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第十九章 もう一度、神を抱きしめたい

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/25 📚 シリーズ: 観測世界は今日も廻る 📝 2,878文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

一度滅び、組み直された観測世界。そこには、神と天使の接触を禁じる冷たい規則だけが残されていた。喪失の果てに深淵となったリコルと、彼女へ最初の祈りを捧げた原初の天使カミル。返らない祈りはやがて愛へ変わり、その愛は世界の法則すら揺るがしていく。これは、救済と禁忌が分かちがたく絡み合う、神と天使の神話的恋愛譚。

本文

第十九章 もう一度、神を抱きしめたい

私は、あの夜に戻りたいわけではなかった。

忘れていた記録を取り戻したからといって、

何も知らなかった頃の私へ戻れるわけじゃない。

白い月の夜も。

ひとりきりの産声も。

怒る波も、泣く風も。

法を壊してまで私との未来を選んだリコルの痛みも。

今の私は、もう全部知っている。

知ってしまった以上、

あの頃みたいに、ただ幸福だけへ縋ることはできない。

“好き”のまま泣いていた幼い私では、もういられない。

それでも。

それでも私は、もう一度だけ、

今の私として、

貴女を抱きしめたいと思ったのです。

白い部屋は、ひどく静かだった。

しっぽがゆるく揺れている。

黒い羽根は折りたたまれ、長い黒髪が背中へ流れている。

高い場所に座るその後ろ姿だけを見れば、昔と何ひとつ変わらないようにも思えた。

神。

深淵。

観測世界のいちばん遠いところにいるひと。

けれど私は、もう知っている。

その小さな背の内側に、

どれほどの夜が詰まっているか。

どれほどの痛みが沈んでいるか。

どれほどの愛が、黙ったまま法まで壊してしまったのか。

私は、ゆっくり歩いた。

足音を忍ばせる必要なんて、きっとない。

リコルは、私が来たことに気づいている。

気づいていて、振り向かない。

昔なら、それだけで胸が痛くなったかもしれない。

けれど今は違う。

この沈黙が拒絶ではなく、ただ“言葉より先に何かを選ぼうとしている沈黙”なのだと、少しだけわかるようになっていた。

だから私は、迷わず近づく。

あと一歩。

あと半歩。

指先が届く距離で、ほんの少しだけ息を止めた。

怖くないわけじゃない。

記録を知ってしまった今だからこそ、触れることの重さは昔よりずっと深い。

この背中へ腕を回すことが、ただの慰めでは済まないのもわかっている。

それでも、私は手を伸ばした。

肩へ、そっと触れる。

冷たい。

けれど石ではない。

ちゃんと生きている温度だった。

「……リコル」

名を呼ぶ。

紫の眼はまだこちらを見ない。

しっぽの先が、ごくわずかに揺れただけ。

それで充分でした。

私は、そのまま後ろから、貴女を抱きしめる。

腕の中へ落ちてくるからだは、思っていたよりずっと軽い。

柔らかい。

細い。

そのくせ、この小さな躰で、世界の法を壊し、月影を抱き、ひとりで産み落とし、何も知らない私を守り続けていたのだと思うと、胸の奥がどうしようもなく痛んだ。

それでも、離さない。

「……全部、思い出しました」

声は少し震えていた。

けれど、もう逃げたくなかった。

ここで曖昧にしたら、また昔の私へ戻ってしまう気がしたから。

「私たちが交わった夜も」

「貴女が泣いて、私の名を呼んでくれたことも」

「月影が、もう産まれていたことも」

「……あの白い月も、波も、風も」

「ぜんぶ、知りました」

言葉を重ねるたび、腕の中のからだが少しずつ強張る。

それでも、逃げない。

振りほどかない。

沈黙だけが深くなる。

私は、その沈黙ごと抱きしめる。

「合意だったんですね」

そのことばは、責めるために落としたものではなかった。

責められるはずがない。

だって、その記録はあまりにも綺麗だったから。

あまりにも、ちゃんと、おたがいだったから。

「……あの夜も」

「そのあとも」

「月影も」

「全部、貴女の意志だった」

喉が、少しだけひりつく。

嬉しいから。

苦しいから。

そして何より、そんな大事なことを、知らないまま笑っていた自分があまりにも遅かったから。

「どうして、ひとりで抱えたんですか」

