(BL)敵対的接収された元領主は、冷酷と噂の融資院総裁に復讐するつもりでした――なのに今さら、あの男がずっと私の人生を買い戻していたなんて聞いていませんの表紙画像

(BL)敵対的接収された元領主は、冷酷と噂の融資院総裁に復讐するつもりでした――なのに今さら、あの男がずっと私の人生を買い戻していたなんて聞いていません

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📅 公開日: 2026/5/3 📚 シリーズ: 異世界恋愛ショートドラマ 📝 4,616文字 ✅ 全年齢

あらすじ

異世界恋愛ショートドラマ - (BL)敵対的接収された元領主は、冷酷と噂の融資院総裁に復讐するつもりでした――なのに今さら、あの男がずっと私の人生を買い戻していたなんて聞いていません

本文

火花。

 焼けた銅の匂い。雨上がりの石畳に、青白い魔導灯の明滅がぴし、ぴし、と散る。

 あと一歩で感電防止の封印線を繋ぎ終える、その瞬間だった。

「そこの工師、手を止めろ」

 低い声ひとつで、広場の空気が凍った。

 梯子の上で振り向いたルカ・フェルノーは、濡れた前髪の奥で目を細めた。王都一の金貸し。商会も領地も家名も、望めば丸ごと呑み込む男。

 融資院グループ総裁、セリオ・ヴァレンティノが、黒金の外套を翻して立っていた。

 よりによって。

 親の代で破綻し、敵対的接収の末にフェルノー家を失墜させた相手が、今さら自分の仕事場に現れるなんて。

「危険です、総裁閣下。近寄らないでください」

「君に言われる筋合いはない。落ちるぞ」

 次の瞬間、足場板がぐらりと鳴った。

 あ、と息が浮く。視界が傾ぐ。石畳。梯子。濡れた夜。胃がひゅっと縮む、その一瞬の空白へ、黒い影が踏み込んだ。

 抱き止められた。

 どさり、ではない。ぐ、と腕に引き寄せられ、胸板へ叩きつけられるみたいに着地した。固い。熱い。息が止まる。濡れた外套の匂いの奥に、香木と紙と、火薬に似た冷たい香り。

 最悪だ。最悪すぎる。

「……離していただけますか」

「嫌だ」

「は?」

「君は今、私の腕の中にいるほうが安全だ」

 心臓が、どくん、と不穏な音を立てた。

 怒りで。怒りで、である。断じてそれだけだ。たぶん。

 ルカは元伯爵家当主で、今は街の工師組合に雇われる電気工事士だ。魔導灯の整備、結界柱の配線、火災防止の封印更新。借金返済のため、危険手当のつく仕事を選んで、手を焼き、指を裂き、それでも黙って働いてきた。

 全部、返すために。

 家の負債も。奪われた誇りも。あの男への憎しみも。

 だから復讐の機会を狙っていた。

 セリオの護衛結界に組み込まれた旧式の欠陥回路を暴き、公衆の面前で失態を晒させる。融資院の威信に泥を塗る。そういう、慎ましくも執念深い計画を。

 ……なのに計画相手に抱き止められて、頬まで熱くなるなど、聞いていない。

「放して」

「断る」

「手首を」

「脈が速い。立てないだろう」

「あなたのせいです!」

 ぴしゃりと言い返した途端、セリオの睫毛がわずかに震えた。

 それだけ。表情は崩れない。端正で、冷たく、王都の冬の彫像みたいな顔。だが腕は放さない。びくともしない。

 この男、礼儀正しい顔で強情だ。知っていた。嫌というほど。

「仕事の邪魔です、総裁閣下」

「今夜の仕事は中止だ」

「命令される覚えはありません」

「ある。そこの灯柱は三日前に封印改竄が入っている」

 ルカは息を呑んだ。

 改竄。今の一言で、復讐用に自分が仕込んだ細工のことではないとわかった。別の何者かが先に触っている。

 セリオが顎で示す。護衛が一歩下がる。布に包まれた結界札の断片。煤。見覚えのない刻印。

「君をここへ呼び出した依頼票も偽造だ」

「……は?」

「工師組合には二重帳簿が残っていた。君だけ危険区画へ回されるよう、手当の名目まで整えてある」

 背筋が、す、と冷えた。

(ほら見ろ)

 耳の奥で、いやに冷えた声が嗤う。

(復讐するつもりで近づいて、先に狩られるところだった)

 ルカはぎり、と奥歯を噛んだ。これは彼の癖だ。追い詰められると、死んだ父の声がする。正確には記憶の反芻だ。厳格で、冷酷で、商売に負けたくせに最後まで誇りだけ高かった男の声。

