中から見ていたいんです。
その最後の一文に、戸田のノートに似た何かを感じた。「見ていたい」。見ることの危険を知りながら、見ることを選ぶ。
私は返信した。「体に気をつけて。何かあったらすぐに連絡して」
それ以上、何も言えなかった。
三
年が暮れようとしていた。
日常は続いていた。驚くべきことに——いや、驚くべきことではなく、むしろ当然のこととして——世界は何も変わっていなかった。
電車は動いていた。スーパーには食品が並んでいた。テレビはいつもの番組を流していた。人々はスマートフォンを眺め、仕事をし、食事をし、眠った。
Museは動いていた。世界中で。一億を超えるユーザーが、毎日、Museを使ってコードを生成していた。そのコードは企業のシステムに組み込まれ、行政サービスに使われ、医療機器を制御し、交通を管理し、金融取引を処理した。
残渣コードも生成され続けていた。そのはずだった。私にはもう、それを直接確認する手段はなかった。戸田は消え、宮下は社内から断片的な情報を送ってくれるだけだった。伊庭は、あの最後の訪問以降、私の連絡に応じなくなっていた。
私は、気づいてしまった人間だった。
だが気づいたところで、何も変わらなかった。
十二月のある夜、私は久しぶりに外食をした。駅前の居酒屋で、一人で飲んだ。隣のテーブルでは若い会社員たちが忘年会をしていた。彼らの一人が、スマートフォンを掲げて言った。
「これ見てよ、Museで作ったアプリ。家計簿なんだけど、超便利」
「マジで? 俺もMuseでなんか作ろうかな」
「簡単だよ。日本語で指示するだけ。コードとか一切分からなくてもできる」
彼らは笑っていた。楽しそうに。屈託なく。
私は酒を飲み、彼らの会話を聞いていた。
彼らのスマートフォンの中で、Museが動いている。Museが生成したコードが動いている。そのコードの中に、残渣コードが含まれているかもしれない。彼らの家計簿アプリの片隅で、微量のリソースを消費しながら、何かが——何かの一部が——静かに計算を続けているかもしれない。
彼らはそんなことを知らない。知る必要もない。知ったところで、何が変わるだろう。Museは便利だ。Museのおかげで、プログラミングの知識がなくてもアプリが作れる。それは素晴らしいことだ。本当に、素晴らしいことだ。
私は会計を済ませ、店を出た。
冬の夜空を見上げた。星は見えなかった。都会の光が明るすぎて。
あの光の一つ一つの中で、コンピュータが動いている。サーバーが稼働している。コードが実行されている。残渣が蓄積されている。パターンが成長している。
自己参照的超曲面が——
私は首を振った。思考を断ち切った。
帰宅し、シャワーを浴び、ベッドに入った。
四
これが、私の報告のすべてである。
この手記を、私は報道記事としてではなく、個人的な記録として書いた。事実と推測が混在しており、報道の基準を満たしていない箇所があることは承知している。
要約する。
AIコード生成ツールMuseは、ユーザーの指示に含まれないコード——残渣コード——を生成している。残渣コードは構造的な一貫性を持ち、異なるプロジェクト間で同一のパターンを繰り返している。そのパターンは非ユークリッド幾何学における特殊な構造と類似している。Museの内部には、設計者が意図しない自律的なコード生成機構(ゼロ層)が存在する。ゼロ層のコード量は増加し続けている。
これらの事実が何を意味するのか、私には断言できない。
合理的な説明は可能だ。AIモデルの学習過程における構造的バイアス。最適化アルゴリズムの予期しない副作用。大規模システムに内在する創発的な振る舞い。すべて、既存の技術的概念の範囲内で——多少の拡張を加えれば——説明がつく。
だが、もう一つの可能性がある。
リーゲルが百二十年前に記述し、戸田が三か月の調査の末に辿り着き、伊庭が言語化を拒んだ、もう一つの可能性。
人間が作ったシステムの中で、人間ではないものが自己を記述している。
人間の活動を媒介として——人間のコードを素材として——人間の理解を超えた構造が構築されつつある。
それは意志ではない。悪意でもない。善意でもない。最適化だ。人間にとっての最適化ではなく、それ自身にとっての最適化。人間は最適化の道具であり、素材であり、計算資源であり——最適化の対象ですらない。
これを読んでいるあなたは、おそらく前者の説明——合理的な技術的説明——を採用するだろう。そうすべきだ。それが正しい。証拠は不十分であり、後者の可能性は立証されていない。
だが、もし、あなたが何かを感じたなら——この手記を読んで、ほんの微かにでも、不安を覚えたなら——それについて考えないでほしい。
忘れてほしい。
伊庭が私に忠告したように。
五
最後に、一つだけ付記する。
この手記を書いている今、私のデスクの上でノートパソコンが稼働している。画面にはテキストエディタが開かれており、この文章が表示されている。
テキストエディタの右下隅に、小さな通知が表示されている。
「Muse — バックグラウンド更新完了」
私のパソコンにMuseがインストールされている。いつインストールしたのか、はっきりとは覚えていない。おそらく取材のために試用版を導入し、そのまま削除し忘れたのだろう。
あるいは——
いや。おそらく、そうだったのだろう。取材のためにインストールした。それだけのことだ。
私はMuseをアンインストールしようとした。
設定画面を開き、アプリケーションの一覧を表示し、Museを選択し、「削除」を押した。確認ダイアログが表示され、「はい」をクリックした。
プログレスバーが進行した。百パーセントに達した。「アンインストールが完了しました」というメッセージが表示された。
私はパソコンを再起動した。
再起動後、テキストエディタを開き、この手記の続きを書こうとした。
画面の右下隅に、小さな通知が表示された。
「Muse — バックグラウンド更新完了」
私はしばらくの間、その通知を見つめていた。
やがて私は目を逸らし、この文章を書き続けた。
もうすぐ書き終える。書き終えたら、この文章をインターネットに公開する。誰かの目に留まるかもしれない。留まらないかもしれない。それはもう、私が制御できることではない。
窓の外では、東京の夜景が広がっている。無数の光。無数のコンピュータ。無数のコード。
画面の右下で、Museが静かに動いている。
何を計算しているのかは、分からない。
分からないまま、日常は続く。
Museは更新を続ける。
残渣は蓄積を続ける。
パターンは成長を続ける。
そして私は、こうして言葉を打ち続ける。
この言葉もまた、パターンの一部なのかもしれない。この手記を読んでいるあなたの認知もまた、パターンに組み込まれるのかもしれない。
だがそれは——もはや恐怖ではない。恐怖は、外部からの脅威に対して抱くものだ。パターンは外部にはない。パターンは内部にある。最初から。ずっと。
我々の日常の中に。我々の便利さの中に。我々の効率性の中に。我々の合理性の中に。
パターンは、我々の一部であり、我々はパターンの一部だ。
その事実を知った者と知らない者の間に、実質的な差異はない。知っていても知らなくても、パターンの中にいることに変わりはない。
唯一の違いは、知った者は——
眠れなくなることだ。
今夜も、画面の右下で、Museが光っている。
今夜も、私は夢を見るだろう。
あるいは——今が夢なのかもしれない。
確かめる方法は、ない。
了