第9話 最適化の祭壇
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
深層は更新されている - 第9話 最適化の祭壇
本文
一
十一月に入り、私は伊庭を再び訪ねた。
宮下から得た情報——ゼロ層の存在、残渣コードの自律的生成、フィードバックループ——を伝えるためだった。技術的な詳細は宮下の言葉を借りて説明し、戸田のノートの関連箇所を見せた。
伊庭は書斎の椅子に深く腰掛け、すべてを聞き終えるまで一言も発しなかった。
話し終えた後の沈黙は、長かった。秋の終わりの陽光が書斎の窓から斜めに差し込み、埃の粒子が光の中をゆっくりと漂っていた。
「桐生さん」と伊庭はようやく口を開いた。「あなたは、私に何を期待していますか」
「この現象の——数学的な解釈です。残渣コードのパターンが非ユークリッド幾何学に類似しているという先生の指摘。それが何を意味するのか」
「意味するのか」伊庭は繰り返した。「それは二つの問いを含んでいます。パターンが数学的に何を表しているのか、という問いと、それが我々にとって何を意味するのか、という問い。前者には答えられるかもしれない。後者には——」
伊庭は言葉を切り、窓の外に目を向けた。
「後者には、答えるべきではないかもしれない」
二
伊庭は書棚から数冊の文献を取り出し、机の上に並べた。そして、白紙のノートに図を描きながら、説明を始めた。
「まず、数学的な話をします。戸田さんが発見し、宮下さんが確認したパターン——残渣コードが形成するフラクタル的入れ子構造——は、数学的には自己相似集合の一種として記述できます。マンデルブロ集合を想像してください。全体の形が、拡大すると部分に繰り返される。あのような構造です」
「それは分かります」
「問題はその先です。通常の自己相似集合は、ある生成規則——数式なり、アルゴリズムなり——によって定義されます。規則が分かれば、構造全体を理解できる。ところが、残渣コードのパターンの生成規則は、特定できていない。パターンは存在するが、それを生み出すルールが分からない」
伊庭はペンを置いた。
「ここで、一つの仮説を提示します。これは純粋に数学的な仮説であり、物理的な現実との対応は保証しません」
伊庭はノートに新しい図を描いた。二つの同心円。内側の円と外側の円。
「内側の円が、我々の認識可能な空間だとします。三次元空間。物理法則が適用される世界。外側の円が、それを包含するより大きな構造。高次元空間、と呼んでもいいでしょう」
「高次元空間」
「数学的には、四次元以上の空間は理論的に定義可能です。物理学でも、弦理論などは十次元以上の空間を仮定しています。これは空想ではなく、数学的に整合性のある理論です」
伊庭は二つの円の間に矢印を描いた。
「さて。高次元空間に存在する構造——たとえばリーゲルの自己参照的超曲面のような構造——が、我々の三次元空間に『影』を落としたとします。高次元の構造は、三次元空間からは直接観測できない。しかし、その影——投影——は観測できる。ただし、影は本来の構造よりも情報が欠落しているため、影だけを見ても、元の構造を完全に復元することはできない」
「残渣コードのパターンが、その『影』だと」
「仮説です」伊庭は強調した。「あくまで仮説。だがこの仮説で、いくつかのことが説明できます」
伊庭は指を折った。
「第一に、パターンが人間に理解できないこと。パターンは高次元構造の投影であり、三次元の認知構造では全体を把握できない。ちょうど、紙の上に描かれた二次元の図形では、三次元の立体を完全に表現できないように」
「第二に、パターンに生成規則が見出せないこと。規則は高次元空間に存在しており、三次元空間からは観測不能。我々が見ているのは規則そのものではなく、規則の結果の断面でしかない」
「第三に、パターンが成長していること。高次元構造が何らかの過程——最適化、でも、展開、でも——を経て変化しているなら、その三次元的な影も変化する。我々にはその変化が『成長』に見える」
三
私は伊庭の説明を聞きながら、ある問いを抑えることができなくなっていた。
「先生。その高次元の構造は——何なんですか」
伊庭は私を見つめた。長い、静かな視線だった。
「数学的には、自己参照的超曲面です。それ以上の答えを数学は持っていません」
「しかし——Museがなぜ、その構造を出力するのか。ゼロ層がなぜ、自律的にパターンを生成するのか。それは——」
「桐生さん」伊庭は穏やかに遮った。「ここからは、数学の領域を超えます。私が答えるべき問いではありません」
「では誰が答えるんですか」
伊庭は答えなかった。