(ヴァレンティノに情けをかけられるくらいなら、石に噛みついてでも立て)

「情けのつもりですか」

 ルカは低く言った。

「今さら。家も、領地も、工房も、全部呑み込んでおいて」

 セリオの指が、ほんの一瞬だけ強張った。

 触れられた手首が熱い。

 逃げたいのに、逃げるほうが負けだと身体が強情を張る。

 近い。近すぎる。鼻先ひとつ分、顔を上げれば唇が触れそうな距離。最悪の距離だ。息が混ざる。こめかみが熱い。胸の奥が、ばく、ばく、と騒がしい。やめろ。そんな丁寧に見下ろすな。そんなふうに名前を呼ぶな。

「ルカ」

「……呼ばないでください」

「では、元伯爵」

「嫌味ですか」

「敬意だ」

 その声音が、妙に静かで。

 怒鳴られるより余計に、胸の奥へ刺さった。

 その夜、ルカは融資院本部へ半ば強制的に連行された。連行、というと語弊がある。実際は「君を狙った犯人がまだ捕まっていない」と理詰めで包囲され、「危険区画の工師宿に戻るほうが愚かだ」と淡々と論破され、気づけば最上階の応接間にいた。

 腹立たしいことに、正論だった。

 暖炉の火。分厚い絨毯。磨き抜かれた硝子。かつてフェルノー家の客間にあったものより上等で、だからこそ癇に障る。

「茶だ。毒は入っていない」

「入っていたら驚きます」

「私は君を殺さない」

「社会的には一度殺しましたよね」

「……そうだな」

 そこで否定しないのが、ずるい。

 ルカはかえって言葉を失った。

「ではなぜ助けたんです。慈善事業ですか。没落貴族に同情でも?」

「違う」

「では、罪悪感?」

「それも違う」

「じゃあ何です」

 沈黙。

 ぱち、と薪が爆ぜる。

 長い指がカップの縁に触れ、離れた。あの男が迷う。珍しい。いや、初めて見るかもしれない。

 ルカは不意に気づいた。応接間の壁一面に、融資案件の台帳と地図が並んでいる。その一角にだけ、見慣れた家紋があった。

 炎燕の紋。

 フェルノー家の旧紋章。

「……なぜ、それがここに」

 セリオが視線を上げる。

 逃がさない目だった。普段の冷淡さより、もっと悪質で、もっと優しい目。

「接収したからだ」

「それは知っています」

「違う。表の資産ではない」

 彼は立ち上がり、書架の奥から封緘文書を一つ抜いた。

「君の父君が最後まで隠した、職人たちの名簿と工房の特許権だ」

 ルカの喉が詰まる。

「王家直轄の武具工房に横流しされる寸前だった。私が先に買った」

「……買った?」

「敵対的接収に見せかけたのは、そのほうが守れたからだ。あの時点でフェルノー家は、複数の商会に食い荒らされていた。君の父君は誇り高すぎて、私の提案を受けなかった」

 耳鳴り。

 足元がわずかに揺れる。

 あの時、王都で流れた噂を思い出す。ヴァレンティノは弱った家を狙って呑み込む。冷血。強欲。情けなし。

 そして確かに、セリオはそう振る舞った。公の場では。

 父の面目を残すために、破談も不正も全部、ヴァレンティノ側の冷酷さで片づくように。

「……じゃあ、うちの使用人たちが散り散りにならずに済んだのも」

「再就職先を斡旋した」

「工房の負債が途中で止まったのも」

「私が買い取った」

「借金の利子が急に軽くなったのも」

「匿名の支援では不服か」

「不服です!」

 声がひっくり返った。

 自分でも情けないくらい大きな声だった。肺が痛い。視界が熱い。怒りなのか悔しさなのか、もう判然としない。

「ふざけないでください……! そんなこと、一言も」

「言えば君は受け取らなかった」

「当たり前だ!」

「だから黙っていた」

 正しすぎて、残酷だ。

 ルカは唇を噛んだ。痛い。鉄の味。知らないところで守られていたなど、屈辱だ。惨めだ。なのにどうして、この男の声はこんなに静かで、こんなに――ほっとするんだ。

(馬鹿だな)

 父の声が、今度は妙に乾いている。

(憎み続けるには、相手がまっすぐすぎた)