小さく囁く。

「どうして、私に何も言わなかったんですか」

「どうして、あんなふうに……笑えるようになった顔だけ、見せていたんですか」

返事はない。

けれどその沈黙は、前みたいな冷たさではなかった。

もっと深く、もっと疲れていて、そしてどこか諦めに似た静けさだった。

きっと、最初からそうするつもりだったのだろうと思う。

私には何も背負わせない。

何も知らせない。

ただ守る。

ただ未来だけを残す。

そんなふうに、最初から。

それが、たまらなくずるかった。

「……ずるいです」

思わず、そう零れてしまう。

腕に力が入る。

「私だけ、何も知らないまま……」

「守られていることにも気づかないまま……」

「貴女が笑ってくれるだけで、救われた気になっていました」

言いながら、自分の頬が濡れているのに気づく。

泣いていた。

知らないうちに。

「でも、もう嫌なんです」

声が掠れる。

それでも、止まらない。

「もう、知らないままでいたくない」

「守られるだけでいたくない」

「貴女がひとりで法を壊して、ひとりで産んで、ひとりで泣いていたのに、私は何も知らずに幸福だけ抱いているなんて、そんなの……」

そこでようやく、リコルの肩が小さく震えた。

ほんの一瞬。

でも、たしかに。

私は、抱く腕をゆるめない。

「だから」

息を吸う。

喉の奥に溜まった熱を、ひとつずつ押し出すみたいに。

「もう一度、貴女を抱きしめたいんです」

「記録の中の、何も知らない私じゃなくて」

「いまの、全部知った私が」

「それでも、貴女を愛したい」

ことばにした瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。

愛している。

それはもう告白ではなく、選択だった。

世界の法を知っても。

前世界の報われなさを知っても。

シュブを宿していながらシュブではないというねじれを知っても。

その全部を見たあとでなお、私はこのひとを選びたい。

「逃げないでください」

掠れた声で、そう願う。

「もう一度だけ」

「ちゃんと、私に伝えさせてください」

「私は、貴女を愛しています」

「……今も」

沈黙。

白い部屋は、しん、と息を潜めている。

外で世界はまだ軋んでいるはずなのに、ここだけが、静かな熱の中へ沈んでいた。

やがて、腕の中の神の背が、ほんの少しだけこちらへもたれてくる。

ああ。

それだけで、私はわかってしまった。

拒絶じゃない。

追放でもない。

これは、赦しに近い。

あるいは、もっとずっと静かな、現在の選択だ。

あの夜の焼き直しなんかじゃない。

記録の反復でもない。

今ここで、全部知ってしまった私が、もう一度リコルを抱きしめている。

そしてリコルは、それを振りほどかない。

「……ありがとうございます」

囁いた声は、涙に濡れていた。

言ってしまってから、少し可笑しいと思う。

ありがとうなんて。

法を壊した相手に。

世界を裏切った相手に。

全部ひとりで抱え込んだ相手に。

でも、それでも。

今こうして、もたれかかってくれることが、どうしようもなくありがたかった。

私は、もっと強く抱きしめる。

リコルの震えが、背を伝ってくる。

隠しきれないものが、まだその躰のどこかで揺れている。

それでも、この夜はもう、罰ではなかった。

傷の再演でもない。

いまの私たちが、知ったうえで、それでも欲した、二度目のはじまりに近かった。

白い部屋の沈黙の中で、私は頬を寄せる。

「……大丈夫です」

もう一度、そう言う。

祈りではなく、誓いとして。

「今度は、私が見ています」

「もう、貴女の痛みを、知らないままで笑ったりしません」

「だから……」

「だからもう一度、私に、貴女を抱きしめさせてください」

リコルは何も言わない。

けれど、その沈黙の奥で、しっぽの先がゆるやかに揺れた。

それは、私にとって充分すぎるほどの返事でした。

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作者について

原初のモブ

原初のモブ

観測世界シリーズとか書いてます。 神話が好き。 ちょっとお試しで1話目の冒頭だけ公開しました。エログロナンセンス世界観なので全年齢向けに整えるの大変...🫠

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