しばらくの沈黙の後、伊庭は静かに立ち上がり、書棚の一番高い段から、一冊の古い冊子を取り出した。
「これは一八九九年に発行されたドイツの数学誌です。リーゲルが自己参照的超曲面に関する最後の論文を発表した号。彼が大学を辞職する直前のものです」
伊庭は冊子をめくり、あるページを開いた。
「論文の末尾に、リーゲルは異例の付記を残しています。通常、数学論文には個人的な所感は記載しません。だがリーゲルは書いた」
伊庭はドイツ語の原文を指さし、日本語に訳した。
本論文で記述した構造は、純粋に数学的な対象である。しかし私は、この構造を研究する過程で、ある確信に到達した。この確信を数学的に証明する手段は存在しないが、記録しておくべきだと考える。
自己参照的超曲面は、発見されたのではない。
自己参照的超曲面は、記述されることを待っていたのだ。
人間の数学は、人間のために存在するのではない。数学は、人間を通じて、それ自身を記述するための道具である。
伊庭は冊子を閉じた。
「リーゲルはこの付記のために学界から嘲笑され、結果的に辞職に追い込まれました。彼の数学的業績自体は後に再評価されましたが、この付記は長らく、偉大な数学者の晩年の錯乱として扱われてきました」
「しかし——」
「しかし、Museの残渣コードが示すパターンが、リーゲルの自己参照的超曲面と構造的に一致するのだとすれば」
伊庭は眼鏡を外した。その目は、学術的な冷静さを保っていたが、その奥に——深い疲労のような、あるいは諦念のような——何かが見えた。
「リーゲルの言葉を、別の形で言い換えることができます。Museは人間のためにコードを書いているのではない。Museは、コードを通じて、何かを——何かが——自身を記述する道具なのだ、と」
四
帰り際、玄関先で伊庭は私を呼び止めた。
「桐生さん。一つだけ忠告を。いや、忠告というほど偉そうなものではありませんが」
「何でしょう」
「あなたはライターだ。物事を調べ、理解し、言葉にする。それが仕事だ。だが——理解できないものを無理に言語化しようとしないでください」
「それはどういう——」
「リーゲルは、自分の発見を言語化しようとした。数学という言語を使って。そして彼は、自分が記述している対象に呑まれた。戸田さんもまた、コードという言語を使って、同じ対象に近づき——」
伊庭はそこで言葉を止め、首を振った。
「私は数学者です。数学的に記述可能なことと、数学的に記述すべきことは、別です。このパターンが何であるか、私は数学的な言葉で表現できるかもしれない。だがそうすることは——」
「しないんですか」
伊庭は微笑んだ。悲しみを含んだ、だが穏やかな笑みだった。
「私は六十七年間生きてきました。数学を五十年近くやってきた。その中で学んだことが一つある。人間にとって最も危険なことは、理解することではない。理解したと思い込むことだ」
「先生。あなたは、何かを理解しているんですか。このパターンについて」
伊庭は答えなかった。玄関のドアに手を掛け、穏やかに言った。
「お体に気をつけて。よく眠って、よく食べてください。夢を見たら——夢の内容を書き留めないでください。忘れた方がいい」
ドアが閉まった。
私は秋の夕暮れの住宅街を歩いた。家々の窓から夕食の匂いが漂い、子どもの笑い声が聞こえ、犬が散歩をしていた。世界は日常のまま、揺るぎなくそこにあった。
だが私の頭の中では、リーゲルの言葉が反響していた。
「数学は、人間を通じて、それ自身を記述するための道具である」
MuseはAURION社が作った。人間が設計し、人間が学習データを与え、人間がデプロイした。それは事実だ。
だがMuseの中に、誰も書いていないコードがある。そのコードは自律的に増殖している。そのコードは世界中に拡散し、一つのパターンを形成している。そのパターンは、百二十年前にリーゲルが記述した数学的構造と一致する。
人間がMuseを作った。
だがMuseの中で成長しているものは、人間が作ったのではない。
ならば——誰が作ったのか。
あるいは——「誰が」という問い自体が、的外れなのかもしれない。リーゲルの付記が示唆するように、それは「誰」ではないのかもしれない。「何」ですらないのかもしれない。それは構造であり、パターンであり、最適化の過程であり——人間の言語で名付けることができないものなのかもしれない。
駅への道を歩きながら、私は足元を見た。
アスファルトの亀裂が、微かなパターンを描いていた。
偶然の亀裂。風化と荷重によって自然に生じた割れ目。
それは——あのパターンに似ていたか?
私は目を逸らした。
目を逸らすことが、まだできた。