「では今さら何のつもりで明かしたんです」

 絞り出すように問うと、セリオは少しだけ目を伏せた。

「今夜、君が囮に使われたからだ。君が何も知らないまま傷つくのは、もう耐え難い」

 どくん。

 今度こそ、心臓が露骨に跳ねた。

 耐え難い。

 その言葉だけで、指先まで熱が走る。

 なのに男はそこで黙る。肝心なところを飲み込む。なんだそれは。優しくて、意地が悪い。触れそうで触れない距離を、言葉の上でもやるつもりか。

「……私を哀れんでいる?」

「違う」

「では責任?」

「違う」

「なら」

 セリオが一歩だけ近づいた。

 逃げない。ルカも逃げない。逃げたら終わる気がした。

 吐息が頬を撫でる。触れない。けれど確かに、そこにある。

「君の人生に、私以外の札が貼られるのが我慢ならない」

 思考が止まった。

 所有欲。独占欲。ひどく傲慢な言葉なのに、声が震えていた。あの男が。王都で最も隙のない総裁が。

 ルカは、そこでようやく気づいた。

 この男、ずっと自制していたのだ。債権者だから。高位だから。救った側だと思われるのが、何より屈辱になると知っていたから。

 だから助けても言わなかった。

 だから選んでも見せなかった。

「君の工房も名簿も、返す」

 セリオは低く言う。

「借金も帳消しにできる。だが条件は出さない。私はもう、保護を口実に君を縛りたくない」

 一段目のどんでん返しは、そこで完成した。

 この男は買ったのではない。返すつもりで守っていた。

 けれどルカは、その瞬間に別の違和感へ辿り着く。

 工師組合の偽依頼。二重帳簿。危険区画への誘導。

 それをセリオが掴めたのは、なぜだ。

「……あなた、最初から私の仕事先を追っていたんですか」

 問うと、彼は珍しく目を逸らした。

 沈黙。答えだ。

「まさか毎回?」

「毎回ではない」

「毎回じゃないなら何回です」

「……危険度の高い案件だけだ」

「それを世間では毎回と言うんですよ!?」

 思わず叫ぶと、セリオはほんの少し、ほんの少しだけ口元を緩めた。ずるい。そんな顔を隠していたのか。

 胸の奥が、ぐしゃ、と甘く痛む。

 二段目のどんでん返しは、もっと質が悪い。

 自分は憎まれていると思い込み、復讐まで企てていた。だが相手はずっと選んでいた。とっくに。執拗に。黙ったままで。

「心外です」

「何がだ」

「そんな顔をされると……私がずっと、馬鹿みたいじゃないですか」

「馬鹿ではない」

「馬鹿です。あなたを憎んでいた」

「構わない」

「復讐も考えた」

「知っていた」

「は!?」

「護衛結界の旧式回路に不自然な照準痕があった」

「最悪だ……!」

 頭のてっぺんから湯気が出そうだった。いや出ている。絶対。

 穴があったら入りたい。だがセリオは笑わない。ただ、ひどく大事なものを見る目でこちらを見ている。

「それでも君を手放す気にはなれなかった」

「……ずるい」

「そうだな」

 もうだめだ、とルカは思った。

 憎しみだけでは立っていられない。真実を知ってしまったから。何より、この男の前では自分の矜持まで見透かされる。

 ルカは一歩、前へ出た。

 触れる直前で止まる。胸元の生地に指先がかすめる、その寸前。

 もどかしい。息が熱い。喉が渇く。

「返すとか、帳消しとか……そういうのはまだ受けません」

「わかった」

「工房も、自分で取り戻します」

「それでいい」

「でも」

 セリオの睫毛が揺れる。

「次に危険な仕事へ行く時は、あなたにだけは知らせます」

「……それは」

「あなたが勝手に追うより、少しはましでしょう」

 そこでようやく、あの冷酷総裁が息を呑んだ。

 勝った。たぶん今だけは。

 ルカは続ける。頬が熱い。声も少し掠れる。でも、逃げない。

「それから、将来のことは今すぐ決めません。借金も工房も片づけて、対等になってからです」

「厳しいな」

「当然です」

「だが」

 セリオが、今度こそ指先でルカの手首に触れた。

 抱き締めるのではなく、逃げ道を残したまま。礼儀正しく。なのに熱い。

「その先の席を、私のために空けておいてくれ」

 ずるい。

 本当に、ずるい男だ。

 ルカは笑ってしまった。初めて、この男の前で。

 するとセリオは、信じられないものでも見るように目を見開いて、それからひどく甘く、困ったように微笑んだ。

 王都の夜はまだ冷たい。

 けれど窓の外で、消えかけた魔導灯がふっと安定した光を灯す。

 復讐は失敗した。

 代わりに、もっと厄介な契約が始まりそうだった。

 ――今度は、どちらが先に落ちるのか。

 それだけは、まだ教えてやらない。

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うえはらゆうり

うえはらゆうり

日経ダブルベアで大損し続ける逆張り地獄

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